絶望と私
そうなる筈だった。
少女の顔面に食い込んだ拳
しかし少女の肉体は微動だにせず
未だ彼の身体に股がった姿勢を崩す気配がない。
[!]
少女の顔面を打ち抜いた拳の持ち主は驚愕する
だがその事に驚いている訳にはいかない事情が彼女にはあった。
目の前の少女の異様から視線を動かし彼女は行動する。
[!?]
少女の右手がその行動を阻害する
少女は彼女の左手首を握り潰さんばかりに掴んでいた
手首が尋常ではない苦痛を訴える
走り続ける鋭い痛みが表情を歪ませていく。
[…!!]
だが彼女は歯を食いしばりその痛みに耐え
再度少女の肉体に攻撃を加えんと右手を振りかぶる。
[]
すると少女は彼女の手を離し目の前から消える様に跳び
部屋の中央にあるテーブルの上にふわりと降り立つ。
しかし彼女は見ない
自分から離れた瞬間から少女の事は視界に入っていない。
[]
その視線は目の前にいる彼を見ている
彼女の周囲に光が走る
続いて彼の身体に白い光が走り肉体が発光する。
[大丈夫、です、直ぐに治します]
彼女の瞳に涙が溜まる
言葉が泣き声になりながらも全身に力を込める。
[エーテル、ナノライザー起動
領域認識、生体認識、完了
エーテル体、肉体組成への干渉開始…]
光が強まりそれが彼の身体に入っていく
するとみるみる彼の肉体の損傷を修復して…
ジジッ、ガリガリッ…
突如鳴り始めるノイズ
ビニールを掻く様な不協和音と共に光が霧散する
必然的に発光していた彼の肉体の光も消えた。
[…]
少女はその光景の始終を冷めた様な眼で観察する
そこには落胆にも近い感情が見てとれる。
[ ]
彼女は思考が一瞬止まった
しかし瞬時に平静を装い思考を再開する。
〈私の意識が乱れたせいだ、焦るな、落ち着いて〉
先程よりも冷静に、彼女は行動を再開する
[エーテルナノライザー起動
行勢情報、再試、完了、干渉開…]
バリッ
[!?]
音と共にかき消える光
再びの失敗
彼女は再度行動する。
[干渉開始]
パシュンッ
[干渉開始…]
パシュンッ
[開始!]
パシュンッ
[開始!!]
パシュンッ
[開始…開始、開始…]
光は消え続ける
彼女の努力が泡のように消え続ける
次第に彼女に走っていた光すら薄く弱まり
強く迸っていた彼女の意思の衰えを示唆していた。
[…なん、で…何で治らないの、なんで…]
恐怖、焦り…見たくない現実が忍び寄る
眼を反らしすがる様に彼女は彼の顔を見る。
そこに表情はなく視線は虚空を見つめている
その顔に生命力と自分に与えてくれた安らぎは無く
どこから見ても…[これ]は
[…]
彼女の一連の行動を見ていた少女が動く
彼を挟む形で少女は彼女の前に降り立った。
少女の方から火花が弾ける様な音がする
その音に俯いていた彼女は少しだけ反応する。
後に聞き覚えのない音と共に彼女の首に圧力がかかる
締め上げられる首から痛みと苦しさが込み上げる
下を向いていた筈の顔は強制的に前を向く。
視線を上げた先には
うようよと動く黒いもやが私の首を絞めていた。
不定形な形でありながらしっかりと私の首を絞めるソレは
赤ん坊の柔首をいつでも折れる大人の腕力と相違ない力を秘めていた。
その黒いもやの中心で鬼が彼女を見ていた。
金色の瞳を剥き
金色の髪を逆立て
灯りの消えた部屋よりも暗く黒いうぞうぞと動く不定形の触手を纏い
異様を立ち上らせながら全身で私を睨み付けていた。
[あなた、本当にイグニカお姉ちゃん?]
少女は初めて私に言葉をかけた。
言葉と共に首を絞める力を強める
私は黒いもやに手をかけ両手に力を込めて抗う
首を絞められた者が行う当然の反応を見て
少女は瞳が飛び出さんばかりに眼を剥いた。
[なんでこんなに弱いの?]
落胆と苛立ちを内包した言葉を吐きながら
私に怒りを撒き散らす。
[…しお…]
[…]
私から漏れた言葉を聴き
少女は私を容易く持ち上げ放り投げた。
無造作に投げられた私は部屋のクローゼットに突っ込んだ
扉を突き破りラックを薙ぎ倒し
掛けてあった制服は綿の抜けたクッションの様に頼りなく
勢いに潰されながらひしゃげた。
[ッ…]
解放された私は眼を前に向ける
少女は未だ潮の隣に立っていた。
[潮!]
私は即座に体勢を立て直し動き出す。
潮を護らなくてはならない
それが私が最も優先すべきこと
未だ力が使えない私
私よりも身体能力の強い謎の少女
そして、潮の容態
それらから導き出せる最善の策は潮と共にこの場を離れること。
[ぎりィッ…]
最初に怒りで我を忘れ殴りかかってしまった事を後悔した
あの時ならばまだ退散出来たかもしれない。
だがそれを後悔しても仕方がない
今は出来る最善を尽くす
それに離れさえすれば力を使えるかもしれない
まだ試していない可能性に望みをかけ私は飛び出した。
ピシッ
直後、私の思いを残し身体は動きを停めた電源の切れたロボットの様に
走り出した姿勢のまま空間に静止する。
しかしその事に疑問を見出だす前に
私は目の前の光景に眼を奪われた。
[もしかしてコレのせい?]
少女は黒いもやで潮の身体を包み持ち上げる
力無く垂れ下がる潮の身体から眼を反らしたくなる
だが私の眼は私の意思を無視し
閉じること無くその一部始終を私に見せ続ける。
[ん~…]
少女は潮の身体をぷらぷらと揺らす
子どもがおもちゃを扱うように乱暴に
〈やめて、潮をそんな風にしないで…〉
しかし私の思いは届かず
少女は未だ潮の身体を弄ぶ。
[…]
そして、何かを思い付いたように少女は動きを止め
[えい]
[…]
ポタッ ポタッ ポタッ
[ ]
べちゃッりッ
目の前の光景を只眺める彼女を尻目に
少女はまたも残念そうに
[これでもダメ?]
[ ]
その言葉に返答はなく
彼女はただ目の前の現実を呑み込めず
次第に襲ってきた喪失感に心を歪めていく。
[…もぅ、いいや]
落胆と共に少女は右手を前にかざす
彼女の方へ向けて手を開き、閉じる動作を始める。
すると糸で何かを絞めるような音が空間に響く
それと同時に彼女の身体にも変化が起きる。
腹部が凹み頭部と脚部が膨れ始める
握られたゴムボールの様に変形していく身体
[ッカ、!、ぼォプ…]
締め上げられた肉体から洩れる異音と共に
彼女の身体は変形を続ける。
そして
[ろブッ!、パ!…ァ]
彼女の腹部は限界を迎え、身体は2つに別たれた。
上半身からは臓物が洩れ
下半身は痙攣の度に出血を繰り返す。
[…]
やがて身体だったものは役目を終え
その動きを完全に停止し静寂がやってきた。
部屋の中には
肉塊と2つに分かれた死体と少女が残った。