十里純也
小学生は、誰も変わらず。マセた子供といえど読者モデル真似る女子や、テレビ俳優の口調を模倣する男子は確かにいた。けれど所詮は小学生の遊戯であり。大人と言えないのは当然だろう。小さい頃の僕は特に子供っぽい小学生ではあったが、俗にいうマセた子供とも普通に接していたし、大人になりたがる背伸びをする子と変わらないと思っていた。
中学生になると、少し変わる。何気ない日常に少しだけ変化が訪れていた。教師にバレないように、薄く化粧をしてくる女子生徒は少なくないし。制服の下にアクセサリーを忍ばせる男子生徒もまた少なくなかった。
休み時間にゲームの話をする友人は、微かにワックスの匂いがする。そんな変化に疎い僕は変化していく友人たちを他所に、朝起きてそのままの髪型に。生まれて一度も刃を当てたことのない眉毛で毎日登校していた。
今思えば、当時。休日になると親が買ってくれた服に、父親のおさがりのカバンを持ちショッピングモールで隣を歩いてくれた友人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
高校生になると違いは明らかであった。小学生まで一緒に走り回っていた友人は、いつしかオシャレな男へと進化し。眼鏡で三つ編みだった地味な女の子は、すれ違うと目で追ってしまうような女へとこれまた素敵な成長をしていた。彼らは華やかな高校生活を送るべく成長し、青春を楽しむという切符を持ち今まさに最後の少年時代を楽しんでいる。
僕、十里純也は気が付くのが遅かった。努力しなければ、手に入らない物は沢山あると知った。アニメや漫画の様に、僕は主人公で高校生になると自然にオシャレになって、異性と普通に話せて。日曜日は遊園地でデートして、夏休みの終わりには彼女が出来る。そんな絵に描いた様な青春は誰にも約束をされていて、僕もその道を歩むと思っていた。
けれど違った。青春への片道切符を買い損ねた僕は、夏休みだというに地味な漫画研究部に所属し、物置を無理やり改造したような部室で一人寂しく漫画を読んでいた。夏に入り、一度も切ってない少し伸びた髪の毛と、一度も手入れしたことのない黒い雑草の様な眉毛を装備した、青春に見捨てられたモブキャラである。
どこからか引っ張て来た年代物の扇風機がじじじと音を立てる。ファンが回転して送られる風よりも、モーターが擦れ焼けつくような音が気になり、より暑さが増しているのではないかとすら思ってしまう。物置から辛うじて部室へと姿を変えた部屋には窓が一つ設置されているが、今日は天然の風がちっとも入ってこなかった。
「男女が恋するありがちな青春漫画でした。全てが非現実的すぎる。こんな都合の良いことはありえないと思います、マル…と」
本日の漫画研究部の活動を終えた僕は、読み終えた漫画をテーブルに置く。表紙は大人しそうな男子高校生と、活発だけどとても美人な女子高生が描かれていた。ふと窓に映る自分と見比べる。そこに見えたのは眼鏡をかけた如何にもな男子生徒だった。
現実は何もしなければ女子はおろか友達すらも簡単にできない。リアルというのは社会的で現実的だと今更になって痛感する。
「……あ、来てたんですか……先輩?」
もう一人の漫画研究部の部員。長谷川学美が扉を開け入ってきた。俯き、小さな声でボソボソと微かに空気を振動させる声。聞きなれた僕ですら、全部は聞き取れずニュアンスだけで「あ、僕がいたことに驚いているんだな」と解釈することにした。
「おはよう長谷川さん。今日も来たんだ」
「……あ……はい、そうですね」
学美は、僕と視線を合わせぬように奥の本棚へと向かう。僕は、彼女を目で追った。
黒々とした長い髪は左右で二つに結っていて、歩くと僅かに揺れる。僕よりも縁の大きいの眼鏡をかけた彼女。失礼な話だがなるべくして漫画研究部に入ったのだろうと容易に想像がいた。彼女もまた、僕と同じ青春という列車に乗り損ねたモブキャラなんだろう。
