警察と僕
「でも一体誰だろう、彼奴等なら分かるけど
女の人に名指しで呼ばれる心当たりがないんだけどな」
「……本当ですか?」
僕の言葉にイグニカが疑いの目を向けてくる
「本当だよ、それにバイト先にまでわざわざ絡んでくる様なのアイツ等しか居ないし」
「むぅ」
納得しかねると言った表情でむくれるイグニカ
その表情はまるで年頃の女の子の顔でとても可愛らしかった
いつもは綺麗や美しいと言った言葉が似合うが
今は僕に向けてくる感情のせいか妙に幼く見えそれが彼女の魅力と相まって僕の心を刺激する。
路地裏、通りからは少し距離があり喧騒とは離れた空間
目の前には拗ねつつも僕の事を慕ってくれる女性
「……」
男とは悲しい生き物だ、どんな時でも本能が思考を凌駕する。
目の前で視線をさ迷わせる潮を見ながら私は今日の出来事を思い返す
〈潮と同じバイト先なら一緒の時間が増えると思ったのに
まさか今まで以上に制約がかかるとは驚きでした〉
相づちや言葉遣いに周囲の目、更に言えば潮との距離感もそうだ
今まで気にもしなかったことを気にしなければならない。
〈……分かっている〉
潮は現実を生きている
そして私も現実を生きる術を学ぶためにここにいる
この不満に思う心も大事なことなのだ
だからこそ人は幸運に恵まれれば一喜一憂する
その一瞬一瞬を大切に思える
そうして様々な思い出に彩られた記憶と共に生きていく
現実を生きるとはそう言うものなのだと思う。
「……」
ふいに自分の頭に触れる
〈初めて潮に頭を叩かれた〉
初めて見れた潮の顔
お互いにぶっちゃけられる仲……それに近付けたのだろうか?
潮は言っていた
家族とは腹の中を話せる間柄だと
腹の中、本音……私の……
「……ッ」
急激に体温が上昇する
続いて先程までは、潮の姿を見れていたはずなのに
今は見ていると顔の熱が止まる所を知らずに上がっていく
〈こ、この反応はいったい〉
顔に熱が集まっていく
しかし頭痛や吐き気はない病気の類ではない
ならばこの思考の乱雑さは一体何だ。
〈思考がまとまらない、慌てている? この私が?〉
「イグニカ?」
潮が私の方を見る
その顔を見て余計に体温が上がる
そんな私の様子を心配してか潮が近づいてくる。
「イグニカ大丈夫?」
彼の手が私の顔に近付き、その手が私の頬に触れた
「!?!?!?」
同時に私の頭から湯気が出た
「わッ!?」
驚愕し手を引く潮
一瞬潮との距離が離れるがそれも束の間の事で
次の瞬間私は潮を抱き締めていた
「……、……」
「潮……5秒だけ、5秒だけでいいのでこのままで居させてください」
「!、? ……ぅん」
突然の行動に驚きながらも私の胸の中で潮が頷く
「いち、にぃ、さん……」
1秒数えるごとに、終わりが近づくにつれ
腕に力がこもるのを感じながら
「ご……」
約束の5秒間が過ぎた。
潮の背中に回していた腕を離し胸の中の彼の顔を見る
「ッは」
息苦しかったのか息を吸うために上を向いた潮
彼の視線と私の視線が交わる。
「……」
「……イグニカ?」
「……は!?」
「わッ!?」
私は我に返えり声を上げた
「……イグニカ?」
私の奇行を心配してか不安そうな眼を向ける潮
しかしその表情に何か刺激されてはいけない感覚が目覚めそうになる。
「潮!! 時間を取らせました早くお客様の所に行きましょう」
「ぁ、うん」
明らかに話を逸らそうとしているのが丸分かりな素振り
そう言って通りの方へ向かう私の後ろ姿を少し遅れて潮が付いてくる
最初は合わない歩幅も
どちらともなく寄り添っていき
通りに出る頃には隣り合って歩いていた。
「良く考えたらつい外に出ちゃったけど、その女の人って店内だよね?」
「その可能性が高いですね」
通りに出て店の入り口を見るがそこに待ち人の姿は無い
当たり前と言えば当たり前に店内にいると言う最有力候補を失念していた。
イグニカと一緒だったからつい外に出て来てしまった
〈そもそも女性のお客さんが来たことに対して反応したイグニカに無実を証明したくて……いやそもそも証明も何もやましいことは〉
「おいっすゥ!!! しょぉ~ねぇーん!!」
今回の行動原理を解明しようと
思考の渦に突入していた僕の無防備な背中に突然紅葉が咲いた。
「ッッいっづゥ!?!?」
