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まほろば交差店 ・ 訪問者






あれ以来、わたしは神楽さんからのメールも電話も無視し続けていた。



神楽さんは、はじめは不審がる様子はなかったけれど、一週間を過ぎると、あきらかにメールの文面が変わってきた。



“何かあった?”

“大丈夫?”

“心配してます”


神楽さんの心配そうな表情が、すぐに浮かんでくる。


わたしは、神楽さんにこんなに心配かけても、それでも、電話に出ることも、メールを返すこともできなかったのだ。




そして、あの日からできなくなったことが、もうひとつ・・・・



わたしは、あの日から一度も、スケッチ帳を開けなかった。



ほとんど日課のようになっていたので、自然と鉛筆を握ることはあったのだが、スケッチ帳は、どうしても開けなかった。


だけど、 ”描きたい” という思いがなくなったわけではない。

先輩のことで色々あったときは、描くのが嫌になってしまったけど、今回はそんな感じではなくて。

ただ、描こうと思っても、スケッチ帳を開くことを躊躇ってしまうのだ。



なぜだろう・・・・


この中に、神楽さんの車とかエンブレムとか、彼を思い出させるスケッチが入ってるからだろうか。


他のノートや紙には、普通に描けるのに・・・・



わたしは自分の部屋、床に座り、ベッドにもたれ掛かって、鉛筆をくるくる回し弄んでいた。

目の前のテーブルには、スケッチ帳。



・・・・もう、神楽さんのことは考えない方がいい。



分かってるのに、気が付くと、このスケッチ帳を眺めているわたしがいた。



神楽さんのおかげで ”描く” ことを取り戻せたのに、その神楽さんが、わたしを悩ませている。



たった二度しか会っていない人なのに、こんなにも、わたしの中に入り込んでいたんだと、驚いてしまう。



だけど・・・・・



・・・・もう、傷付きたくない。



なのに、神楽さんのことばかりを考えてしまう。


だから、スケッチ帳を開かないのは、もしかしたら、わたしなりの自己防衛なのかもしれない。



神楽さんに関するものを目にして、彼への想いがますます濃くなるのを止める為の・・・・




わたしは握っていた鉛筆をスケッチ帳の上に放ると、深く、ため息を吐いた。


・・・・・大丈夫。このまま会わずにいたら、きっと、忘れられるはず。

神楽さんだって、急に連絡を断ったわたしにいつまでも執着はしないだろうし。

きっと、失礼な女だと、愛想つかすに決まってる・・・・



そう考えたとたん、チクリと胸は傷んだけれど、仕方ない。


わたしは、そんな痛みには気付かないフリをすることに決めた。

だって、このまま神楽さんとの関係を深めたら、もしかしたら、もっと痛いキズが待っているかもしれないもの。



わたしの中でよみがえったトラウマは、もう、わたしの思考すべてを支配しているかのように感じた―――――――――



その支配から逃れるように、スケッチ帳を本棚の奥にしまった。

目に入らない場所に、隠したかったのだ。



・・・・わたしの気持ちが立ち直るまでは、そこにいてね。



そう思い、本棚から視線を逸らしたそのとき、下からわたしを呼ぶ母の声がした。



「美里ー。ちょっとお願ーい」



毎度のことながら、お客さんの前でそんな大声出したら迷惑だろうに、母の朗らかな性格はなかなか崩せない。



わたしは神楽さんのことで低くなっていた気分をちょっと上げて、「はーい。今行くー」と、母に劣らぬ声で答えたのだった。






店に行くと、母がにこやかに近付いてきた。

おそらく、店番か買い出しを頼みたいのだろう。


今日は土曜日だけど、修学旅行のピークが過ぎたおかげか、店はそんなに混雑していなかった。


「ああ、ごめんね、今平気だった?」


「うん、大丈夫。店番?」


わたしは店用のスニーカーに履き替えながら訊いた。

父は今日も仕事のはずだ。


「そうなんやけど、お願いできる?パパッとお昼食べてくるから」


店の壁に掛かってる時計は、午後1時を指している。


「いいわよ。もっとはやく言ってくれてもよかったのに」


「朝たくさん食べちゃったから、今くらいがちょうどいいのよ」


そう言いながら、母は店番用のブランケットを折り畳んだ。

そしてそれを椅子の上に乗せると、


「それじゃ、お願いね。すぐ戻るから」


