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psycho〜親愛なる君へ〜  作者: 山居中次
7/41

藤村彩子について。

  満面の笑みをたたえた、みのりん。


  彼女は、俺の腕ををつかんだまま、嬉しそうに、目を細め、白い歯を見せて、笑顔を俺になすりつけて来た。


  そして。


「ねえねえねえねえねえ。藤村さんて、何が好きなの?さっきから話しかけてるんだけど、全然相手にしてくれなくてさ。ウチ、嫌われてるのかな?って、言うか、木村君、藤村さんと仲いいよね、そうだよね。ねえ、藤村さんの事、何か教えてよ。ねえってばぁ」


  と、言った。


  やたらと、ねえ、が多かった。


  早口で、一気にまくし立てると、みのりんは、俺の顔を覗き込んで「木村君って顔きれいだよね」と言ってから、「まあ、そんな事はどうでもいいや」と先の俺の顔の件をあっさりと放り捨てた。


「知らない」


  イラつく位のハイテンションで絡みつく彼女に俺はそう答えた。


「知らないって朝、なんか二人で楽しそうに話してたじゃん」


  みのりんがしつこく聞いてくる。


  みのりんには、俺たちの会話が、楽し気に見えたらしい。


「別に楽しくはないし。それに、本当に何も知らないんだ。昨日学園通りのマックで初めて会って、少し話しただけだから」


  俺がそう言うと、みのりんは嬉しそうな顔をさらに輝かせて「ふーん。つまり、昨日マクドで、2人は知り合って、木村君が、藤村さんに、一目惚れしたって事か」と、はしゃいだ。


  サイコに興味を持ったのは確かにだが、正直一目惚れはしていない。


「何で、そうなる?」


「だって、あの娘美人じゃん」


  美人に男が声を掛ける、イコール一目惚れ。実に単純な理論だった。確かにサイコは美人の部類かも知れないが、始めに言った様に、俺は、眼つきの悪い女と言う印象の方を強く彼女に抱いていた。


「でも、あいつ普通じゃないぜ。何か、ヤバイよ、あいつ」


  藤村彩子。通称サイコは普通じゃない。昨日一日、そして、今朝会話をしただけで、俺はそれを痛いほど感じていた。


「甘いな」


  みのりんが、急にそう言って、真剣な顔になった。


「普通と言う概念は、所詮多数派の共有概念でしかないよ。どんな天才でも、百人が馬鹿だと言ったら馬鹿。逆に、どんな馬鹿でも百人が天才だと言えば天才なんだよ。藤村さんは普通じゃないかもだけど、でも、何か魅力がある。だから、木村君も声を掛けたんでしょ?」


  さっきのギャグを言っていた少女と同一人物とは思えない哲学的な言葉がみのりんの口から発せられていた。


  みのりんの言葉に、俺は何も言い返せなかった。


「倫理の中山の口癖だけどね」


  倫理の中山。さっき若林先生から聞いた名前だった。


「倫理の中山ってどんな奴」


  みのりんが、嬉しそうな顔になって答えた。


「我らが、風研部の顧問。ウチは、教授って呼んでるけどね」


  みのりんが、たった一人の風研部だと、この時知った。


「いい先生?」


「うん。でも、風貌は、かなり怪しいかな。白髪のおかっぱに眼鏡。いつも、よれよれのコート着てる。自分じゃ、若い頃に宮崎勤ミヤザキに似てるって馬鹿にされたとか言ってる」


  彼女の説明から、どうも、倫理の中山は、かなり個性的なキャラクターの様だ。


「木村君、風研部に興味・・・・」


  みのりんが、また、嬉しそうに俺の顔を覗き込んだ。


「興味ない。ところで、俺の席知らないか?」


  みのりんの言葉を振り払い、俺は、自分の座るべき席がどこに行ったかを、彼女に問いただした。


「ああ、くっ付けた。ウチの席と、藤村さんの席と。一緒に食べようと思って」


  そう言って、みのりんは、サイコの座る窓際の席の方を指差した。確かに、そこには小さな机をくっ付けて作った即席のテーブルがあった。そのテーブルで、サイコが、大人しく座っていた。彼女の目の前には、包みの解かれていないハンバーガーとポテト。そして、なぜか、たこウインナーが一匹いた。


