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エピローグ①

エピローグ ――十月二十七日(金)――


 事件後の数日間、環は紗季や啓太、佑希、香澄たちとともに、警察の事情聴取や病院での検査、カウンセリングなどで慌ただしい時間を過ごした。

 環は、しばらく学校を休んだが、カウンセリングの担当者と相談のうえ、事件から六日後の金曜日、久しぶりに登校することに決めた。

 前日の夜、環は啓太に電話をかけた。

「明日から、学校に行くことにした」と伝えると、啓太は「ふうん」とそっけなく鼻を鳴らしただけだった。

 当日の朝、自宅二階にある自分の部屋で制服に着替えていたとき、窓ガラスがコツンと音を立てた。何だろうと思って耳を澄ます。すると、再び音が鳴った。

 窓を開けると、玄関の前に立つ啓太が、小さな石ころを持って振りかぶっているところだった。

「ちょっと、何やってんの」

「何って、学校行くの、つき合ってやろうと思ってさ」

 悪びれる様子もなく、啓太は環を見上げながら呑気に笑った。

「窓ガラスが割れたら、弁償だからね!」

 そう怒鳴りながら、環は窓を閉め、階段を駆け下りる。

 だいたい、一緒に行きたいのなら、窓に向かって石ころを投げるなんて昭和時代の青春ドラマみたいなわけのわからないことをしないで、スマートフォンで電話をかければすむ話なのだ。そもそも昨夜は気のない返事をしておいて、朝になってこっそり女子高生の家を訪れるなんて、悪趣味も甚だしい。

 思考がいちいちずれている啓太を哀れに思い、さらにそのような啓太の相手をしなければならない自分自身を不憫に思いながら、環は玄関を出た。

「よう」

 待ち伏せをしていた啓太が、まるで近所のおばちゃんに飴玉をもらった小学生のように嬉しそうな笑顔で、右手を挙げた。馴れ馴れしい挨拶を敢えて無視して、環は自転車を押しながら門を出る。

 啓太としては、幼馴染である環に駆け寄って「久し振りだな!」とでも言いながら、思い切りハグでもしたいところなのだろう。しかし、そのような度胸を啓太が持ち合わせていないことは、環自身が誰よりもよく知っている。

 もっとも、ハグしようとしたところで、渾身の力を込めた環の裏拳下突きが啓太のみぞおちに炸裂するのは目に見えているのだが。

 環は、度胸も根性もない幼馴染の横を冷たい表情で通り過ぎると、おもむろに自転車に跨った。

「まだ時間があるから、自転車を押しながら、歩いていこうぜ」

 後ろから、啓太の声が響いた。


         *


 町の景色は、気がつくとすっかり晩秋のそれに変わっていた。川岸に植えられているイチョウが、黄色く色づいた葉と一緒に、無数のギンナンを道端に落としている。環と啓太は、靴や自転車のタイヤでギンナンを踏まないように注意しながら、そろりそろりと歩を進める。

「啓太は、いつから学校に復帰したの?」

「火曜日。事件の三日後」

 ――この私よりも早く学校に復帰を果たすとは、さすがは神経が図太い、よく言うと鈍感な啓太だ。

 妙な点に感心したが、なぜか少し悔しくもあった。

「坂元っちゃん……、坂元さんはどうなったの?」

 啓太のことだから多分、竹内辺りから情報を仕入れているのだろう。そう思って、試しに聞いてみた。

「ああ、あいつか。先生から聞いた話では、週明けの月曜日に学校を辞めたって。稔兄ちゃん……、稔さんによると、今は警察で事情聴取がおこなわれてるらしいけど、本人は犯行を大筋で認めてるから、恐らく最終的には少年院送致になるんじゃないかっていう話だった」

 予想はしていたことだったが、やはりショックだった。環としては、佑希の行動には情状酌量の余地があるように思えた。

 だが、罪は罪だ。そう思い直す。

 佑希には、しっかりを罪を償って、戻ってきてもらいたい。そのとき、環自身がどうなっているかは想像もつかないし、佑希と再び出会う未来が果たして訪れるのかどうかさえわからない。