学美は、目当ての本を手に取ると、僕の斜め前に椅子に腰かける。可能な限り距離を取ったのがわかるが、これはいつものことなので特別何も思わなかった。お互い干渉せずに過ごしましょうという合図。同じ空間にいるのに、別の場所にいるような感覚だった。
夏は良い。古い扇風機のモーター音と、遠くから聞こえるセミの鳴き声が場の静寂をかき消してくれる。ただ、各々が漫画を読むだけの活動とはいえ、しんと静まりかえった空間だと、ページのめくる音ですら気を遣う。
僕は、さっきまで読んでいた退屈な青春漫画を、本棚に直そうと立ち上がる。椅子を引く音に学美が一度こちらをちらりと目線だけ向けてきたが、すぐに漫画に視線を戻した。
「長谷川さんは、どれくらいいる?」
「……お昼まで」と、彼女は律儀に漫画を読む手を止め、僕の方を向いてそう答えた。
「そっか、だったら僕ももう少しいるよ」
「お構いなく……先に帰ってください。鍵は私が……ちゃんと閉めておきますんで……」
「そっか、うん。帰りたくなったら帰る」
「……はい、本当に、私のことはお構いなく」
気の使い合いなのか、それとも一人になりたいのか彼女はいつものトーンで答える。学美の話し方には感情は薄く。心境が読み取れないため、こちらも反応に困る。邪魔だから本を読んだのなら出て行ってくださいくらい言ってくれればすぐに出ていくのだが。
本棚に本をしまうと、再び椅子に座る。手元に本はない。何となく本を読む気にはなれなかった。先ほどまで読んでいた本のせいなのだろうか、読み終えた後現実に戻されるのが今日は耐えられない日であった。
女子生徒と同じ部室に二人きり。と言えば聞こえは良いかも知れないが、クラスに溶け込めない爪弾きが逃げ込んだ場所。とてもじゃないが談笑できるような雰囲気はないし、そもそも話しかけられるような勇気もない。野球部の掛け声が部室に届く。この空間はこの場にいる二人よりも、他の部活の声が占領するようなそんな場所なんだな。
時刻は正午ぴったし。スマホでそれを確認すると僕は立ち上がった。
「僕は帰るけど、長谷川さんは?」
僕の問いに、彼女は読んでいた漫画の手を止めて、視線をこちらに向けながら、
「私はもう少しだけ残ります……先輩。お疲れ様でした……鍵はかけておきますので」
と、拒否ともとれる言葉を返してきた。僕は一度息を飲むと、それを悟られぬように平静を装い。少しだけ明るい声で「お疲れ。またね」と口にし、返事を聞かずにさも用事があるかのような速足で部室を後にした。
漫画研究部にいる長谷川学美に、僕の足音が聞こえない場所までくると、僕は速足を止め歩くスピードを落とした。正直に言うと、長谷川さんと一緒に帰れるのを期待した。
あんな暗そうな女性でも女子高生だ。一緒に帰れば、僕も青春もどきができる。利己的だろうが、最低だろうが、僕にはそういう企みが生まれていた。このまま置いてけぼりを食らうくらいならこの際、長谷川学美でもいい。せめて友達にでもなってくれないか。
夏の町は眩しい。それは太陽の光ではなく雰囲気のこと。もちろん太陽も眩しい。色々な輝きが僕を照らし、僕は目を開けていられない。目を瞑る。けど、夏の日差しは、僕の瞼越しに眩い輝きを見せつける。
学校を後にした僕は、商店街を通りながら駅へと向かう。夏休みだからだろう、商店街は普段よりも子供たちが多かった。照りつける日差しはアスファルトを熱し、上下から僕を焦がそうとしていた。日ごろ運動をしていない僕の体力はこの暑さの中、歩いただけで底をつき。学校指定のシャツは汗で身体へ張り付く。気を抜けば倒れてい終いそうだ。
手を繋いでいる学生であろう年齢の男女が、美味しそうにアイスクリーム食べている。木陰のベンチで、少年たちが携帯ゲーム機を持ち寄り遊んでいる。僕が取り損ねた物を彼らは、彼女たちは持っていた。楽しそうに夏休みを謳歌している。一方の僕はというと、漫画研究部という地味なサークルを終え、一緒に帰ろうと誘った女生徒からは拒否され、一人帰路についている。
