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機巧時代の誘い方

作者: 彗星無視

 十九世紀。

 カムシャフトに端を発する機巧技術はついに隆盛を極め、人間と遜色ないからくり人形(オートマトン)が作られるようになると、腕利きの技術者たちはさらにその先——聖書に語られる『天使』をその手で生み出そうと苦心する。

 のちに機巧時代マキナアエウムと呼ばれる時代の幕開けである。


「さあさあではでは、皆さまお待ちかね! 目玉の品をお見せするとしましょうか!」


 そして今宵も月の下、きらびやかに飾られた邸宅の広間にて、ドレスやタキシードに身を包む来賓客たちが集う夜会が開かれる。

 丸々と肥えた腹を揺らしながら来賓の面々に呼びかけるのは、この屋敷の主であるモーデント公爵だ。体の動きに合わせ、手にしたグラスに注がれたワインが激しく波打ち、わずかにだけあふれる。

 こぼれた水滴を彼が一顧だにすることはない。床に這いつくばり、それを拭い取るのは断じて公爵ではなく、彼が雇う使用人たちの誰かだ。


「おお、ついに『天使』をこの目に……」

「待ちわびましたぞ。かの最高傑作、一度は拝見しておきませんとなぁ。ははは」

「ようやくですか、まったくモーデント公爵もお人が悪い。我々がどれだけ胸を期待で膨らませていたか、わからないわけでもないでしょうに」

「あら、ですが空腹は最高のソースとも言いますわよ。同じように、焦らされた分、きっと彼女は私たちを魅了してくれるのでしょう?」


 広間に集う客たちがほのかに沸き立つ。

 艶やかな赤のドレスを着こなす妙齢の女性の発言には、『これだけ待たせたのだから、生半可なものだったら許さない』といったニュアンスが籠もっているようでもあった。

 しかしモーデント公爵は焦らない。その必要はないと、とうに彼は知っている。


「もちろん、彼女はきっと、皆さまの期待に応えてくれますとも! ——おい」


 モーデントが身振りで指示を出す。すると壇上へ、メイドたちが三人ほどで豪奢なシルエットの椅子を運んでくる。万が一にも傷をつけないようにと、誰もが気を繊細に配っているのが見て取れた。

 椅子には何者かが着座しているようだったが、その顔は窺えない。なぜならその人物ごと、椅子に赤い天鵞絨ビロードの布が被せられている。

 やがて椅子を配置し終えると、メイドは一人を残して脇へはけていく。そちらに目を向ける客は誰一人としていない。

 残された最後の一人、メイド長の彼女がゆっくりと腕を伸ばし、赤い織物を取り払った。

 いみじくもソースを引き合いに出した妙齢の女の言葉は、実に的を得ている。天鵝絨の布は銀の蓋(クローシュ)と同義で、つまりは椅子に座るモノこそが、今宵のメインディッシュだった。


