浴場
島森歩は、散歩の終わりに銭湯に行くことを毎日の楽しみとしていた。手ぬぐいを頭にのせ、改築され広くなった湯船に首までつかる。左右の壁に富士がそれぞれ描かれているのは、旧時代の名残だ。洗い場では、若い夫婦に挟まれて女の子がくすぐったそうに身体をよじらせている。運動サークルの帰りに寄った、筋肉に包まれた男子学生が二人、髪を泡立てながら、今日の試合について真剣に話をしている。湯船の斜め向かいに、常連の中年夫婦が無言で並んでいたので軽く会釈する。つい、若い夫婦の妻の白い背から臀部にかけての曲線に惹きつけられてしうため、湯船のふちに首をあずけ、手ぬぐいで目を覆った。
日本社会におけるジェンダー議論が、なぜか銭湯に飛び火した。テレビで、痩せぎすで青白い不健康そうなコメンテーターが、ヨーロッパの混浴サウナ文化に見られる男女の人権意識の高さをしきりに賞賛し、性別不明の新鋭ナチュラリストが中国奥地の少数民族の混浴温泉を紹介し、ねずみ男のような若い大学助教が、江戸時代の銭湯がいかようであったかを語った。そして、みな示し合わせたかのように、「現代日本人のジェンダー意識がどれほど低いか」を嘆いた。銭湯の壁は旧時代の壁で、歯が抜けて何をしゃべっているかよく分からない年寄りの芸能人が、銭湯の壁をベルリンに比したが、誰も知らなかった。今、破壊された男女を隔てる壁のタイルを組み込んだアクセサリーが、性開放の象徴として、流行している。
島森歩は、取り残された旧時代の男だ。浴場で欲情など、くだらぬダジャレだが、洒落にならない。万が一、股間のモノがかたくなってしまえば、その場で通報される。幸か不幸か、性欲はあれど、もう機能しない。だらしなくぶらさがっている自身の一部に、安心と惨めの入り混じった複雑な心境だった。人間の文化は移り変わる。人々はこれを進歩だと自賛するが、どうなんだろうか。なんとも受け入れがたく感じるのは、自分が年寄りだからだろうと、癒されにきた銭湯で、嫌な気分になりかけ、お湯から上がることにした。
ちょうど立ち上がったタイミングで、身体を洗い終わった女の子がやってきた。
「わあ、パパのより大きい。ゾウさんみたい!」
女の子が無邪気にというので、
「ぱおーーん」
と冗談を......
――島森歩(76)無職、迷惑防止条例違反で現行犯逮捕――銭湯で女児に性器を見せつけた疑い
オットセイ主人曰く:現実社会は妄想よりもはるかにねじ曲がった方向に進むので、どうかなるのか楽しみ。この話は、のちに改編して中編小説の一部に組み込まれるかもしれない。