「ポテト一本と交換した」


  みのりんに連れられて、席に着くと、サイコがボソッとそう言った。


「なんか、物欲しそうな顔してたから交換した。ウチもポテト食べたかったし」


  みのりんが明るく説明する。


  確かに、みのりんの弁当箱の中の、たこウインナー御一行様の中に、マックのポテトが一本紛れていた。


「サイコ、お前わざわざ待っていてくれたのか?」


「高山さんが待ってよう。って言ったから」


  サイコは相変わらず無機質につまらなそうに、そう言った。


「みのりん、高山って言うんだ」


  みのりんの本名に俺は話題を振った。


高山実たかやまみのるって言うんだ。でも、ウチ、女の子だから、『みのり』の方がよかった。」


  口を尖らせて、眉をへの字にして、高山実は困った顔を作って見せた。



  そんな顔が妙に可愛らしかった。


「じゃあ、揃ったし、いただきます。しようか」


  みのりんが、幼稚園の先生の様に、手を合わせて、俺とサイコを誘導した。俺は恥ずかしさから、彼女を無視してさっさと食べ始めようとしたが、サイコは、みのりんを真似て、手を合わせていた。無機質だが、案外素顔な面も、この娘には、あるんだと思った。


「こら、木村君もちゃんと、いただきますしなさい」


  みのりんに怒られた。


「あ、うん、やるの?子供じゃあるまいし」


  俺がそう渋ると、みのりんは、「ちゃんと感謝しないと」と俺に説教をした。


「弱肉強食、因果応報、輪廻転生、生きとし生けるモノ全てはつながり、業となり、今ここにいる私につながる事へ感謝いたします」


  サイコが無表情で、そう言った。


「ほら、サーちゃんも、ちゃんとやってるじゃない」


「サーちゃん?」


「だって、藤村さんの事、サイコって、今呼んだでしょ、だから。サイコちゃんだから、サーちゃん」


  サイコは、今、みのりんにより、サーちゃんと命名された。だが、俺は、藤村彩子をサイコと呼び続けた。

  結局俺は、二人にいただきますを、させられた。いただきますをするのは、確か小学校の低学年以来実に久しぶりだった。俺はこの日から、昼休みの度に、みのりんにこれをさせられる様になった。そして、俺の中で、いただきますが、いつしか、食事の前の儀式として、しっかりと復活していた。


  昼休みを終えてからの5時限目、6時限目も、俺はやっぱり聞き流し、サイコは大人しく頬杖を付いてやり過ごし、みのりんにいたっては、机に顔を突っ伏して眠っている。時期的には、そろそろ期末テストが始まる頃だが、俺たち3人を始めとして、このクラスには、その緊張感が全く無かった。多分、みんな、どうでもいいのだ。勉強など、取るに足らない事、重要なのは、高校生と言う身分を一時でも味わい、その青春を、出会いと、遊びに費やして、謳歌する事だ。


  この学校には、優等生は、1人もいない。言うなれば底辺校だ。さっきの昼休みに、みのりんから聞いた話では、もう、1クラス分の人数の退学が決まっていて、来年には、1クラスが確実に消滅するそうだ。俺も、多分その消滅の内に入るだろう。


「あーあ、よく寝た」


  今日1日の全ての授業が終わり、放課後が始まると同時に、みのりんが目を覚ました。


「ンガーニュアー」


  体を伸ばし、昼寝明けのネコの様な奇妙な声(音?)を発した後に、「ういー」と雄叫びを上げて立ち上がると、すぐさま、サイコの元に駆け寄り、帰り支度を終えて、カバンを肩にかけたサイコの腕をいきなり掴んで、「サーちゃん行くよ」と言って、彼女を何処かへ連れ去った。と思いきや、そのまま、サイコを引きずって、今度は俺の所にやって来た。


