表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/24

まほろば交差店 ・ あの日のこと






「・・・・こんにちは」


もう一度、静かに微笑みながら、神楽さんは言った。



「どうして・・・・」



わたしは信じられないものを見る気持ちで、彼を見つめた。


「連絡がとれなくなったら、普通は心配するんじゃない?」



なじられても当然のことをしたわたしなのに、神楽さんはどこまでも優しい。



「でも、無事でよかった。なにか良くないことが起こったんじゃないかって心配してたんだ」


言いながら、わたしに近付いてくる神楽さん。


わたしはドクドクドクと、今まで感じたことがないほどの緊張に、足を縛られたように動けなかった。



ただ、神楽さんの視線に、心ごと捕らわれていた。



そして、レジ台のすぐ前まで来た神楽さんは、優しくわたしを見下ろした。



「話がしたいんだ」



穏やかに、けれど、一歩たりもひくつもりはないと、言外に漂わせた神楽さんに、わたしは逃げ場を失ってしまう。



するとそのとき、



「美里?家の前に品川ナンバーの車が停まってるんだけど・・・・」



昼食を終えた母が、店に戻ってきたのだった。




「あら、美里のお客さまの車だったの?」


わたしと向かい合う神楽さんを見て、母は驚いたように目を見開いた。



「あ、いや、お客さまというか・・・・」


「神楽 巧と申します。美里さんとは親しくさせていただいてます」


ぎこちなく返答したわたしに対し、神楽さんはきっちり挨拶した。



礼儀正しく頭を下げた神楽さんに、母は好印象を持ったらしく、にこにこ顔で「まあ、ご丁寧に・・・」と返す。



そしてレジ台まで来ると、わたしを促した。


「美里、もう店番はいいわよ。出かけるんでしょう?」


「え?でも・・・・」


わたしは立ち上がりながら神楽さんをちらっと見た。

すると神楽さんもわたしに顔を向けて、


「お母様のご了承もいただけたし、いいかな?」



わたしの退路を断つように言ったのだった。







神楽さんの車に乗り、わたし達はとりあえず近くのパーキングに移動した。


何度もスケッチ帳に描いていた車だけど、まさか、またこの車に乗ることがあるとは予想してなくて、まさかの展開に不安と緊張感が膨らむばかりだった。



パーキングを出ると、そこからはなんとなく奈良公園に歩いた。



冬に入った風は芯を冷やしていくようで、わたしは羽織っただけだったコートの前を閉じながら歩く。



「寒い?大丈夫?」


神楽さんはわたしの小さな仕草も見落とさず、気遣わしげに尋ねてくれた。



「大丈夫、です・・・」


わたしは俯きがちに答えた。



やがて、大きな道路から逸れて歩行者しかいない通りに入ると、神楽さんが歩きをゆるめた。



「・・・体調を崩した、とかじゃないんだよね?」


互いに前向いたまま、そう訊かれた。


「はい、それは、大丈夫です」


わたしが答えにくそうに返すと、


「よかった」


となりで、神楽が笑う気配がした。



「急に返事がこなくなって、真っ先に浮かんだのが急病だったんだ」


「・・・・ご心配おかけして、すみません」


「いや、何もなかったのならいいんだ」


神楽さんは気にしないで、という風に手を振ったけれど、はた、と、それを止める。



「ひょっとしたら・・・」



声の質が、低く変わる。



「・・・・何もなかった、わけじゃないのかな?」



神楽さんがそう質問すると、わたしの中で、鼓動が最大限まで響いた。



土曜日とはいえ、冬の公園内は人影もまばらで、静かだ。


それは、わたしの脈打つ音が外にまで漏れてしまうのではないかと気になるほどで。



けれど、わたしの動揺には気付かないのか、神楽さんはわたしの返事を待たずに傍のベンチに腰をおろした。


そして隣をサッサッとはらうと、わたしにも座るように手のひらで誘った。



「・・・・ありがとう、ございます・・・・」


ぎこちなく、そこに座ったわたしは、神楽さんの顔を見られない。



ふと視界に入ったのは神楽さんの靴だった。


わたしはお洒落に詳しくはないけれど、爪先だけでも上質感は垣間見えた。



こういうところに、育ちの良さが表れるんだろうな・・・・


そんな印象を持った。



そして、


こんなに品がいい神楽さんが、誰かを責めたり感情まかせに怒ったりなんて、想像ができないなと思った。


だから、一方的に連絡を絶ったわたしでも、責めたりなんてしないのだろう・・・・



そうも思ったけれど、だったら、はるばる遠い奈良まで、わざわざわたしの実家にまで車を走らせた理由は・・・・?


そもそも、わたしの実家がどうして分かったの・・・・?