「……おぉ!」

「これはなんとも、美しい……!」

「いえ、美しいという言葉さえ……彼女は、まさに——」


——天使。

 集まった誰もが息を呑み、あるいは感嘆の息を漏らす。

 現れたオートマトンの造形はあまりに完璧で、だからこそ、人型であるにもかかわらず、それが人間ではないのだと精緻な美を以って証明していた。

 宝石じみた青い瞳に、月光を吸い込むような白い肌。長く艶やかな髪も真っ白く、身を包むドレスも白。純白が占める割合は、見る者に天の使いを印象させるには十分すぎる。

 極めつけはその背。あるいは無骨にも見えかねない、折りたたまれた、複数の金属の板によって象られた一対の翼は、彼女の神秘性を奇妙なほどに引き立たせている。

 刮目せよ、彼女こそ時代の頂。この世界で最も天使に近いとされるオートマトン。その名はかの大天使になぞらえて、ミカと名付けられた。


「……ふ」


 我を忘れ、彫像めいた無表情のミカをぼうっと見つめる客たちに、モーデント公爵がほくそ笑む。

 この博覧会に招待されたのは貴族や成功した商人、多方に影響力を有する権力者たちだ。

『最も天使に近いオートマトン』、ミカは安い買い物ではなかったが——その元は取れた。夜な夜なこうして築いたコネクションによって。



「わあ……」


 一方。モーデント公爵や来賓の客たちから離れ、遠目からミカを盗み見る少年が一人。最低限の体裁は整ってはいるが、その格好はとてもこの場にそぐわしいものではない。

 当然だ。彼は客ではなく使用人だった。こうして給仕の仕事の合間に、壇上の『品』を盗み見ては見惚れるのが彼の精一杯。

 名前はアランと言い、親にもらったのはその名前と、あとは栗色の髪と目くらいのもの。

 まだ子どもの彼は使用人の中でも一番位が低く、毎日ひどくこき使われていた。しかし屋敷を出て辛い仕事から逃げ出そうにも、彼に限らず、住み込みで衣食住の保証された使用人たちの給料はごく少ない。町で暮らそうものなら、アランの貯金は一週間と経たず底をつくだろう。

 だからそんなアランにとって、こうして博覧会でわずかな隙を見つけ、ミカを眺めるのだけが最近の密かな楽しみとなっていた。


「……えっ?」


 そうしてちらちらと壇の方を見ていると、やがてアランは気づく。

 目が合った。

 博覧会の間、凍りついたように指の一本も動かさない彼女が、首をわずかに巡らせてその青い目をアランに向けた——ように、思えた。


「き、気のせい……だよね?」


 思わず顔をそむけてしまう。

 ミカが、『最も天使に近いオートマトン』が、自分なんかを視界に入れるはずがないのだ。だって、使用人になんてふつうは目を留めない。

 そう言い聞かせて業務に戻るアランの胸は、これまでにないほど高鳴っていた。

 しかし正体不明の鼓動によって落ち着かないせいか、人にぶつかったりグラスを落としたりと、アランはミスを重ねてしまう。それを口実に、博覧会が終わると、アランはメイド長に独りで片付けをするよう命じられた。

 重い罰だったが、泣き言を漏らしても意味がないことなど、屋敷に来て三日も経てば嫌でも覚える。

 グラスをキッチンへ運び、テーブルクロスを洗濯場に運ぶ。キッチンも洗濯場も一階にあるから、階段の上り下りが大変だった。


「ねえ」


 それからロウソクの火をすべて消し、最後にテーブルを隣の部屋へ運んで片そうとすると、いつの間にかミカは椅子から立ち上がり、自然な所作で近づいてきていた。


「わたしも手伝うわ」

「は、はい!?」

「いつ終わるのかと待ってたのに、ぜんぜん終わんないんだもの」

「なっ、な……」


 驚きのあまり、アランは口から心臓と肺と腸が飛び出てしまいそうだった。

 ミカが動いている姿を目にするだけでも稀だというのに、あまつさえ手の届く距離にまで近づき、話しかけられるだなんて!

