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鉄の三女

作者: RedSun366

beginning

思えば僕は、運命に踊らされ続けてきたのかもしれない。

現実改変者のガキの悪ふざけ+英雄症候群の結果、僕の故郷はマモノの巣窟に成り果て僕の両親は死に、当然僕が淡い恋心を抱いていた近所のおねーさんも死んだ。

唯一の生き残りとなった僕は孤児院で細々と暮らしていたが、騎士団の適性試験でとある術式にバッチリ適合してしまったのが運の尽き。使いどころに困る魔術式を埋め込まれ、挙句人間関係デコボコの五人組で旅する羽目に。各地を回ってはマモノを討伐し、厄介事を引き受け、あてもなく彷徨う日々。

…そんな散々な日々の中でも、彼女に出会えた事は幸福だった。幸運ではなかったけれど、それは確実に幸福だった。このまま彼女と添い遂げられれば、と何度思った事か。…想いも伝えていなかったくせに。

そんな生半可な僕は、またも生き残った。マモノの大群に馬鹿みたいに突っ込んだ結果、僕だけが運悪く生き残った。―――こんなんばっかりか、僕は。

何故あの時、増援を待てなかったのか?…増援を待つ暇などなかった。

何故あの時、僕らは魔術を上手く使えなかったのか?…想像外のマモノの量に、瘴気が濃すぎたのだ。

何故あの時、僕は彼女の魂だけを槍に封じ込めた?…彼女以外は助けるつもりは無かった。

…憎い。

憎悪。

復讐心。

きっとアレも、現実改変者の仕業に違いない。

現実改変者の事情は知らないが、きっとこの次元に転生させられた事に何の疑問も抱かず、よく分からない上位存在から与えられたよく分からない全能の力を何の疑問も抱かずに振るっているだけの、ゴミなんだろう。そいつらは言い訳のように口にする。

「これは運命なんだ」

「████によって与えられた、逆転のチャンスだ」

「あの時のような失敗なんて、二度としない」

―――馬鹿馬鹿しい。というか、愚かしい。前世とやらでお前が死んだのは、ただのお前のミスだ。それこそ、お前たちの詭弁である運命とやらだろう。事故で死んだか、悔恨のまま死んだか、敗北のまま裏切られ死んだか。

そのまま負け犬のまま死ねよ。

人間、やり直しが利くのなら堕落する一方だろう。

やり直したいと思ってもやり直せないから、人間は成長するのだ。それを、やつらはぬけぬけと軽々と“やり直して”見せる。その結果生まれたのが、精神性はガキのままでやる事なす事最強万能。故に堕落する。個人的な恨みつらみを抜きにして僕が思うのは、要するに。

「成長しない生命に、学習しない生命に何の意味がある?」

「やり直しの利く人生など人生ではなく、それに踊らされる人間は人間ではない」

能力値でマウントを取って他者を見下している時点で、それも自ら研鑽した実力ではなく与えられた借り物のステータスで自身を誇っている時点で、まともな精神性ではない。ありていに言ってクズだろう。ステータス99999999がそれ程強いのか。それ以上成長しない打ち止めのステータスを誇られたところで、「自分には成長性が無い価値の無い生物だ」と自慢されているようにしか聞こえない。それに、八桁ステータスだろうとも、現地住民代表の平均ステータス四桁くらいの僕に易々と殺されてる時点で説得力が無い。

証拠にね?

全ダメージを無効化する鎧と兜を身に着けた勇者もどきは、僕が放ったたった一本の矢で眼球を射抜かれ心臓を穿たれ、ハリネズミのようになって死んだ。

どんな夢物語のような人物も、現実には勝てやしない。現実を紡いで作った矢じりは【異物】の存在を決して許さない。鎧は現実に存在するが、あらゆる攻撃を無効化する鎧なんて存在しない。兜も同様。要するに“ありえない”のだ。無敵の鎧は現実に塗り潰される事により、“無敵の”が抜け落ちた、防御力なんて欠片もないガワだけが残る。


アイツらが存在するだけで世界が歪む。

そいつらがいるだけで運命が変わってしまう。

すなわち過去改変、現実改変、未来改変。

別次元からの異物が混入しただけで、アカシックレコードはグチャグチャのベチャベチャ、物語としての形式を保てなくなる。…それは憂慮すべき事象だ。―――それは、僕の復讐心を満たす都合の良い口実だ。そんな異常を現実で塗り潰す。心地の良い体験だ。

だが、一方で思う。

僕が作り出した“対現実改変者兵器”の数々。太陽の聖剣を溶かして作った機械斧、原生の神の叡智を譲り受けて造った銃器、僕の“使命”の代行者として生み出した現実離れした娘四人、そして、僕が今行っている死者蘇生の研究。

これらも全て、“異常”ではないのか?現実を紡いで作った矢じりでそれらを突いてみたら、果たしてどうなってしまうのか?散々今まで恨んできた現実改変者と僕が同類だったら?醜く滑稽な復讐対象と自分がお仲間だったら?

