葵と“あの事件”
葵と“あの事件” ――九年前――
葵は見知らぬ男による放火事件の後、事件について施設の誰にも、何も語らなかった。姉の行方を聞かれても、しらを切り通した、事件が発覚して怒られるのが怖かったというのもあるが、それだけではない。他人に話をしたら、それを耳にした男が仕返しにやってくるような気がして恐ろしかった。
同時に、あんなに仲がよかった紗季とも、まったく口をきかなくなった。自分でも深く考えたことはなかったが、おもに二つの理由があったと思う。
一つは、紗季と口をきくことで、事件について無意識に喋ってしまうかもしれないという恐怖を感じていたこと。そしてもう一つは、紗季に対して、漠然とした嫌悪感を抱いていたことだった。
紗季が姉を見捨てたこと。そして、そのために引き取られる話がなくなったこと。その二つが、葵が紗季に対して抱いた漠然とした嫌悪感の正体だった。
同じ施設で暮らす仮初めの友人たちは、最初こそ伊織がいなくなったことを寂しがり、姉を失った葵に同情してくれていた。
「お姉ちゃんがいなくなって、可哀想にな」
「大丈夫。お姉ちゃんは、きっと戻ってくるから」
――きっと戻ってくる?
意味がわからなかった。死んだ姉が、どうすれば戻ってくるというのだろう。葵は、心の中でそう思いながら、友人たちに曖昧な笑顔を向けた。
しかし、数日もすると、まるで雨宮伊織などという人物は最初からこの世に存在しなかったかのように、誰もその名を口にしなくなった。薄情なものだった。
そして、事件から一週間ほどがたったときだったろうか。どこで聞いたのかは思い出せないが、「火事の現場から女性の遺体が見つかった」という話を耳にした。
――ほら、やっぱりお姉ちゃんは死んでたじゃないか。戻ってくるはずなんて、ないんだ。
そう思った。
その約半年後、六歳だった葵は、A市に住む母親方の遠縁にあたる親戚の夫婦に引き取られ、二年後には特別養子縁組の手続きを終えて、坂元佑希という名になった。
特別養子縁組の場合、通常は苗字のみが変わるが、名前も変えることを希望した。表向きは「不幸な過去を忘れるために、名前を変えたい」というのが理由だったが、実を言うと、葵はかねがね中性的な名前になりたいと、漠然と考えていた。
そのときは理解できなかったが、恐らく葵という女性的な名前に「女性らしくあれ」という正体不明の同調圧力を感じ取り、居心地の悪さを覚えていたのだと思う。
こうして、新しい生活がはじまった。しかし、そこでの生活も長続きはしなかった。特別養子縁組の手続きを終えた直後、新しい両親が事故死してしまったのだ。
佑希は、A市の児童養護施設に入り、そこで坂元佑希として成長した。姉との生活を思い出させる場所であるY市の児童養護施設には、戻りたくなかった。
その後、佑希は成長とともに、ものごとをより客観的に見つめ、論理的に捉えることができるようになっていった。同時に、姉が焼け死ぬ原因をつくり、姉妹で手に入れるはずだった幸せな未来を奪い取った紗季への漠然とした嫌悪感は、より具体的な怒りへと変わっていった。
そして、その怒りは、ときがたつにつれて小さくなるどころか、心の奥底で徐々に大きくなり、やがて強大な復讐心へと変貌した。
*
佑希は、中学三年生になったとき、手に入れた中古のパソコンをインターネットに接続させ、紗季を捜しはじめた。石塚紗季という名であらゆる検索方法を試し、ヒットした人物の情報を集める。
佑希が紗季について知っている情報は「自分よりも二歳年上なので、今は高校二年生であること」、「Y市の児童養護施設にいたこと」、「クリームパンが好きなこと」、「運動神経はいいが、大人しい性格であること」、「競技かるたが好きで『将来は競技かるたのクイーンになりたい』と言っていたこと」などだった。
同時に、佑希は姉に成りすましてブログをはじめた。正確には、成りすますというよりも、今は亡き姉の気持ちを代弁するという意味合いのほうが強かった。
運営者名は「SWEET DARKNESS152」。SWEETは「あめ」という漢字のもう一つの読み方である「あま」を意味し、「DARKNESS」はもちろん「みや」を逆さに読んだ「やみ」を意味する。そして「152」は、五十音を数字に置き換えたときの「あおい」を意味する数字だった。
復讐という息が詰まるような世界に身を置くことを決めた佑希にとって、ブログは呼吸穴のようなものだった。外の世界と繋がり、新鮮な空気を感じることができる、小さな穴。個人的で抽象的な記事ばかりだったので、アクセス数は伸びるはずもなかった。が、そんなことは佑希には関係なかった。
社会から隔絶され、復讐というどす黒い空気で満たされた狭く薄暗い密室の中で、窒息しそうな感覚に陥りながら、佑希はブログを更新し続けた。
そして、検索キーワードを細かく変えながら捜すこと半月、とあるSNSで、すべての条件に該当する女性を見つけた。県内きっての進学校である藤桜学園高校の二年生だった。さらに「競技かるた」、「藤桜学園高校」、「石塚紗季」で検索してみると、いくつかの大会に出場している事実も判明した。