・・・・ああ、そういえば、神楽さんの生徒さんが修学旅行でわたしの実家、土産物まほろばに来てたんだっけ。



短い時間に、わたしはいろんなことを考えてしまった。



やがて、なにも話し出そうとしないわたしに痺れを切らしたように、神楽さんが口を開いたのだった。



「・・・もしかして、俺が何かしたのかな?」



ベンチに二人並んで座ったけれど、神楽さんは体ごと、わたしの方にひねってくる。


たったそれだけで、わたしは熱くなってしまって、戸惑うばかりで。



・・・・神楽さんに、どういう態度で接したらいいのかが分からなかった。



「それは・・・・」


わたしは口ごもってしまった。



なにもなかった、わけじゃない。


でも・・・、


あの日のことを話すべきか迷ったからだ。



ホテルから女性と出てきた神楽さんを見かけて、ショックを受けたのは確かだ。

でも、その理由や事情、背景にあるものを知りたいとは思っていないのだ。

知らなくていいことなら、そのまま、知りたくはない。


なんでも知りたがって、その結果傷付くだけだなんて、先輩のときの二の舞は避けたいから。



だから、神楽さんには何も言うつもりはなかった。



でも、神楽さんは何かを感付いているようで・・・・・



「大阪で会った後、その翌日からかな、急に連絡がとれなくなって・・・・。でも、あの日の別れ際は、なにも変わりなかった。次の約束だってしたし、芦原さんも楽しみにしてそうだった。だから、もし、俺がなにかしたのだとしたら、その後、だよね?」



すらすらと披露される推理に、わたしは否定も肯定もせずに、また俯いた。


そんなわたしに、神楽さんは小さな息を吐いた。


「・・・・いくら考えても、あの日以降、俺がなにかした覚えがないんだ。なにかをするにも、あの日以来、芦原さんとは連絡できてないんだから。だから、教えてくれないかな?どうして、メールも電話も、繋がらなくなったの?」



神楽さんの言い方は相変わらず優しいのに、どこか、遠回しに責められてる気になってくるのは、わたしに後ろめたいところがあるからだろうか。



・・・・でも、嘘を吐いたのは神楽さんの方が先だもの。



東京に帰ると言ってたのに、大阪に泊まっていた神楽さん。



あの日の神楽さんが脳裏に浮かんできそうで、わたしは指先に力が入り、拳を握った。




「・・・・いろいろ、忙しかったんです」


「だったら、ちゃんとそう言うと思うよ?芦原さんは、黙ってメールを無視するような人じゃない」



俯いたまま小さく吐き出したわたしの答えを、神楽さんは即座に全否定した。



「・・・・買いかぶりすぎです」


「そんなことない、きみは、そんな人じゃないよ」


頭ごなしに完全否定する神楽さんに、わたしは苛立ちを覚える。



わたしの何を知ってるっていうの?



そんな腹立たしさが増していくのが止められない。



「ねえ、教えてくれないかな?俺の知らないところで何かあったんだろう?」



神楽さんは、諦めずに食い下がってきて。


どうしてそこまでするのか分からないけど、神楽さんからは必死感が伝わってきた。



わたしは唇をキュッと結んで、騒ぎ出す気持ちにブレーキをかける。



けれど、そんなわたしの努力をきれいに無視して、神楽さんがわたしの肩を掴んできたのだ。



「お願いだから、教えてくれないか?このままきみと会えなくなるのは、嫌なんだ」



ぐいっと肩を押さえられたその瞬間・・・・



プツンと、


わたしの中の、何かが切れた。



「勝手なこと言わないでください!」



咄嗟に、わたしは神楽さんの腕をはらっていた。



堪えていたものが勢いよく飛び出すのを、もう抑えられなかった。


ただ頭の中には、

あの女の人と一緒にいる神楽さんが、

二人の会話が、

その姿が、

グルグルまわっていて、


・・・胸が締め付けられる。



そして、突然声をあげたわたしを、神楽さんは驚愕の表情で見つめ返していた。



ああ・・・・


こうなった以上、もうだんまりを続けるのも無理がある・・・か。



わたしは神楽さんと目を会わせると、静かに告げた。




「・・・・わたし、神楽さんと会った次の日も、梅田に行ったんです」



それだけで、神楽さんはすべてを察したようだった。



「あれは・・・っ!」


叫ぶなり、またわたしの両肩を握って、そのまま強引に体を自分に向かせた。



「聞いて。あれは大学の同期で、ほら、結婚パーティー、話してただろ?そのパーティーに出席してたんだけど、二次会で酒に酔って具合悪くなったらしくて、俺と同じ東京に住んでる子だったから、急に俺に連絡があったんだよ。一緒につれて帰ってやれって。そのとき俺は新大阪にいたんだけど、ギリギリ新幹線に乗る前だったから、二次会の会場だったホテルに向かったんだ。それで、あまりにも具合が悪そうだったから、ホテルに部屋をとってもらって、そのまま休ませることにしたんだよ。もちろん、俺と彼女二人きりじゃなかったし、俺や他の男は別の部屋に泊まった。朝も、全員が同じタイミングでチェックアウトした。だけど俺と彼女以外はみんな迎えが来てたりタクシーだったりで、ホテルから駅に向かうのは俺と彼女の二人だけだったんだ。・・・・きっと、芦原さんは、その途中で俺を見かけたんだろう?」



