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新たな脅迫状①

新たな脅迫状 ――十月十八日(水)、十九日(木)、二十日(金)――


 紗季が、しいの木苑を訪ねていたちょうどその頃、環は啓太とともに市立図書館にいた。

 目的はもちろん、九年前の火事についての調査だった。


 昨日の放課後の時点で、火事についての情報は、紗季の話だけだった。そこで、環と啓太はより客観的かつ詳細な情報を得る目的で、インターネットで関連する内容を検索してみた。しかし、表現は決してよくないが、真相を知らない人々にとっては、九年前に無人の家屋で起こった一件の火事に過ぎない。当然のことではあるが、関連記事は見つからなかった。

 途方に暮れていると、啓太が顎に手を当てながら呟いた。

「ここは、基本に立ち戻って考るのがいいかもしれないな。当時の新聞で、関連する記事を探してみよう」

「昔の新聞なんて、どうやって調べるの?」

「市立図書館に行けば、昔の新聞の縮刷版を見ることができるはずだ」

「そっか……。確かに、基本に戻るって大事だよね。かるたも、基礎知識の決まり字さえ覚えれば、八割は勝てそうな気がするし」

 環の言葉に、啓太は「お前、競技かるた、舐めてるだろ」と溜め息を吐いた。

 ちなみに決まり字とは、読み札に書かれた文字のうち、その歌を特定できる文字をさす。例えば、一文字目で特定できる札は「一字決まり」、二文字目で特定できる札は「二字決まり」などとよばれる。場の札がつねに変化するなかで、この決まり字をいかに把握するかが勝負の分かれ目と言っても過言ではない。

 それはともかく。

 こうして、啓太の提案は二人の間で満場一致のもとに可決され、図書館で新聞記事を調べることになった。日時は、紗季が施設に行く時間に合わせて、翌日の放課後と決めた。

 佑希も誘ってみたが、文化祭で映像研究部がおこなう自主製作映画の上映会の準備が忙しいとのことで、辞退された。


 そして今日。

 環と啓太は図書館の受付に行くと、まず新聞の縮刷版が置かれている場所を聞いてみた。職員は、館内の地図を示しながら「二階の右奥です。全国紙だとY新聞とA新聞、地方紙だとN新聞とY日報がありますよ」と、丁寧に教えてくれた。

 階段を上がり、職員の指示通りに二階の右奥の資料スペースに向かう。目的の棚には、確かに四社の新聞の縮刷版がずらりと並べられていた。

 事件が起こったのは、今からちょうど九年前だ。環は、九年前のN新聞の縮刷版を探し出し、後ろに立つ啓太の腕の上に載せた。啓太は一瞬「おい」と驚いた声を上げたが、環は構わずY日報の縮刷版を、その上に重ねる。そのまま、二社の新聞の縮刷版を抱えた啓太を先導しながら、椅子の間を縫うように進んだ。

 環は閲覧用の席まで行き、椅子を引いて腰かけた。啓太は、環の着席を確認すると机の上に縮刷版を置き、環の隣の席に座り込んだ。

「私はY日報を見るから、啓太はN新聞ね」

 そう言いながら、環はN新聞の縮刷版を啓太の前に移動させた。啓太は、縮刷版の中央付近のページを開きながら、呟いた。

「事件が起こったのは、確か七月だったよな?」

 現れたページは、六月二十五日の社会面だった。そこからは、薄い紙を一枚一枚、傷めないように気をつけながら丁寧に捲っていく。環は一瞬、Y日報の縮刷版を手に取りかけたが、思い直してページを捲る啓太の作業を横から観察する。

「お前も探せよ」

「やるけどさあ。でも、こういうのって、啓太のほうが得意でしょ?」

 もちろん、謙遜だ。能ある鷹は、爪を簡単に見せてはいけない。

 ――啓太の名字は鷹水だけど、実は私のほうこそ鷹なのだ。

 そんなことを頭の隅で考えながら、環は頬杖を突いたまま、啓太の手元をぼんやりと眺め続けた。環の反応に溜め息を吐きながらも、啓太は手を止めない。恐らく、環の深慮をやる気のなさと勘違いして、いつものことだと半ば諦めているのだろう。取り敢えず今のところ、爪を見せない作戦は成功しているようだ。