「……はぁ、どうしてこうなんだろう」
心の声は溜め息と共に漏れる。乗り遅れた青春という列車。学校では教えてくれない人生の歩み方。友達の作り方。彼女の作り方。服装の選び方に、整髪料の付け方。自分を磨くという行為から目を逸らした僕に突き付けられる現実は、退屈な夏休みであった。
「ただいまー」という言葉に返事はない。それも当然で、両親は平日なので仕事中だった。
ガランとした空間、三人住まいでも広すぎる家だが、こうして一人だと尚更それを感じてしまう。テレビでもつけて家の雰囲気を明るくしようとしたが、リモコンを手にしたところでそれを止めた。どうせ、僕はテレビを見ないだろうし、部屋に戻るだろうし。
玄関から、一番奥の部屋が僕の自室。親が僕に部屋を与えてくれるという話が上がったときに、僕が希望して一番奥の空いている部屋にしてもらった。理由は、何となく親たちと遠くへ行きたかったという理由。今思うと思春期の片りんの様なものも僕にはあった。
自室に戻ると、僕は制服を脱ぎ捨てる。扇風機のスイッチを入れベッドに倒れこむ。汗ばんだ身体がベッドのシーツに張り付き、心地悪かったが、直す気になれなかった。
大の字に寝転び天井を見つめる。首を振る扇風機が定期的に僕の前髪を揺らす。窓一枚隔てた奥で、蝉の合唱。この時期は、どこにいても夏を忘れさせてくれない。
寝転がった体勢から、首だけ向けて部屋の入口付近にある本棚に目をやった。大好きな漫画が収容力を超え溢れている。並べて入りきらない本たちは、縦や横やら斜めに、隙間を縫って埋めるかのように収まっていた。
「漫画……だらけなんだよぁ」
そう、漫画だらけだ。普段は誇りに思っていた僕のコレクション達も、今日は何故だか陳腐に見えた。彼らは夢や希望を見せてくれるが、それは所詮夢の中だけで、現実には希望を見せてくる本は一冊もない。
恋愛漫画は沢山あるが、恋愛の仕方を書いた本は一冊もない。今日、漫画研究部で見た漫画もそうだったな。冴えない男子が、学校一の美少女に振り回される物語。ここで注目してほしいのは、冴えない男子という紹介をしている主人公が、まったく冴えなくないということ。並み以上の容姿を持ち、ヒロインに対して、優しさや時折格好良さを見せている。あれはどう贔屓目に見ても、モテる男子生徒で冴えないなんて言っていいものじゃない。
冴えない男子というのはきっと、僕みたいな男を指すものだ。自虐を思って苦笑する。今日の僕はどうしてしまったんだろう。
「……長谷川学美」
ふと、同じ漫画研究部にいる冴えない女子生徒を思い浮かべた。地味で、ダサい眼鏡をかけていて声も聴きとりにくい少女。彼女はほぼ毎日漫画研究部に顔を出している。夏休みに入ってからも、それは続いていた。
これから察するに友達はいないのだろう。
そうだ、彼女は僕と同類なんだ。地味で冴えなくてクラスの爪弾きもの。嫌われてはいないが誰からも好かれていない。だから退屈な漫画研究部の部室に毎日顔を出している。
地味同士が押し付けられた場所。そう思うと悔しさがこみ上げてきた。そして、同時に僕は長谷川学美ほど地味ではないという自信が湧いてきた。理由の一つに、僕は普通に喋ることが出来る。彼女は、喋るときもボソボソと聞き取りにくい。どうだ。これだけで既に、彼女は僕よりずっと地味な証拠だ。
「よし、そうだ。長谷川学美を練習台にしよう」
声にして息が詰まる。人を利用しようという考え。けれど、どこか清々しさもあった。対照的な二つの感情が心臓を走らせる。青春初心者の僕は、あの長谷川学美で練習して自分を磨いて、他の皆に追いつこう。大丈夫、簡単だ。だって相手はあの長谷川学美、あんな地味な女子、簡単に攻略できる筈だ。