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psycho〜親愛なる君へ〜  作者: 山居中次
43/45

ボブディランを聞きながら。

 終電を逃して、その娘はこの店に転がり込んできた。


 1980年


 マスターこと、葉山和幸さんが、まだ、この店、ガロを始めて、数年の頃だった。


 金曜日の夜だった。


 華金と言う言葉があった。


 当時、バブル景気前夜の浮かれた雰囲気の中、週末の金曜をそう呼んで、徹夜で遊ぶ若者が今よりも多く、散々飲み、遊んだ結果、終電を逃して帰れなくなる輩が多くいた。そんな連中の為に、金曜日に深夜も営業をして、始発まで店を開ける喫茶店は多くあった。


 ガロも、そんな当時よくある喫茶店の1つだった。


 世間の浮かれた風潮に乗っかって始めた深夜営業。だが、沼津に比べて、遊ぶ所の少ない三島では、終電を逃す若者もそうは居なくて、深夜営業をして、客が入って来たのは、ほんの1、2回、あったかないかで、ましてや、そんな客が常連になり事はまず無かった。(華やかな駅の南側と違い、北側は閑散としている)


 時々、レコード趣味仲間のコウスケが遊びに来るけど。


「やれやれ。今日も独りの夜鍋に終わるのか?」


 そんな風に独りで呟いた時だった。入り口のドアが開いて、1人の女性が入って来た。


「あの、ここ、朝までおっても平気?」


 その娘は入るなりそう言った。


「はい、大丈夫ですよ。どうぞ」


 和幸さんさそう言って、カウンター席を勧めて、「飲み物は」と注文を取った。


 彼女はカウンターに座ると、「コーラ」と一言言うと、店内を見渡して、「いい店やね」と呟くと「でも」と言って少し小馬鹿にした笑いで「閑古鳥や」と言って、ケタケタと笑った。


「あんまし流行ってへんな」


 追い打ちを掛けるように、彼女がそう言った。


「深夜だし、駅の北側だからね」


 少しムッとして、和幸さんもそう言い返した。


「確かに」


 彼女が納得する。


 コーラにレモンを添えて、彼女に出した。


「サンキュー」


 彼女は、そう言って、コーラを受け取ると、まず、添えてあったレモンをしゃぶって「スッパー」と嬉しそうにはしゃいだ。


 一目惚れをした。


 レモンをしゃぶって無邪気に小さくはしゃぐ彼女の笑顔に彼は思わず魅せられていた。


 細身でブルーのワンピースを着た彼女は、色白でキリリとした眼が印象的な今で言うクールビューティーと言った感じの娘だった。


 関西訛りの喋り方と、そのキリリと言った印象から、始めはキツイ雰囲気の娘かと思ったが、レモンの酸っぱさに負けて笑った時にキリリと吊り上がった眼が更に細くなる。そこがたまらなく可愛らしかった。


