童貞よ、永遠に 7
いつも読んでいただきありがとうございます。
地表に降り立つと、消防車のサイレンの音や避難誘導をさせる音が周囲に響いていた。肉が焦げて異臭がした時のあの嫌な臭いが漂っており、僕は顔をしかめた。
ヒーロー局札幌支部の正面出入口は爆撃でも浴びたかのように粉砕し、焼け焦げている。ところどころに赤黒い塊が転がっていた。
支部正面出入口のすぐそばにあるのは総務課だったはずだ。見る影もなく、崩れたコンクリートや作業中だっただろう机の中身が散乱していた。悲鳴すら聞こえず、燻ぶった嫌な臭いだけが充満していた。
焦げた肉片や塊を見つけて、逃げる時間すらなかったんだろうな、とやるせない気持ちが込み上げてくる。僕が瀕死になってから治療を受けて、札幌支部に来た時に、総務課の職員さんたちは総出で拍手をしてくれた。きっと、その誰かだったのだろうと思うと、悔しく思う。今日も、昨日も、その前も、誰かは絶対に不幸な死に方をするわけだけど、自分の知った人や関わった人、目をかけてくれた人、そういう人たちが亡くなるのは言葉で言い表せられない何とも言えない苦しい気持ちになる。
頭上で大きな爆発音とそれに伴う揺れを感じた。
上だ。上に怪人がいるんだ。
僕は階段を駆け上がり、2階、3階と駆け上がる。たまに、階段が崩れてないところはそのまま飛び跳ねる。
何階かわからないほど登ると、横から爆発音が聞こえた。この階層だろう、と僕は足音を立てないように爆発音の発生源の側へ近づく。
おそらく、何らかの事務室となっていた部屋だ。それがほとんど机や資材がない。割れた窓ガラスの場所あたりから爆風で吹き飛ばされたのだろう。
赤いコスチュームを着た怪人がいた。身長は180センチメートルくらいで引き締まった感じの体型だ。女性に人気の細マッチョだ。赤く短く立たせたツーブロックの髪型、横顔はちょい悪な感じのする少し濃い目の顔つきのイケメン。手には……手には……お前ヒーローじぇねえか!
「た、たすけ」
赤いコスチュームを着た怪人だと思っていたヒーローが、ボロボロのスーツ姿の男性に向かって、手を向けると、轟音と共に青色の炎が噴射された。
残ったのは黒ずみだけだった。
「お前らは助けなかっただろうが」
赤いコスチュームに黒い煤だらけのヒーローの体から伸びた手にはアスクレピオスの杖のタトゥーがあった。
「もうやめろ、お前、ヒーローなんだろ」
僕の声に赤いコスチュームのヒーローが気づきこちらを向いた。
「なんだ、薄汚いヒーロー局の仲間か?」
「仲間とか仲間じゃないとかそれ以前の問題だ。なぜこんなことをする」
赤いコスチュームのヒーローは黒ずみになったものを踏み潰しながら
「気に食わねえからだ。回復ヒーローを消耗品扱いして、次から次へと使い捨てやがって」
と僕に言っているのか、それとも自分自身を納得させるように呟いた。
僕は彼の手を指差し、
「その手、もしかして最近死んだ回復ヒーローの関係者か」
と尋ねると、彼は首を振った。
「救ってもらっただけだ。でもよ、回復ヒーローを死ぬまでこき使って死なすとか、現代でこんなこと許されるかよ。できるだけ無傷で相手を倒せるようにヒーローを選んで呼び出しかけたり、ヒーロー自体にダメージ喰らわないように教育したりできるだろうがよ」
「その回復ヒーローの件で、うまくヒーロー局がやってくれないから、ヒーロー局を襲撃したってことなのか」
「それが何が悪い」
いや、悪いとかそういうレベルじゃねえよ。そもそも論、お前のやっていること許されねえよ。今この瞬間、お前のせいで怪人出ても誰もヒーロー対応できなくなっちまったんだぜ。きっと、今頃ヒーロー局東北支部が代わりに指令できるような手続きを踏んでいる最中なんじゃねえか。しばらく札幌支部は無理だ。
とりあえず、こいつを何とかしないと。
でも、ここでヒーローと戦う? 警備員だとか他にもきっといただろうヒーローが駆逐されている中、僕一人とか、超絶無理ゲーじゃね。説得一択しかねえよ、ふぁっく。せめて、明らかに強いヒーローがつくまでの時間稼ぎしかありえねえっすわ。
「お前にだって家族や仲間がいるだろ。帰りを待ってくれている人のいる人たちをこんな風に殺すこと許されることだと思っているのか」
「俺は覚悟はとっくに出来ている。こいつらも覚悟できてたんだろ。いつか死ぬって知りながら、死にそうな回復ヒーローを送り出して死なせた。ランクは同じだから多分倒せるだろうと送り出されて死んだたくさんのヒーローがいる。こいつらだって怪人や怪獣に襲撃されて死ぬことぐらい覚悟できてるだろう。それを俺が代わりにやってやっただけだ」
