疑問と僕
「ちょっと、面貸してくれねぇか」
「え?」
「すぐ済む、5分程度だ……2限の開始には十分間に合う筈だ」
「はい……」
「こっちだ」
そう言うと彼は廊下へと歩き出す
その後ろを僕は少し足取り重めに付いていく
教室内の空気が張り詰めている
幾人かはこちらを心配そうに見つめ、その中にはてつも含まれている。
いつもの彼なら
この人に声をかけ事態の収拾を行いそうなものだが
彼の醸し出す雰囲気に呑まれたか
硬直して動き出す事が出来ないでいると感じさせる面持ちをしている。
教室の扉をくぐり僕らが廊下に出て少しした所で
緊張が解けたか中から声が聞こえてきた。
「……」
「……」
無言のまま僕は彼の後ろを歩く
そんな僕の左側にぴったりとイグニカの存在を感じる
体感だが臨戦態勢に入っている気がする
だがそのお陰かギリギリ平常心を保っていられた
そうでなければビビって粗相をしてしまいそうだ。
そんな空気を保ったまま
彼に付いていき校舎2階の左奥の扉を抜け
非常階段の踊り場に出た。
そして
「すまん!!!!」
突然土下座された
〈……ぇえええええ!?〉
一瞬何が起きたのか分からず
声に出すよりも早く心の中でリアクションを取る。
「金森!! すまん、俺の舎弟が迷惑をかけた本当にすまん!!」
更に彼は額を床に擦り付けながら謝る
〈なななにがどうしてこうなっテルゥ??!〉
〈ぉ、おおお落ち着いてください! 潮〉
妙なテンションのまま心の中で慌てる僕に
声をかけてきたイグニカもまた慌てていた
未だこの現状に心が追い付かない中
少しずつでも平常心を取り戻すため深呼吸し気を落ち着ける
その間もずっと土下座を続ける彼
〈確かせのじま……さんって言われてたな〉
名前を思い出しひとまず声をかけてみることにした
「その、せのじまさん?」
「……なんだ?」
僕の声に反応し瀬野嶋さんが顔を上げる
額が擦りきれ血が少し出ていた。
「……」
「?」
僕は黙って制服のポケットからハンカチを取り出した
「これ使ってください、血出てますよ」
「ん? あ」
僕の言葉を聞き自身の顔に触れ手に付いた血を見て
「ん、この程度なら問題ない」
「使ってください」
僕はハンカチを前へずいッと出した
瀬野嶋さんが僕を見る
僕も目を反らさずに見返す
「先ずは拭いてから詳しく話を聞かせてください」
「……」
ハンカチと僕を交互に見て
そして口を開いた
「わかった、ありがとう後日新品を買って返す」
「大丈夫なので、気にせず使ってください」
「……わかった」
立ち上がりハンカチを受け取ってくれる
そして額を拭きながら非常階段に腰掛ける僕も次いで腰掛けて
先程の突然の土下座の理由を話始めた。
〈2限には間に合わない気がするな……〉
話の内容は入学してからの僕へのいじめについてだった
何でも瀬野嶋さんの知り合いの恋[れん]さんと言う方から
僕があいつ等から標的にされていることを聞き
その事であいつ等をシメる前に
僕への謝罪と今後いじめをさせないと確約する為にきたのだと言う。
「……」
正直最初は嘘ではないかと思ったが
この人の正直な姿勢が嘘とは思えなかったので信じる事にし
イグニカもそれに同意した。
そして疑問が出た
〈何でこんな人が不良のトップなんでしょう?〉
その通りだ
どう見ても悪い人には思えない寧ろ善人だ……見た目で台無しになっている感は否めないが
「あの」
「なんだ? 金森」
「瀬野嶋さんは、その何で不良のトップをしてるんですか?」
「あぁその事か、実はおれ自身トップのつもりなんて更々ないんだよ」
「??」
「ただイキって向かってきた奴等をボコってたら、いつの間にか不良の頭扱いされていてな」
「……」
〈そりゃそうなるよ!!〉
良い人なんだろうけどやっぱり恐いなこの人
自己防衛してたらトップになったって何かドラマみたいだ。
〈……ぉ、潮〉
〈ん?〉
イグニカが話し掛けてきた
〈どうしたのイグニカ?〉
〈そろそろ15分です、授業が始まるのではないですか?〉
そう言われ携帯を見る
時間は10時29分、2限が始まる1分前だ
「あ」
「ん? お!? すまん金森!! こんなに長く拘束しちまって!!」
瀬野嶋さんも僕の携帯を覗き込み時間に気づき謝罪する
「大丈夫です! 走れば間に合います」
「そうだな、よし! 急ごう!!」
そう言って立ち上がり扉を開け校内に戻り走り出す。
急いで移動し1-2の教室前に着いた
まだチャイムは鳴っておらずギリギリ間に合ったようだ
