藤村彩子の帰還。
どこで、何をしていたか聞いてもサイコは答えず、「ただ、独りになりたかっただけだ。そう言う事もあるだろう」と煙に巻くだけだった。
藤村彩子が休学を解いて学校に出てきたのは、俺達が美雪先生と会った3日後だった。
朝、登校して教室に行くと、彼女は何食わぬ顔で、自分の席に座り、いつもの様に文庫本を読んでいた。
「よう、久しぶりじゃないかな。どこ行ってたんだよ?」
「どこだって良いじゃないか」
無表情でそう言ってサイコは話を煙に巻いた。
お土産だと言って彼女が俺達に配ったのは、どこにでもある様なハンカチやら、置物やらの小物で、観光地の特徴を匂わす物は1つも無かった。彼女曰く、現地のお洒落な雑貨屋で買い揃えた物なのだそうだ。
みのりんや、コバ、中谷は何の詮索もせず、その、どこにでもあるお土産を素直に受け取った。
「そうだ、タダシ今日学校終わったら付き合って欲しいんだけど、いいかな?」
「ああ、別にいいけど。どうした?」
「ボブ・ディランのレコードが見つかったんだ」
「ボブ・ディランて、マスターが探してたやつ?」
「うん、そう、だから今日学校の帰りに取りに行って、そのままマスターに届けてあげたいんだ」
そう言って、彩子は嬉しそうに微笑んだ。
毎年、文化祭のフリーマーケットで、ドーナツ盤を売っている井上さんと言う人がいて、その人と連絡が付き、彩子が、ディランのレコードが無いかと問い合わせた所、譲ってくれ事になり、取りに行くと言う事だった。
「その、井上って人は、今年は店を出さないって言ってるから、今日直接取りに行くんだ。先方も、今日は都合がいいって言ってるしね」
井上さんの家ほ東熊堂と言う住宅街にあった。バスで東熊堂に乗り付けて、そこから数分歩いた所に彼の家はあった。
ごく普通の一軒家に、井上さんは独りで暮らしていた。
40代後半か、50代前半の男性で、マスターと同年代だと言う印象にだった。
「一軒家で、男が独り暮らしだと寂しくない?なんて聞かれるけど、まあ、その分趣味が充実してるから楽しいよ。よく、同じ趣味の仲間もレコードを、ここに置いて行ったり、ここから持って行ったりして、毎日出入りしてるから」
彼は、そう言って楽しそうに笑った。それは負け惜しみではなく本当に楽しんでいる人の笑顔だった。
なるほどと思う。
家に上がり、通された応接間には、壁1面にレコードやCDを収納する為の棚があり、その一画には、まるでSFの通信機の様な巨大なオーディオセットが鎮座していた。
応接間のソファーに座ると、井上さんが紅茶を淹れてくれた。
「なんで今年は店を出さないんですか?」
彩子が唐突にそう聞くと、井上さんは嬉しそうに「駅前に中古のレコード店を開く事になったんだよ」と言いながら、チラシを俺達にくれた。
「あっ、ディランのレコードだったね。ちょっと待ってね」
そう言って、井上さんは壁1面のレコードラックから、それを取り出すと、「あったあった」と言いながら、俺達に差し出した。
「いやぁ人気あるから、これ1枚しか残って無いけど、この曲でいいの?『風に吹かれて』」
「いいんですか?たった1枚しかないのに」
俺がそう言うと、彼は「いいの、いいの。好きな人に売ったり、あげたりするのが俺の趣味だから」と言って、そこから「いやぁ、ディランはね」とボブディランについて語り始めた。
井上さんの音楽史の講義を聞いていると。
「コウスケ―入るよー」
そう言って、二十歳ぐらいの若い女の人が入って来た。
その人は、俺たちに気付くと、「あっ、お客さん?いらっしゃい」と、まるでこの家の住人の様に俺達に挨拶をしてくれた。井上さんが「ほら、いつも俺がバザーでレコードを売ってる沼学の学生さん」