手元には一本の矢じり。最低でも一つだけは残しておいて、自分の衣服のポケットに入れておくことにしている。何故かと問われれば、自分でも分からない。自分がゴミと同類であると分かった時、迅速に自死できるようにするためか。それとも護身用なのか。レシピを紛失した際に複製魔術で在庫を誤魔化す為か。

…。

矢じりを手のひらの上で転がす。ガラス細工と見紛う程の透明度だ。これはいわば現実の結晶。この矢じりの先端が【異物】に触れた瞬間、対象は現実で塗り潰され、下手すれば消滅する。…現実を凝縮し紡いだだけでこんなに綺麗になるのだ、現実は、この世はさぞ美しいに違いない。美しいに違いないのだ。…その美しい現実の中に、果たして僕は本当に存在するのか。

……これを自分に突き立てる勇気は、未だ無い。

冥界の主曰く、僕の存在はきちんとアカシックレコードに記されており、元々記されてない“透明人間”な現実改変者達とは違うらしい。…だが、確信が持てない。確証が無い。

自分が【現実改変者はアカシックレコードに記されない】という現実を創造していたらどうするんだ。そして、自身を例外処理していたら、どうするのだ。

自分が信じられなくなりかけると、決まって彼女が現れる。今は槍に魂を封じられた、愛おしい彼女。…脳裏に浮かぶ過去の記憶の上映会のようなものだが。そしてその度、彼女に会いたいと強く思う。

そういう事なら迷ってなんかいられない。早く死者蘇生の糸口をつかまねば。

幸い、人体の製造には成功している。魂の製造にも。派生研究として、製造した人体に概念を付与する事で人体を強化する術も確立した。あとは、魂を肉体に植え付ける為の“ナニカ”。

造った肉体に最初から宿っている魂ではなく、完全に他の、他人の魂の移植となると…。

―――ペンを握り、紙を前に。再び思考を巡らす。

そうしているうちにぼんやりと思う。

これまで運命に踊らされ続けてきた僕だ。

運命をだまくらかして、思うがままに蹂躙してもいいだろう?

娘達に運命を犯させよう。

異世界からの来訪者を殺し尽くそう。

彼女を世界から取り返そう。

また、忘れてしまった。

こういう時は備忘録を見るに限る。この手帳のインクの染みだけが、私の全てなのだから。

“イライ、キョリュウトウバツ”“マチナカノ、カイゲンショウ”“ツキアカリノナイヨル”“ヒロイトコロ”

どうやら私は、どこぞの依頼を請け負ったようだ。キョリュウ、とあるにはやはりビッグサイズのドラゴンなのだろう。だが、夜に、月明かりの無い夜に、街中に現れるというのは…。

「どこかの都市伝説か、あるいは―――」

私の獲物、か。私の獲物であれば都合がいい。二重に私が利益を得られる。私の獲物でなくとも、巨竜相手に依頼人が報酬を出し惜しむ筈もなし。忘れる前の私は、随分と聡明な判断をしたものだ。

周囲を見回す。昼間であれば人々の憩いの場となっているであろう広場。空を見ると月は無い。雲に隠れ、月明かりの殆どを遮っている。人影は無し。完全に、私だけ。


突如、地響き。振り向くと、夜目で朧気だがよく見える。

見上げる程に大きな竜が、そこにいた。

丸太のように太い四肢。太陽すら包み隠せてしまいそうな巨大な翼、屈強な筋肉で構成された胴に、しなやかな皮に鎧の様な硬さを思わせる鱗が大量に張り付いている。尾は鞭のようにしなり、頭には堂々とした巨大な角が一対。そして両の目は暗中であろうとも爛々と輝き、私を見つめている。

「弱点を自ら晒してくれるとは。右目を開く手間が省けた―――No.1,2装備、装填」

両手に拳銃が自動的に握られる。こうして口に出せばいつでも倉庫から自動的に武器が転送されるのは便利だが、わざわざ口に出さなければならないのが億劫だ。弾丸の装填も済んでいる。無論、弾丸は己の魔力。…こういう事だけは忘れないのだから不思議なものだ。

「code.rapid、code.energy、code.hitting、convert.MP、不動の誓い発動、code.stun、装填」

覚えている限りの強化魔術をかける。

両腕の拳銃の照準を敵の両目へと合わせる。準備は整った。そのまま引き金を引く。

タァンと一発。竜の目に着弾した麻痺弾は効果を表し…ているのか分からない。なにぶん敵は巨大だ。動きが鈍重で麻痺しているのか否かが判断しづらい。それに。

両方の拳銃の引き金を、連続して引き続けるのだ。code.rapidとcode.energyの重ね掛けによって二倍の濃度の魔力弾が一度銃の引き金を引く度に三発ずつ発射される。そんな設定の拳銃の引き金を引き続ける。過剰な程の暴力そのものが波のように、しかし駄目押しのcode.hittingによって指向性を持って全弾竜の眼球へと飛んでいくのだから。当然急所への攻撃に竜は怯む。今思えば一発目の麻痺弾の装填は余計だったかもしれない。二倍の濃度で常時の三倍の発砲量に魔力切れを懸念するも、convert.MPによってスタミナを魔力に変換して賄っているのを忘れていた。竜の反撃も考慮して、移動しない限り“二回まで”攻撃を無力化する不動の誓いも発動させておいた。…が、それは杞憂に終わったようだった。

射撃を受けた箇所から、見る見るうちにボロボロと竜の体が崩壊していく。これだけの高威力連射を受ければ是非もないと言いたいところであるが、そのボロボロと崩壊し落ちていく肉片のようなものから大量の小動物のようなものが湧き出して羽ばたきだす。月明かりがほとんどない夜の事だからいまいち把握が難しいが、どうやら竜の正体は虫だか小動物だかの小さな生物の集合体であったようだ。しかしそうなると排除が難しくなる。小動物の集合体が竜であったという事は、依頼内容に忠実に動くならば分離した小動物全てを排除する必要がある。…少なくとも、現在の兵装では面倒だろう。

