バイトと僕
夜代町商店街入り口から直進徒歩10分
賑かな商店街の一角にある本屋 谷末書店
1か月前からお世話になっている僕のバイト先である。
個人店でありながら古本から最新の物まで
参考書も充実しておりお客さんも多いのに対して店員の数が少ないので
常にバイト募集のチラシが貼ってある。
「それじゃいくよ」
「はい!」
イグニカがやる気充分な風情でこちらを向く
住所や偽名は考えてきたと言っていたが、これは立派な犯罪行為だ
しかし今更僕の親戚ですと言って紹介したら
面接時に答えた事と矛盾してしまうので余計な不和を生みかねない。
正直に話すべきか迷ったのだが……
こう言っては何だが、店長は甘い人だ
不自然な点があってもなぁなぁで済ませてしまう事がある
そこにつけ入るよう、と言うか完全に悪いことだと理解している
自覚しつつ言い訳を頭の中で並べながら纏まらない頭のまま入店する。
自動ドアが開き
白色灯の光が街路灯の明かりと混ざり此方を照らす
するとそこに
「いらっしゃいませー!」
明るい光に負けない明るい声で
入店を歓迎してくれる女の子の姿があった。
黒髪を右サイドテールで縛り
小さい身長ながら存在感のある彼女
ここ谷末書店の看板娘 榎原奈月[えばら なつき]である。
「奈月ちゃん、お疲れさま」
「あ、金森さんお疲れ」
先程までの明るい雰囲気は何処へやら僕だと気付いた瞬間素の状態に戻る
最初は嫌われているのかと思っていたが
これが彼女の素だと教えてもらってからは余り気にならなくなった。
「奈月ちゃん、店長いる?」
「お父さん? 奥に居ますよ」
「ありがとう」
そう言って彼女を横切ろうとする
「……え!? ちょっちょっと!?」
慌てた様子で奈月ちゃんが僕の前に来る
「金森さんストップ!!」
「なに?」
「えっと、その、後ろの人は?」
奈月ちゃんの言葉に、僕の後ろに居たイグニカが一歩前に出る
「申し遅れました 私、林未夏[はやしみか]と申します
金森さんにこちらのバイト先を紹介されまして1度面接をと思い参上致しました」
「はぁ……」
「……って言うことなんだ」
流石イグニカ
言い回しは変だったけど、この雰囲気なら奈月ちゃんは丸め込める
店長よりも寧ろ関門だった奈月ちゃんを早くも攻略できたのは大きい
これで後1つ以外は問題なく行けそうだ。
「まぁバイトの方が増えるのは嬉しいことですけど、唐突ですね?」
「う……うん、ごめんね」
「まぁいいですよ、では奥へどうぞ」
「はい」
「それじゃ、イッ……未夏さん頑張って」
「はい、潮」
「……」
奈月ちゃんに連れられ、イグニカが店内の奥へ消えていった
「……」
奈月ちゃん訝しんでたな、怪しまれたかなそうだよなぁ……
と言うよりイグニカ僕の呼び方が変わってるよ
「……ふぅ」
この後控えている問題に憂鬱になりながらも
少し間を空けてから更衣室へ向かう事にした。
「「……」」
彼女と2人で通路を進み木製の扉の前に着く
彼女が手慣れた様子でコンコンと扉を叩く
「ん?」
「お父さん、入るよ?」
「どうぞ〜」
彼女が扉を開けどうぞと手招きをする
従って中に入ると
少し白髪混じりの優しげな顔の初老の男性がパイプ椅子に腰掛けながら伸びをしていた。
「奈月?? こちらの方は?」
「バイトの面接に来たの、金森さんの紹介で」
「ほぅ? 潮くんの」
「林未夏と申します、金森さんにこちらのバイト先を紹介されまして……」
「はい、採用です」
「お父さん!!?」
彼女が男性に詰め寄る
聞いていた通りの反応とはいえ、実際私も驚いた
「ダメかい?」
「ダメでしょ!? ちゃんと面接してよ」
「でも良い人そうだし……」
「まッたそうやって!!」
