韜晦亭奇譚
少しばかり昔の話をしようと思う、この胡散臭い話は俺がまだディレッタント通信などというマイナーな科学雑誌の記者などをしていた頃のものだ。
当時、俺は仕事終わりには必ず立ち寄る店があり、文字どうりに消えてなくなるまでの約5年間をほぼ毎日のように通っていた。
店の名は「韜晦亭」という
カウンターと小さなテーブル席が二つしかない、小さなバーである。
その日も我が家のように韜晦亭の扉をくぐった俺は、顔なじみの常連が現れるまでの時間をマスターとの雑談で潰そうと思っていたいたのだが。
奥のテーブル席に先客がいた。
残念なことに俺の飲み仲間ではなかったが、マスターに訊いてみるとどうやら俺とは時間帯の異なる常連らしいが、そのあまりの変化ぶりになにやら混乱している様子だった。
なりしろ、太っているとかゲキ痩せしているとかではなく、身体のサイズが小さくなっているというのだだから、にわかには信じがたい話であった。
「しかし、会話したかぎりでは本人に間違いないと?」
そして似た人を連れてきて他人をからかう人物ではないらしい。
大学でロボット工学の教鞭をとる教授らしく、普段から冗談らしいことも言わない堅物だとか。
マスターの話に興味を持った俺は記者としてではなく、個人的に教授に話しかけてみることにしてみた。
「はじめまして、マスターから聞きましたがロボット工学の先生だとか。どのようなロボットを造っているのですか?」
名刺を差し出しながらより相手を観察してみるが、確かに小さい男だった。
年齢は初老をやや過ぎたあたりだろうか、丸々と太っていて達磨に手足が生えているような外見で
タヌキと間違われる猫型ロボットを彷彿とさせた。
「私のロボットに興味があるのかね。」
教授は背広のポケットから手のひらに収まるほどのガラス玉とルーペをとりだす。
「ナノマシンなどという呼び名はどうにも好きではなくてね、マイクロマトンと私は呼称しているがね、ようは極小の機械だよ。」
教授は実に楽しそうに俺の質問にこたえてくれた。
「極小とはどれぐらいですか」
「人間の血管に入れるぐらいだね」
「どうやって、そんなに小さいロボットを造るのですか?」
「最初は私もいきなり可能な限りに小さいマイクロマトンを造ろうとしたのだが、所詮人間の器用さにはすぐに限界がきた。それでマイクロマトンに自動で造らせることにしたのだ」
「それは、ロボットに同じロボットを造らせるということですか?」
ベルトコンベアーの横に並びちまちまと作業するロボットなんかを想像してみたが、教授は首を横に振る
「最初に自分より少し小さなオートマトンを造り、そのオートマトンに自分より少し小さなオートマトンの複製を造れと命令を与えておけば、後は材料を与えておくだけで、いずれ私の望むマイクロマトンが完成するというわけだよ」
そうゆうと教授は先ほど取り出していたガラス玉とルーペを手渡し覗いてみるように促してきた
「!」
声もない俺に教授は愉快そうに声をかけてくる
「何が見えたかね」
「小さな教授が更に小さな教授を造っています…どういったトリックです?」
「トリックなどと、とんでもない。先ほど説明したとうりの事を行っているのだよ」
「すごいですね、しかし、何故こんなマイクロマトンを造ろうとおもぅったのですか?」
「何故だって、そうだ…どうして私はマイクロマトンを造ろうと思ったのだろうか」
「………思い出せない」
教授は頭を抱えて苦悶しはじめた。
何か気に障る事を訊いてしまったのかとあわてて話題を変えようとしたとき、あわただしく店の扉が開け放たれ大柄な男が入ってきた。
「ようやく見つけたぞ」
その男はこちらに駆け寄ってくると唸っている教授の襟首をつかみ上げる。
そのあまりに乱暴な所作に声を上げようにも、その男の顔を確認した瞬間、声を詰まらせてしまう。
そこにいたのは身体の一回り大きい教授その人だった。
「今日の飲み代はつけておいてくれ」
茫然とする俺とマスターをそのままに教授(大)は教授(小)を掴んだまま店を出ていく。
「待ってください教授」
俺はあわてて後を追いかけていくが店の前には車が止められていて教授(大)は教授(小)を乱暴にトランクに押し込むとすぐさまに走り去っていく。
わけのわからぬままに俺は店に戻るしかなくマスターからの問いかけに
「車のトランクの中に大きさの違う教授がぎっしりと押し込められていた」
と見たままの事を伝えるしかできなかった。