私は溜息を吐く。引き金を引くのを止め、握っていた両手の銃を手放す。そして、口にする。

「No.9装備、充填」

九番の兵装を呼び出し、装備する。ずっしりと、それこそ両腕を添え肩で担がなければまともに構えられない程の重量のソレを、構える。

「code.longrange、code.power」

射程を伸ばし、火力を増した。これで準備は万端だ。やはり小さな相手にはこれに限る。

目の前の敵を殲滅すべく、私は火炎放射器の引き金を引いた。


また、忘れてしまった。

こういう時は備忘録を覗くに限る。

“イライ、キョリュウトウバツ”“マチナカノ、カイゲンショウ”“ツキアカリノナイヨル”“ヒロイトコロ”“トウバツカンリョウ”“ショウドウブツノシュウゴウタイ”“サンプルカクホ”“ズボンノポケット”

ズボンのポケット。…書かれた内容の通りに、ズボンのポケットを漁る。…確かに透明なフィルムの袋によく分からない生物が入っていた。…自分では作成できず、現在の技術力では生産できない代物であるため無駄遣いは出来ないものの、こういう時の使用は致し方あるまい。この時代に石油の加工技術なぞ、望む方が馬鹿らしい。…サンプルは黒焦げな上に夜目であるためいまいち見辛いが、見たところコウモリの一種であるようだ。

「…手の平サイズは小動物と言えるのだろうか」

まぁ、些細な事だ。ともかく、これを明日、あるいは今日の朝に依頼人に提示して信頼を勝ち取れば依頼は終了だ。莫大な報酬が期待できる。

最後に、周囲を見回す。せっかく今の今まで隠密行動で通してきたのに、ここまで来て目撃者がいてはたまらない。具体的に言えば専売特許と独占の権利が揺るがされる。隠していた右目も開き、気配察知を試みる。

…。

少なくとも半径50メートル程の空間にヒトはいないようだ。…まぁこんな夜だ。是非もない。

私は安心して、帰路に就く。

…はて?

「私の家、どこだったっけ」






「以上が、事の顛末。どうしてこの数のコウモリが広場に集まるのかは別料金だ」

「あ、ああ。分かった。報酬はこれだけだろう?」

「拝見する。……………過不足無く。ではなギルドマスター。こういう割のいい仕事はどんどん回してくれ」

依頼を報告し終え、私はギルドの寄り合い所を出る。これだけの報酬があれば、しばらくは必至こいて依頼書を探さずともいいだろう。さて、では何をしようか。…否、何をするべきなのだったか。

こういう時は備忘録を見るに限る。…白紙だった。

焦る事は無い。二冊目を見る。二冊目はほぼ日記帳のようなもので、日々の記憶の中でも特に重要な物事が書かれている。…さて。

“ゲンジツカイヘンシャヲコロセ”

…またこの一文か。日記帳、特に重要な記憶を書き留めたといえども、そもそも私に特記事項などあってないようなもの。私に課せられた使命は、本来この一つのみ。創造主、もしくはミュールが言うところの“お父様”の第二目標である現実改変者の絶滅こそが存在理由。その為に造られたのだから。

……母上の蘇生法が全く見つからず、現実改変者の殺戮に割く時間すら無いと割り切った父上は、私を含め四人の尖兵を生み出した。“最強の盾”ミュール、“最強の矛”フォルテ、父上の“愛”が混ぜられた結果見上げる程巨大になり谷底にしか居場所のない哀れな末娘ことノーム。そして、“鉄”の属性と“記憶”の要素を混ぜて造られた私。名をフェル。私達四人に与えられた命令は二つ。

人間らしく在れ。

現実改変者を殺せ。

その他は何も命じられていない。故に、上の命題二つを守る以外は全員割といいかげんに過ごしている。私も同じく…と言いたいところだが、少なくとも私以外と比べれば私は命題に忠実だ。なにせ記憶がもたない、思い出が存在しない、故に自由が分からない。人らしく在れ、の命題に背いている感は満載だが、少なくとも今の私が人型をしているだけで達成されているはずだ。そう思うようにしている。そもそも、人間なぞ記憶があるからこそ人らしく在れるのだ。人間を構成しているのは記憶が九割だろう。

例えば。

人間は他人と言葉を交わす。普通、その会話の結果の良し悪しによってその他人と親交を深め友人となったり、嫌って敵になったりする。それらの判断には少なくとも数日の時間を要すだろう。だが、私の場合はどうだ。記憶が無い、経験が積めない、故に友も敵もない。言葉を交わしたところで、会話の結果も内容も覚えていない。好く事も嫌う事もない。何と空虚な生命体なのだろう。

「さて、探すか」

思考を切り替える。自分自身の境遇を嘆くでも無し、特に何も思わないのであればその思考は無駄そのものだ。

「おい、そこのバケモノ」

噴水の広場でぼんやりするのも程々に、立ち上がって歩き出した瞬間、聞き覚えの無い声に引き留められる。声の方を向くと見知らぬ男が立っていた。

「オマエ、そんな体で人間に成りすましてるつもりか!?そんなひび割れだらけの体で!」

…この男はどうして私の事をバケモノと呼ぶのだろう。まぁ確かにひび割れだらけなのは否定しないが、少なくとも五体は満足であるつもりだ。

「お前の周りの人たちは騙されているようだが…オレの目は騙せないぞ」

いやそんな事を言われても。騙すも何も、私の存在は聖人協会を通してこの地域一帯に広まっているはずだ。その情報を知ってか知らずか、日々通行人たちは私の事を可哀想なものを見るような目で見てくるがまぁそれはともかく。少なくとも、私にバケモノ、おそらくマモノの要素は無いはずだが。…なんてしらばっくれはここまでにしておこう。…こんな時に限って通行人はいないのだから、都合がいいのかあるいは。