「でも潮くんも龍くんも良い人だったじゃないか」
「金森さんと龍太郎さんは特別だったかもしれないじゃない!!」
「いやいやでも……」etc
2人が言い合うこと数分
「「ハァハァ……」」
二人とも息を切らしつつ
「……ダメかい?」
「……わかったわよ」
決着は着いた
「と言うことだ林さん、よろしくね」
店長がパイプ椅子に腰を深く掛け直し
こちらを向き、にこやかな表情を浮かべながら言った
「よろしいんですか?」
「問題ないよ、人が増えるのは嬉しいことさ……それともウチだと困るかい?」
「そんなことはないです、寧ろ嬉しいです」
「なら決まりだね、それじゃ早速今日からお願いできるかな?」
「分かりました」
「助かるよ、書類とかは諸々やっておくから後は……奈月頼めるかい?」
「ぁあもぅ……はいはい、分かりました」
とんとん拍子に話が進み、ここで働ける事が決まり
そして大した説明もなく奈月さんに連れられ部屋を出た。
「……ここが倉庫です、それでこの奥が更衣室兼鞄とかを置く貴重品ロッカーです」
「はい」
「ひとまず林さんは……私用じゃ絶対入りませんね」
「すみません」
「……いや謝らないでください、その……なんか、悲しくなります」
どうやら彼女は私と自分の身体の凹凸の差を気にしているようだ
〈そうか、こう言うとき一般的な女性はそういった事も気になるものなのか〉
彼女の挙動の一つ一つを見て一般的、普通とは何かを学習する
勿論彼女がこの世の普通の体現者と言うわけではないのであくまで参考資料としてではあるが
知識としては分かっていても
やはりリアルな反応を学ぶにはその手本が居ないと始まらない
学びとは模倣から始まるのだ。
「……」
……いずれ、潮の友達とも会話をしてみたい
そんな本来何でもないはずの望みを
それを叶えるためにも良く見ておかなければ
そうして考えている間に
更衣室の扉を開けながら奈月さんがこちらを向いた。
「ひとまず余ってる女性用の一番大きいのと男性用のやつを持ってきますので1度それに袖を通してみてください」
「はい」
「……所で」
「はい?」
私が入った所で奈月さんが扉を閉めた、そしてこちらを向く
その表情には疑惑の色が見てとれた。
「林さんは金森さんとどういった関係ですか?」
「潮と、ですか?」
「ほらそれ!! 何で名前呼びなんですか、最初違いましたよね!?]
「……あ」
「ウチを紹介されたって話ですけど……何か、その初対面の人に言うのはあれですけど怪しいと言うか」
考えてみればまともに潮以外の人と会話をしたのはこれが初めて
勿論潮と一緒にいる時間が欲しいと言う下心があってここを選んだのはある
しかしあくまで目的は一般的な普通とは何かを学ぶため
その為にもここで誤った解答をして彼女の信用を下げるわけにはいかない。
「……」
しかし彼女の眼は私を明らかに怪しんでいる
この状況からどう挽回すればいいものか
いやそもそも何故そんなに私を訝しむのか
すると突然更衣室の扉が開いた
「えッ」
彼女が後ろに倒れる
そしてそれを抱き止める見覚えのある顔が現れる
「おッ奈月ちゃんすまねぇ」
「り、龍太郎さん」
彼に抱き止められた体勢から素早く立ち直りつつ向き直る
自分の身体を抱きながら彼を見つめる、その視線は明らかに熱を帯びていた。
「り、龍太郎さん……早いね」
「おう、前のバイトが早上がりでな今日は……いつも、より」
「龍太郎さん??」
彼が固まる
視線は奈月さんの頭を越えこちらを見ている
私も彼の顔を見てから固まっていた
しかしそれも数瞬の事
「うおぉぉ!!? あん時の化物女!?」
「ッ誰が化物だ!! この諸悪の根元!!」
「だから何の話だ!!」etc