「行こう、木村君も」


「どこに?」


「風研部だよ」


「興味ない」


「何で?サーちゃんも行くんだよ」


  サイコは、やれやれと言った態度で、みのりんに腕を掴まれている。


「サイコと2人で行けばいいだろ」


  俺は、面倒くささから、そう言って断ったが、みのりんは、「2人は一緒の方がいい。多分その方が楽しい」と言って、頑として譲らなかった。


「解ったよ。行けばいいんだろ、行けば。だけど、あくまで、部活見学だからな」


  俺がそう言うと、みのりんは嬉しそうに頷いてニコリと笑った。


「こっちこっち」


  みのりんに連れられて、俺たちは新館にある図書室にやって来た。みのりんが言うには、風研部には部室が無く主に図書室で活動をしていると言う事だった。


  図書室は、文化部の溜まり場になっていた。


  風研部以外に、読書部(これは当たり前)文芸部、フォークソング部(音楽室は合唱文芸部と、吹奏楽部に占拠されて、弾かれた連中)がここを使っていた。後は、帰宅部の連中が、帰宅せずに文化部の連中を冷やかしながら暇を潰している。


「教授ー。藤村さん連れて来たよー」


  みのりんが、本棚の列に向かってそう呼びかけると、みのりんの言った通りの、白髪のおかっぱにトンボの様な眼鏡を掛けた男が本棚の影から、ぬうっと現れた。


「やあ、君が、藤村彩子さんだね。待っていたよ」


  そう言って、中山教授はサイコをまじまじと見つめた。眼鏡の奥のその瞳は独特の鋭さを帯びて光っていた。それは、サイコの切れ長の三白眼と、いや、それ以上の迫力があった。


「はじめまして、藤村彩子です」


  サイコが、また、若林先生の時と同じ様な淑女になって対応した。


「君の事は、教え子から聞いてるんだよ」


「教え子?彼女ですか?」


  サイコが、みのりんを指してそう言うと、みのりんは「ウチじゃない♪」と何故か嬉しそうにそう言って首を横に振った。


「真鍋美雪。君の小学校の時の担任だよね?」


  中山教授の言葉に反応する様に、サイコが目を見開いて、教授を見た。


「帰ります。残念だけど、私あの人好きじゃなかったから」


「待って、サーちゃん」


  帰ろうとするサイコを、みのりんが引き止める。


「ウチも、美雪先生のクラスだったんだよ。サーちゃんの学校辞めた後、美雪先生は、ウチの学校に来て、ウチの先生になったんだよ。ウチは、美雪先生の事、大好きだった」


  サイコは立ち止まり、あの、鋭い目つきで、教授と、みのりんの事をにらんだ。


  その眼に、教授が答える様に言った。


「とても、魅力的か子だと、真鍋さんは君の事を言っていたよ」


「魅力的?」


「そう言っていたよ。想像力豊かで、頭が良くて、でも、何処かあやうさがあると、彼女は言っていた」


「危うさか。悪口ですかな?」


  サイコが低い声で、そう切り返す。危ういと言われたのが気に入らないらしい。


  本当に、ヒネた女だと思う。


「まあ、そう感じるのは、君の自由だが。彼女は本気で、君の事を思っていたよ」


「それは知っています。真鍋先生は私を“普通”にしたかった。けれども、私は“普通”じゃなかった」


「そう、君は、“普通”じゃない。けれども、普通と言う概念は、多数派の共有概念に過ぎないんだ。君には他の子供よりも多くの事を感じ取って、多くの事を表現する力があった。それを、魅力的と彼女は言っていた」


