手紙②
紗季が生徒会室を走り出ていった約十分後、環と啓太は生徒会室を後にすると、校舎裏へと向かった。自転車置き場に行くためだ。
二人は、所狭しと並んでいる自転車の中から、それぞれ自分たちの自転車を探し出す。見つけた自転車を押しながら校門を出ると、国道へと続く坂道を並んで下りはじめた。
坂道の前方をぼんやりと眺めながら、環が静かに口を開いた。
「私、考えたんだけどさあ……」
環のほんの数歩先を歩いていた啓太が、声に振り向いた。
「何を考えたんだ?」
「さっきの手紙についてだよ。あのときはあっという間のできごとに何も考えられなかったけど、あれって……。脅迫状っぽくない?」
啓太が、呆れたように小さく笑った。
「そんなの、考え過ぎだろ? だいたい、何で石塚が脅迫されなきゃならないんだよ」
環は、頭を俯き加減に傾け、自転車の前方付近の地面に視線を彷徨わせる。
「それはわかんないけど……。『大切にしなかった友だちが、熱い目に遭った』っていう手紙。どう考えても、何か深い事情がありそうじゃん。あのときの紗季の様子も、何か動揺してるみたいだったし」
「お前、そういう妄想癖、いい加減に治したほうがいいぞ」
呆れた表情をした啓太は、いつものことかといった調子で環をたしなめようとする。だが環は、啓太の忠告をこれまたいつもの調子で聞き流すと、右手を顎に当てながら呟いた。
「でも、同封されてたのが、相手の命を惜しむ内容の焦げた取り札だよ。絶対に普通じゃないよ。紗季、何かよくないことに巻き込まれようとしてるのかもしれない」
「まさか。でも……」
啓太は、そのまま黙り込んだ。
薄暮に包まれた街を、不意に一陣の風が吹き抜けた。街路樹が、ざわざわと不安げな音を立てて揺れた。
*
次の日。
環は、紗季と二人きりになる瞬間を、密かに待っていた。
昨日の手紙の一件以降、機会を見つけて紗季に事情を聞いてみようと心に決めていた。ただ、内容が内容だけに、聞き方によっては、紗季を傷つけたり、悲しませたりする結果になりかねない。迂闊な聞き方はできなかった。
もっとも重要なのは、単なる好奇心ではなく、純粋に心配しているがゆえの行動であるということを理解してもらうこと。そして、それと同じぐらい重要なのが、より心を開きやすい環境を準備すること。そう考えて、タイミングを見計らっていたのだった。
しかし、絶好のチャンスと考えていた昼休み、不覚にも環は紗季の姿を見失った。環が焼きそばパンを頬張っている間に、昼食を終えた紗季が教室をあとにしてしまったのだ。
慌てて、校内中を捜した。
生徒会室にはいなかった。保健室にもいなかった。
ようやく、図書館でその姿を見つけたのは、昼休みの残り時間もあと僅かとなった頃だった。
紗季は、入り口から遠い窓際の席に腰かけていた。環はそっと、後ろから近づいた。
紗季は、一冊の本を熱心に読んでいた。
――何の本を読んでいるんだろう?
好奇心に駆られて、紗季が読んでいる本を肩越しに覗き込む。
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
見覚えのある和歌が、目に飛び込んできた。
「紗季、それって……」
本を熱心に眺めていた紗季は、環の呼びかけに驚いた様子で、本を閉じながら振り向いた。同時に、本能的ともいえる素早さで、本の表紙を右手で隠す。
隠すとき、本のタイトルがちらりと見えた。『小倉百人一首』という単語が読み取れた。どうやら百人一首の解説本らしかった。
「あら、環」
環の顔を見つめながら微笑んだ紗季だったが、その顔には微かな焦りが見えた。
「紗季、その本、百人一首の本だよね」
硬い表情で語りかける環の言葉に、紗季は右手の下にある本にちらりと視線を落とした。
「あ、これ? うん。競技かるたをやるなら、やっぱり和歌のことも勉強しておかなきゃならないでしょ。だから、ちょっと百人一首について調べようと思って」
紗季ともあろうかるたの達人としては、あまりにも不自然な言い訳だった。やはり、紗季は昨日の手紙と、それに添えられていた取り札に心当たりがあったのだ。
確信した環は、単刀直入に尋ねた。
「昨日の手紙とかるたの札の話なんだけど……」
紗季の口元が綻んだように見えた。
「ああ、あれね。きっと何かの間違いよ。それか、誰かの悪戯」
言葉とは裏腹に、その笑顔には明らかな動揺が現れているのを、環は見逃さなかった。
環は、ポケットから透明なビニール袋を取り出すと、紗季の前に静かに置いた。中には、焦げた取り札が入っていた。
「これ、昨日の忘れ物。啓太がビニール袋に入れてくれたんだ。急に慌てて帰っちゃうから、啓太も坂元っちゃんも心配してたよ」
環の言葉に、紗季はゆっくりを目を伏せると、微かに唇を噛んだ。
「あの手紙、火事か何かに関する内容なんだよね? そして、かるたの取り札は相手を恨む気持ちを読んだ和歌……」
環は、近くにあった椅子を手繰り寄せて紗季の横に座ると、紗季に顔を近づけた。
「ねえ、いったい何があったの? 紗季が、何でも自分で解決しようとする強い人なのは知ってる。他人をトラブルに巻き込みたくないっていう、優しい性格なのも知ってる。でも、たまには他の人に頼ってもいいんだよ。もし紗季が何かよくないことに巻き込まれてるんだったら、遠慮なく相談して。私たちが力になるから」
そう言いながら、机の上で力なく組まれた紗季の手に、両手を重ねる。紗季は目を瞑ると小さく息を吐き、再び目を開けた。
図書室の中が、静寂に包まれた。
静寂を確認した紗季は、何かを覚悟したように、小さいがしっかりとした声で、言葉を選びながら語りはじめた。
「実は私……」
思った以上に深刻な空気に、環は思わずごくりと唾を飲んだ。
「小学校三年生のとき、友だちと三人でこっそり無人のあばら家みたいなところに行って、火事に遭ったことがあるの」
机の上に置いた両手を、環の掌の中で微かに震わせながら、紗季は続ける。
「もう少しで火に巻かれるってところで、何とか逃げ出せたんだけど、周囲の大人たちには、そこにいたことを言わなかった。よく覚えてないけど、きっと怒られるのが怖かったんだと思う。あの手紙と取り札は、きっとそのことを指してるんじゃないかなって」
環は、紗季が心の扉を閉ざしてしまわないように、優しく問いかける。
「その火事で、何か大変なことが起こったの? 例えば、誰かがけがをしたとか……」
「それが……。九年も前の小学三年生のときのできごとだから、細かいことはよく覚えていないの」
「頑張って、思い出してみて」という言葉が口を突いて出そうになったとき、俯いたままで唇を噛む紗季の痛々しい表情が目に入った。環は、喉まで出かけた言葉を思わず飲み込むと、深く息を吐きながら椅子の背もたれに体を預けた。
「そうなんだ」
できれば、もっと話を聞きたかった。
だが、本人はそれ以上のことを覚えていないという。もっとしつこく食い下がれば、あるいはもう少しぐらい具体的な話が聞けるかもしれない。しかし、今の紗季の状況を見るにつけ、これ以上、彼女を追及することは、酷なことのように思われた。
「わかった」
環は紗季に笑いかけた。作為的は笑顔ではない。友人を気遣う、心からの笑顔だった。
「もし、何か思い出したら、いつでもいいから、ぜひ教えてね。私たちが絶対に紗季を守ってあげるから」




