抱擁と僕
僕は5分で準備を整え通学路を全力で走っている
学生寮は学校から近いがそれでも走って10分はかかる
どう足掻いてもホームルームには間に合いそうにない。
そんな事を考えながら、僕らは二人で走っている。
「ッて、何でイグニカさんも付いてくるのさ!?」
イグニカさんは息を切らしながら走っている僕の横で涼しい顔で並んで走っていた。
服装まで同じカッターシャツにズボン姿
僕の制服の予備の中で身長が伸びるかもと思い買っておいた物が唯一サイズが合ったので着てもらっているのだが
服が他に無かったとはいえ
素肌の上からカッターシャツと言う姿は裸とはまた違った魅力を放っていた。
「何故と言われてもいつマスターが私に命令をしてくださるか分かりませんし
一緒にいる方が迅速にお世話も出来ますし、何よりマスターを常に見ていたいからです」
「ッ!?」
「マスター、それ以上動悸を激しくすると目眩が起きますよ?
今の状態で気絶した場合甚大な被害を生む可能性があります」
「ッぞれは、イグニカさんのぜいじゃないが!!」
走ってるのと別の鼓動が増える
今の状況と彼女の服装と真剣な顔を前に動悸が上がらない男性がいるならお目にかかりたいものだ。
〈まずい、一度止まらないと〉
胸の苦しさから走るスピードを徐々に緩めていく
走るから歩くに移行した辺りで僕は手を膝に着き肩で息をする。
「ぜぇッ……ぜぇッ……」
「マスター大丈夫ですか?」
僕が荒い呼吸をしていると横にイグニカさんが来てくれ背中をさすってくれた
「あ、ありがど」
「いえ」
彼女に介抱してもらいながら呼吸を整える為に深呼吸をしようと試みる
しかしそう思うほどに上手くいかず、かえって息苦しさと痛みが頭と肺を苛む。
「マスター」
「なに?イグニガざ? ッあッヒァ!?」
突然イグニカさんが僕の首に手を添える、その手はまるで氷の様に冷たくなっていた。
首筋への突然の冷気に僕の身体は反射的に起きる。
「いッイグニカさん?」
「少々お待ちを、すぐですので」
「……うん」
首全体が冷やされ溜まった熱が引いていく
呼吸も整っていき苦しさと痛みが楽になっていた。
「いかがですか?」
「あ、ありがとイグニカさん」
「いえ」
たった数秒で嘘のように体調が整った、まるでRPGゲームの回復魔法の様だった。
「……ッしょ」
落ち着いた僕はポケットから携帯を取り出し電源を入れる
そして待受画面に表示された時計を確認した。
現在時間は9時15分
ホームルームが終わり1限目の授業が開始される10分前だった。
「……はぁ……これは授業も遅刻だな」
今僕が遅刻を気にしているのは、決して優等生ぶっているわけでも
入学してから無遅刻無欠席貫いていたから記録を途切れさせたくないと言った謎の使命感を出している訳でもない。
僕が通う夜代高校は前期の終業式の時まで無遅刻無欠席だと図書券がもらえるのだ
金額は5000円と学生に与えるには中々高い
枚数に上限はなく達成した者全員に与えると言うのだ
お金が有り余っているとしか思えない奮発ぶりである。
狙っていた理由としては欲しい漫画があったのだ
日頃稼いでいるバイト代は殆ど生活費と学費に費やしているので自由なお金はほとんど残らない
折角の臨時収入のチャンスは皮算用に終わった。
「マスター、今まで頑張ってたんですね」
「まぁ、ね……」
「私が言うのは差し出がましいかもしれませんが頑張りすぎは良くないですよ? 適度に気も抜いていかないと身体を壊してしまいます」
〈それができたら……〉
「苦労はしない、ですか?」
「そうゆうこと」
溜め息を吐きながらしゃがみ込む
継続していた事が無駄になってしまった
その脱力感が心身にのし掛かってくる。
「マスター」
イグニカさんが呼ぶ声と共に僕の頬を両の掌が優しく包み、そのまま柔らかい胸に抱き寄せられる。
「ッむゥ!?」
「独りで抱えて内側に溜め込むのは良くないです、嫌なものは吐き出すべきです」
「……」
「今日はたまたま上手くいかなかっただけです、マスターは駄目な人ではないです
たった一度の失敗なんて幾らでも挽回出来ます」
「……ん」
僕に言い聞かせるように、子どもを慰めるように
頭を撫でながら僕を抱き締めてくれた。
その言葉はとても心地よく
本当に心から嫌なものが抜けるように身体と心が軽くなっていく
柔らかく包む様な声と体温が心の中を温かいもので満たしていく様だった。
……
…………
………………
イグニカさんの胸に抱き締められ始めてそれなりの時間が経過した。
最初は心地よさから抜け出し辛かったのだが
今は段々と恥ずかしさが勝ってきてこの状況を打開する区切りの言葉を模索していた。
否、実際は既に決めている言葉があったのだが
如何せん口にするのが気恥ずかしかっただけなのだ
だから卑怯ではあるが彼女が僕の気持ちを汲み読んでくれることを期待して
心のなかで感謝の言葉を口にした。
〈ありがとう、イグニカさん〉
「どういたしまして」
「ん……」
僕の感謝に彼女は満面の笑みで応える
その優しさに僕は赤ん坊の様にすり寄った。
こんな風に誰かに甘えたのはいつ以来の事だろうか
そう思いながら見た彼女には母親の姿が重なっていた。