思わぬ提案
どれくらいそうしていたのか、神楽さんはハッと思い出したように腕時計を確認した。
「しまった、昼休みがもう終わるな・・・」
それでも、まだ名残惜しそうにわたしの絵に意識をとどめる。
「・・・完成したらお見せしますよ?」
別に絵が逃げていくわけじゃないのに、神楽さんの眼差しは、どこか刹那を感じているようだった。
けれど、わたしの申し出には素直に頷いた。
「うん、もちろん、完成したらまた見せてもらうつもりだけど・・・」
神楽さんはなにか思いめぐらせるように、また絵の前に立ち、腕を組んだ。
そして「ねえ、」と顔だけをわたしに向かせて、
「この作品、コンクールに出展したらどうかな」
いたって真剣な顔つきで、そう言ったのだった。
「え・・・・?」
コンクール・・・・?
まったく予想外のところから投げかけられた提案は、わたしの頭を真っ白にさせた。
「うん、コンクール。確か大きなコンクールにはまだ一度も出展したことないって言ってたよね?」
「それは・・・はい、ちゃんとしたものには出したことありませんけど」
大学に入る前、子供向けのものや、学校からの出展という形では何度か入賞した経験もあるけれど、大学入学以後は、学内コンテストすら出していない。
いつだったか、神楽さんにはその話をしていたけれど、そのとき、わたしがコンクールに出さなかった理由も説明したはずだった。
わたしは、訝しい表情になっていく自分を止められなかった。
「そんな顔しないでよ」
「・・・・ダメですよ。わたしのなんて、趣味のレベルですから」
「大学まで行って、デザインの仕事までしていた人の描く絵が、趣味のレベル?俺は美術に関しては素人だけと、その俺が見ても、この絵がただの趣味レベルじゃないことくらい分かるよ」
神楽さんは、優しい顔で、わたしの返事をアタマから否定してしまう。
わたしはフゥ・・と、聞こえるか聞こえないかのため息をこぼして、神楽さんの隣に並んだ。
・・・・確かに、一般の人と比べれば、わたしの絵は上手いと評されるのだろう。
でも、プロになるにはそれだけでは足りないのだ。
わたしレベルの上手さは基本中の基本で、描くことを仕事にするには、さらに、人の心を動かせるような ”何か” が必要なのだ。
そして、それについては、大学時代、他の学生の作品を見て自分の力量を承知したのだから・・・・
―――――――わたしには、その才能はない――――――――――
「・・・・趣味の範囲ですよ。コンクールで入賞するような人の作品は、もっと、人を惹き付けるものがあるはずです。例えば、毎日でもその絵を見たいとか、なぜだかその絵を見ると元気になれるとか・・・」
「俺は美里の描いた絵なら、毎日見ていたいけど?」
かぶせ気味に答えてくる神楽さん。
「それは、わたしが神楽さんの恋人だからですよ。そうじゃなくて、わたしのことなんか全然知らない人が、わたしの絵をはじめて見て、それで何かを感じてもらえないとプロにはなれません」
そう言ったあと、わたしは両手でキャンバスを持った。
「・・・・でも、去年、こっちで色々あって実家に戻ったときは、こうやってまた描けるようになるとは思ってもなかったんです。だから・・・わたしは今、描けるだけで満足なんですよ」
神楽さんから隠すように、キャンバスを裏向けて棚に立て掛けた。
その間もずっと神楽さんの視線は刺さってくる。
そして神楽さんは、視線を突き刺してきたまま、わたしの背中に尋ねてきたのだ。
「じゃあ美里は、誰かの心を動かせるような絵が描けたら、コンクールに出すんだ?」
「・・・そう、ですね・・・・」
短くこたえたあと、チクッと小さな痛みがはしった。
けれど、
「・・・でも、そんな絵、もしかしたら一生描けないかもしれませんけど」
痛みなど気付かぬ素振りをして、わたしは自虐的な笑顔を乗せながら振り返った。
すると、わたしとは相反する、神楽さんの眼差しにぶつかった。
「そうかな・・・?本当にそう思う?」
重ねて尋ねてくる神楽さん。
「・・・もちろん、そう思ってます」
嘘じゃない。
ちょっと上手いからといっても、わたしには、人の心を動かせるような作品は描けないと思うから。
だから、今みたいに、趣味の範囲で描き続けていられたら、それでじゅうぶんなのだ・・・・
知らず、気持ちに重みが増す。
なのに、わたしの返事を聞いた神楽さんは、嬉しそうに頬をゆるめたのだ。
「じゃあさ、美里の参考になるか分からないけど、俺の人生に大きな影響を与えた絵、一緒に観に行かない?」
そうわたしを誘った神楽さんは、とても楽しそうだった。
「神楽さんの人生に影響を与えた絵?」
そんなものがあるの?
神楽さんは、どちらかといえば美術には関心が薄いタイプだと思っていたのに・・・
わたしは、とてつもなく、興味をひかれてしまう。
「うん、美里の予定が大丈夫なら」
そんなの、返事なんか決まってる。
「わたしもぜひ観たいです。神楽さんの人生に影響だなんて、気になります。連れて行ってください」
溌剌としたわたしの返事に、神楽さんは満足げに頷いた。
こうして、急遽、放課後デートが決まったのだった。




