まほろば交差店 ・ 交差する想い
「・・・・・聞こえた?」
呆然と、ただただ呆然と神楽さんを見返すわたしに、彼は静かに尋ねてくる。
行楽シーズンを過ぎた公園は混雑はしてないけれど、そこかしこで人の話し声があふれている。
それなのに、わたしには、神楽さんしか聞こえなかった。
好きなんだ―――――――――
鼓膜に響くその言葉が、わたしの体に、心に、染み込んでくるようだった。
それはまるで、スポンジに水が吸い上げられていくようで・・・・
もう神楽さんと会わないと決めて、カラカラに乾いていたはずの気持ちに、潤いが戻されていくのを、わたしは確かに感じた。
「手紙のこととか、ただでさえびっくりすることを聞いた後に、こんなこと言って、きみを困らせるつもりはないんだけど、でも、今、どうしても伝えたくなった。・・・・もう、この手紙は俺の人生の一部で、その送り主の芦原さんに特別な感情を抱くのは、本当に自然なことだったんだ。”芦原美里” という人が存在してると知って、電話ではじめて声を聞いて、話して、実際に会って、その気持ちはもっと大きくなっていった。だから尚更、手紙のことを打ち明けられなかった。だって、もし俺が何か話してあの手紙が書かれなくなったりしたら、俺と芦原さんの出会いや関係にも変化が現れるかもしれない。それだけはどうしても避けたかったんだ。それくらい、きみに会いたかった・・・・。もちろん、俺と違って芦原さんが俺のことを知ったのは最近なんだから、俺の気持ちについて来れなくても仕方な・・・・・芦原さん?」
少しだけ焦ったように話し続けていた神楽さんが、急に止めてしまう。
どうしたんだろう?
不思議に思っていると、突然影に覆われて、前髪を、触られる感覚にハッとする。
「・・・・そんな顔をさせて、ごめんね」
そう言って、風で乱れたわたしの前髪を整えてくれる神楽さんは、今までとは全く違う、心配に暮れる顔色をしていた。
・・・・そんな顔?
今自分がどんな顔をしてるかなんて分からないけれど、そんなにおかしな顔をしてるのだろうか?
「わたし、変な顔してます?」
「うん。ものすごーく困ったような、今にも泣き出しそうな顔」
そう教えてくれて、神楽さんは、よしよしとでも言うように、優しく頭を撫でてくれた。
「泣き出しそうな顔って・・・やだ、ほんとに?なんでそんな顔になってるんやろ・・・・?」
急に至近距離まで近付いた神楽さんに、わたしは慌てて体を背け、頬に両の手のひらを当てた。
すると、目の前の神楽さんがクスッと息をこぼしたのだ。
「芦原さんの関西弁、はじめて聞いた」
「あ、」
無意識のうちに関西弁が出てしまったみたいで、わたしは思わず、頬に当てていた手で口を覆った。
「芦原さんが関西弁でしゃべってたら、俺もつられて関西弁になるかもね」
わたしの動揺を宥めるためか、神楽さんは殊更明るく言って、わたしから手を離した。
そして
「あ、手紙にシワが付いちゃった」
おどけて手紙を見せた。
手紙には、確かに握りシワみたいなものができていた。
「十何年も大事にとっておいたのに、今になって汚しちゃったよ」
雰囲気を軽くするような言い回しが、”小学校の先生” らしさ全開だと思った。
穏やかで、自然で、でも相手を引っ張りあげるような強さもあって、優しい。
・・・・・そうだ、
わたしは、
わたしは・・・・・そんな神楽さんを、好きになったんだ。
一度は抑えこもうとした想いが、容易くよみがえってくる。
誰かを信じて、裏切られるのはもうたくさん。
先輩のときみたいな傷は、もう受けたくない。
ついさっきまでそう思っていたのに、こんなにも簡単に、その決心は崩れていく。
信じることに対する不安はまだ消えてないのかもしれないけれど、
先輩と違って、神楽さんは、確かな ”気持ち” をくれたから。
たったひとこと、『好き』と伝えてくれたことが、
逃げ腰だったわたしの心を、きっと、呼び戻した。
それが嬉しくて、
無意識のうちに、泣きそうな顔になってしまったくらいに、嬉しくて。
・・・・うん、やっぱり、わたしは神楽さんが好きなんだ。
わたしは幸福な降服とともに、神楽さんに向き合った。
「あの、神楽さん」
「うん?」
神楽さんは手紙を折りたたみながら返事した。
「その手紙・・・・本当に、未来から届いたと思ってるんですか?」
わたしが目で手紙を指すと、神楽さんは封筒に入れた手紙を指ではさんで、トン、と唇に当てた。