 しかし、もし出会ったとしたら、以前と同じように接するよう心がけよう。佑希の涼しげな笑顔を思い浮かべながら、そんなことを考えた。

 啓太が、思い出したように言った。

「その坂元なんだけど、拘留中にお姉さんの伊織……、畑中香澄さんが面会に来たらしいんだよな」

「そうなの? でも、妹がこんなことになってしまったんだもんね。長く離れてたとはいえ、やっぱり心配だよね」

「ああ、坂元がやってしまったことの責任の一端は、自分にあるっていうふうにも考えてるだろうしな」

 二人で踏み締めるイチョウの葉が、カサカサと音を立てた。落ち葉の音の合間を縫って、啓太が独り言のように語る。

「畑中さんと石塚は、仲直りできるのかな?」

「昨日、紗季とちょっとだけ、電話で話したけど……。紗季は、香澄ちゃんと昔みたいな友だち関係に戻ることを望んでるみたい。でも、今のところは連絡が取れてないんだって。香澄ちゃんとしては、今回のできごとに責任を感じてて、紗季と話をしにくいんじゃないかな」

「畑中さん自身、本当に東谷香澄だったのかっていう問題について、警察に任意で事情を聞かれてるみたいだから、精神的にも時間的にも、あまり余裕がないっていうのが正直なところなのかもしれないな」

 確かにそうだ。あれだけのことが起こってしまった直後なのだ。紗季にしても香澄にしても、事態が落ち着いて精神状態が安定し、お互いに面と向かって思ったことが言えるようになるまでには、まだまだ時間がかかるのだろう。

「それにしても三人とも……、少なくとも紗季と香澄ちゃんだけでも、早く日常を取り戻せるようになるといいね」

「そうだな」と相槌を打ち、啓太は環に顔を向ける。

「石塚はいつ頃、学校に復帰できるのかな?」

「昨日の電話でチラッと聞いた話だと、しばらくは休んで、様子を見るみたい。進学先も、もう推薦で決まってるしね。かるたの地方大会に出場できそうにないのは、ちょっと可哀想だけど」

「そうか。大会は来年もあるし、焦っても仕方がないもんな」

 恐らく紗季は、カウンセリングで心身の不調から回復したと判断された時点で、学校に復帰するのだろう。しかし、十年近く前のできごとで心に負った傷は、たとえ心の奥底に仕舞い込んで一時的に忘れることができたとしても、完全に消えてしまうことは、決してないはずだ。

 しかも、今回の事件では現場の様子が動画サイトでライブ配信されていたことに加え、体育館で大勢の生徒を前に上映される結果になってしまったのだ。決して小さくはないであろう紗季の心の傷の大きさを推し量るにつけ、可哀想という以外に適切な言葉が見つからない事実が歯痒かった。

 啓太の話によると、ライブ配信は建物に火が回って機材が燃えてしまった時点で途絶え、現在はその映像もサイト上から削除されてしまったことで、見ることができなくなっているらしかった。

 しかし、たとえ削除されていたとしても、拡散された映像が、すでに多くのネット民たちの脳裏に刻み込まれているであろうことや、映像そのものが今も何らかの形でインターネット上のどこかに残されていることは、容易に想像がついた。

「そういえば」と、啓太が落ち葉を踏み締めながら、口を開いた。

「今回の事件、インターネット上で、いろいろな方面に影響をおよぼしてるらしい」

 ちょっと唐突に思えた。だが、その唐突さに逆にただならぬ空気を感じ、先を促してみた。

「どんな影響?」

「一つめは、映像研究部の玉山が言ってたんだけど……。中国地方のどっかの県で、不登校の高校生が野良猫を虐待する動画をインターネットにアップして、逮捕されたらしいって話」