「すまん、金森」
「もぅッ……謝りすぎですよ」
走っている最中もずっと瀬野嶋さんは謝り続けていた
真面目なのは良いことだけど度が過ぎる
流石にずっと謝られ続けて疲れてしまった。
「わかった、すまん……ひとまずあれだ今後なんかあったら俺を頼れいつでも力になる」
「はい、ありがとうございます」
「ん、それじゃあな」
そう言って瀬野嶋さんはダッシュで消えていった
それを見送った後に
〈くそ真面目な奴でしたね〉
「だね」
イグニカと僕は同じ感想を抱いていた
〈でもこれでいじめられる心配はなさそうですね〉
「うん」
瀬野嶋さんが言った通りの事をしてくれればだけど
あの人は嘘をつくタイプではないと思うので大丈夫だろう
「……」
チラリと左側を、イグニカの方をみる
勿論透明なので見えはしないのだが
イグニカが来てから僕の周囲の環境は劇的に変わった
その大半が良い事だらけで少し申し訳無いくらいに
〈?〉
イグニカが首を傾げてこっちを見た……気がする
〈どうかしましたか? 潮〉
当たっていた様だ
「ん、何でもない」
〈?〉
ニッと口角を上げ
教室の扉に手をかける
「いこッ」
〈?……はい〉
扉を開け教室に入る
授業はまだ始まっていなかった、悪い子にならなくて済んだ様だ
しかしそんな落ち着きもつかの間
てつがまたも質問攻めをしてきた
他の皆も同様に僕に集まって質問してきた
その中にはあいつ等の顔もあった
それが何か面白くてつい笑ってしまった。
5分程して国語担当の柴[しば]先生
別名 眠りの翁[おきな]と呼ばれている……らしい、おじいちゃんの先生が教室へ入ってきた。
しかし先生の到着に皆の興味はなく
質問攻めと大丈夫だったか問答は10分程続いた。
「でぁるから……そぅ、……ぁあ、そう言えば……」
「……」」」
「ぐぅ……」」」etc
授業が開始され早々に柴先生の妙に眠気を誘う
ゆっくりとした口調と絶妙な間のコラボレーションの結果か教室の大半は皆夢の世界に旅立っていた
これは柴先生の技巧か若しくは特殊能力なのではないかと思える程だ。
そんな謎の眠気に耐えながら授業を受ける
その中で僕は比較的普通に黒板の文字をノートに書き写していく
瀬野嶋さんの事や皆の質問攻めの後だからなのかも知れないけれど
お陰で睡魔に負けずに授業を受けていられる。
そんな中でふと湧いた疑問について
その疑問の当人であるイグニカに聞いてみた
〈イグニカ〉
〈はい〉
板書を写しながらイグニカを呼んでみる
間を置かずに返事が返ってくる
〈イグニカはさ、今までの記憶がないんだよね?
でも色々な事を知っていたりするよね? あれは何でなの〉
そう、よくよく考えてみれば
イグニカは僕と会うまでの記憶がないと言っていた
しかし実際には僕と生活をする上で
炊事洗濯掃除の事は難なくこなしているし
服の事やお金の知識なども持っていた
そんな僕の疑問にイグニカは答えを返す
〈あぁそれはですね、私の力で知識を常に情報体として収集しているんです〉
〈……えっ……とぉ?〉
予想外の答えが返ってきた
その答えに頭のなかで疑問符が湧いて出る。
〈そうですね、分かりやすく言うと勝手に知識が増えていくんです〉
〈何だそれ!? ずっこい!!!〉
〈そうですね、ずっこいです♪〉
何て羨ましい力なんだ
つまり勉強しなくても勝手に頭がよくなるって事だ
僕にとっては喉から手が出るほど欲しい力だ
〈……〉
しかし、やはり不思議だ
何故イグニカにはそんな力があるのだろう
〈すみません、それに関しては……〉
僕の沈黙と新たな疑問に
イグニカは申し訳ない感情と言葉で僕に返事を返す
その言葉に僕はやってしまったと思いながら
空気を切り替えたくて明るい口調で返した。
〈大丈夫だよ、少し気になっただけだから〉
〈私も気にはなるんですが、だからと言って調べようがないですし……〉
僕の言葉にイグニカも少し調子を取り戻して答える
そこで僕はもう少し空気を明るくしたくて更に続けた。
〈もしかしてイグニカって、古代人が作ったスーパー古代人だったりとかするのかな?〉
自分で言っておきながら何を言っているのだろうと呆れる程にくだらない事を言ってしまった。
〈名前がバカっぽいので却下します〉
そんな僕の心を更に抉るように
冷めた声音で厳しい答えを返され僕は少し凹んだ。
そんな身にもならないくだらない話をしながら
僕らは徐々にまた心の中で笑い合う
皆が微睡む教室の中で
僕らだけが聴こえない笑い声を上げていた。