  サイコの眼が、徐々に鋭さを失い、元の無機質な眼に変わって行った。


「ウチ、読んだよ。サーちゃんの書いた話。マダラナーダ」


  みのりんが、何とかサイコの機嫌を取ろうと必死になっていた。


「僕も読んだよ。あれは素晴らしい物語だ。真鍋さんから、マダラナーダの載った文集を見せてもらった時から、僕はその作者である君に会いたくて仕方が無かった。そして、今、目の前に君がいる。僕はとても嬉しくてたまらない。どうだろう?僕たちと一緒にこの部活で遊んで見ては」


  教授が、少し興奮気味に、サイコにそう語りかけた。教授の手には、古ぼけた小学校の文集が、握られている。


「今日は帰ります。何だか頭痛がするんで」


  サイコは本当に、具合の悪そうな顔になってそう言った。


「そうか、色々思う事もあっただろうから、今日は帰って休んだ方がいいな」


  教授がそう言うと、サイコは「それでは失礼します」と言って、彼に向かって一礼すると、図書室を出て行く。


「サーちゃん。美雪先生の事嫌いなら、ウチの事も嫌い?」


  図書室のドアをサイコが出る間際、みのりんが、その背中に向かってそう聞いた。


「高山さんの事は。みのりんの事は嫌いじゃ無いよ。それに、真鍋先生も、いい先生だったと思う」


  サイコは、そう言い残し出て行った。


  みのりん。と、高山実たかやまみのるの事を、サイコがあだ名で呼んだ事が俺には意外で印象的だった。


  全てにおいて無機質な印象のサイコは、実は、心を開くのが下手なだけの女の子なのかも知れないと思った。


「さてと、サイコも帰っちゃったし、俺もこれで」


  話題について行けず、おいてきぼりを喰らっていた俺は、そう言って帰ろうとした。


「あっ、ごめんごめん。木村君の事忘れてたよ。でも、まだ帰っちゃっダメ」


  みのりんが、俺をそう言って引き止めた。


「何で?」


「だって、まだ木村君に部活の説明してないもん」


  みのりんが、昼休みに見せたのと同じ様な、口を尖らせて、眉をへの字にした、困った顔を可愛らしく作った。


「おや、君は?」


  教授が、初めて俺の存在に気が付いたかの様な反応をしてから、サイコの時と同じ様に鋭い眼差しで、俺の事をまじまじと見た。その瞳は、本当にサイコの三白眼よりも迫力があった。


「同じクラスの木村君。藤村さんの仲良し君です」


「1年6組の木村正です」


  みのりんの紹介に、教授は「ほーう」と嬉しそうな反応をしてから、「よろしく」と握手を求めて来た。

  俺は、教授と握手をする。


「倫理の担当で、この部活の顧問の中山優作です」


  教授はそう自己紹介をすりと、「とりあえず座ろうか」と言って、席を勧めた。


  図書室特有の大き目のテーブルを、俺と、みのりんと、中山教授の3人で囲んで座った。


「ところで、木村君。君は、藤村さんをどう思う?」

  中山教授は、テーブルについてすぐに、そう切り出した。


「いや、俺は、サイコとは、藤村彩子とは、まだ、そんなに親しい間柄では無いので、よく解りません。ただ、変わった娘だなと思うくらいで」


「サイコって、彼女の事を呼んでるの」


  教授が興味有り気にそう聞いた。


「ウチも気になる。何で、サイコちゃんなの?」


「彼女が、自分でそう、名乗ったんです。サイコパスとか何とか、彼女はそう言ってました」


  俺は、昨日のサイコとのいきさつを教授とみのりんに話した。2人は、黙って真剣に、俺の話を聞いていた。なぜ、人殺しはいけないのか、と聞かれた事。感覚時間の話。そして、俺の過去。いじめの末に、同級生を自殺未遂にまで追いやった事などを、サイコが、やたらと面白そうに、ほじくり出そうとした事など。(いじめのくだりは、伏せたかったが、教授が、「差し支え無かったら、話してくれるかい?彼女がどうして、君に興味を持ったのか、興味があるから」と、鋭い視線で、そう言ったので、その視線に促される様に、俺は、かいつまんで、苦い過去を2人に話した。)