と俺たちに事を説明すると、彼女は、「ああ、いつもコウスケがお世話になってます」と俺達に改めて挨拶をした。
俺と彩子はその人に「どうも」と2人同タイミングで、お辞儀をした。
「あっ、こいつ俺の彼女」
「はじめまして。高野純です」
高野純さん22歳。
俺と彩子は、純さんの登場に訳の解らないショックを受けていた。
どう見ても、井上さんの恋人にしては若かったから。
純さんは、俺達の先輩にあたる人だった。
6年前に学園のバザーで井上さんからレコードを買ったのが、出会いのきっかけだったのだと言う。純さんはもともと、フォークやニューミュージックに興味があり、ユーミンや松山千春、山下達郎やN・S・Pなどのベスト版のCDをよく聞いていたそうである。その日、純さんは、友達から「バサーで純の好きそうなジャンルの曲売ってる人がいるよ」と聞き、そこで初めて、井上さんとアナログレコードに出会った。
大好きなアーティスト達のジャケットが、第二体育館の床に敷かれたゴザの上にところせましと広げられている。純さんはそれを1枚1枚手に取り、ウインドウショッピングの様に眺めていた。
そんな少女だった純さんに井上さんが「好き?そう言うの」と気さくに声を掛けた。
「はい。ユーミンも松山千春も大好きです」
眼をキラキラさせて、純さんがそう答えた。
「へー珍しいね。今どきの子にしては」
自分の青春時代の音楽を娘と言っても過言ではないぐらい年の離れた少女が好きだと言ってくれるのが、井上さんには嬉しくて、ゴザの上に置けれなかったコレクションまでも彼は出して、純さんに見せてあげた。すると純さんは更に目を輝かせて、それに見入った。
「本当に好きなんだね。だったら、半額でもいいよ」
彼がそう言うと、純さんは、1度は笑顔を咲かせて、「嬉しい」と言ったが、すぐに少しがっかりした顔で「でも、これ、CDじゃないんですよね」と言った。
今の子は、レコードを知らない。
純さんのその一言で井上さんは、その事に気が付いた。
「もしかして、レコード見るのはじめて?」
「はい、話には聞いてて、知ってはいたけど、本物を見るのは初めて」
「じゃあ、買ってもレコードプレーヤーが無いから再生できないか」
「はい、残念ながら。昔、私の小さい頃は、家にもあったのは少し覚えてるんだけど」
「時代の流れかな」
井上さんがそう言ってため息をつくと、純さんも同じタイミングでため息をついた。
純さんの残念そうな顔を見ている内に、ふと、ある提案を思いつくが、彼はすぐにかき消した。
我が家のオーディオで聞かせてあげたい。1人の音楽ファンとしてそう思ったが、流石に10代の女の子を家に上げるような真似は出来ないと思った。
そして、別の提案を思いついた。
「そうだ、カセットテープにコピーして上げようか?」
我ながらいい案だと思った。市販のCDと違い、直接同じ機械から音を落とすカセットならば、レコード音源の質をそのまま聞く事が出来る。明確な根拠はないが、彼の経験では確かにそうだった。
そもそもあの頃も、レコードは流行っていても、それを再生するオーディオや、プレイヤーを持っている若者は少なく、ラジカセが主流だった。だから、井上さんも若いころは、ラジオで流れていた曲を録音するか、友達の買ったレコードをカセットに落として聞くと言うのが当たり前だった。でも、それが良かった。そうやって、好きな音楽やミュージシャンを誰かと共有していると言う仲間意識が好きだった。だから、彼は、今でもレコードの個人販売と譲渡を行っている。
文化祭は2日間である。
今日、彼女の欲しいレコードを家に帰って、コピーをして明日また、ここで渡せばいい。
「えっ、いいんですか?」
彼女が申し訳なさそうに、そう聞いた。
「いいのいいの。俺、そう言うの好きだから」
