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まほろば交差点






いい天気だった。



―――――――――――――――憎らしいほどに。




数年ぶりの故郷は相変わらず程よく田舎で、適度に都会で、特出して変化したりもしておらず、わたしの記憶通りの風景が迎え入れて………いや、待ち構えていた。



夏を過ぎた今の時季はさほどその威力は感じないけれど、最盛期は盆地特有の蒸し暑さで、訪れた旅人を汗だくにさせる、そんな土地に生まれたわたしは、大学進学で離れたここ奈良に、また戻ってきたのだった。


美術系の大学に進みたかったわたしは、当時、このまま実家にいては良くないという、奇妙な焦燥感に追い立てられるようにして、東京の大学を選んだ。


子供の頃から図画工作、特に絵画に関しては、常に褒められたり賞をもらったりしていたので、大学受験も気負わずに挑めたし、大学入学後もそれなりに自信はあった。


けれど、所詮は井の中にしか過ぎなかったのだ。


大海を知ってしまった蛙は、日に日に疲れて、次第にコンクールからも遠ざかっていった。


一人娘のわたしを嫌な顔せず東京に送り出してくれた両親は、きっとわたしに期待してくれていたはずで。


なのに、わたしは大学の課題をこなす以外に活動する気にもなれなくて、両親に申し訳ないと思うばかりで、実家にも足が向かなかった。


そしてインターン先でもあったデザイン会社に就職を決めると、忙しさからさらに足が遠退いてしまったのだった。


今日戻ってきたのだって、やむにやまれぬ事情があってのことで、決して自ら望んだことではない。


仕事を辞めてしまった地方出身者が東京での暮らしを維持させるには、まあまあの気力が必要で、わたしはそんな気力もなかったのだ。


けれど両親、特に母は私が奈良に帰ることを告げると、予想外に喜んだ。


それが正直な感想か、それとも、いわゆる ”都落ち” をした私を気遣ってのことかは、電話越しの母からは判別はできなかったけれど………



でもそうして、数年ぶりに、こうして生まれ育った地元に、わたしは戻ってきたのだった。






駅から少し歩いたところに、わたしの実家はあった。


奈良公園近くの交差点に面した土産物屋で、店の奥の一部と2階が居住スペースになっている、古い建物だ。


場所柄、昼間は観光客や修学旅行生が多いけれど、日が暮れるととたんに交通量も減って静けさが広がり、森閑とした夜が訪れる。


そんな話をすると、周りの同僚には羨ましいと返されることも多かった。


確かに、都会に暮らし、大人になって社会に出た今では、その静寂の心地好さを味わうこともできるのだろうけど、当時まだ十代の若いわたしには、その良さが単なる退屈にしか感じられなかったのだ。


まるでここから脱出するかのように東京の大学に進んだわたしは、またこの奈良で生活をはじめることに、決して小さくはない葛藤を持っていた。



そんな葛藤を心の底に隠しつつ実家までの道を歩いていると、少し先に信号が見えてくる。


対向二車線の交差点。


正式名称は、地名が付いた、なんの変哲もないものだったけれど、わたしの実家の店が目印になることもあって、店の名前から、



――――――――――――――まほろば交差点――――――――――――――



そう呼ばれることが多かった。



土産物まほろば………それが、実家の店の名前だ。




わたしはお客がいないのを確かめてから、店の表から入っていった。


「……ただいま」


変に緊張しながらそう告げると、奥の定位置に腰かけて店番をしていた母が、パッと顔をあげた。


「いらっしゃい…って、美里(みさと)やったん。お帰り。疲れたでしょ」


接客用の表情が、一瞬驚きに変わる。

けれどすぐに、母は昔と変わらない笑顔で迎え入れてくれた。


「うん、………ただいま」


わけもなく、わたしはもう一度告げた。


すると母は、数年ぶりだというインターバルをまったく無視するかのように、普通に言葉を返してきた。


「昨日届いた荷物は全部あんたの部屋に置いてあるわよ」


横浜出身の母の中途半端な関西弁が、懐かしく聞こえた。

電話ではやり取りしていたけれど、こうして顔を合わせると、全然違う。


「……相変わらず関西弁下手ね」


わたしは降って湧いた懐かしさに浸らないよう、軽口で返事した。


けれどその裏では、母の姿を、ちゃんと見つめていた。

少し歳を重ねた……という印象が大きくて、なんとも言えない娘の感情も芽生えてくる。

目もとの皺はより深く数も増えているし、若干、猫背になった気もする。

歳のせい、と言えばそれまでだけど、きっと、わたしが仕事を辞めたことで、母にも心配をかけたのだろう。


わたしは申し訳ない思いを持ちながら、母の前に荷物を置いた。



「確かにわたしの関西弁より、あんたの標準語の方が上手いわね」


すっかり東京人になっちゃって。


茶化してくる母に、わたしは「なに言ってんの」とだけ答えた。


わたしも、去年の今頃は、まだそう思っていた。

上京してから5年、社会人になってからは関西弁が出てしまうこともなくなって、出会う人みんな、わたしが関西出身なんて意外だと驚いたくらいで。


でも、こうやって実家に戻らざるをえなかったわたしは、また今日から立派な関西人なのだ。


そう思うと、自分が大学から就職してまで積み上げてきたものが崩れ去るように感じて、心が痛くなってくる。


けれど、そんな感傷を吹き飛ばすかのように、母が底抜けに明るい声で言ってきたのだ。


「でもちょうどよかったわ。今朝からちょっと腰が痛くてね。病院に行きたかったのよ。悪いけど今から店番代わってくれない?」


「は?今から?」


唐突過ぎる母に、私は怪訝を隠さずに顔をしかめた。


「そうよ。店を閉めてからだと、病院混んでるのよ」


「お父さんは?」


「おかげさまで最近は残業続きよ」


父はサラリーマンで、大阪勤務なのだ。


「えー……じゃあ、仕方ないか。でも早く帰ってきてよ?」


荷解き以外特に予定もなかったわたしは、長旅で疲れてるんだという態度をあらわしながらも渋々了承した。


母は「助かるわー」と弾んで言うと、ゆっくり、腰をかばうようにして立ち上がった。

どうやら腰を痛めたというのは本当らしい。


「レジも変わってないし、袋とか備品も前と同じところにあるから」


「わかった。気をつけてね。何かあったら電話して」


「ありがと。あ、あと、そろそろ修学旅行生が増えてきてるから、」


「わかってるってば!わたしだって高校までは店番してたんだから、ちゃんと覚えてます。ほら、早く行って、それで早く帰ってきてよね」


まだ言いたがる母を、わたしは遮って背中を押しやった。


「そう?それじゃ、頼んだわよ?」


自分で店番を頼んだくせに、わたしを不安げに見るのはやめてほしい。

こっちは慣れない飛行機移動で疲れてるんだから、イライラさせないでよね。


わたしは母を見送りながら、心の中では悪態ついていた。



しばらくして母が出かけると、店にはわたし一人きりになった。


さっきまでは、ここに戻ってくることに複雑な想いを抱えていたというのに、能天気な母のおかげか、急きょ頼まれた店番のせいか、今はさほど沈んではいない。


わたしは持って帰った荷物を店の奥の住居入口に移動させると、母が腰かけていた丸椅子に座った。


そして、数年ぶりの店番に少しの緊張を走らせながら、店の前を行き交う修学旅行生達を眺めていた。











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