バケモノなどと罵られてしまったが、種を明かせば簡単な事。実は私はちょっとした自己改造で、自分の属性を人から魔に変えているのだ。そして、この偽装行為はあえて覗こうとしない限り露呈する事は無い。さらに、“この現実”において力を得るためにマモノの力を借りる、使うといった行為は割と普及しているのだ。

故に、こんな世界観的に極普通な事に対してオーバーアクションを取るような奴は。

「世界が平和になったと思ったら、今度は人間に擬態するバケモノかよ…。だが、オマエの目論見もそこまでだ。俺の武器はバケモノに対して多大な殺傷能力を発揮する!カミサマからもらったこの能力で、お前は…」

やけにハキハキと良い活舌で私に向かって言っているようだ。だがまぁ、気にする事でもない。敵に突っかかられることはいつもの事だ。

「一つ、良い事を教えてやろう。アンタが元居た世界ではどうだか知らないが、此処ではバケモノ全般をマモノと呼ぶんだ」

私は敵対者を改めて確認する。時代錯誤な鎧姿、阿呆みたいな髪型、自分の能力を大声でベラベラ吐く自己顕示欲。…私の獲物である確率は九割、といったところか。

右目を覆う布を外す。明順応が済んでいないためか右目が眩しく感じる。眩しく感じつつも、何とか突っかかってきたヤツを視界にとらえる。そして、解析を開始する。…父上譲りの観察眼だ。ランクはA~Bランクだが、その分応用が利くようになっている。父上の無駄に多機能で無駄に高燃費なEX観察眼とは大違い。

「解析開始。構造組成、魔力、能力照合、共に異常値。眼前の人型を現実改変者と認定する。…武器を出すのも面倒だ」

こんなオブザーバーの真似事も可能だ。そして、わざわざ銃やら剣やらを持つのも億劫になっていた。―――こんなに天気がいい日に、武器なんか握りたくないだろう?

「何をブツブツと…さっさと正体を現せ!」

解析の結果、この男は現実改変者だ。このように意気軒昂かつ向こう見ず、猪突猛進なタイプは“転生”されてから数日しか経っていない者によく見られるパターンだ。おおむね、目が覚めて自分のスキルを確認して“与えられた違法性”に高揚して宿を飛び出した手合いだろう。

私は天を仰ぎ見る。…良い空だ。青空が広がり、雲一つない。太陽がさんさんと照っている。天を仰ぎながら、太陽を視界に入れ続けながら、ゴミと言葉を交わす。

「正体も何も、これが私の正体だ。ひび割れだらけの女体人形、メッキの剥がれた鉄人形…アンタの世界ではどうだった?私の様な存在でなくとも、人形くらいはあっただろう?大方、石油製の性玩具だっただろうが。それとも肉人形?娼館っていう名前の専門店があったはずだが」

「ハッ、バケモノ相手に言う台詞は無いね!さっさとこの剣で、死ねェ!」

右目は太陽に向けたまま、天を仰ぎ見るまま、自由な左目で対象を見やる。馬鹿みたいに剣を振りかぶって、ウオオオォォォとか叫びながらこちらに向かって突っ込んでくる。…距離が割と近い。このままでは、私はその剣に斬られるか貫かれてしまうだろう。

そのままブンと、対象は剣を私に向かって振り下ろした。

私はつい身構えてしまう。

「…は?」

男が振り下ろしたその剣。豪華な装飾が施された、どう見ても戦闘用に見えない実用性皆無な外見のその剣。振り下ろされたその剣は、脆くポッキリと折れていた。

「とある世界のとあるニンゲンが、何らかの要因によって別の世界に飛ばされる事がある。別の世界からやってきた知性体が、何らかの形で何者かの力によって再び別の世界に転送される事案がある。そうして転移したニンゲンの九割に、極めて現実的ではない“能力”が備わっている事が分かった。…しかし、その運命は本来存在しないモノだ。そのニンゲンは本来存在しないものだ。そして、その筋書きは番狂わせだ。意図しない知性体の介入は、そのまま運命の捻じ曲げ、未来改変に通ずる。それは看過できぬことだ。―――故に、お前の様な存在は一切合切殺さねばならない」

「な、なんだよお前の体。鎧!?甲殻か!?何のスキルだ!?」

「生憎と、私の体は鉄製でね。錆鉄とはいえ、アンタの御都合主義な生っちょろい人生よりは堅牢なつもりだが?」

少しでも敵を煽る。隙あらば敵を挑発する。…挑発の経験が少ないから、上手く挑発できているのか不安だ。だが、上を向いたまま喋っているのだから考えようによっては最大級の挑発に該当するのかもしれない。…もうちょっと時間が欲しい。あと十秒くらい。

「バーカ、自分で弱点を晒すとか!お前が鉄なら、この剣に火属性を付与して―――」

折れた剣で何をするつもりなのだろうか。だが、もう遅い。こちらはそろそろ頃合いだ。

暑い。熱い。

「忠告だが、自分の敵が自分より強大である可能性を考えておいた方が良い。―――そんなノリでよく世界を救えたものだな、“三周目”」

私は顔を敵の方に向け、“燃えるように熱い”右目で対象を捉える。

「アアアアアアアアアアアアアア!!腕、ウデ、オレの腕があぁぁ!!!」

狙いが逸れた。剣を持っていた方の腕が千切れ落ちた。

焼け落ちた。

「何だオマエ、何だオマエ、目からビームとかァァァァァァ!!!」

「金属光沢による太陽光線の反射と収束、魔力による太陽光貯蔵とベクトル操作兼放出。父上が言うにはアイアンズアイ・レイ。全く、父上のネーミングセンスには溜息が漏れる」