「お客さん関西の人?」


 何でもいいから、話がしたくて、その可愛い人に和幸さんはそう聞いていた。


「ううん、東京」


 細くなった眼のまま、彼女はそうイタズラっぽく答えた。


「えっ、でも、言葉使いが」


 和幸さんがあっけにとられて、そう言うと、彼女は「ふふふ」と歯を見せて笑った。その歯も白くて綺麗だった。


「今度舞台で、関西の女の子の役をやるから」


「舞台?」


「私、女優なんです。つっても、東京の小さな劇団に所属しているだけのアマチュアに毛が生えた程度のモノ何だけど」


 どうりで、華やかだと思った。


 仕草、笑顔。そのすべてが彼女は華やいでいた。


「ねえ、マスターどうだった?私の関西弁」


 彼女がそう聞いた。


「えっ、どうって。ごめん、僕も関西じゃないから、よく解らないよ。でも、感じは掴んでたんじゃないかな?なれない言葉を無理して使ってるって感じはしなかったし」


 和幸さんがそう答えると、彼女は「だいぶ練習したもん」と、はにかんで答えると、すこし難しい顔になって、「50点って所かな?」と小さく呟いた。


「まあ、お芝居なんだし、多少違っててもいいんじゃないかな?」


 そう言ってみて、和幸さんはしまったと思った。彼がそう言ったとたん、彼女が鋭い眼つきで睨んで、そしてこう言った。


「そんなんじゃ駄目なの。そんないい加減な気持ちで演技なんか出来ない。だから、私、昨日まで、大阪の従姉妹の所に泊まって勉強したんだから」


「ごめん。そんなつもりじゃ無かったんだ」


 彼がそう言うと、彼女もふと、我に返った様に「ごめんなさい私も大人気無かった」と言って、「でも、そう言って貰えるのも勉強になります」とまた、笑顔になった。


「えっ、そうなの?」


「はい、よく、演出家の人にも言われるんです。上手くなりすぎると、役者は駄目だって」


「どう言う意味だろう?」


 和幸さんがそう聞くと、彼女は首を傾げて、「さぁ?」と言うと、「個性が消えるのか良くないとか」と答えた。


「個性?」


「うん。演出家の人が言うには、どんなにその役になりきってても、化け切れない部分があって、それが役者の個性になるんだとか?だから、同じ役でも、役者によって違った感じになって、そこが面白い所だとか?」


「うーん、随分と難しい話しだね。もう芸術の、感性の話しだよね」


「そうなんですよ。演劇って芸術なんですよ」


 そう言って、彼女は嬉しそうに、そこから、自らの演劇論を展開し始めた。


 どうして、女優になろうと思ったのか、今のテレビドラマの文句や、今後の演劇の事だとか、彼女なりの理論を夢中で話してくれた。


「だから、今のドラマってのはさ、アイドルとか、人気者を出しさえすれば面白いと思ってるんだよね。だけど、私に言わせれば内容がチープすぎるんだよ。この間始まったドラマもさぁ、過去に戻るって話なんだけど、タイムトラベルなんてネタ、もう、やり尽くしてて、既視感しか無いわけ。それでも良いんだけどさ、役者が置物みたいで、なんだかなぁーって感じなんだよね」


「ずいぶんと、勉強熱心なんだね」


 本気でそう思った。だから、そう言った。


 彼がそう言うと、彼女はたま、冷静になり、「ごめんなさい、1人で夢中になって」と恥ずかしそうに言った。


「いや、いいんですよ。僕も、知らない世界の話を聞け楽しかったし」


 和幸さんがそう言うと、彼女は嬉しそうにはにかんだ。


 気が付くと、もう、夜が明けていた。


 始発の1時間前。


「もうこんな時間か。随分と話し込んじゃったなー」


 彼女はそう言って、カウンター席で大きく伸びをした。


「コーヒー飲んでく?特別にサービスするよ」


「えっ、いいんですか?」


「うん、未来の大女優に会えたから。コーヒーぐらいサービスしないと」


「やだなぁ、マスター。大女優だなんて」


 和幸さんの言葉に、彼女は赤くなって恥ずかしそうに、そう言った。そんな彼女に「いや、なれるよ。絶対なれると思うよ」と真剣な眼で彼は言った。


「本当にそう思う?」


 彼女も真剣な眼でそう返した。


「だってあなた、勉強熱心だもの」


「ありがとう」


 嬉しそうに彼女がそう言った。


 お湯が沸く。


 そのお湯を注いで、豆からコーヒーを落とす。豆が滞留する様に、お湯を回すように注ぎ、泡が絶えない様に優しく注ぐ。一度、泡を絶えさせて、豆を蒸らし、またお湯を注ぐ。その繰り返し。心を込めて彼はコーヒーを落とす。