 当惑しているアランをよそに、ミカはひょいとテーブルを持ち上げた。華奢な腕には、人の筋骨とは比べ物にならないほど複雑な機巧が仕込まれている。

 そうしてアランの半分以下の時間でテーブルを片し終えたミカは、アランの目を見て問いかける。


「さっき、どうしてわたしのこと見てたの?」

「見てなんか……ないですよ。僕は使用人ですから、仕事をしないと」

「嘘。今日だけじゃなくって、前からチラチラ見てたよね?」

「う……」


 彼の密やかな楽しみは、とっくに当人にバレていたらしい。アランは自分の顔が真っ赤になっていくのを感じた。

 それをよそに、ミカは淡々とした口調で続ける。


「みんなそう。みんな、わたしが好き……綺麗、美しいって、好きってことでしょ? ここに運ばれると、みんながわたしを褒めそやすの」

「そう、ですね。みなさん、『天使に最も近い』ミカ様のお姿を一目見ようと集まってこられますから」

「ええ——天使。それが一番言われるわ」


 くるりと回り、ミカは窓の下へと移動する。薄暗い室内へ注がれる青白い月光が彼女の髪を濡らした。


「それで、あなたはどうしたいの?」

「どうしたい?」

「わたしに、言いたいことはないの? あなたもみんなと同じで、本当に天使みたいだって言いたくてわたしのことを見つめていたの?」


 視線が注がれると、それだけで血が沸騰したように熱くなる。

 その熱に浮かされて、アランは口を動かすことができなかった。呆れたようにミカはアランから視線を外す。


「残念ね。あなたならひょっとして、素敵なお誘いをくれるんじゃないかと思ったのに」



 数日後。あの博覧会の夜が忘れられないアランは、ずっと機巧に編まれた天使のことばかりを考えていた。

 彼女はあの時、なにを言ってほしかったのだろう?