「潮!? 大丈夫ですか!!」
「あり? やり過ぎた??」
「貴方何を!? ……貴方は」
僕は背中を擦りながら叩いてきた主の方を向く
「っ……あ、恵さん?」
「そだよぉ~恵さんだよぉ」
自分の頬を両指で指しながらウィンクしてきた恵さん
僕がイグニカの服を買いに行ったお店の店主だ
「ッ……恵さん、何でここに?」
「何でって、私この町の住人だよ? 居るのは当然でしょ」
「いやそう言うことじゃなくて、ってか恵さんだったんですか僕のお客さんの女の人って」
「ん? お客さん??」
恵さんは?マークを出す感じで首を捻る
「違うんですか?」
「私は少年が居たから声を掛けただけだよ?」
「そうですか?」
「と・こ・ろ・で・少年?」
「……はい」
一歩一歩鬱陶しくステップを踏みながら近付き
ニヤニヤしながら僕の顔を覗き込む恵さん
〈分かってる何を考えてるか手に取るように分かる
この後何を言うかも……〉
「こちらのぉ綺麗な人がぁ少年の思い人ぉなんですかぁ?」
「……そうですよ」
「キャー」
その答えを聞き嬉しそうに身悶える恵さん
「うっわー往来で何ラブラブしてんだよぉボーイミーツガール共め
彼女さんも良かったねぇ貴女この子離しちゃダメだよ
こんな子滅多にいないよ」
「そのつもりです」
「わーぉ……彼女さんもベタ惚れかよ砂糖吐きそうだぜぇ」
僕らを見ながら嬉しそうな顔をしつつニヤニヤする恵さん
「しっかしバイトまで一緒とはねぇ、お客さんの前でいちゃつくなよ~この公然猥褻罪め」
「しませんよ」
「なんだよぉしないのかよぉ~してたら引くのにィ~」
「絶対しませんよ!!」
っていかん!!またこの人のペースに嵌まる所だった
「あの、結局恵さんは僕のお客さんではないんですよね?」
「うん、違うよ」
「でしたら、そろそろ」
「そかそか、呼び止めて悪かったね彼女さんも突然ごめんね」
「いえ、初めはビックリしましたけど貴女の話は潮から聞いていたので」
「そん時の話今度聞かせてよぉうちの店に来てさぁ」
「はい、機会があれば」
「あいあい、楽しみにしてるよぉ……えっと? 名前は?」
「林未夏です」
「林未夏ね、覚えたよ」
ニコリと笑って答えその場でくるりと一回転して敬礼し
「じゃあ、少年少女よまた今度ねぇ~ん」
そう言うと恵さんはぴゅ~っと効果音が聴こえてきそうな動きで去っていった。
「イグニカ、大丈夫だった?」
「大丈夫です、多少驚きましたが……」
「だよね」
大概の人が彼女にはそういう感想を抱く気がする
っていい加減喋ってる場合じゃないな
「急ごイグニカ」
「潮、私は休憩室へ戻ります」
「え」
「丁度休憩時間が終わりました、今は私も店員ですから仕事は大事です」
「うん……分かった」
そう言うとイグニカは裏口へ向かった
しかしその動作は何処かぎこちない
何故と思った瞬間
先程の恵さんとの会話の一幕を思い出した
「……」
かぁッと顔に血が上り、恵さんに上手く乗せられた自分に後悔する
往来で恥ずかしいやり取りをしていた自分に穴があったら入りたい気持ちに苛まれる。
「……はぁ、すーはーすーはーすーはー……」
ため息ひとつに深呼吸を三度ほどして気持ちを切り替える
いい加減これ以上お客さんを待たせるわけにはいかない
もやもやした気分は一旦心の隅に置き再度入店する。
待ち人はすぐに見つかった、レジの横で静かに佇んでいた
身長は170cm程のスーツ姿の女性だ
予想外のお客さんの姿に緊張と後ろめたさから謝罪をした。
「大変申し訳ありません、お待たせして」
まだ浮わついた気分が何処かに残っていたのか
緊張と相まって冷や汗が止まらない
「いえいえ、気にしないでください
こちらこそお仕事中に突然お邪魔して申し訳ありません」
そんな僕の胸中を知ってか単純な大人としてのマナーか
丁寧に返しの言葉を口にしてくれる
正に大人といった感じだ
その言葉に頭を上げ女性の顔を見た
間違いなく初対面の人だ
「それで、お話と言うのは?」
「あぁその前に、私こういうものです」
すると彼女がポケットから何かを取り出し差し出してきた
それは
警察手帳だった。
「夜代警察署の杷柴 薫[はしば かおる]と申します
少々伺いたいことがありましてお時間は取らせませんので
少しよろしいですか、金森潮さん」




