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少女

少女 ――十月二十一日(土)十五時三十五分――


 その頃。

 喫茶店では梅沢が、環と啓太を前に語り続けていた。

「火事の現場で発見された遺体は、焼死体じゃなかったんだ。焼けた建物の床下、つまり土の中に埋められていた。しかも、すでに白骨化していた。死後、数年がたっていたんだよ」

 驚愕の新事実だった。

 ――遺体は雨宮伊織ちゃんではなかった?

 予想もしていなかった展開に、環の思考は混乱をきたした。

「石塚さんといったっけ? その子は、なぜ遺体が、友だちの伊織ちゃんだと思い込んでしまったのかな?」

 竹内が頭に手を当てながら、理解できないといった様子で啓太に尋ねた。啓太は、その問いかけの真意を瞬時に理解し、順序立ててわかりやすく説明する。

「実は、石塚さんは児童養護施設のほしのそら学園で育ったんですが、その火事の直後に新しい暮らしをはじめることになって、施設を出てしまったんです。だから、火事のときに行方不明になった雨宮伊織さんを死んだと思い込んだまま、真実を知る機会がなかったんだと思います」

「そういうことか……」

 梅沢は、ふうと大きく息を吐く。そして、事件のあらましについて、ゆっくりと口を開きはじめた。


          *


 あれは、九年前のことだった。

 七月のある日、豊畑町で火事が発生した。放火の疑いが強かったが、一週間近くがたっても、決定的な証拠や犯人に繋がる手がかりを欠いたまま、警察の捜査は手づまり状態になっていた。

 だが、火事から六日がたったとき、事態が動いた。

 近所の老人が散歩させていた犬が、規制線を越えて敷地内に入り込んだ。飼い主の老人が犬を追いかけて敷地に入ったところ、犬が地面から何やら白い物体を掘り返しているのを目撃した。

 白骨化した遺体だった。

 遺体発見の一報を聞いたとき、社会部で事件を追っていた梅沢たちの間には、緊張感が走った。警察は、事件性があると判断し、すぐに捜査本部を立ち上げた。鑑識課による詳細な分析の結果、遺体は幼い女の子で、推定年齢は五歳から七歳。死後、すでに数年が経過しているとのことだった。

 警察は、まず捜索願が出ている行方不明者のデータと、遺体のデータを突き合わせて、身元の確認作業を続けた。だが、一年たっても、身元は明らかにならなかった。女の子の身元確認と同時進行で、最後に火災現場の建物に住んでいた人物を捜す作業もおこなわれた。その人物が、何らかの事情を知っているに違いないと睨んだからだった。

 その男は、火事が起こる二年前ほど前から、行方不明になっていた。そのため捜査は難航したが、火事から二年後、ついにその男の行方が判明した。

 男の名は、東谷(とうや)和彦(かずひこ)といった。

 早速、そのとき東谷が勤務していた建設会社に赴き、任意同行を求めた。任意の取り調べをはじめると、東谷はすぐに二年前の放火を自供した。

 妻との死別を相手の親族から責められたことを煩わしく思った東谷は、火事の二年前、逃げるかのように家を出ると、関西の町工場で働きはじめた。

 そして今から二年前、その工場が倒産したことから元の我が家に帰ってきたものの、家はすでにボロボロになっていた。そんな家を目の前にし、生きる希望をなくして衝動的に火をつけたとの話だった。白骨化した女の子の遺体に関しては、知らないの一点張りだった。

 その後、警察が捜査を続けるなかで、東谷には戸籍上、娘が一人いることが判明した。同時に、東谷が家を出て関西に行ったちょうどその時期以降、娘の姿が見られることは、ぱったりとなくなった事実も判明した。

 白骨化した女の子の遺体が東谷の娘である可能性を考えた警察は、女の子の身元を明らかにするため、東谷と女の子のDNA鑑定をおこなった。

 結局、白骨化した女の子の遺体と東谷のDNAに共通点はなかった。ところが、不思議なことに、死別した東谷の妻とは血縁関係がある可能性が排除できないという結果が出た。

 その話を留置所で聞かされた東谷は、たいそう驚いた様子で、絶望感さえ漂わせていたという。だが、警察はそれ以上、東谷を追及することはできなかった。

 その直後、東谷は留置所の中で首を吊って亡くなってしまったのだ。

 完全に、警察の失態だった。DNA鑑定の結果は捜査の最中ということで公表されなかったものの、被疑者が留置場で死亡したというできごとは、新聞紙上でもちょっとした話題になった。