だめだこいつ。俺の考えは正しい、俺と違うやつは頭おかしい、と思っている系の奴だ。マジ勘弁してほしい。こういうやつはあまり関わらないか、関わった時は顔色を伺いながらそっと離脱するのが正解だ。
「そこを避けろ、避けるならお前は殺さないでやる」
そっすか、じゃあ、ちょっと避けますね、って言えたらいいのになぁ。ヒーロー業ってそういう選択肢を選べないので辛いっすね。
「これ以上は進ませない。ヒーローが悪人でもない人を殺すのはご法度だ」
「じゃあ、死ね」
赤いコスチュームのヒーローは僕に向かって手を伸ばした。
僕は横に飛んで、人間火炎放射器の射線から逃げ、盾を出現させる。
すぐそばで青色の炎が噴き出され熱風を肌で感じる。真ん中にいたらヤバい、即死だった、と思いながら盾から警棒を取り出して、やつの側面から警棒を叩きつける。
やつはすぐに警棒を払い、僕に蹴りを叩きこんだ。くそ痛てえ。でも、我慢できないほどではない。いや、我慢があまりできなくて警棒を落とした。
続けて拳を振るわれ、盾で身を守る、ぶっ飛ばされるほどではないが盾を仕込んでいる左腕が軋む。
盾をやつの顔に当てるように左腕を振うと、やつがよろけたので右手で顔をぶん殴った。力が上がったけれども、やつは死んでいない。
「盾で身を守れないと戦えないのか、馬鹿力女」
「お前だって火を噴くじゃないか、うぉっぷ」
案の定、火を放った。まじやっべーやつ。
火があたったら即死か一部焼失は間違いない。近いと盾の取り回しのせいであまり格闘ができない。距離を取られたら終わりならばそもそも盾は必要ない。地力が同じくらいならば、こうなりゃやけだ。
接近すると同時に盾をパージしてやつの顔にぶん投げる。当たらない。でもそれでいい。肉と肉のぶつかり合い、ガチンコ殴り合いに持ち込んで火を放てないようにするしかない。
何もなくなった事務室で、おらああああ、とか、でりゃああああ、という掛け声だけが響いていた。
どっちもぼろぼろで、どっちも生まれたての小鹿のような足取り。
一発殴って、また一発殴られてを繰り返していた。
技術の無い素人同士の殴り合い。
肉のぶつかる音、ヒットする瞬間に骨が砕けるような音、キーンと響く耳鳴り。
僕が大ぶりの右ストレートパンチを繰り出すと、カウンター気味で相手がフックを繰り出した。ここが正念場だと思い、左手のガードを上げ、右手を相手の顔ではなく腹部へ走らせた。
深く入った一撃だったと思う。
やつは、そのまま動かなくなり、口から黒い血を吐き、倒れた。
やつの後ろから首元を触ると、もう脈はなかった。
殴り合いの衝撃のせいで、やつのボロボロになったコスチュームの背中はほとんどなくなっており、あらわになった彼の背中には祈りを捧げる天使の横顔が描かれていた。
緑色の液体の前に立っていた僕を救ってくれた和服の天使とよく似ていて、とても整った顔だった。ただ違ったのは、酷いクマの代わりにふっくらとした涙袋があった。
僕はヒーロー局札幌支部の上階にいた人たちに安全を確保したと説明して、避難を促した。そして、僕は死んだ赤いコスチュームのヒーローを抱えて地上へ降りた。
そこには、心配そうな顔をした元道や、せわしなく活動する救急隊員や自衛隊員がいた。
赤いコスチュームの彼の死体を降ろし、元道に近づく
「ここには来ないようにって言ったじゃない、誰に狙われるかわからないって」
「私も後で緊急出動が入って来たの。そいつがヒーロー局で暴れていたの?」
僕はうなずいて座り込んだ。
なんというか、もう疲れた。
「治療するね。ヘリで気づかなくてごめん」
元道は僕に毛布をかけながら回復技をかけてきた。謝ることなんてない、とかなんかいい言葉を言ってあげたかったけどもうどうでもよかった。
壊れた身体が治っていく。とんでもなく気持ちいい温泉に入っているような感じだ。
体は回復していくけれど、胸の奥に大きく穴が空いたような気持ちになる。襲撃を受けて煙を上げるヒーロー局の建物、そこで勤めていた人たちの多くに死傷者が出た。顔の知った人もきっといる。でも、彼らはお金と名誉を餌にヒーローに命をかけさせる。そんなことは知っているし、わかって僕はヒーローを続けていたんだ。
時にはこんな風に害のあるヒーローも殺さなければならない。
でも、贅沢いうつもりはないんだけどさ、こういうヒーローじゃないんだ、僕の求めていたヒーロー像って。
一方的に悪い奴だけを倒して喜ばれるヒーローこそ、僕の思うヒーローだ。
僕は僕が殺したヒーローの背中を見つめた。
そこに浮かぶ天使に尋ねたい。何故あなたは僕を地獄の釜から救い上げたのかと。
いつもブックマークや感想等ありがとうございます。
とても励みになっています。
誤字脱字報告も本当に助かっています。