「サイコパス。反社会性人格障害。別名、精神病質とも言う。心理学用語だね」


「教授。それって何なの?」


  みのりんが、教授にそう聞いた。


「生まれ持っての犯罪者とか、よく言うけれど、詳しい事はよく解っていない」


「生まれ持っての犯罪者なんているの?」


  みのりんのその問いに、教授は首を横に振った。


「精神病質、サイコパスは、アメリカでは、先天性のもの、つまり自閉症や、発達障害のようなパーソナル障害の一種だと考えられているんだ。よって、日常生活の中での精神的ダメージによる疾患では無いらしい」


「自閉症って、生まれつきなんですか?」


  今度は、俺か教授に質問していた。


  教授は頷いた。


「まあ、後天的に、うつ病とかで、自閉的な症状が出る人もいるけれど、本当は、脳の発達の遅れから、そうなると言われているんだ」


「じゃあ、サイコにも、脳の障害が?」


「だから、それは結論が出せない問題なんだ。サイコパスは、協調性がなく、飽きっぽく、短気。嘘を付く事、他人を傷付ける事にためらいを感じない。そして、人を魅了する。それが、脳の発達の障害だとか、遺伝子の欠陥だとか言うけれど、僕は、それを、一つの個性だと思うんだ。いいかい、障害者と言うのが間違いなんだ。山下清なんかは、知的障害があるにも関わらず、あれだけの素晴らしい作品を残して、天才と言われたんだから」


  教授はそう熱を入れて話した。


「さすが教授。ウチもサーちゃんはちっとも変じゃないと思う」


  みのりんが大きな声で嬉しそうにそう言った。


「よく解らないけど、サイコパスだっけ、説明聞いてると、ただの変わり者じゃん。そんな子いっぱいいるし、それに、他人を魅了するなんて凄いじゃない」


  みのりんは、興奮気味にそう言った。


「サイコパスって、ようするに、差別用語でもあるんですか?」


  みのりんとは対照的に、俺は冷静に教授にそう聞いていた。


「そうだね。サイコパスの特性は、協調性のなさや、自分勝手さが目立つからね。集団社会でのトラブルメーカーになりやすいってだけで、それを、本人の努力や、周りのサポートで、クリアして、ちゃんとした人間として生きている人もいるって、何かの本で読んだ事があるよ。だから、産まれ付きの犯罪者なんていないんだ」


 教授の話は解りやすかった。


  サイコに付いて色々解った気になる。彼女、藤村彩子に付いては勿論まだ、解らない事は多いが、彼女が自らあだ名として選んだサイコパスに付いて知る事で、サイコの見ている世界に近付いた気がした。


「サイコは、自分を異常だと感じた。だから、サイコと自分で名乗った。じゃあ、その原因は何だろう」


  俺の問いに、みのりんの表情が暗くなった。


「それは、彼女でなければ解らない。いや、彼女自身にも解らないかも知れない」


  みのりんが暗くなると同時に教授がそう答えた。


「教授とみのりんは何か知ってるんじゃないんですか?さっき会うのを待っていたって。みのりんも、同じ先生に教わったて、さっき言ってよね」


  教授が静かに頷き、みのりんが、何かを言おうとした時、それよりも早く教授が口を開いた。


「さっきも言った様に、藤村彩子の元担任、真鍋美雪は僕の教え子なんだ。真鍋さんは、藤村彩子を始めて見た時から彼女の特異性に気が付いた。そして、僕に色々と相談して来た」