 窮地に追い込まれた警察は、さらに捜査を続け、東谷の妻が男好きであるという証言を得た。そして、その証言に基づいて、


東谷夫婦の娘は、東谷和彦が家を出る直前に何らかの原因で死亡したが、葬儀代などを出す余裕がなかった東谷の手によって床下に埋められた。

ところが、娘の生物学的な父親は、実は東谷ではなかった。留置場でそれを知った東谷はショックを受け、自殺した。


 と推測した。

 梅沢も、一つの可能性としてではあるが、同じように推測した。

 しかし、梅沢たちは、近所の住民の取材をおこなうために東谷のアパートを訪問したとき、驚愕の事実を目の当たりにすることとなった。

 東谷の部屋に、一人の少女がいたのだ。梅沢たちが確認すると、少女は東谷の娘であると名乗った。本来なら小学校五、六年生ぐらいのはずだが、学校に通うこともなく、息を殺して東谷と二人、ひっそりと暮らしていたとの話だった。

 少女の話では、ある日、外出から帰ってくると、たくさんのパトカーや警察官がアパートの前に集まっていたので、恐怖のあまりその場から逃げ、頃合いを見計らって戻ってきたのだという。恐らく、家宅捜索に遭遇したのだろう。その後は、買い溜めしていたインスタント食品などを食べながら飢えをしのぎ、東谷の帰りを数日間、待ち続けていたようだった。

 それにしても。

 警察や梅沢たちが死んだとばかり思い、その生存を想像さえしていなかった女の子が、生きている……。信じられない話だった。

 ほかにもいくつか質問をしてみたが、少女が口にする証言に大きな矛盾は見当たらなかった。だが、アパートにいた少女が東谷の娘であるとすると、白骨化した遺体の女の子が誰なのか、説明がつかない。

 ――床下の白骨化した遺体が本当の東谷の娘で、目の前の少女は東谷の娘であることを装った別人に違いない。

 梅沢たちは、警察に保護された少女のもとに何度も足を運び、しつこく食い下がった。だが彼女は、東谷の写真を前に「この人は正真正銘の私の父です」と言い張るばかりだった。床下の遺体についても、知らないの一言だった。

 ある日、あまりにもしつこい取材に少女が号泣し、周囲に咎められた。

 本来なら、本人にもっとしつこく事情を聞きたいところだった。しかし、相手は小学生であるうえに、もっとも身近にいた人が亡くなって、大きなショックを受けている。これ以上、しつこく追及するのは、あまりにも可哀想に思えた。結局、梅沢はそれ以上の追求を諦めた。

 東谷の娘として生きている少女が別人ではないかと考えたのは、警察も同じだった。そこで、警察は少女に何度もDNA鑑定を提案したが、少女は頑なに、それを拒否し続けた。不確定要素が多過ぎてDNA鑑定はあくまで任意となったため、警察にそれ以上、できることはなかった。

 ちょうどその頃、どこで話を聞きつけたのか、人権派として少々名前が知られた弁護士が「県警が、Y市で起こった事件で容疑者を死に至らしめたばかりか、事件に関係している小学生の女児に対し、許容範囲を超えた捜査をおこなっている」という情報をマスコミに流しはじめた。その情報をきっかけとして、警察に対する世間の風当たりが、再び強くなった。

 その後、捜査が八方塞がりになった警察は、死体遺棄罪の時効の直前に容疑者死亡のまま、東谷を状況証拠だけで書類送検した。表現はよくないが、まるで苦し紛れのような書類送検だった。当然のように東谷は不起訴処分となった。

 こうして、事件は終わった。

 梅沢は、その後の少女の行方を詳しくは知らない。

 ただ。

 ――どこかで幸せに暮らしているに違いない。

 半ば願望も含めて、今も自分にそう言い聞かせている。


          *


「そして……。遺体の身元も、東谷の娘だと主張した少女が本当に本人だったのかも、未だにわからないままなんだ」

 話し終わると、梅沢は小さく息を吐き、目の前に置かれているコーヒーカップに手を伸ばした。波打ったコーヒーの表面から立ち上った香りが、店内のピアノの調べと溶け合った。