懸命に説明する神楽さんに、きっと、嘘はないのだろう。


あの女の人が恋人とかじゃなくて、素直にホッとしたわたしもいる。



だけど・・・・



「・・・あの女の人のことは、もう、いいんです。問題は・・・・、わたしが、前の職場の・・先輩のことを思い出してしまったことで・・・・」


「先輩・・・?」


まるで全力疾走するように言い訳をした神楽さんは、わたしの返事を聞いて、声が硬くなった気がした。



「・・・先輩のときと同じようなシチュエーションだったんです。そこにいるはずのない人が、知らない女の人と一緒にわたしの前に現れて・・・・。先輩のときは、その後、知りたくなかったことも知ってしまって、先輩の裏切りも知りました。・・・神楽さんが先輩と全然違うのは分かってるんです。だけど、」


「待って、もしかして、俺が芦原さんを裏切ると思ってるの?」


神楽さんは、眉を寄せ、硬い声のまま困惑の表情を見せた。



「・・・・そう、聞こえますよね。すみません・・・・。でも、これはわたしの問題なんです。あのときのショックとか、痛みをまだ忘れられなくて・・・・もう、あんな風になるのは嫌で、だから、・・・・神楽さんとの連絡を、勝手に、・・絶ちました」



わたしは、もう一度、すみません、と告げて、そっと神楽さんの腕をのけようとした。


けれど、そのわたしの手を、神楽さんがギュッと掴んで、そして、胸に引き寄せたのだ。



わたしの頬が神楽さんの鎖骨に当たり、背中には、神楽さんの手のぬくもりを感じた。



「俺は、芦原さんを裏切ったりなんかしない」



すぐそばで聞こえた神楽さんのセリフが、心に苦しくなった。



ベンチに座ったまま抱きしめられて、わたしは、いつもに増して強引な神楽さんに狼狽えた。


けれど、それ以上に、彼の吐き出した言葉がとてつもなく響いてくるのだ。



「俺は、絶対に、きみを裏切ったりしないよ」



もう一度、わたしの中に染み込ませるように、ゆっくりと告げた神楽さん。



わたしはたまらなくなって、両目をきつく瞑った。



「神楽さんが・・・、神楽さんが、先輩と同じだとは思ってません。でも、神楽さんがホテルから女の人と一緒に出てきて、わたしは先輩のことを思い出してしまって、すごく、怖くなったんです。また誰かを信じて、裏切られたら・・・・」


「俺は裏切らない」


「神楽さんがそうでも、わたしが信じられなくなったんです、だから神楽さんのせいでは・・」


神楽さんのせいではない、そう言いたかったのに、彼はそれを待たずに、グッとわたしを抱く腕に力を加えた。


そして、



「俺は11月25日をずっと待ってたんだ!」



突如、まったく意味不明なことを叫んだのだ。




「は・・・?」



耳もとで叫ばれて、聞こえてないわけないのに、わたしは、その内容を理解できなかった。



「11月、25日・・・・?」



無意識に復唱してみるけれど、やっぱり意味が分からない。



・・・・11月25日といえば、神楽さんと大阪で会った日だ。


その日を待ってたって・・・・



わたしとの約束を待ってた、ということ?



神楽さんの意図を探ってみたけれど、神楽さんは、おもむろに体を離すと、わたしの顔をのぞき込んで、また訳の分からないことを言う。






「・・・・・・もし、俺がきみをずっと待ってたと言ったら、信じる?」






その目が真剣過ぎて、わたしの心までを射るようだった。



「ずっと、って・・・?東京でお会いしてからずっと、という意味ですか?」



「違う」



神楽さんは即答して首を振る。



「じゃあ、どういう・・」



尋ねると、わたしの腕を握る神楽さんの指が、ビクッと反応した。



そうして、躊躇いを残しながら、わたしから手を離し、右手を、着ていたジャケットのポケットに入れた。



神楽さんがそこから取り出したのは、何かの紙だった。




「ここに、今年の、11月25日の日付が書かれていた」



その紙を持つ神楽さんの指先が、ほんのわずかに、震えたように見えた。



「だから、俺は、今年の11月25日、何かが起こるのかもしれない、そう思ったから、俺は、ずっと、待ってたんだ」



だけど、それでも、わたしには一体なんのことなのか分からないのだ。



「・・・・それとわたしが、何か関係があるんですか?」



正直にそう尋ねると、神楽さんはその紙を指で裏返した。


それは、封筒だったようだ。


そして、中から折り畳まれた紙を引き出した。



「ここに、芦原美里、きみの名前も書かれてある。・・・・・これは、きみが、書いたんじゃないのかい?」



そう言って、神楽さんが紙を開いた。




「え・・・・?」




まるでスローモーションのように、神楽さんの手が動いて、紙が開かれていく。



それを、わたしは、ただ見ていた。



それは、本当に、コマ送りよりもゆっくりと、ゆっくりと感じた。



一瞬が、こんなに長く思えたのははじめてだった。




そして開ききったそこには――――――――――――――――








  ”大丈夫。どんな道を選んでも、そこに未来があるんだから。


   未来への入口は、今日なんだから。”











見覚えのあり過ぎる文字で、そう書かれていた。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