 環は、思わず眉間に皺を寄せた。だが、今回の事件との関わりは見えない。

「それが、今回の事件と、どう関係してるの?」

「その犯人……、確か、田川翔って言ったかな? そいつ、動画の中で猫を虐待しながら『俺は第二のSWEET DARKNESS152になる』って叫んでたらしいんだ」

 SWEET DARKNESS152といえば、忘れようと思っても忘れることができない、ブログ上での佑希の運営者名だ。

 その田川とかいう高校生の行動は理解し難いが、本人の心の中では、今回の脅迫事件と自分の行動が、どこかで繋がっていたということなのだろうか。

 いずれにしても、猫を虐める自分を正義の味方か何かと勘違いしている、その歪んだ思考が不愉快極まりなかった。

 そのような環の不快感をスルーしながら、啓太はさらに続ける。

「二つめは、インターネット上で今回の事件に関する『インターネットミーム』が広まってるらしいって話題」

 聞き慣れない言葉だった。

「インターネットミーム? 何、それ?」

「インターネット上でネタとして拡散してる動画や画像、言葉のことだよ」

「いったい、どんなミームが広がってるの?」

 不快感の残り香と嫌な予感を押し殺しながら、聞いてみる。

「廃屋チルドレン」

「え?」

 脳の中で、音声をすぐに単語に変換することができなかった。

「ハイオク……?」

「廃屋だよ、廃屋。打ち捨てられた家って意味の廃屋。『廃屋チルドレン』って言葉は、もともとは拡散した今回の動画の一つに使われてたタイトルだったらしいんだけど、今は『若い奴らが、些細なことを根にもって仕返ししようとする浅薄な行為』を揶揄する言葉として拡散してるらしい。まったく、不謹慎っていうか、迷惑な話だよな」

 ようやく、理解できた。理解できたうえで、啓太の言う通りだと思った。

 佑希がおこなった行為は決して許されることではないが、それを深く考えることもなく嘲笑のネタにするというのは浅はかだし、事件の本質を覆い隠してしまいかねない危険な行為だ。

 不快感が、ますます募った。

 しかし、ネット上で独り歩きしてしまった数々の言葉やコンテンツに対して、環たちにできることは、基本的にほとんどない。

 恐らく、六日前の動画やそれに関するさまざまな考察、インターネットミームなどは、これから数年、十数年たっても、世界中に網の目のように張り巡らされたインターネット回線という目に見えない世界の中で、冬眠を続ける虫たちのように、息を潜めながらひっそりと生き続けるのだろう。

 インターネットは、正しく使えば非常に便利なツールではあるが、デジタルタトゥーなどという言葉があることからもわかるとおり、使う側のモラル次第で、いとも簡単に迷惑なツールに変貌する。

 いわゆる、諸刃の剣だ。

 ただ、インターネットにそれほど詳しくない環は、負の刃が気になり、どうしてもインターネットに心を許す気になれない。あくまで、ごく個人的な感想に過ぎないのだが。

「ねえ、デジタルタトゥーっていうの? あれって、怖いよね」

「何だ、急に?」

 啓太の声が、急に軽くなった。何か、よからぬことを考えているのだろうか。

「タマ、自分のデジタルタトゥーに心当たりでもあるのか?」

「別にないよ。例えばの話」

 環の否定を無視し、啓太はニヤニヤしながら空を仰ぐ。

「例えば、そうだなあ……。小学校低学年のひな祭りのときに、ひな人形の前でつららみたいな鼻水垂らしてたときの写真とか、か?」

 嫌な予感が、的中した。環は思わず、声を荒げる。

「何それ。啓太、そんな写真を持ってるの?」

「別に、狙って撮ったわけじゃないよ。あのときは、おめかししたタマの写真を父さんから借りたデジタルカメラで撮ってたら、タマが突然くしゃみして……」

 そんな写真を撮影されていたとは知らなかった。多感な女子高生の恥ずかしい過去を暴露して、あまつさえ脅迫するとは、許しがたい所業だ。環は、この場のキーワードであるはずのデジタルタトゥーという言葉をも忘れて、ストレートな怒りの感情を啓太にぶつけた。

「まさか、その写真をインターネットに上げようなんて考えてるんじゃないでしょうね。アンタって、ホントに最低だね!」

「そんなつもりはねえよ。仮に、その写真がインターネットに流出したとしても、どうせ誰も見ねえだろうし」

 言い終わる前に、環は全国の女子高生を代表して、啓太のみぞおちに至近距離から裏拳下突きをお見舞いした。

 啓太が「うっ」っと唸りながら、路上に敷きつめられているギンナンの上に崩れ落ちた。啓太が押していた自転車が、その上に倒れ込む。ギンナンに由来する得も言われぬ匂いが、啓太の全身に纏わりついた。

「帰りに啓太の家に寄るから、私の前でその写真を消して。わかった?」

 匂いが移らないように啓太から距離を置いたまま、環は吐き捨てるように言った。啓太は、胸を押さえてうずくまりながら、何度も首を縦に振った。

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