 テーブルの上で手を組んでいた竹内が、梅沢の返事を受けて、環と啓太の顔を順番に見つめた。

「今、梅沢さんが言ったとおり、東谷が留置場で亡くなったという話までは、公になっている話だから、別に秘密というわけじゃない。でも、東谷の娘を名乗る少女がいて、彼女が本当は別人かもしれないと警察が疑ったという内容は秘密、つまりオフレコだ。プライバシーの問題もあるしな」

 啓太が、竹内の目を見ながら、大きく頷いた。環は俯くと、竹内の話を聞き流しながら呟いた。

「遺体が伊織ちゃんじゃないとしたら、伊織ちゃんは、どこに……?」

 環の言葉を耳にして、竹内の動きが一瞬、止まった。

 しばらく考えながら宙を見つめていたかと思うと、何かが閃いたようにバッグからタブレットを取り出し、操作しはじめた。しばらく画面を凝視していた竹内は、やがて顔を上げた。

「今、県警が公開している県内での行方不明者のリストを遡って見ているんだが……。雨宮伊織ちゃんについては、確かに火事の翌日に施設から捜索願が出されている。そして、彼女は今も行方不明のままだ」

 ――今も、行方不明?

 タブレットの画面を眺めながら、竹内が重い口調で言葉を発した。

「ひょっとしたら、伊織ちゃんの情報を警察に提供して、東谷の娘を名乗る少女に今一度、事情を聞いてもらったほうがいいかもしれないな。そうなると、警察は石塚さんにも事情を聞くことになると思うが……」

 ――石塚さんに、事情を聞く?

 紗季がいない場所で話が進んでしまう事態に、環は小さく動揺した。唾をごくりと飲み込みながら、思わず啓太に視線を移す。啓太も同じことを考えていたのだろう。口を固く結んで、黙り込んでいた。

 だが、啓太はやがて、何かを決断したように顔を上げると、おもむろに口を開いた。

「うん。今、聞いた話から考えると、警察が伊織ちゃんについて石塚さんに事情を聞くのは仕方がないと思う」

 紗季がいない場所で口にするその言葉には、強い責任と覚悟が感じられた。ひょっとすると、竹内に会うことが決まった時点で、このようになる可能性があることを、ある程度は覚悟していたのかもしれない。

「わかった。じゃあ俺たちは、今後どう動くべきなのかについて、今日明日にでも社会部のデスクと相談してみよう」

 竹内の言葉を聞くと、啓太は自分に言い聞かせるように、テーブルの上のコーヒーカップを見つめながら答えた。

「ただ、石塚さんに対する警察の事情聴取は、文化祭が終わる週明けまで待ってほしいんだ。生徒会長でもある彼女にとって、この文化祭を成功させられるかどうかは、とても重要な問題だから。できれば、警察の事情聴取とかで、文化祭に賭けている石塚さんの意気込みの邪魔をしたくない」

 啓太のいうことは、もっともだった。

 今まで、四人で手分けして探偵じみた調査の真似事をしてきたが、今回の情報は、そのような真似事で得られた情報とは、重要度の次元が明らかに異なっている。もし、警察の事情聴取などという事態になったら、紗季の動揺は計り知れないだろうし、何よりも文化祭に割くことができる時間が著しく削られてしまう。

「そうか。じゃあ、もし仮に警察が動いて石塚さんへの事情聴取がおこなわれることになったとしても、月曜以降まで待ってもらえるように、俺のほうから警察にお願いしてみる」

 ――遅かれ早かれ、警察の事情聴取がおこなわれる?

 ――そんな事態になって、紗季は大丈夫だろうか?

 竹内の声を聞きながら、環は喉に空気がへばりつくような、何とも言えない息苦しさを感じた。

 啓太も、息苦しさに耐えきれなくなったのだろうか。体の周囲に纏わりついている粘り気のある空気を取り払おうとするかのように、コーヒーカップに軽く口をつけると、梅沢に問いかけた。