「特異性?」


「あまり、人と喋らず関わらず、よく独り言を言っていて、それが、まるで誰かと話している様だった。彼女は僕にそう言っていた」


  感覚時間。つまり、自分の世界にサイコはそんな幼い頃から浸っていたのだと俺には解った。


「確かに変わってるよね。でも、教授。ウチだって、小学生ぐらいの時はよく妄想して独り言とか言ってたよ。お姫様になった事とか想像して」


「みのりん解るの?」


  みのりんがニコニコしながら頷く。


「今も時々妄想するよ。ド◯えもんがいたらなーとか」


  あまりにも子供っぽく可愛い妄想だったため、思わず笑みがこぼれた。


「あー笑ったー。今笑ったでしょ?」


  俺の表情を読んで、みのりんがそう指摘して来た。その必死さが余計に可笑しく、また、笑いたくなった。


「ごめんごめん。あまりにも可愛い妄想だったから」

「馬鹿にしてる?ウチの事」


  みのりんがすねる。


「うん。少し」


  俺はふざけ半分で、意地悪にそう言ってみた。


「ヒドーイ。木村君そんなんじゃ友達なくすよ」


  みのりんもふざけ半分でそう言い返すが、「友達なくすよ」のフレーズが、俺の心の影を小さく揺さぶった。


  大石弥生の顔が浮かぶ。


「ごめん、みのりん。ちょとからかいすぎた」


「えっ、あっいいよいいよ。ウチも高校生にもなってド◯えもんとか、言ってるのが可笑しいの解るし」


  俺が、急に真面目な口調で謝ったので、彼女も気まずくなって、そう言って来た。


  場の空気が静になる。


  フォークソング部のギターだけが静に『禁じられた遊び』を囁いていた。


  その切ないBGMの中で、教授が、語り始めた。


「高山さんの言うように、妄想に浸る事は誰にでもあるんだ。だから、僕はあの時真鍋さんに、もう少し藤村さんに関しては、様子を見るようにと、言ったんだ」

  俺とみのりんは、黙って教授を見た。


  俺たちの眼を見て、教授はいったん頷くと、一度目を閉じて「でも、時代が悪かった」と言った。


「時代って?」


  みのりんがそう質問する。


「アーム教事件って、君たち覚えているかい?」 


「アーム教事件?」


  みのりんが目を丸くして、教授にそう聞き返した。


  教授が頷く。


  アーム教とは、1995年に東京の地下鉄で、爆弾テロを行った事で、一躍有名になった新興宗教だ。あの事件を境に、それまで公にならなかった事件の数々が、明るみに出て、メディアでは、常に教祖天原晃妙の名前と顔を流し続けた。


「アームと、サイコにどんな関係が?


「木村君。これ、読んでみて」


  教授が、手に持っていた文集を俺に差し出した。


「サイコが書いたって言う?」


  俺は、教授から文集を受け取った。


  三島市立◯小学校校内文集。


  文集の表題を見て、初めてサイコも三島の人間だと知った。


  俺は、黙って文集を開いて、彼女の書いた物語を探した。


「マダラナーダの物語」


  確認する様に、俺は題名だけを声に出して読んでから、後は黙読した。


  神を信じても報われず、娼婦にまで堕ちた女性が、愛する人と出会い再び神と人々の優しさを信じて、夫亡き後も強く生きて行く。そんな話に俺は思えた。


「どうだい。君は、この作品をどう思う?」


  俺の目を真っ直ぐ見つめた教授がそう聞いた。


「まあ、マダラナーダが強い女性だなとか」


  みのりんが、教授に質問を投げかけた。


「教授、マダラナーダがどうかしたの?」


「宗教色が非常に強いんだ」


「宗教色?」


  教授が説明する。


「この物語、マダラナーダは、僕が思うにキリスト教の派生と、仏教信仰が権力に流用されていた時代の人々の苦悩を描いていると思うんだ。


「はい?」


  今までまったく興味を持った事の無い宗教だの歴史だのの話が出て来て、俺の頭は一瞬停止した。みのりんに至っては、口を開けて、固まっている。


「あの、教授。もうちょっとウチらにも解る様に」


  固まっていたみのりんが、困った顔になって、教授にそう言った。教授は、「いやーそう言われると難しいな」と言って頭をかきむしって「じゃあ、こう言うのはどうかな?」と言った。