悲鳴を上げ恐怖で顔を歪ませる対象をよそに、私は対象の脚へと“視線”を向ける。

「ガアアアアアアアアアアア!!!アチィ、アチィ!」

悲鳴。痛々しいとも感じない。次はもう一本の方の腕へ。

悲鳴。悲鳴の連続。

右目の視線を動かし敵の腕やら足やらを見るだけで、あっという間に四肢欠損マンの完成だ。実に無様。さっきまで強さを誇っていた人間が、こんなに無様に失墜できるなんて。

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、オレはこんな目にあうために転生させてもらったわけじゃ」

無様に叫ぶ。敗北者が悔やむ。手も足も出ない違法存在が喚く。

「魔力による抑制解除、最大出力。人生から逃げた敗北者に慈悲は無い。元はと言えば人らしい生を全力で生きずに死んだお前の責任だ。焼け死ね」

最後に、対象の顔を“観る”。

―――その顔は、現実逃避と自己承認欲求自己顕示欲がない交ぜに、優越感に浸る事しか考えていないような醜悪な美貌だった。




また、忘れてしまった。

こういう時は備忘録を覗くに限る。

“ゲンジツカイヘンシャイッタイサクジョ”

…成程。どうりで右目が熱い筈だ。…だが、どうして私は此処にいる。

ここは、たしか、【瘴気の谷】の底。このあたりの植生から判断したが、そもそもこのようなマモノ染みた植物が生育できる環境なぞ、瘴気の谷以外ありえない。そして、此処には―――。

「はーい、おまたせー。【溶けない氷】、これでいい?」

背後から、耳を塞ぎたくなるほどの大声が聞こえてくる。声は穏やかなモノであるはずなのに、特に語気を荒げている気配もないのに、こんなに大音量で発声されては…。だが、仕方がないのかもしれない。他人とロクに関わらず関わろうともせず、そもそも関わる機会もないのだ。

私の様な一般サイズの人型の対応に、彼女は慣れていないのだろう。

振り向けば。

見上げる程に巨大な裸の女が、巨大な氷塊を持って佇んでいた。

その光景を目にし、何故私が谷の底まで落ちてきたのかを理解した。

「そんなには要らないが。…ある程度の大きさまで割ってくれないか」

「いいけど?…えいっ!えいっ!とぉう!」

現在、巨大な氷塊を指で突いて破砕しようと試みている巨大な女の正体は、端的に言ってしまえば私と同じ存在である。父上が“愛”を混ぜて造った四番目の娘。名をノームという。…何故彼女がこんなに巨大になってしまったのかは未だ定かではない。しかし、父上が酒を片手に語るに曰く「どうやら混ぜてしまったのは概念的な“愛”じゃなくて、僕の彼女に対する“愛”を混ぜちゃったんじゃないですかねぇ!」との事。父上が言う彼女とは、私にとっての母上に当たるであろうメルティア・ニュクスの事を指すのだろう。…壮大な妄言というか、狂人の戯言というか。まぁ何はともあれ、そういった事情によりノームは此処までの巨大さを得ているのである。

しかしまぁ、改めて見ると本当に大きい。身がすくむ。何も着てないどころかビーチクコーマンダシマルな状態で特に情欲を抱かないと言えば、彼女の大きさの想像がつくだろうか。…女性の身で女性に欲情するのかという話はこの際関係ないのだ。

などと彼女の巨大さに現を抜かしていると、いつの間にか氷塊には数多のヒビが入っており、後一発で粉砕されるであろう状況であった。そして今、彼女が最後の一発を喰らわせようと手でデコピンの形を作っている。ピン、と衝撃が加えられ、私の目前の氷塊は粉砕され、破片の一つがようやく自分でも扱いやすい大きさになった。…近くに転がってきた板氷程度の大きさの氷片を手に取り、氷に向かって銃を乱雑に撃つ。三発目くらいで氷が更に小さく砕ける。砕けた氷をかき集め布に包む。…非常に雑なものだが、氷袋である。

恐らく忘れる前の私は、アイアンズアイ・レイを使い超高温に熱せられてしまった右目を冷却すべく此処まで来たのだろう。ただ熱いだけならば噴水に頭を突っ込んで強引に冷やしたのだろうが、仮にも人間を鎧の上から焼き切る程の熱線を放ったのだ。そんな熱量を持つ物質を常温の水に浸けてみろ。ロクに温度は下がらない割に噴水の水すべてが蒸発してしまうだろう。故に、谷底の薄暗闇へと降りてきて、自然冷却をしつつ安定して患部を冷却できる溶けない氷を求めたのだろう。

「ありがとうノーム。…溶けない氷なんて代物、濃密な瘴気に侵されて現実を侵食しているここでしか入手できそうにないからな」

「ううん!お姉ちゃんの頼みだもの!」

健気な彼女の返事に涙が出そうだった。見上げる程に巨大な全裸の巨人であっても、私の妹である事に変わりはない。たとえ直接の血の繋がりがあろうとなかろうと、私達四人は比較的仲が良いのだ。…彼女だけ“巨大だから”という単純かつ最大の理由によって谷底に一人で佇んでいるのに、あるいはその影響か、彼女は特に私やフォルテ、ミュールによく懐いている。