「急がなくていいわよ。ゆっくりしてきて」


わたしの返事に母は笑って「ありがとう」と言うと、自宅にあがっていった。





わたしは母が残していったブランケットをどけて椅子に腰掛け、ぼんやりと外の景色を眺めた。



・・・・いい天気ね。



12月の、晴れた午後、お天気的には爽快だ。

気温も12月にしては暖かく、道行く人の足も軽くて楽しそうだ。


けれど、わたしの気分までは晴らしてくれそうにない。


わたしは客足が途切れるのを待ってから、平台の下を覗いてみた。


あの日以来、毎日のように確認していたけれど、手紙を見つけることはできなかったのだ。


そして、今日も、やっぱりそこには何もなくて、あの手紙の行き先が ”いつ” なのか、まったく見当つかないモヤモヤ感に、また気分が下がりそうになる。



・・・・あの手紙、いったい、いつの未来に飛ばされたんだろう。



母のボールペンは翌日には出てきたのに。


でも、数日後に見つかったものもあるし、あの旧千円札にいたっては、何年も先の未来に飛ばされたわけだから、

わたしの手紙も、それくらい後にならないと戻ってこないのかもしれない・・・・・



気が遠くなりそうな推測に、わたしはハァ・・・と息吐いた。


いや、でも・・・


もっと時間が経ってからなら、あの手紙を見つけたとしても、案外平気なのかもしれない。


何年も経ったら、その頃には、神楽さんへの気持ちもなくなっているかもしれないから・・・・



そう考えて、次の瞬間には、また落ち込んだ。






神楽さんへの気持ちが、なくなる・・・・



自分から連絡を絶っておきながら、ひどい矛盾だと思う。


けれど、短い間に急速に惹かれていき、

やっと把握できたばかりの自分の気持ちは、

持っていき場所が定まっていないのも事実で。



・・・・やめよう。さっきから同じようなことばかり繰り返し考えている。


もう会わない、そう決めたのだから、それ以外は悩んだって仕方ない。


今はまだ難しいかもしれないけど、先のことなんて分からないのだから。


まさしく、”未来への入口は、今日なのだから” ―――――――――――



わたしは、神楽さんがくれたこの言葉は、忘れないだろう。



もう会わないとしても、最後にああいうことになったけれど、それでも、神楽さんと出会って得たものも大きいのだ。



また描けるようになったことは、絶対に神楽さんのおかげだし、





――――――大丈夫。どんな道を選んでも、そこに未来があるんだから。

          未来への入口は、今日なんだから――――――――――






その言葉に、背中を押されたのは事実だから・・・・



そう思ったら、ほんの少し、頬がゆるんだ。



わたしは、気分転換にと、レジ台に転がっていたボールペンを手に取り、メモの上に走らせた。

スケッチ帳よりもずっと小さな白い枠の中で、細かく引かれたいくつもの線は、やがて形を成していく。



なにもなかったところに、線が入り、影ができて、”存在” が生まれて・・・・


その過程が、刹那的で、とても高揚する。



紙の上で、一瞬一瞬、姿を変えていく、

それが、気持ちいい。



わたしは本当に描くことが好きなんだ。



改めてそう感じて、それが嬉しかった。




自分の絵を先輩に利用され、裏切られたことで、そんな単純な感情までもが死んだように機能していなかったけれど、


神楽さんが、それを取り戻してくれたのだ―――――――――――――――





「あーっ!めっちゃ上手い!」


気持ちよくペンを踊らせていたわたしは、すぐ近くで聞こえた大声に手を止めた。



「ねぇ、お姉ちゃん、これって外車?」


下向けていた顔を上げると、小学校低学年と幼稚園児くらいの二人の男の子が、わたしを囲むようにしてメモを見ていた。


「お兄ちゃん、なんでこれが外車って分かるの?」


「このマークは外国の自動車会社だよ」


二人は兄弟らしく、弟にお兄ちゃんが優しく説明する。


「でも、ハンドルは右にあるよ?外国は車のハンドルが左にあるってパパが言ってたもん」


「それは・・・」


弟の鋭い質問に、お兄ちゃんは答えにつまってしまい、その様子が、とても可愛らしく見えた。


小さな二人のやり取りにほんのり癒されたわたしは、


「お兄ちゃんよく知ってるね。これは外国の車だよ」


と教えてあげたのだった。



「え?本当?じゃあなんでハンドルが左なの?」


