事件
事件
ひなびた住宅街の外れにある、薄暗い雑木林。
その林のちょうど西側、訪れる人もほとんどいないほど奥まった場所にある空き地の一角に、一軒の家屋がひっそりと建っていた。
築十数年はたっているであろう、二階建ての小ぢんまりとした木造家屋だった。
*
七月の、ある日の夕刻。
その家屋の中から、一人の幼女が、裸足で走り出た。
幼女は、無言のまま振り向きもせず、耳が隠れるぐらいのショートヘアを振り乱しながら、敷地内の茂みの中を一心不乱に駆ける。
次の瞬間。
建物の窓の割れたガラスの隙間から、オレンジ色の炎がチラチラと顔を覗かせた。最初は小さな火の柱に過ぎない炎だったが、瞬く間に建物の外壁を舐めるように燃え広がると、建物全体を真っ赤に包み込んだ。
パチパチと木がはぜる音が、辺りに響き渡った。鼻を突くような焦げ臭い匂いが、風に乗って一帯に広がった。舞い上がる無数の火の粉が、薄暗い木々の間を明るく照らした。
建物の中には、今も三人の人間がいた。
だが、建物が見る見るうちに炎に包まれていく間も、幼女は決して立ち止まろうとはしなかった。
恐怖心が、足を止める行為を躊躇わせていた。
そのとき、幼女は声を聞いた気がした。
――……ちゃん!
自分を呼ぶ声のようにも思えた。
――私を、呼んでいる?
だが、恐ろしさのあまり、振り向くことはおろか、速度を緩めることさえできなかった。
――空耳に決まっている。
幼女は自分にそう言い聞かせると、建物に背中を向けたまま、薄暗くなった夕刻の道をひたすら走り続ける。
見開いた目から、罪悪感とともに涙が溢れ出た。
――私は、大好きだったはずの人たちを助けようとすることもなく、逃げ出してしまった。
幼いながらに、自分がとても卑怯で汚らしい存在に思えた。
――ごめんなさい。ごめんなさい。
心の中でそう繰り返しながら、幼女は罪悪感から逃れようと、一心不乱に駆け続けた。
遠くから消防車のサイレンの音が聞こえはじめたのは、それから数分後のことだった。
*
――私は、大好きだったはずの人たちを助けようとすることもなく、逃げ出してしまった。
その思いは、幼女が高校生になった今も、心の奥に決して小さくない傷跡となって残っている。