「またビーム撃ったの?」

正気を疑うような問いかけだが、恐らく事実なので笑えない。

「まぁ。確か、えぇと、…多分、武器を出すのが面倒だったんだろう」

「駄目だよお姉ちゃん…女の子が目からビーム撃つとか」

「それは父上に言う事じゃないのか?私達のデザインは父上が全面的に監修してるんだから」

超高温の右目を急に冷やす訳にもいかず、もう少し自然冷却に任せる間に、ノームは話しかけてくる。…私に記憶は無い、記憶は一日ともたないと宣ったが、前言撤回だ。身内に関する事についてはやけに記憶が長続きする。まぁ同型機とは話が噛み合わないと効率的な仕事が出来ないという事か、あるいは個人の嗜好で私自身が“覚えておかなければならない事”として無意識下に処理しているのか。何はともあれ、私に友人が出来るとしたらノーム以外にありえない。ノーム以外、すなわち姉上達に関しては嫌いではないが…悩み事やらを気楽に打ち明けられる存在かと言われれば、いまいち該当しないのだ。…姉妹を友人として扱うのかという問題はともかく。

「それにその服…ズボンと腰巻は良いとして、上半身は布一枚だけとか女の子としてどうかと思うよ?おっぱい隠す為だけの布だよねそれ?」

「魔眼を隠す布を忘れているぞ。というか、全裸のアンタには言われたくないな」

「わ、私は着れるお洋服が無いだけだもん!それに、私の体はお姉ちゃんみたいにひび割れだらけじゃないし!っていうかヒビ割れの下の鉄、結構錆びてるんだけど…」

「問題ないさ。鉄は錆びようが錆びまいが防御性に特に変わりない。…腐ってさえなければ」

「そういう問題じゃなくて、全身に茶色の筋が走ってるとか、なんか汚い…」

…一つ困るのは、この女。巨人の癖に妙に女性らしさを理解している点だ。要するに、私の姿にいちいち難癖をつけてくるという点。彼女にとっては私を慮っての言動なのだろうが…。正直、鉄製の人形に女らしさ人間らしさを求められたところで何となるわけで無し。姉上達のようにマトモな人間の形に近いのならばともかく、私は記憶が欠落しがちというか欠落しまくりなのだ。友もオトコも出来ない人間に“そういったもの”を求められたところで…。

「とーにーかーくー!せっかく綺麗なお肌してるのに!ひび割れも直さない!皮膚が裂けても剥がれても関係ない!切るのが面倒撫でつけるのが面倒だからって髪は伸ばさず丸刈り!丸見えの地金が錆びても興味ないじゃお嫁さんになれないよ!!?」

「…私に綺麗とか言うのは、きっとアンタだけだよ。姉上達もギルドの連中も、私を可哀想なモノを見る目で見てくるんだから」

「そりゃあ、そんな体の人は可哀想としか思えないよ…?可愛い顔してるのに、体が痛々しすぎるせいで誰も近付けない…」

まるで見てきたように語るのだ、彼女は。見透かされているよう、とまではいかないものの何というか、彼女に対してはやましい事が出来ないというか。こんな人でなしでも、限定的とはいえ一丁前に他人を思いやる心だけはあるのだから手に負えない。…はて、人でなしはどちらなのやら。私はくすと笑った。

「今からしばらくは戦えないんでしょ?だったら、今のうちにお父さんを呼んで直してもらったら?」

…ノームは私の事をよく理解している。私に時間がある時は決して“暇なとき”ではなく“戦えない時”だ。…現状、右目の冷却が済むまではロクに動けないだろう。そもそも粘膜が超高温に熱せられているうえに、人体構造上眼球の位置が位置だけに下手すれば脳が傷む。故に、アイアンズアイ・レイを放った後はしばらく安静にするのがセオリーだ。

確かに、現状私は動けない。時間はある。…そして、彼女の心配そうな声と顔にやられてしまったというのもある。どうせ直したところですぐにひび割れ錆びるのだろうが、私も弱い。

「…まぁ、外見に気を配るのも人間らしさと言えばそうか。…さて、父上はお暇だろうか」

「多分暇だよあのひと!死者蘇生の研究してるとか確実に暇だよ!」

…創造主、父親相手に随分な言い草だと思う。しかし、正しいのも事実。否定できないのも事実。…傍から見れば、死人に執着している究極のストーカーだ。変態が下手に技術を持つと手に負えないものだなぁと、しみじみ思う。思いながら、父上を空間転移術式を利用して呼び出す。懐に仕舞っておいた移動用の空間転移術式が書かれた紙を少し書き換え、魔力を通す。

瞬間、私の目の前に父上が現れる。椅子に座った状態だったのか、尻餅をついての無様な登場であったが。

…私の記憶にある父上と比べると、随分と髪が伸びたものだ。それに、前は着ていなかった白衣を着るようになり、そして更に痩せている。…彼の生活状況が思い知れる。

呼び出された父上は「あいたたた」とか言いながら立ち上がり、自分の首を揉みながら(首が凝る性なのか、彼の癖だ)もたれて座り込んでいる私に近付いてくる。

そして一言。

「どうすればこんなに傷つくまで放って置けるんですかねぇ…」

傷ついても動けるように設計したのはアンタだろうに、お父様。

「お父さん、お姉ちゃんがこんな状態だから…せめて見てくれだけでも直せない?」

見てくれだけとは失礼な。

父親はノームの言葉を耳にすると、しげしげと目を細めて私の体をジロジロと観察し始める。…そこまで見ずとも一目瞭然だろうに。何分か私の体を視姦した父上はハァーと深い溜息を吐き、やれやれとでも言いたげな口調で語り始める。

「フェル。貴方の体の構造は知っていますね?鉄の体の上から人肌を被せているような状態です、OK?」

「知っているとも。知ってなきゃこんな事にはならない」

人肌を被せる、など父上はさぞ“それ”が柔らかいように言ってのけたが、こんなものは陶器のようなものだ。被せたり包む時には柔らかいが定着し固着すれば硬くなるもの。いわば、皮膚モドキ。柔軟性伸縮性抜群であろうとも、強い衝撃には耐え切れず“割れてしまう”。そうでなければこのようにヒビが入ったり割れたり表皮だけ砕けたりはしない。

