秘密
秘密 ――十月二十日(金)――
畑中和恵は、自宅のリビングに置かれたソファに腰かけながら、不安にさいなまれていた。
――娘の香澄は、今日も午後四時前に高校から帰ってくると、すぐに自室に籠り、机に向かっている。ここのところ、毎日だ。
――来る日も来る日も、いったい何をしているのだろう。
心配のあまり、ドアの隙間から様子を窺ってみたことが、何度かあった。
目にしたのは、机の上に置かれたノートパソコンを開き、その前で過ごしている香澄の姿だった。それは、十九時にはじまる夕食の時間まで、ずっと続いた。いつも同じだった。
それだけではない。夕食を食べ、入浴を終えた後もすぐに自室に戻り、深夜遅くまでパソコンのマウスを忙しげに動かしながら、キーボードを一心不乱に叩き続けている。まるで、何かに憑りつかれたように……。
どうやら、何か調べものをしているらしかった。
それにしても、熱心さが尋常ではない。もちろん、小学校の高学年になってパソコンを買い与えて以来、パソコンに向かうことはあったが、それとは明らかに熱心さが異なっていた。
いったい、何を調べているのだろう。
気にし過ぎと言われればそうかもしれないが、母親としては、やはり気になって仕方がない。だが、理由を聞いても、香澄は微笑んで話を逸らしたり、聞こえないふりをして席を外したりするばかりで、和恵の目を見つめながら真摯な姿勢で答えてくれるということは、決してなかった。
父親にも相談した。しかし「もう高校生なんだから、放っておきなさい」と笑うばかりで、真面目に取り合ってくれようとはしなかった。
仕方なく今日の午後、部活動の顧問である花山先生に、電話でそれとなく尋ねてみた。
すると、驚くべき事実が判明した。
体調不良という理由で、この二週間以上、部活動を休んでいるということだった。てっきり、部活動が休みであるために、早く帰宅しているものだとばかり思っていた。
もちろん、彼女の口から「部活動は休んでいない」とはっきり聞いたわけではなかった。しかし、そんなことはどうでもいい。無断で部活を休んでいる時点で、和恵たちを騙していることに等しかった。
ショックだった。
――香澄は、私たちを欺いてまで、何をしようとしているの?
しかし、ショックを受けているばかりでは、事態を打開することはできない。そこで、和恵は夕食時に、意を決して理由を聞いてみることにした
「香澄さん。最近は毎日、夜遅くまで机に向かっているけれど、勉強をしているわけではなさそうね。何か、調べものでもしているの? しかも、花山先生に聞いたのだけれど、部活動まで休んでいるそうじゃないの」
香澄は一瞬、驚いた様子を見せた。
――毎日、調べものをしているばかりか、部活動まで休んでいるという事実を、私が知らないとでも思っていたのだろうか。
親というものは、子供のやることを何でも知っている存在だというのに。
「部活動を休んでいたことに関しては、すみませんでした。でも、体調がすぐれないのは本当なの。でも、もう大丈夫。心配かけて、ごめんなさい」
「じゃあ、コンピューターでの調べものは?」
香澄は、信じられないという表情をしたかと思うと、微かに目を伏せた。
――だが、母親である私は、すべてお見通しだ。
視線を逸らすことなく観察していると、香澄はすぐに平静の仮面を被り直し、口の周りをナプキンで軽く拭った。
「実は、ボランティアに興味があって、調べていたの」
香澄は、驚きの表情を完璧に覆い隠し、いつものように優しげな笑顔で答えた。口角を上げたとき、両の頬に小さなえくぼができるのも、いつも通りだった。
ボランティアをやってみたいという話の唐突さには正直、戸惑ったが、香澄に負けじと冷静さを装いながら聞いてみる。
「ボランティアって、どんな?」
「児童養護施設での読み聞かせとか、子供食堂のお手伝いとか……」
調べものの内容としては真実味に欠けていたが、あいにく和恵は、それを否定する材料を持ち合わせていなかった。
せめて一言ぐらいは何か言葉を返さなければと思い、正面に座る香澄に、精一杯のアドバイスを口にする。
「ボランティアについて調べるのもいいけれど、あまり夜遅くまで無理をしては、学校生活に響くから、気をつけなさい」
上座に座る父親は相変わらず、香澄と和恵の会話など気に留める様子もない。ただ、本能に抗えない獣のように肉を頬張り、気持ちよさそうにワインを喉に流し込んでいるばかりだ。
――まったく、頼りにならない人だ。
思わず眉をひそめる和恵の耳に、柔らかい香澄の声がすっと入り込んできた。
「うん。部活動も、来週から行くようにする。今まで黙ってて、ごめんなさい」
香澄に対する心配がまったくないというと、嘘になる。
――しかし、香澄は私が大切に育ててきた子供だ。素直で、心優しくて、そして正直だ。
和恵は香澄の言葉を信じて、彼女を見守ることにした。