――“アイツ”を見つけたよ、お姉ちゃん。
学業成績が優秀だった佑希は、紗季への復讐のために、迷うことなく藤桜学園高校の特別進学科に進学した。成績の優秀さは群を抜いていたので、希望通り特待生になることができた。進学先が決定すると、紗季と再会したときに気づかれないようにダイエットをし、体重を八キロほど減らした。また、復讐とは直接関係ないのだが、制服はスカートではなく、スラックスを選択した。同時に、一人称を「僕」に変えた。前々から、高校に入ったらそうしようと考えていた。
だが、実際の学校生活において、問題が一つあった。施設から学校に通うには遠過ぎるため、一人暮らしをする必要があったのだ。そこで、生活費を節約するために寮生活を選択した。特待生なので学費だけでなく、寮費も無料だった。生活費は無事に審査を通過した奨学金で賄い、足りない金額は学校に内緒でアルバイトで稼いだ。
こうして、紗季と同じ学校の生徒となった佑希は、紗季が籍を置く生徒会に入り、彼女に近づいた。具体的に言うと、紗季の近くにいながら、復讐の計画を練った。
並行して、復讐をおこなうための場所を探した。
――紗季に罰が下されるべき場所は、九年前の事件現場と同じような建物でなければならない。
――そして、その場所で、紗季はあの日の伊織と同じように炎に巻かれ、自分が犯した罪の重さを思い知り、懺悔しながら死んでいくべきなのだ。
そう考え、インターネットの地図で当たりをつけては現場に足を運ぶという地道な作業を繰り返し、あのときの現場とよく似た無人の家屋を探し続けた。そして、二学期がはじまってしばらくたった頃、復讐に使えそうな無人の家屋を、ようやく見つけた。
そこは、遠い記憶の底にある事件現場の建物とそっくりだった。
――ここだ。この場所こそ、復讐の舞台にふさわしい。
そんなとき、見知らぬ人物からメッセージが届いた。
昔、とある児童養護施設にいたと語る人物からだった。その施設には、ギガソルジャーが大好きな一人の女の子がいたが、小学校低学年のときに里親に引き取られて施設を出ていったという。
その人物は、メッセージの最後を、こう締めくくっていた。
あなたは、雨宮葵さんではないですか?
冷や汗がこめかみを伝わり、キーボードの上にポタリと落ちた。
復讐を誓った佑希にとって、自分の過去を知る人物は、邪魔者以外の何者でもなかった。佑希は、その人物からのメッセージを無視した。同時に、計画を早々に実行に移すことに決めた。
まず、紗季に宛てて脅迫状を送った。その後、紗季を精神的にさらに追いつめるために、校舎に貼り紙を貼った。
ほかの人間を巻き込むつもりはなかった。脅迫状を環と啓太に見られたことに加え、啓太の身内を通じて新聞記者まで巻き込む結果になったのは予定外だった。だが、幸いにして、新聞記者の存在が計画を妨げるほどの障害になることはなかった。
そして今日、つまり文化祭初日の朝。佑希は、ブログに最後の記事をアップした。
閲覧者たちに向けた、犯行予告だった。
――これは、いわば犯行声明だ。もう、後戻りはできない。
*
ブログの記事を更新した後に登校した佑希は、生徒会役員としての仕事をこなす合間を縫って、密かに体育館に忍び込み、映像研究部の上映会で復讐のライブ配信を上映する装置を設置した。
そして、学校を抜け出して紗季をおびき出す家屋に移動すると、自身のノートパソコンを使って、身元確認なしでメールアドレスを取得できるフリーメールのソフトを立ち上げた。宛先には紗季のメールアドレスを貼りつけ、坂元佑希を監禁したという内容の本文を入力した。
文面に続いて、三日前に撮影しておいた建物内部の写真と、監禁されている自身の写真を添付した。もちろん、撮影日時は送信前に犯行当日のものに書き換えた。
――さあ、いよいよショーの開幕だ。
抑えようのない高揚感に指を震わせながら、メールの送信ボタンを押す。
送信を確認すると、佑希は復讐をおこなう現場にライブ配信用の機材を設置した。
*
計画は、完璧なはずだった。
全ては、計画通りに行っていたはずだった。
なのに……。
――なかなか上手くいかないものだ。
それにしても、と佑希は思う。
かるたは、単に石塚紗季に対して恨みの気持ちを伝えるアイテムとして利用しただけのつもりだった。だが、まさかそこから「かつて好きだった人に裏切られた故の憎しみ」という心情を読み取られることになるとは思ってもいなかった。
ただ、憎しみを歌った多くの和歌のなかから、なぜあの歌を選んだのかと聞かれると、正直なところ自分でもよくわからない。ひょっとすると「かつて好きだった」という気持ちが、本当に無意識のうちに働いていたのだろうか。
そんなはずはないと思いながらも、佑希はそれを完全否定するだけの材料を持ち合わせてはいなかった。