そして、
「うん、そう思ってるよ。・・・・例え芦原さんが信じてくれなくてもね」
まるでなにかを悟ったように、鎮まる水面のような沈着を保って答えた。
だけどそのあとすぐにニコッと頬をゆるめた。
「大丈夫、気にしないで。こんな突飛なこと、芦原さんが信じられないのは当たり前だと思うから。俺はただ、この前の誤解を解きたかったんだ。それから、実際に知り合ってからはそんなに経ってないけど、俺が芦原さんをずっと待ってた・・・・芦原さんが俺にとって特別な人だということを伝えたかっただけだから」
そう言って、手紙を上着のポケットにしまった神楽さんは、わたしの肩をポンと叩いた。
「・・・だから、芦原さんは別に信じなくたっていいんだ。これから、俺のことを考えてくれたらいいから。・・・・いや、ひょっとして、手紙が未来から来たとか、意味不明なこと言うおかしな男だって思ってる?もしそれで引かれてたら嫌だけど・・・・そんなことはないよね?」
はじめは余裕すら感じるにこやかさだったのに、途中から神楽さんの顔色が曇る。
けれど、どこか怖々と訊いてくる神楽さんは、なんだか可愛らしかった。
わたしはそんな神楽さんの様子に胸をあたためられたような気がして、クスリと笑いがこぼれた。
「大丈夫です。引いたりなんかしません。それに・・・わたしも信じますよ」
「手紙のこと?」
「はい」
「本当に?だって小説や映画じゃあるまいし、そんなに簡単に信じられるもの?」
「・・・・神楽さんは、わたしに信じてほしくないんですか?」
「いや、そうじゃないけど、俺自身だってなかなか信じられなかったから・・・・」
芦原さんに信じてもらえたら、もちろん嬉しいよ。
神楽さんは素直な思いを述べてくれた。
そしてわたしは、神楽さんがしまった手紙の代わりに、あるものを取り出した。
「わたしは、信じます。だって、これがありますから・・・」
財布の中から引き抜いたそれは、
三つに折りにたたまれた―――――――――――
「これは、神楽さんの落とし物ではありませんか?」
あの、旧千円札。
店でわたしが拾って、未来へ飛ばされているのかもと、疑いが生まれたきっかけのひとつだ。
さっき神楽さんの話を聞いて、わたしは、この落とし主が彼なのかもしれないと思ったから。
「これは?」
「少し前に、店の、あの台の下で拾った、旧千円札です。わたしがこれを見つける前に、母から、昔修学旅行中の小学生が千円札を落としてちょっと騒ぎになった話を聞かされていたので、もしかしたらこれがその千円札なのかなと思いました。それで、今神楽さんから聞いたお話と重なって・・・この千円札を落とした小学生は、神楽さんだったんじゃないかと思ったんです」
神楽さんはわたしから旧千円札を受け取り、開いた。
そして開いた千円札を裏に返したとき、「これ・・・・」と、目を大きく見開いたのだ。
「これは、・・・そうだよ、間違いない。これは俺があのとき落とした千円札だ」
吃驚に染まった神楽さんは、開いた千円札をわたしに見せた。
「ほら、ここに黒いペンで書かれたような点があるだろ?俺、はっきり覚えてるんだ。修学旅行用に祖母からお小遣いをもらって、そのお札にこれと同じようなペンのあとがついてたって。印象的だったから、よく覚えてる。これは、あのとき見つけられなかった千円札だよ」
神楽さんの言う通り、千円札の縁に、小さな黒い点があった。
「やっぱり、これは神楽さんの落とし物だったんですね・・・・」
思った通りだった。
ということは、十年以上の月日を越えて、
わたしの手紙は神楽さんに、
神楽さんの千円札はわたしのところに、
それぞれに届いたということで・・・・
そのことに、わたしは奇跡を目にした気がした。
だって、どちらか一方でもすごい偶然なのに、それが相互に重なるなんて、とんでもない確率だもの。
けれど、店での不思議な現象をちゃんとは知らない神楽さんは、
「芦原さんも、十年以上もずっと持っててくれたんだ?」
嬉しそうに、そう尋ねてきた。
・・・・そうか、神楽さんは、自分がこの千円札を落とした十年以上前に、当時子供だったわたしが店で拾ったと思ってるんだ。
わたしは「いいえ・・・」と、手のひらを差し出しながら返事した。
神楽さんは千円札をわたしの手に乗せながら、「違うの?」と訝しむ。
わたしが真実を打ち明けたら、神楽さんはどんな顔をするだろう?