 気がつくと、ページはすでに七月に入っていた。七月一日、二日、三日……。火事の記事が載っていそうな社会面と地域面を中心に確認していくが、事件に関する記事は見当たらないらしい。

「ホントに七月だったのかなあ?」

 啓太の記事探しを眺めることにさえ飽きた環は、近くの棚から持ってきたファッション誌を捲りながら独り言ちた。

「あ、あったぞ」

 環の独り言を打ち消すように、啓太が大きな声を上げた。数メートル離れた受付の席に座っていた職員がこちらを向き、右手の人差し指を口の前に当てた。静かな図書館内に、「シーッ」という声にならない空気の流れが小さく響いた。

 啓太は職員に向かって申し訳なさそうな表情で頭を下げると、環の前で縮刷版の一ヶ所を指差した。

 七月十二日の地域面だった。


豊畑(とよはた)町で民家が全焼


 見出しに目を留めた環は、啓太の指先にある記事に目を通す。


七月十一日の夕方四時頃、Y市豊畑町の住宅街にある住宅から出火し、建物が全焼した。現場は市営団地の北側にある雑木林に囲まれた無人の家屋で、現場に火の気がなかったことから、警察は放火も視野に入れて慎重に捜査を続けている。


 ごく短い記事だった。しかし、まさに紗季たちが九年前、遭遇した火事を報じた記事に間違いなかった。

「でも、死体が見つかったって話は、書かれてないぞ。まさか、石塚や、現場近くで話を聞いた女性の記憶違いってことはないと思うけど……」

 記事の発見で、俄然やる気が湧いてきた環は、呟く啓太から縮刷版を奪い取ると、ページを捲りはじめる。すると、十数ページ分ほど捲ったところで、火事の続報と思われる記事が目に入った。


火災現場で遺体を発見

七月十七日、Y市豊畑町で無人の家屋が全焼した火災の現場から、若い女性のものと思われる身元不明の遺体が発見された。警察は身元の確認とともに、死因の特定を進めている。


 これもまた、火事の記事に間違いなかった。やはり、女性の遺体が見つかったという話は、まぎれもない事実だった。

 ――伊織ちゃんは、確かに現場で燃え上がる火に巻かれ、亡くなっていたんだ。

 そして。

 火をつけた犯人が死亡したという記述はなかった。それは、犯人が今も生きているかもしれないということでもあった。

 ――火をつけた犯人が、脅迫犯の可能性もあるということ?

 環と啓太は、その後も新聞を閲覧し続けたが、それ以上、事件に関する新しい記事を発見することはできなかった。N新聞だけでなく、Y日報の縮刷版にも目を通してみた。しかし、Y日報に掲載されていた記事の内容も、N新聞に掲載されている内容とほぼ同じものだった。

 新しい情報を得られなかった事実に、予想していた以上の疲労感を感じた。環は、椅子の背もたれに凭れかかって、伸びをしながら呟いた。

「これだけかあ……」

 事情を知らない人々にとっては、やはり十年近くも前に起こった、一件の火事に過ぎないのだ。この二つ以外の記事が見つからないのも、仕方がないように思われた。

 閉館時間が間近に迫っていた。気がつくと、窓の外には夜の帳が下り、館内にいるのは、職員を除くと環と啓太の二人だけになっていた。

「そろそろ、行くか」

 啓太が、溜め息交じりに言葉を吐く。二人は、失意のうちに図書館を出ると、家路に就いた。

「何か、違和感があるんだよね」

 歩きながら、環は腕を組んだ。その声に、俯き加減だった啓太が顔を上げる。

「いきなり、何の話だ? どっか、体の調子でも悪いのか?」

「そんなんじゃないよ。火事の話」

 啓太が足を止めて、環の顔にちらりと視線を動かした。

「火事の、どこに違和感があるんだ?」

「うーん、自分でもよくわからない。でも、確かに違和感がある気がするのよ」

 その違和感は、正体不明の靄のようなものだった。

「何だよ、それ」

 啓太は、呆れた様子で前方に視線を戻すと、再び歩きはじめる。環は、そんな啓太の背中をぼんやりと見つめながら、夕暮れの町を駅に向かって歩いた。


          *


 翌朝、環は開催を二日後に控えた文化祭の準備のため、いつもよりほんの少しだけ早く家を出た。愛用の赤いシティサイクルに跨り、今流行のJポップに適当な歌詞をつけて口ずさみながら、国道を学校に向かって北上する。