スイッチが入ったかのように奈月さんを挟み言い合う二人
「ちょッはぶゥ!?」
彼女を厚い胸板が圧しその衝撃を全て柔らかく大きい胸が受け止めつつ跳ね返す
その中心で彼女の頭蓋は圧力限界を間近に控え
呼吸困難は脳に走馬灯を見る用意を促す。
「ッッッ……」
そして彼女の意識が大空へ羽ばたこうとした時
「ッやっぱりィ!?」
潮が扉を開け入ってくる
現状を見るや困惑したのも一瞬の事、即時に状況を理解し行動を開始する
谷末書店とロゴが入ったエプロンのポケットから
壁に飾る用の最新のチラシ数枚を取りだしつつ力強く丸め
飛び上がりながらそれを二人の頭頂に高速で振り下ろした
「ごッ」「あブッ」
小気味良い破裂音と共に汚い断末魔が一瞬響く
潮は着地をしながら、何か達人の様な身のこなしで
丸めたチラシをエプロンのポケットに戻す。
「未夏さん!! 龍さん!!! 何やってるんですか!?」
「「ォォォツ」」
潮が放った言葉は至極当然
しかしその前に放った一撃が二人の思考回路を寸断し返事を妨げていた
「ゥう」
そして2人から解放された奈月ちゃんがヘロヘロと地面にへたり込む
僕は現状を再確認し
「はぁ……」
軽くため息をついた。
「はい、二人とも謝って」
「「スミマセンデシター」」
「ちゃんと!!!」
「「……ごめんなさい」」
「……いぇ、良いですよ」
ひとまず龍さんに奈月ちゃんの介抱を任せ
未夏さん[イグニカ]と共に店内に戻り一通りの仕事を教え休憩に入る
店は今店長に任せている
何かあればすぐに龍さんか僕が行ける状態なので問題もない
そして今は仲直りの為と目覚めた奈月ちゃんへの謝罪中だ
「まず二人が知り合いなのに驚きましたよ」
「つい最近の話だがな」
「えぇ、こんな所で会うとは驚きでした」
冷たい空気が2人の間を流れる
明らかに温度差のある冷風だが
龍さんが僕の方を向きため息をつく
まるで、お前も苦労するなぁとでも言いたげな顔で
その龍さんに威嚇するような視線を向け続けるイグニカ
時計をチラと見る
時間は7時半過ぎを示していた上がりまで後2時間を切っている
イグニカのアルバイト初日
出来ればこれ以上何事もなく終わります様に
後2人の仲がこれ以上険悪になりませんようにと心の中で祈りを捧げる。
すると休憩室の扉が開いた
現れたのは店長だ、入るや部屋を見渡し視線を泳がせる
「あ、潮くん」
「え? はい」
お求めの相手は僕だったようだ
「君にお客さんだよ」
「僕にですか?」
「うん」
部屋の空気が一瞬ざわつく
「大丈夫だよいつもの子達ではないさ、別の人だね
女性の方だったよ」
いつもの彼奴等以外でしかも女性のお客さん
〈駄目だ……心当たりがない、一体誰だろう?〉
「……分かりました]
「お願いね、あっ龍くんごめん助けて」
「了解っす」
「奈月、大丈夫か?」
「うん! 大丈夫、私も行く」
「分かった、無理はしないでくれよ」
「分かってるよ」
「林さんは休憩してていいからね」
「え、あ……はい」
イグニカが僕を見る僕もそれに応える
そして僕の意図を察したのか、軽く頷く
各々の行動が決まり動き出す
奈月ちゃんと龍さんは店長と共に店内へ戻る
それを確認し僕はイグニカの方へ行く
「じゃあ行こイグニカ」
「でも、良いんでしょうか?」
「大丈夫だと思うよ、皆店内に戻ったし
誰か戻ってきてもトイレに行ってましたとか言えば」
「そういう方法もあるんですね、覚えておきます」
「いつでも使える訳じゃないけどね」
生きていくための処世術ウソ編を教え終わり
僕らはこっそりと休憩室を出て裏口へ向かう
しかし一瞬店内の裏の倉庫を通らねばならないため
そこに誰か来たらアウトな訳だが
今回は上手く行き裏口から外へ出ることに成功した。