好奇心いっぱいにそう訊いてきたのは弟の方だ。

目をキラキラさせて、子供らしいワクワク感みたいなものを隠そうとはしない。


その質問に、わたしも神楽さんの車をはじめて見たとき、右ハンドルを意外に感じたことを思い出した。



そして、ちょっとだけ、切なくなる。



「・・・・さあ、どうしてかな?もしかしたら、日本で運転しやすくするために右にしてるのかもね」


座ったままそう言ったわたしは、なんとなく、メモをちぎっていた。


すると、そのメモを、今度はお兄ちゃんの方が尋ねてきたのだ。


「それどうするの?」


「え?ああ、これ?別に・・・ただの落書きだから、捨てるつもりだけど」


わたしがそう答えると、二人同時にクレームがあがる。


「えーっ?!捨てるの?僕欲しい!」


「そうだよ。そんなに上手なのに捨てるなんてもったいないよ!いらないなら僕らにちょうだい」


可愛らしく、小さな手のひらを向けてくる兄弟に、わたしはクスッと笑ってしまう。


「こんなのでよければ、どうぞ」


はい、どうぞとメモを近くにあったお兄ちゃんの手に渡すと、弟の方が「お兄ちゃんだけズルいー!」と不服な声をあげたので、


「じゃあ、もう一枚描くよ」


わたしは新しいメモを捲りながら言ったのだった。


そしてそれを見た弟が、テンションあげてリクエストした。


「じゃあ、バイクかいて!」


「バイク?好きなの?」


「うん!かっこいいのかいて!」


「バイクか・・・・」


あまり詳しくないわたしは、なんとなくな感じで描きはじめた。


この年頃の男の子が好きなバイクといったら、きっと、アニメや特撮のヒーローが乗っているものだろう。


わたしは彼らが乗っていそうなバイクをメモに描いていく。


するとすぐに二人が高い声で反応した。


「すごい!お姉ちゃん、上手!」

「かっこいー!」


なかなかの好感触に、わたしも満更ではない。


バイクを描いたメモをちぎり、弟に差し出した。

若干、得意気だったかもしれない。


「わあ!ありがとう!」

「ねえもっと描いて!」


無邪気な二人に、わたしの気分も手も軽快になる。


「何がいい?」


尋ねると、二人して、「うーんと・・・」と考え込んだ。


けれどすぐに、


「ぼく、飛行機がいい!」


どうやら弟は乗り物が好きらしい。


「あ、ズルい!じゃあぼくは恐竜描いて!」


競うようにリクエストされ、わたしはまず、小さなメモ帳の中いっぱいにジェット機を描いた。


「これでいい?」


「ありがとう!これ、外国行くかなぁ?」


「次、描いてよ!恐竜!」


「恐竜か・・・恐竜ならなんでもいい?」


言いながら、わたしはパッと思い浮かんだ首の長い恐竜を描きはじめた。


すると、お兄ちゃんはすぐに何の恐竜を描いているのか分かったみたいで、


「あ、ブラキオサウルス!」


恐竜の名前を叫んだ。


「よく知ってるね」


わたしの感心に、自慢気に恐竜の話をしだすお兄ちゃん。


自分が描いたもので小さな子供がこんなに興奮してくれるなんて、ちょっと新鮮だった。

これまでは大人相手の仕事ばかりだったから。


その恐竜を描いたメモを渡すと、二人とも、「ありがとうー」とハモって、帰っていった。



小さな突風みたいに二人が去って、わたしの元には、あたたかい気持ちが残った。


わたしが描いた絵で、誰かが喜んでくれる―――――――――――


久しぶりの感覚に、満ちた気持ちになれたのだ。




やっぱり、描くことが好きなんだな。



描きたい、



その想いが強くなっているのは分かっていた。



そして、それは神楽さんのおかげなのだと、

何度も思い返してしまう。



もう会わないと決めたから、お礼すら伝えられないけれど・・・・・




わたしはメモを片付けたけれど、小さく、諦めのため息がこぼれていた。



するとそのとき、店にお客さんが入ってきた。



たいていのお客は黙って入ってくるか、ちょっと会釈する程度だけど、その人は入ってくるなり、声をかけてきた。



「こんにちは」



そしてわたしは、その、穏やかで優しい挨拶に、胸が騒ぎはじめる。



ゆっくり、ゆっくりと顔をあげたその先にいたのは・・・・・




「神楽さん・・・・」




もう会わない、そう決めた人だった。












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