びっくりするかな。
信じられない・・・とか言うのかな。
わたしは、ドッドッドッと、全身が心臓になったみたいに、期待と高揚があふれていた。
「―――――――この旧千円札は、少し前に、店で拾ったんです」
「少し前って・・・じゃあ、これは十何年も同じところにあったの?」
神楽さんは、すごい!なんて感心している。
・・・そうよね、普通は、そう考えるはずだもの。
わたしは気を取り直して「違います」と告げた。
「もちろん、その可能性がゼロではありません。でもわたしが拾ったとき、この千円札はとてもきれいだったんです。長い間あんな平台の下にあったなら、きっと汚れてるはずなのに、そんな感じが全然なかったんです」
ここまで言うと、さすがに神楽さんも何かおかしいと表情で語りはじめた。
わたしはダメ押しとばかりに、追加説明した。
「実は、これ以外にも店では最近同じようなことが頻発していて・・・」
「それ・・・どういうこと?」
ストレートに問うてくる神楽さんに、わたしは、店で起こった一連の不思議な出来事を話したのだった。
わたしの話を聞いた神楽さんは、吃驚をさらに大きくさせた。
「じゃあ、この千円札は、芦原さんの手紙とは逆に、未来に行った―――――――ということ?」
瞬きも忘れて凝視してくる神楽さん。
けれど、それは束の間だけで、あとはなぜだかとても嬉しそうに笑ってみせた。
「そっか・・・。・・・じゃあ、俺と芦原さんが出会ったのは、奇跡だったんだ」
すごく、すごく嬉しそうな神楽さん。
見てるこちら側までもが心満たされるような、上質な笑顔だ。
「奇跡・・・・ですよね。いくつもの時を越えて、お互いの手元にあるだなんて」
「うん、そうだよ。ほんの少しでも時間がずれていたら、芦原さんの手紙も、俺の千円札も、きっと別の誰かが拾っていた・・・・そっか、小学生の俺と、今の芦原さんが繋がってたんだ。あのとき、俺がお金を落としたあの瞬間、芦原さんと繋がってたんだ・・・・」
神楽さんは噛みしめるように言うと、また手紙を取り出して、千円札と重ねて持った。
「・・・・俺が落とした千円を、芦原さんが拾っていたなんて」
手紙と千円札を見つめる神楽さん。
ひとつ、ゆっくりと息を吸ったあと、
「すごい・・・・嬉しい」
ごく小さな声で、呟いた。
けれど、言葉通り嬉しそうな顔なのに、目は泣きそうなほどに細められていて、わたしの胸はキュッと締まってしまう。
さっき神楽さんに『好き』と言われたとき、わたしも泣き出しそうな顔をしていたみたいだけど、それと同じだろうか。
まるでそのことが、わたしと神楽さん、二人が同じ気持ちを共有している証のようで、わたしは、愛しさがあとからあとから湧いてくるのを止められなかった。
そしてその想いは、わたしを、神楽さんに ”触れたい” と思わせた。
神楽さんを、抱きしめたくなったのだ。
無性に。
けれど、さすがに気持ちを伝えてない今は、まだ手をのばすのは憚られた。
仕方ないので、わたしは、もう誤魔化しようのない想いは受け入れて、その想いを込めたまま、神楽さんを見つめるだけだった。
ふいに、また強い風が通っていく。
わたしは髪を乱されて意識をそちらに逸らしてしまったけれど、
その隙を狙ったように、神楽さんが一歩、わたしに踏み寄った。
「――――えっ?あ・・・」
どうやら、わたしが手をのばす必要はなかったみたいだ。
あっという間に、わたしの体は神楽さんの両腕に優しく閉じ込められていた。
「芦原さん・・・」
耳のすぐそばから紡がれる声は、とても甘い。
神楽さんに抱きしめられてると認識したとたん、わたしの心臓はどうしようもなく速まっていって、神楽さんにまでその音が漏れてしまいそうだ。
ここは観光客もいる公園なのに。
わたしの実家はすぐ近くにあって、知ってる人が通るかもしれない場所なのに。
なのに、わたしには、神楽さんの抱擁を手離すことができなかった。
「好きだよ、芦原さん」
そう告げて、さらに抱きしめてくる神楽さん。
優しく強引な腕の中、わたしは、背中で、カサ、という音を聞いた。
それは、わたしの手紙と神楽さんの千円札が擦れた音―――――――
本当なら出会うことのなかった二つが、十年以上の時間を経て、やっと触れあえたんだ。
まるで、わたしと神楽さんのように・・・・
わたしは、なんだかもうずっと前から神楽さんを知っているような気分だった。
知り合ってからの時間とか、会った回数とか、そんなものがどうでもよくなるくらい、
神楽さんとは、出会うべくして出会ったんだ。
きっと、そのために、あの悔しかった想いや、悲しかった出来事があったんだ。
それらを乗り越えて、”今” があるのだから。
辛かったことも、たぶん、神楽さんと出会うためには必要なことだった。
全部が、未来の ”今” につながってるんだ。
「・・・神楽さん」
わたしは、そっと神楽さんに手をまわした。
腰辺りに触れると、ビクッと、神楽さんの振動を感じた。
カサカサ、と、わたしの背中からも小さな振動が伝わって、それが合図のように、わたしは自分の気持ちを神楽さんに打ち明けたのだった。
「わたしも、神楽さんが好きです―――――――――――――」
 