 香ばし匂いがふわりと舞い上がった時、「いい匂い」と彼女が言った。


「おいしい」


 落としたばかりのコーヒーを彼女は優しい笑顔で、口に迎え入れてそう言うと、小さく笑った。


 本当に笑顔の似合う人だと、彼はそう思った。


「ねえ、ここって、レコード掛けられる?」


 彼女が不意にそう言った。


「うん、大丈夫だけど」


「よかった。じゃあ、これ掛けてよ」


 そう言って、彼女はおもむろに、鞄から1枚のレコードを取り出した。


 ボブ・ディランの「風に吹かれて」だった。


 思わず笑みがこぼれた。


「この店のガロって名前。学生街の喫茶店が好きで付けたんだ」


「あら、そうだったの。お店の名前全然見てなかった。何か運命かな?」


 彼女が満足そうにそう言った。


 早速、レコードに針を落とした。ディランの渋い歌声が、明け方の店内に漂い始めた。


「ねえ、このレコードここに置いて行ってもいい?」


 思い付いた顔で彼女がそう言った。


「えっ、いいけど。何で?」


 彼がそう聞くと彼女は、「ふふふ」と笑って、「また来るから、その時掛けて」と言った。


「ほら、よくバーとかで、ボトルキープなんてやるじゃない。そんな感じ。レコードキープって言えばいいのかな?」


「レコードキープか」


 彼女の作った造語をその場で和幸さんは反復した。


「ねえ、だめ?」


「うん、いいよ。また来てくれるなら、大事に置いとくよ。その代わり、1ついいかな?」


「何?」


「サインくれないかな?」


「サイン?私の?」


 彼女が眼を丸くして、そう聞き返した。


「うん、将来君が売れた時に、自慢になるから」


「えー?本当にいいんですか?私なんかで」


「うん。絶対売れると思うから」


「じゃあ、書いちゃおうかな?」


「書いてくれるの?」


「うん」


 彼女が笑顔で頷く。


「じゃあ、壁でも、カウンターでも好きな所に書いてよ。目立つように」


「どこでもいいの?」


「うん、どこでも」


「じゃあ、そこ」


 そう言うと、彼女はカウンターの中に入って来て、食器棚の扉に、ひらがなで円を描くようなデザインで、大きくサインを描いた。


 彼女の横顔をその時初めて見た。夢見る無邪気な少女の可愛らしい横顔だった。


「ここなら目立つでしょ」


「しばたまい」


 彼は食器棚のサインをそう読み上げた。


「初めて書いた。サインなんて」


 照れくさそうに、彼女が、柴田舞さんは言った。


「いい名前ですね」


「ありがとう」


「絶対覚えとくよ。柴田さんが売れた時、このサインお客さんに必ず自慢するよ」


 和幸さんがそう言うと、舞さんはもう一度「ありがとう」と照れくさそうに言った。


 それからちょくちょく、年に数回のペースで、彼女は遊びに来るようになった。(その間に、呼び方も、柴田さんから、舞ちゃんに代わり、彼女も、マスターの事を和幸さんと呼ぶようになっていた。時々顔を出す親友のコウスケともアメリカのカントリーミュージックや、日本のフォーク談義をするほど仲良くなってくれた)その度に、和幸さんはディランのレコードを掛けてあげた。


 そんなある日、それは、初めて舞さんが来たのと同じ、金曜日の深夜だった。舞さんが嬉しそうに飛び込んできた。


 あれから5年がたっていた。


「和幸さん、やった。私やったよ。ほら!」


 そう言って舞さんは、演劇のポスターを和幸さんに見せて来た。


『焔の鳥。主演、柴田舞』


 それを見て、和幸さんも驚いた。


 昭和を代表する、有名漫画家の代表作の舞台化だった。


「舞ちゃんやったじゃない。おめでとう」


「ありがとう。和幸さんが、絶対売れるってあの時言ってくれたから、私頑張れたんだよ」


「じゃあ、このサインも晴れて自慢できるね」


 彼がそう言うと、彼女は「うん」と言って本当に嬉しそうに頷いた。


「和幸さん、見に来てくれるでしょ?