「こう言うのって?」


  みのりんがそう聞き返す。


「登場人物のおさらいと、僕の解釈をもう少し解りやすく今から説明する」


「それなら、俺たちにも」


  俺はそう言って、みのりんと顔を見合わせる。みのりんも「それなら」と言って頷いた。


  俺たちの納得を見て、教授が説明を始めた。


「まず、物語に登場する神様シーダラルタ。これは、ゴーダマシッダールタ。つまり、仏陀。お釈迦様の事だと思う。そして、マダラナーダの夫クリスは、イエスキリスト。そして、主人公のマダラナーダは、キリストの妻だったと言われているマグダラのマリアだと思う」


「マダラのマリア?キリストって結婚してたんですか?」


  初めて聞く話に俺は少し興奮した。


「はっきりとした記録は無いけれど、そう言う説があるんだ。彼女は元々娼婦で、キリストと出会う事で救われて、彼と行動を共にした女性と言われている」


「マグダラのマリアって仏教の人なの?」


  みのりんが聞く。


「マグダラのマリアがそうだったと言う説はないんだ。け・れ・ど・も、キリスト自身が、仏教徒だったと言う説は、最近になって噂されてるんだ。キリストの生涯の中で12歳から30歳までの空白の17年と言われている部分がある。その頃イエスはヘロデ王の迫害を逃れるために、家族でエジプトに避難していたと言われているんだ。丁度その頃のエジプトには、すでに、仏教が広がっていたから、イエスが仏教徒と接触しても可笑しくないんだ」


「仏教の方が先なんですね」


「仏教は、紀元前からあるからね」


  教授が二つの例文を持っていたノートに書き出した。


 A・この世では、敵意は敵意によっては抑えられない。敵意は愛によって抑えられる。これが法である。これを通じて、あなたは神に近づくであろう。


 B・私は言っておく。敵を愛し、悪口を言う者に祝福を祈り、あなたを迫害する者の為に祈りなさい。そうすれば沢山の報いがあり、神の子となる。


「この二つの言葉。一見同じ人物の言葉に見えない?」


  教授にそう言われて、俺とみのりんは、ノートを覗き込んで、二つの例文を見比べた。


「言われて見れば、確かに似ている気がする」


「うん、この、神に近づくと神の子になるって所が似てるよね」


  そう言って、俺たちは2人で顔を見合わせてお互いの意見を確認した。


「この二つの言葉をは、Aが仏陀、Bがキリストの言葉なんだ。こんな感じで、他にも2人の説法には、似たような言い回しの物が多いから、そう言った説があるんだ」


  教授の説明に俺たちは納得した。


  教授が続ける。


「宗教、それに伴う信仰には、多くの人々の心を一つの物へと向けさせる力があるんだ。だから、その力を国や民族の統一に使ったと言う記録は世界各地にある。一国の権力者が、自分を神格化すれば、民衆はそれに従うからね」


  藤村彩子。彼女の描いたマダラナーダは、そう言った世界を描いた物語だと、中山教授は解釈していると言った。


「何か、凄いな、サーちゃん」


  みのりんがため息混じりにそう言った。


「教授。サイコは、今教授が説明してくれた様な事を知っていて、この話を描いたんでしょうか?」


  俺が、そう聞くと、教授は嬉しそうにはにかんで、「いい質問だ」と言った。


「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない」


「どう言う事ですか?」


「彼女が、そう言った史実を知っていた可能性は、あるが、作家の想像力は、現実を超越する事もあるんだ。例えば、小説の中の事件が、後に現実の事件として起こったり、逆に、創作として描いたインチキな古代文明が、新たに発見された遺跡の特徴と酷似したりなんかは、よくあるからね」