 十五分ほどこぎ続けると、愛しの我が母校が遠くに見えてきた。緩い上り坂に差しかかったところで、環はペダルをこぐ足に力を込める。正門よりも二十メートルほど手前にある自転車専用の門から敷地内に滑り込み、第二校舎の横に設けられた屋根つきの自転車置き場に愛車を置いた。

 スマートフォンを見る。

 ――七時四十五分ジャスト。すべては予定通りだ。

 環は、自分の計画の完璧さに酔いしれながら、第二校舎の奥にある第一校舎へと、意気揚々と歩いた。第二校舎の端まで差しかかったとき、校舎の前に人だかりが見えた。その数は、十数人ぐらいだろうか。

 ――何だろう?

 好奇心に突き動かされて、人だかりの後ろから首を伸ばしてみる。しかし、背の高い男子生徒数人が邪魔になって、見ることができない。

 男子生徒の後ろで不毛なジャンプを続けていると、

「何だ、あれ?」

 聞き覚えのある声が、後ろから響いた。振り向くと、驚きとも怒りともつかない表情を浮かべた啓太が立っていた。

「あ、おはよう」

 環の挨拶に言葉を返すこともなく、啓太は突然、環の腕を掴むと、人ごみをかき分けながら生徒たちの視線の先へとずんずんと突き進んだ。環は、事情を飲み込めないまま、啓太に引きずられるようにして、生徒たちの間を抜けていく。気がつくと、生徒たちの列の最前線にいた。

 啓太は、校舎のすぐ目の前で立ち止まり、無言のままで白い壁を指差した。環は、無意識に啓太の指先を見上げる。

 その先には、一枚の貼り紙があった。


このがっこうには、ひとごろしがいます。

そのひとはきっと、ふこうになります。


 右下隅には、例の「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」という右近の読み札が印刷されている。しかも、最初の脅迫状と一緒に封筒に入れられていた取り札と同じように、一部が焦げていた。

 血の気が引いた。

 紛れもなく、紗季に向けられた脅迫状の第二弾だった。紗季が人に言えない傷を胸の奥に抱え、それが原因で現在、精神的に不安定な状況に置かれている事実が、明らかにされてしまったのだ。

 しかし、雰囲気が何かおかしい。

 冷静になって改めて周囲を見渡すと、生徒たちの顔には好奇心とともに、状況を飲みこむことができない戸惑いのような表情が浮かんでいた。

 環はこのとき、初めて気がついた。

 生徒たちは、この貼り紙の内容が紗季に宛てられたものである事実を知らないのだ。あるいは、根も葉もない人騒がせな、単なる悪戯と受け止めているのかもしれなかった。

 壁の前にまで進み出た啓太が、長身をさらに伸ばして貼り紙の端に手をかけた。その手を勢いよく下に引いたかと思うと、バリバリという音とともに、貼り紙が壁からはがれ落ちた。啓太は、貼り紙の残骸を手にしたまま振り向き、生徒たちに向かって声を張り上げた。

「こんな悪戯にいつまでもつき合ってないで、校舎に入れ。もうすぐ、一時間目がはじまるぞ!」

 まるで、生活指導の先生のような堂々たる態度だった。その貫禄に気圧されたのか、生徒たちは一人、また一人と人だかりから離れていく。集まっていた生徒全員がその場を離れ、校舎の入り口へ歩いて行ったことを確認すると、環も啓太とともにその場を後にした。

「脅迫犯が、動きはじめたみたいだな」

 生徒たちの後ろを歩きながら、啓太が緊張感を帯びた声で呟いた。啓太が握り締めている貼り紙の残骸が、ガサガサと音を立てながら潰れた。

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