「それで、ヒビが入って欠落した箇所は当然、鉄の真皮が露出するようになります。そして露出して外気に触れ続ける脱落箇所は錆び始め、そこから周囲の真皮を徐々に錆び付かせていく。真皮の錆が広がった結果、被さっている人肌は浮きやすくなる。浮きやすくなると割れやすくなる。…確かに頑丈に作ったのは僕です。ですがね?せめて攻撃を避けるとかそういった努力をですね?」

しつこい男だ。頑丈に作ったのであればわざわざ攻撃を避けずともいいじゃないか。自分から作成コンセプトを揺るがすような事は、控えるべきだろう。それに、私がどれだけ外見的に悪くなろうとも誰も気にしない。

「まぁ、自分から…というか、大方ノームからせがまれて呼んだんでしょうが…僕を呼び出して助けを求めたのは良い傾向です。…別に金なんて取りませんから、いつでも、出来れば表皮にヒビが入り次第僕に修復を要請してほしいところですね。僕の娘なんですから遠慮せずに」

くどくどと並べ立て終えた父上は、そのまま私の体へと手を伸ばし、ヒビを指でなぞり始める。…なぞったそばから、表皮が修復されていく。どのような技術を使っているのかは知らないが、悪い気はしない。

そのまま長時間腹やら乳房やら顔やら太ももやらをなぞられ続け、なぞられた分だけ私の見てくれは良くなっていった。…ズボンを脱がなければならなかったのはなんだか納得いかないが、ヒビは接がれ表皮は滑らかなものに変わっていった。

そうしていつしか、只の人間のやうに。

「…ええ。これでようやく人間らしくなりました」

「人間らしく、ねぇ。私達四人を人間らしく作って『人間らしく在れ』とか言ってた割に、私とノームだけ妙に割を食ってないか?」

「それはー、まぁ、あー、そーですねー……大変申し訳ありませんでした」

私の追及に父上は散々目を逸らし続けたが、最終的に謝罪を引っ張り出す事に成功した。…多分、人型でありながら人ならざる要素を持つからこそ私はノームと仲良くなれるのだろう。

「いえ、私の言い分を聞いてくださいよ。研究に集中する為に業務委託しようと思ってぇ。現実改変者をぶっ殺す為にとりあえず人手が欲しいなぁーって思って、ついでに人体の構築に大分慣れてきたのでその実験も兼ねて初めに二人作ったんですよ。でもどうせ現実改変者をぶっ殺す為に造るんだから、強いほうが良いでしょう?だから最初に最強の盾と最強の矛を作ったんですが、二人とも外見が瓜二つで、能力値以外は辛うじて精神性が違うっていう成功なんだか失敗なんだか分からない結果になっちゃったんですよ。それでぇ」

「それで?戦闘用という面に囚われ続けて、三番目の私には鉄と記憶を混ぜ込んだと」

「で、四番目には何をトチ狂ったのか貴方の愛を混ぜて私を作ったんですよね、お父さん?」

「大変申し訳ありませんでした。僕は立派なマッドサイエンティストです」

頭を地面にこすりつけて謝罪する父上。見ている分にはとても楽しいものの、こんなのが自分たちの創造主なのかと思うと少々みっともなく感じる。で、そんな奴に治療行為とはいえ全身を撫で回されたという事実には溜息が漏れる。

まぁでも、仮にも父親だ。こうして生命を与えてくれただけそこそこ感謝はしている。マッドサイエンティストだとも確かに思うが、早いところ彼に死者蘇生技術を確立させて母上を蘇生させてもらわないと……。

「さっさと母上を生き返らせてくれ父上。そうじゃないと、私達は一生“男から産まれた女”という称号を負って生きていかなきゃならなくなる」

「ヤバいですね、それ」

「もっと言えば、アンタもアンタでさっさと生き返らせないと“出産経験のある男”としか見られないぞ」

「ヤバい…!」

「というか、お父さんって要するに“経産夫”だよね?」

「止めてくれませんか僕が妊娠したみたいに言うの!じゃあ、僕はさっさと帰りますのでくれぐれもフェルは自愛する事!ノームに関しては元気そうでよかったです!じゃあ帰ります!」

妹と二人で父上を虐めていると、とうとう父上が限界になって帰って行ってしまった。父上も懐から転移術式の紙切れを取り出し、取り出したかと思えばふわと消えた。

父上が去って、何の気なしにノームの方を見ると目が合った。

…なんだかおかしくなって、二人して笑いあった。




あの後、散々無駄な事を話し合った。話し合い、時間が過ぎた。

右目の冷却も済み、とうとうここに居座る理由が無くなった。…何度か右目の冷却目的でこちらに来たことがあるのだが、何度来てもこの時間、この瞬間だけは慣れない。

「ノーム、もう十分だ。長々と居座って悪かったな」

「あっ、もう帰っちゃうの?」

巨大な妹は私へと寂しげな顔を見せる。…この顔を見るのが、少々堪える。

嫌ならば、何かと理由をつけて居座ればいい。いっその事、この谷の底を拠点にするのもいいだろう。もとより私は根無し草。街中にいようが谷底にいようがさしたる違いは無い。だが、「そうしてはならない」と、思う。効率とか、利便性とか、行動範囲とか、そういう理由からの事だろう。一言で言えば、“無駄”。一丁前に人間の感情を手に入れたところで、得られるものは甘え以外の何物でもない。