 仕事に無関係なことを考えるたびにミスが増え、そうなれば当然の帰結として罰も増える。メイド長はいよいよ鞭さえ持ち出し、折檻の名目でアランを叩いた。

 鞭で打たれると、焼かれるのにも似た苦痛が神経を苛む。その数だけ、アランは思うのだ。

 この屋敷から逃げ出してしまいたい。

 あの天使の似姿を見ることで救われていた。けれど、死ぬまでこうやって奴隷のように扱われるのだと思うと心底嫌気が差す。


 そんな時。

 ミカも同じことを思っているのではないかと、痛みの中でふと感じた。

 彼女には立派な翼があるというのに、まるで鳥かごに閉じ込められるかのごとく見世物にされてばかりの日々。その苦痛を慮ることなく、ただ容姿の美しさに目を奪われた。

 ああ、これが、彼女の言う『みんな』と同じってことなんだろう。


「そっか。ミカ様も、ここから逃げ出したかったんだね」


 体中にミミズ腫れの痕をいくつも残しながら、そう気づいたアランは計画を練った。



 満月の夜、またしても夜会が開かれる。

 博覧会の面々は、初めて来る者もいれば、再び『天使』を拝もうと足を運んだリピーターもいる。


「……さて、皆さまもお待ちかねのことでしょうし。そろそろ今夜も、例の品をご覧に入れましょうか!」


 そうしていつものごとく、モーデント公爵が合図を出し、壇上にミカが運ばれる。メイド長が天鵞絨を剥がすと、客たちはその美に釘付けになった。

 給仕の仕事をこなしていたアランも、準備が入念であることを確認し終えると壇上を見る。

 今日もまた、目が合った。アランは今度こそ目をそらさず、彼女に向かってうなずいた。


「おおっ、美しい——」

「職人の名が知りたいものです。私も、あのようなオートマトンを手にしてみたい……」


 客が見惚れているのをいいことに、アランは壁掛けのロウソクを燭台ごと手に取ると、テーブルへと放り投げる。

 たちまち火柱が昇る。テーブルクロスには事前にキッチンから拝借した油を染み込ませていた。


「ん? ……うわっ? 燃えてる、燃えてるぞ!」

「なんでいきなり——きゃあっ!? わ、私の髪がぁ! 髪が焦げましたわよ!?」


 アランはさらに別のテーブルにもロウソクを投げ込んでいく。広間が火の海になるのは時間の問題だった。

 混乱の中をすり抜け、壇上へと向かう。使用人の子どもなど普段眼中にないためか、それとも保身で頭がいっぱいなのか、アランを咎める者はいなかった。


「……あなたが火を点けたの?」


 眼前で荒れ狂う炎も、来賓の狂騒もまるで別世界の出来事のように、人造の天使は椅子に背を預けている。


「はい。僕がやりました」

「どうして?」

「あなたをこの檻から連れ出して、夜の闇へ攫うためです」


 着座する彼女へ手を伸ばすと、ミカは目を丸くする。

 しかし、やがてくすりと笑ってその手を取った。


「その誘い文句は悪くないわ」


 天使という名称が帯びる神秘さ、高尚さからはかけ離れた——等身大の笑み。かくして鳥かごは開け放たれ、彼女は手を引かれるまま壇上から飛び降りた。


「おいっ! 子どもが天使を連れ出そうとしてるぞ!」


 火災の中、誰かが声を上げる。


「お前たち、なにをしている! 早く止めに行かんかぁっ!!」


 火の手から逃れた入口付近でモーデント公爵が怒鳴りつける。命令には逆らえず、使用人のメイドたちが炎をかき分け、アランを連れ戻さんと向かってくる。

 アランは焦らず、腰から提げていた小さな袋の中身を床へぶちまけた。


「これは……!」


 メイドたちの目の色が変わる。床に散らばったのは銅貨だ。アランが今日まで貯めてきた、なけなしの貯蓄。

 薄給の使用人たちはアランとミカには目もくれず、服が焦げるのも気にせず、我先にと這いつくばっては銅貨を拾い集める。


「な、なにをやってるのアナタたち! こいつと……ミカ様を捕まえなさい!!」


 ただ一人、貨幣の誘惑に負けず立ち続けたのはメイド長だけだ。彼女の叫びも虚しく、四つん這いになって手を動かすのに忙しいメイドたちは耳を貸そうとはしなかった。


「さよなら、メイド長さん」


 なぜこんなことを、と鋭い目つきで睥睨する。


「できればこの人たちを、鞭でぶつのはやめてあげてね」


 そんなメイド長に別れの挨拶を送り、アランは窓へ向かって駆け出す。ミカはわくわくした顔で、手を引かれるままについていく。

 先日はミカの髪を濡らすために月光を透かせたその窓は、今、火災の煙を逃がそうとする人々の手によって開け放たれていた。


「ミカ様、ここは二階ですが、下に植え込みがあるからたぶん大丈夫です」

「ううん、あなたこそわたしに捕まって。しがみついてもいいわよ」

「えっ? うわっ!」


 窓から身を乗り出し、飛び降りようとするアラン。しかし小柄な彼の体をぎゅっと片腕で抱え込むと、ミカは自ら窓の縁を蹴って飛び立った。

 ふわりと全身を包む浮遊感。

 そしてすぐに、二人を自由落下の網が絡め取る——

 ことはなく。金属の翼が広げられ、二人は闇夜の中を滑りゆく。


「驚いた? あぁ、気持ちいいっ。やっぱり翼っていうのは広げられてこそね」

「ミカ様……空を飛べるなんて」


 ミカの翼は見てくれだけではなかった。円熟した機巧技術はオートマトンの飛行さえ可能にする……とは言っても、上昇できるのは短い間だけで、そこからは進みながら緩く降下するだけの滑空というのが実情だ。

 屋敷を離れると、喧騒も遠のいていく。

 最後にアランは、旦那さまと呼んでいた誰かの怒号を背に受けた気がしたが、今となってはどうでもいいことだ。振り返る必要さえ感じなかった。

 今はただ、二人で受ける夜風が心地いい。


「そういえば、あなた名前は?」

「アラン。アラン・リガントです」

「いい名前ね。……ねえ、これからどうするの?」

「わかりません。だけど、どこへでも行けますし、なんだってできますよ」


 つまりはノープランということだ。貯めてきた金も先ほど、床にぶちまけてなくなってしまった。


「あはっ。それって、とっても素敵ね!」


 それでも構わないと、ミカは無垢な笑顔で笑ってみせる。

 冷たい風を切って進み、星の瞬く空を見上げながら、アランとミカは夜の先へと飛び去っていく。

 眼前に広がる夜闇のすべてが彼女らにとっての可能性だった。先の見えない道だからこそ、待ち受けるものはどれも未知の輝きを帯びている。

 もはや二人を待つ明日は、虐げられる日々や、見世物にされる日々の繰り返しではなかった。

 機巧時代における大事件。公爵邸におけるこの一夜は、のちの世においても語られる。

 天使消失、と。

 冴え冴えとした光でその門出を祝う、天上に座す満月だけが、二人の行方を知っていた。



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