「もちろん。いつやるの?」


「夏に、東京と大阪で。東京が、8月の10日。大阪が13日なんだけど」


 10日には、友達の結婚式が入っていた。だから、大阪の公演の方に行く事にした。


 そう約束した。


「じゃあ、大阪で待ってるね」


 そう無邪気に笑う彼女に「お祝い」と言って、和幸さんはワインを開けてあげた。大した値の張らない安物立ったが、彼女は「おいしい」と言って、あの時と同じように笑顔で喜んでくれた。


 それが、和幸さんが、舞さんと会った最後の夜だった。


「結局大阪に観に行く事出来なかった」


「どうして?」


 何も知らない俺がそう聞くと、マスターが話すより先に、サイコが言った。


「1985年の夏。乗ってたんですね。彼女、あの日。あの飛行機に」


「彩子ちゃん・・・知ってるの?あれ、随分前の、君たちが生まれた頃の話なのに」


 マスターが少し驚いた顔でそう聞くと、彼女は頷いて、「今から15年前の日航機墜落事故。彼女、舞さんはその墜落した飛行機に乗っていた。そうですね?」と言った。


 日航機墜落事故とは、俺達が生まれた次の年に起きた墜落事故で、東京から大阪へ向かう飛行機が、飛行中に原因不明の制御不能に陥り、御巣鷹と言う山に墜落し乗員乗客の殆どが犠牲になったと言う、当時、戦後最大と言われた悲惨な事故だと、サイコが俺に説明した。


 マスターが涙ぐむ。


「マスターごめん。俺達、余計な事をしたんだね。ディランのレコードなんか持って来なければ良かった。マスターに辛いこと思い出させるなんて知らなかったから」


「いいんだよ」


 マスターが力なくそう呟いた。


 そして、優しく微笑んで、食器棚に貼ってあった、少し大きなひまわりのシールをおもむろに剥がした。すると、そこに、舞さんが書いたサインが現れた。


 ひらがなで、円を描くような可愛らしいサインだった。


「もう、そろそろ、ひまわりの季節も終わりだもんな。いつも、季節によって貼り替えてるんだよ。彼女に供える花の代わりに」


 その割には、そこの部分だけが、まだ色褪せていなかった。


 本当はずっと貼りっぱなしだったのが一目で解る。それが、痛々しかった。


「あの日、彩子ちゃんが始めてこの店に来た日、彼女の命日だったんだ」


 毎年、マスターは舞さんの命日である8月12日に彼女の置いて逝ったディランのレコードを掛けていた。けれども、そのレコードは経年劣化とともにすり減って、音が出なくなってしまった。代わりに、知り合いから譲って貰ったCDを掛けてみたが、やっぱり何かが違っていた。同じ曲、同じ歌声のはずなのに、それは、別物だった。


 1年前の夏も、そんな何かが違っていたディランを掛けている所に、藤村彩子かやって来た。


 目元が似ていた。


 今は亡き愛おしい人に、藤村彩子は少し似ていた、


「こんな事を言うと、変に思われるかも知れないけど、正直少しドキドキしたんだ。彩子ちゃんが少しだけ、舞に似ていて」


 マスターの言葉に、サイコは小さく微笑んで、首を横に振る。その横で、俺は黙って俯いて、彼の話を聞いていた。


 藤村彩子は、店に入ると、流れていたディランの声に早速食い付ついて、「やっぱりガロって店名は、フォークソングからつけたんですか?」とマスターに聞いたと言う。彼にはそれが嬉しかったのと、彩子の眼元が舞さんに似ていた事から、ほんの少しだけ、彼女が戻って来た様な錯覚に陥ったと彼は言った。


「でも、彩子ちゃんは舞じゃなかった。当たり前の事なんだけど」


「マスター・・・」


 彩子の切れ長の眼から、涙が流れ落ちていた。


 俺も、少し、泣いていた。


「彼女の話を誰かにするのは久しぶりだったよ。僕は今、凄く舞を近くに感じて、何だかほっとしてるんだ。彩子ちゃん、正君、今日は本当にありがとう」


 そう言って、マスターはいつも以上に優しく微笑んだ。


「正君、彩子ちゃんの事、大事にしてよね。人間って、色んな意味で出会ったらいつかは別れが来るんだ。一緒にいられる時間は限られてるからこそ、その一瞬を大切にしてほしい」


 ガロを出る際に、マスターにそう言われて、俺と彩子は一瞬お互いを見つめ合ってから、同時にマスターに向かって頷いて「解りました」と答えた。


「もう少し、一緒にいたい」


 ガロを出た所で、彩子がそう言った。

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