「ああ、もう帰っちゃわないと。いつ姉上達の強襲を受けるか知れん」

「そっかぁ…じゃあ、またね。何度も言うけど無理しちゃだめだよ?」

「分かってる」

「ちゃんと女の子らしい格好するんだよ?」

「…それは保証しかねるな」

「何でよー!」

このように無邪気で可愛い妹を、こんな薄暗く薄ら寒い谷底に一人置いていくというのは。…とっくに捨て去ったと思っていた人間性が棘にでも刺されたように痛む。それに、そもそも私自身が此処に来る必要もない。瘴気の影響で現実が歪められた物品の数々は、谷から持ち出しても歪んだままだ。…故に、氷袋を作ってしまった私はとうとう此処に来る理由が無くなってしまった。これからの右目冷却は今日手に入れた氷袋で済ませばいいのだ。

理由が無くなったというよりは、口実が無くなった。

これから、私は。

「…なぁ、教えてくれノーム。これから、私は何の為にお前に会いに来ればいい?」

彼女の方を見ず、彼女から背を向けて、転移術式を片手に、私は妹に訊いた。

私は何より、彼女を忘れるのが怖かった。今まで彼女を忘れた事は無い。それは姉上達に対しても同じであった。だが、これからもそうである保証はない。もし、私がこれ以上破綻してしまったら。…友人を忘れてしまうような事になれば。果たして私は私でいられるのだろうか。

「お姉ちゃんは、理由が無いと私に会いに来てくれないの?」

彼女の無邪気な返答が、刺さった。

だが、そんな鋭い回答を求めていたような気もする。

私はきっと、彼女を忘れない。忘れられないようにできている。忘れないようにしたいと、思う。




うずくまって考える。

よもや私は、ノームに好意を抱いているのではないか?

ミュール曰く「…あの、私は他者の恋愛観に口を出すつもりは毛頭ありませんが。その…同性愛かつ近親相姦とかいう聖人協会を真っ向から敵に回す行為はその…」と言葉を濁していた。自分でも取り扱いに悩むこの葛藤に、あの女は勝手に名前を付けて行ってしまった。

フォルテ曰く「いいんじゃないの?殺戮人形だった貴方が…相手はともかく誰かに好意を抱くのは決して悪い事じゃないでしょう。ようやく人間らしくなってきたじゃないの。そのままいけ好かない聖人協会とパパにファックサイン突き付けてやりなさい」と笑う。自分がカレシ持ちだからか、妙に上から目線なのが気に入らない。

というか、姉上達は決めつけていたが、そもそもの話。

あんなギガンティス相手にどうすれば恋心を抱けるのだろう。


きっとこれは恋ではない。

ただ縋っているだけだろう。

今更人殺しが辛いなどとは言わないが、昨日の事を覚えていられない私自身が不安なのか。

昨日が無く今日しかない、今日しか生きられない私。寿命二十四時間の殺戮人形。

昨日の私は本当に私だったのか。明日の私は本当に私なのか。昨日はこんな事で悩んでいただろうか。明日はこんな事を悩めるのだろうか。

…下手に感情を知ってしまうと、こういう時が辛い。

こういう苦しさが、父上が言うところの人間らしさなのだろうけれど。…ただただ辛いだけなら、私は人間じゃなくてもいい。

これから私はどうするのか。今日はもう遅い。夜も深まった。仕事は無い。これから数日は仕事を受けずとも十分な貯えがある。…これからずっと、この感情に付き合っていくしかないのか。

…狙いがブレるのは御免だ。

―――この感情は恋ではない。だが、彼女を思えば胸の痛みは多少和らぐ。

であれば、利用しない手は無い。

辛いときは彼女を思い出そう。立っていられなくなったら彼女のもとへと急ごう。また会う日には、あの巨大な乳房に飛び込んでみるのもいいかもしれない。

さぁ、気持ちの整理はついた。眠りに就こう。

今日の私は此処で死ぬ。明日の私にすべてを託す。

おやすみなさい、ノーム。


数日後、私は浮かない顔で瘴気の谷へと赴くことになる。そして恋について打ち明ける事になるとは、今の私には考えも出来ないだろう。


用語解説、或いは自己満足の為の設定開示


現実改変者―異世界からの来訪者。大別して二パターン。一、現実を歪めて自らの思うがままに振る舞うタイプ。文字通り、思った通りになる。やたら魔王の存在を訊いてきたり時代錯誤な鎧を纏っていたりするため判別しやすい。二、現実を歪めて現れただけの人間。争いを好まない気性の者が多い。どちらのパターンも現実を歪めて出現しているため、存在しているだけで現実が歪み、過去、現在、未来が歪み始める。原住民に紛れており、突飛な外見をしていない限りは判別が難しい。


アカシックレコード―世界の筋書き、台本。惑星の誕生から死滅までが記されている。基本的にアカシックレコードが改変される事はありえない。しかし外的要因に弱く、現実改変者の存在はその最たる例。


現実矢―原生の神から与えられた叡智によってある男が開発した矢じり。現実を紡いでできている。ガラスと見紛う程の透明度であり、驚くほどに軽い。効能は、刺した対象の現実性を矢じりと同等のものにする、というもの。対象の現実性が低ければ上昇させ、高ければ下げる。あまりに矢じりと対象の現実性の差が大きい場合、急激な現実性の増減に耐え切れずどちらかが消失する。


銃―原生の神から与えられた叡智によってある男が作り上げた武器。本来は火薬で金属製の球体を高速で撃ち出す射撃武器であるが、或る女により、装備者の魔力を凝縮して撃ち出すように改造されている。

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