「じゃあ、お願いしようかな。あと、もう1つお願いできますか?」
「いいけど何?」
「コピーのカセットだけじゃなくて、元のレコードもセットで欲しいんだけど」
「原盤が欲しいって事?」
純さんが頷いて、「レコードってなんかおしゃれだし、このジャケットの匂いも何か好きになっちゃった。ダメですか?」
「もちろんいいさ」
井上さんのその一言に、彼女は「やったー」と言って笑顔を咲かせた。
ユーミンと、松山千春と、竹内まりあを純さんは選んで、井上さんから購入すると、「じゃあ、お願いします」と言って、それを彼に託した。
「その後なんだよ。俺がレコードをカセットにコピーしてさ、こいつに渡したら、その1週間後に家にケーキもって遊びに来たんだよ」
「そうなの、ケーキもって押し掛けちゃった」
井上さんが照れくさそうに言う横で、純さんが、いたずらっぽい笑顔でそう言って舌を出した。
ケーキを持って、「あの時のお礼です。カセットすごく良かったです」そう言って、純さんは井上さんの家に遊びに来た。それからちょくちょく彼の家に遊びに来るようにった。そして2年前、純さんが二十歳になったのを境に、正式に交際を始めたのだと言う。
「おい、誤解しないでくれよ。援交とかじゃないかからな。押しかけたのは純の方だし、俺は、ちゃんとこいつが大人になるまでは、深い関係にならないように、適当に無視してたんだから」
「そうそう、コウスケ、私が十代の頃、1度もデートに連れてってくれなかったもんね」
そうしみじみと純さんは話してから、「2人はどうなの?付き合ってるの?」と俺達にそう聞いた。
「まあ、それなりに。学生としての健全な範囲で」
優等生の顔で、彩子がそう答えた。
「あっ、いくらですか?」
話をレコードの売買に戻すべく、俺がそう聞くと、「金はいらないよ。和幸だろ?これ、欲しがってるの」と井上さんがそう言って、こう続けた。
「ガロのマスターは、俺の幼馴染なんだ。藤村さんから話を聞いた時、すぐに解ったよ」
「サイコ、そうなのか?」
俺が彼女にそう聞くと、彩子が頷いて、「大切なレコードだから、ちゃんと譲り受ける理由が必要だと思って」と言った。
「ディランは舞ちゃんのお気に入りだったからなぁ」
井上さんが、遠くを見る眼で、小さく呟くように言った。
「井上さん。舞さんって?」
彩子が尋ねると、井上さんは悲しそうに微笑んで、「和幸に聞いたほうがいいよ。あいつ、話してくれるか俺は解らないけど。舞ちゃんは和幸の大切な想い出人だから」と言った。
俺と彩子は不意に顔を見合わせた。
閑古鳥。
バターとコーヒーの甘い香りと、マスターだけがそこにいた。
日によって、時間帯によって、ガロにはマスターと匂いしかいない時がある。今日のガロは、そんな閑古鳥の巣だった。
「コウスケがそんな事言ってたのか」
そう言って、マスターはディランのレコードを受け取ると、俺達に「ありがとう。今日はサービス」と言ってコーヒーを無料で出してくれた。
「あの、マスター。舞さんって?」
彩子が遠慮がちにそう聞くと、マスターは少しはにかんで、「昔、好きだった人」と言った。そのはにかんだ一言に悲しみを見た俺は、それ以上聞くまいとコーヒーをすすったが、サイコは、さり気なく「マスター、嫌じゃなかったら、聞かせてもらえない?」と、マスターの心の扉に鍵を差し込んだ。
マスターが頷く。
彼も、ディランのレコードを手にした時から、その内側にあるモノを吐き出したかった。それを、サイコは瞬時に見抜いていた。
マスターがディランのレコードを早速プレイヤーにセットして、ディランの歌声を店に漂わせた。
「懐かしい。この曲を聞くと、本当に彼女が帰って来たみたいだ」
そう言って、マスターは。
和幸さんは静かに語り始めた。