  サイコの何かを見据えた様なあの瞳。それを思い出した俺は、きっと、彼女には小さな真実から、多くの事を見抜く力があると思えた。


「サイコは、知らなかったんだと思う」


「何で、そう思うんだい?」


「何となくです」


  俺がそう言うと、教授は頷いて、「僕もそう思うんだ」と言った。


「だから、彼女を、藤村彩子をもっと知りたいと思ったんだ」


「教授、だから、サーちゃんを風研部に?」


  みのりんの質問に教授は黙って頷いてから、こう言った。


「アーム教は、地下鉄テロ事件の前から、メディアを使って、布教活動をしていたんだ。彼ら以外にも、いかがわしい新興宗教が当時沢山あってね、そんな奴らの事をメディアは面白可笑しく報道していたけれど、僕たち教育者は、そんな風潮に危険を感じて警鐘を鳴らす準備をしていた所なんだ。前世とか、あの世とか、精神世界とか、預言とか、形無い物に妄信する若者があの当時は、増えていたからね。藤村さんの、いや、君たちの子供時代は、そんな時代だと思う」


  そんな時代の延長線上に俺たちは今生きている。宗教と聞くと、何かキチガイの様に思えるのは、やっぱりあの事件の後からだろうか?


「だから、サイコの描いた話に大人達は、警鐘の対象を見出した。そんな所ですか?」


「木村君その通りさ。君は中々勘がいい」


  そう言って、教授が褒めてくれた。解けなかった問題が解けたのを褒められたのと同じ位嬉しかった。


「宗教色の強いマダラナーダに、大人達は警鐘を見出して、藤村彩子の精神不安を勝手に想像した」


「そんな、美雪先生は凄くいい先生だったよ」


  みのりんが抗議する様にそう言った。


「別に、誰が悪いとかは無いんだ。真鍋さんも、そこを悩んでいた」


  みのりんの抗議に教授はそう答えて、「人間は、1つでも不安要素を見つけるとそれを正そうとするんだ」と言った。


  みのりんは、黙って俯いた。


  そんな、みのりんを見つめて、教授は、俺達に話しを続けた。


「藤村彩子に精神不安の可能性を見た真鍋美雪は、彼女をどうにか“普通”の子供にしようと力を注いだ。それに応える様に、藤村彩子も、徐々に“普通”になって行った」


「美雪先生は1人ぼっちをほっとけないから」


  俯いていたみのりんがボソッとそう言った。


「ウチも1人ぼっちだったから。美雪先生はウチを救ってくれた」


  教授が優しい目で頷いた。


「彼女は本当に、藤村彩子を救おうとしたんだ」


「けれども、それが、サイコには、お節介だった」


  教授が今度は俺を見た。


「木村君、君は本当に鋭い。簡単に言えばそう言う事なんだ。真鍋さんはよく僕にこう言っていたんだ。藤村彩子は、みんなと打ち解けて来たけど、今度は自分を演じている様に見えると、無理をしている様に見えるってね」


  真鍋美雪先生は、サイコの担任でいられたのが1年間だけだったのをとても悔やんでいたと教授は言った。どうやら、サイコは変な所が素直すぎて不器用な女の子だったらしい。それまで、1人でいる事が多かった少女が今度は一生懸命集団に溶け込む為に自分を偽る姿が目に浮かんだ。


「後少しだけでも一緒にいられたら、もっと藤村さんの変化を見る事が出来たと彼女はよくこぼしていた。社会の風潮に流されて、個性を否定したんじゃないかって」


  教授はそう言って、サイコと、真鍋美雪先生の逸話を締めくくった。


  個人と集団の境目のバランスが保てず、彩子は多分その時壊れた。俺はそう感じた。


  藤村彩子が、サイコになるほんの少し前、アーム教が、あの事件を起こした。

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