「それにしても、なぜ僕らに、本来は秘密であるはずの東谷の娘さんの話までしてくれたんですか?」

 梅沢は、啓太の言葉に明らかに動揺した様子だった。竹内と顔を見合わせると、観念したように重々しく言葉を発する。

「本当のことを言うと、いくら鷹水さんの希望とはいえ、当初、君たちに会うのは気が進まなかったし、東谷の娘を名乗る少女の存在を明かすつもりもなかったんだ。とくに東谷の娘については、君たちがいう通りまったく公表されていない話だったからね。だが、君たちの話を聞いて、あの事件の裏に私たちが知らない事実が隠されていたことを知ったとき、考えが変わった。私は君たちに、東谷の娘について知っている限りのことを話しておくべきだと思ったんだ」

 梅沢は「それに……」と言葉を続ける。

「この事件はずっと、私の心に引っかかっていてね。東谷の娘を名乗る少女に対する取材の手法が、本当に正しかったのかという自責の念も、未だに消えていない」

 梅沢も、啓太と同じようにコーヒーに手を伸ばす。

「だから、きっと誰かに話すことで楽になりたかったんだろうな」

 環は、梅沢がわざわざ会いに来てくれた理由を、このとき初めて理解できた気がした。

 もちろん、啓太と彼の一族がもつ強力な人脈もあっただろう。しかし、それだけではない。目の前の元記者は、この事件を片時も忘れることができず、十年近くもの間、心を痛め続けていたのだ。

 梅沢の話を静かに聞いていた竹内は、テーブルの上で再び手を組むと、環と啓太に視線を移した。

「さあ、今度は、俺が質問する番だ。石塚さんって子は今、どんなことに巻き込まれているんだ?」

 環は、思わず啓太の顔を見る。啓太は意を決したように深く頷き、刑事と元刑事の二人に向かって口を開いた。

「先日、石塚さんのもとに、火事の現場で起こったことに関する、脅迫状めいた手紙が届いたんだ」

「どんな内容なんだ?」

 今度は、竹内が身を乗り出した。

「それは……」

 言いながら、啓太はブレザーのポケットからビニール袋に入った脅迫状を取り出し、机の上に置いた。


ともだちは、たいせつ。

でも、あなたはたいせつにしなかった。

とっても、あつかったんだよ。

つぎは、だれのばんだとおもう?


 竹内と梅沢の目つきが、今までになく鋭くなった。

「で、二日前の朝、今度は学校の外壁に、この脅迫状と連動していると思われる貼り紙が、何枚も貼られていたんだ」

「どんな貼り紙だ?」と、竹内が先を促す。

「『このがっこうには、ひとごろしがいます。そのひとはきっと、ふこうになります』って……」

 啓太は、スマートフォンの電源を入れ、一枚の写真を開いた。それは、いつの間に撮影したのかはわからないが、まさにあの貼り紙の写真だった。

「学校の先生には、相談したのか?」

 写真を食い入るように見つめていた竹内が、啓太に尋ねた。

「いや。現時点では脅迫犯の正体も真の目的もわからないわけだから、そんな状態で下手に先生に相談すると、かえって事態が悪い方向に進みそうな気がして、踏ん切りがつかない状態なんだ」

 腕を組んで話を聞いていた梅沢が、困った表情で顎を撫でた。

「東谷の娘の話とは別に、この話はこの話として先生方に相談して、事情をきちんと説明したほうがいいかもしれないな。石塚さんにとっては辛い話かもしれんが……。そのうえで、警察に被害届を出すべきだと、私は思う。脅迫は親告罪ではないとはいえ、断片的な情報だけでは警察もなかなか動きにくいだろうからな」

「わかりました。ただ、さっきもお話ししたように今日と明日は文化祭ですから、石塚さんには、それが終わった月曜日に相談してみます。同時に、もし警察が動いてくれたとしても、それとは別に僕たちも、石塚さんを脅迫してる人物が誰なのか、友人としてできる範囲内で調べてみます」

 竹内は「そうか、だが」と強い口調で言った。

「いいか。さっきも話したが、東谷の娘の話は、あくまでも現時点ではオフレコだ。石塚さんにも、警察から話があるまでは、話すんじゃないぞ。それと、何か進展があったら、警察にすぐに連絡すること。くれぐれも、自分たちだけで危険なことはするなよ。約束できるか」

「わかった。何かあったときは、すぐに警察に相談する」

「よし。じゃあ、警察による東谷の娘への事情聴取については、こっちで独自に動いて、何かわかったら、君たち二人だけにはちゃんと連絡するから」

 啓太は、竹内の目を真っ直ぐに見つめながら大きく頷いた。

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