目を開ければ
酔いどれ道のその中で、友と話した与太話。
何十、何百と話したそんな与太話が現実になるとは千鳥足で帰るその時は知る由もなく、布団と合体する事に全てを掛けていた。
おふくろの声で目を覚ます。
今日は休みだから起こすなよ。
しつこく起こしに来るから、休みだよと言うが、寝ぼけたことを言うなよと返されたのでしぶしぶ起きることに。
見上げる天井は白い。縁側を歩く。縁側…2階が俺の部屋なのに何故縁側なのか。刹那に自らの感じる違和感に気づく。
ここは我が家なのか。自らに感じる違和感を考える間もなく、ひたすらに着替え、ランドセルを背負う。
集まる子どもたち。何だろう、誰だろう。錯乱と遠い記憶が混作する中で流れるがままに道を進む。嗚呼、ここはいつものごみ捨て場だ、否、ゴミを捨てるのではない。そのみちを歩いてる。
何故道を進むのか。道を進むのは当たり前だ、ここでの疑問は道を進む理由だ。この道はごみ捨てするために進む。しかし、今の俺は何故か不明な理由から、道を進んでいる。
やがて着いた場所は遠い過去に親友と同じ窯の飯を食った学び舎だ。近くにあり過ぎて顧みなかった所だが、見返せば緩い坂、広い校門、古い記憶が蘇る。
校庭は果てしなく広い。こんなに広かっただろうか。少し走れば端から端まで行けた校庭、何故か広く思える。もしかしたら世界でも一番広い場所ではないだろうか。
下駄箱。靴を履いたまま仕事をしていたから、そのまま進もうとして後輩ぐらい若い人に怒られた。俺はわけが分からなかった。青臭い若造に叱られる言われも理由もないと‥。
しかし、途中にある鏡を見た瞬間に訳のわからない感覚の正体が明らかになった。今の俺は子供である。この瞬間、俺が27年間得てきたありとあらゆる人生経験全てが子供となった事で灰燼に帰したも等しいと。
崩れゆく己の自負心、人生経験から得たありとあらゆる術、この小さい体で果たして何ができようか、不安ながらもこれからの未来を進もうとしていた中年はある種の絶望に苛まれつつあった。
しかし何はなくとも、今日がなんの日かと尋ねる。帰ってきたのは今日は1993年6月7日である事を。俺は何がきっかけがわからないが、38年間の記憶と経験はそのままに11歳となって過去に来てしまったのだ。
月曜日、昨日休みをどう過ごしたか、誰と遊んだか、そんな話題だった。冗談じゃない、こちとら新天地で不安にまみれながら、毎日を生きてるんだ。どうしてこうなったのだ。
そんな事を思いながら流されるままに授業。周りを見渡せば今では記憶の片隅にしか残ってない友。あるいは今でも酒を交わす友。片隅の記憶は遠からず「今」になっていった。俺はやらなければならない事がある、戻らなければならない。そんなもどかしさと、戻れる術が分からない現実に錯乱する半日。
何があったか分からない1日が終わり、下校となった。校門は開放されている。そうだ、かつては全てがあけっぴろげだったんだな、と妙な懐かしさを思いながら家路へ向かう。
何故、俺はこんな事になったのか。前日は親友と肉を喰らいながら、酒を交わし、バカ話してたはず。仕事を忘れ、酒を飲みながら今日という日を考えずに飲んでたはず。
夜となり、親父が帰ってくる。親父?親父は死んだはず!?しかし、目の前には生きて、歩いて、話す親父がいる。これは夢が幻が?夢なら、てめえで強く意識すれば目が覚める、今までもそうしてきた。自らの意識はこの事実を現実として認識した。そうか、今のこの時こそが現実なのか、ならばこの「現実」を生きてみようぞ、俺は床暖房に溶け込みながら志村けんのだいじょうぶだぁを見て、強く思った。
布団の中で思う。
まるでさっぱりわからん、体が縮まったわけでなく、記憶だけタイムスリップしたようなものだが、その理由がわからん。
誰かに連絡であったり、メールしようにもスマホがない。むしろパソコンも何もない。連絡の取りようがない。
とりあえず寝よう。