僕達の罪3
気がつくと、病院のベットの上だった。
白いカーテンの隙間から、柔らかい日差しが顔に掛かった。
全てが白かった。
カーテンは勿論、ベットのシーツから壁の色まで。そして、私の頭の中までも真っ白だった。
目が覚めた瞬間、私は、自分が何者であるか解らなかった。それが驚くほど心地良かったのを今でもよく覚えている。
「あ、起きた?」
優しそうな女の人が私の顔を覗き込んで、そう言った。1分位して、その人が、看護婦さんだと解った。頭が少しずつ、機能すると同時に、自分が何者で、どうしてここにいるのか理解出来た。
「今、私、自分が誰だか解らなかった」
「ちょと疲れてたのね。突発性のノイローゼ、あなた位の年頃には珍しくないわ」
看護婦さんは優しくそう説明してくれた。
「もう少し、自分を忘れていたかった。今とても気持ち良かった」
「生まれ変われた気がした?」
私は、小さくベットの中で頷いた。
「でも、ダメだった。私は私だった。私は、また、私として生きなければならない。私は、人間ではないのに」
「人間ではない?」
「私は怪物だから。私、心の中で、沢山のヒトを殺した。そうすれば、本当の自分になれる気がしたから」
「本当の自分?」
「みんなが作った私を壊すには、みんなを殺さなければ、本当の私は作れないから」
看護婦さんは、真剣な目で、私の事を見ていた。こんな事をいう私をきっと変に思ったのだと思った。
「ねえ、あなたに私はどう見える?」
突然看護婦さんは、私にそう言った。
「どう見えるって、看護婦さんに」
「清らかな白衣の天使に見える?」
彼女の問いに、私が頷くと、彼女は、私に耳打ちでとんでもない事を告白した。
「私、患者相手に、売春してる」
「売春⁉︎」
私が、驚いて、声を荒げるのを、彼女は手で、私の口を塞いで、それを征した。
「なーにが怪物だ。あなた、十分普通の娘だよ」
看護婦さんは、私を普通だと言った。
「私、アンナ。斉藤アンナ」
「アンナさん」
私はアンナさんの名前を復唱した。
「正直、看護婦の給料だけじゃやって行けないのよ。それに、医師とか、看護婦って聖職者みたいにみんな思ってるでしょ、そういうのって、この仕事してると、ハリみたいにチクチク感じて、窮屈に感じるのね。だから、そういう誰かの視線を影で裏切りたくなるの」
「ストレス解消ってことですか?」
私がそう言うと、彼女は突然爆笑しながら、「ストレスか、確かにそうかもしれない」と言った。
「人間って、いつも同じ自分じゃいられないのよ。色んな自分がいていいんだと、私はおもう。怪物だって」
怪物だって?
私は生きていていいのか?
「私、このままだと、いつか、妄想じゃなくて、本当にヒトを殺すかも知れない」
「それは、あくまで、そうなった時の結果に過ぎない。あなたはまだ、誰も殺してないし、今は生きている。何も始まってないところで、自分が何者なのか、結論なんか出ないよ。勿論、人殺しは駄目だけど」
アンナさんはそういうと、優しく私の頭をなでてくれた。そうしてもらうと、何故だか心が落ち着いた。
私は話題を変えた。
彼女に興味を持って、彼女を知りたくなった。
「アンナさんってハーフですか?」
アンナさんは、色白で、鼻が高くどこか、日本人じゃない様な顔立ちだった。
「祖母が、ユダヤ系ドイツ人で、私は日本とユダヤのクオーター。アンナって名前は、アンネフランクからもじって祖母が付けてくれたの」
ユダヤ人とは、第二次大戦で、ナチスドイツによって迫害を受けた、悲劇の民族だと、アンナさんは教えてくれた。
「あなた、さっき自分が怪物とか言ってたけど、人間は、みんな怪物だと私は思うよ」
アンナさんが、また、とんでもない事を言った。この人は、つくづく変な人だと思った。
「どうしてそう思うの?」
「ヒトラーのダンス。私の祖母達にとって、ヒトラーは、怪物そのものだった。だって、何万人ものユダヤ人をガス室に送り込んで、惨殺したんだから、まさに、怪物よね。でも、私、大学時代に、世界史に詳しい知り合いから、あるビデオを見せてもらったの」
「それが、ヒトラーのダンス?」
「そう、シュツエーションはよく解らなかったけど、多分、彼の誕生日か何かを家族や側近に祝ってもらっている時のものだと思う。その中で、ヒトラーが、音楽に合わせて、ステップを踏むシーンがあったの。その姿は、まるで、お茶目なオジさんそのものだった。だから、独裁者としての、ヒトラーは、彼の一面で、本当は、チャップリンも顔負けの、コミカルな面があったのかもしれないと思ったの」
逆に言えば、誰でも、ヒトラーの様になる影があるという事を、アンナさんは付け加えた。
「アンナさん。どうして、私にこんな話をしたの?」
私が、そう聞くと、彼女は「なんでだろう」と言って、考えるそぶりを見せてから、「あなた、可愛いから」と言った。誰かに可愛いと言われたのは初めてだった。
「あ、そうそう、昨日、もう一人あなたと同じ年の女の子が運ばれて来たよ。そっちは、自宅のアパートの窓から落ちたとかで、けっこうな大怪我だったみたいだけど」
「死んだ?その子」
「いや、右脚の骨折と、軽い脳しんとうだけで、命に別状はないわ」
「そう」
同じ年の女の子て聞いて、少しばかり気になったが、私は、その子がどこの誰かなんて、アンナさんにはこの時聞かなかった。どうせ、個人情報とかで、教えられないのは解っていたし。
「その子の部屋教えようか」
聞かなかったのに、自動的に、アンナさんはの口から、その提案が出た。
「いらない」
私はそれだけの意思表示だけをして、断った。
「そう。何となくだけど、あなたと彼女、いつか、かかわり合いになると思うんだけどな」
アンナさんがまた、不思議なことを言った。
「何で、そんな事を言うの」
「だから、何となく。まあ、私の予言みたいなもんかな」
「予言?」
「けっこう当たるんだ。ねえ、死んじゃ駄目だよ」
アンナさんは、そう言って、ニコリと笑った。
私は何も言わずに頷いた。
「このフロアーの4号室」
アンナさんは最後に飛び降りた彼女の病室を、こっそり私に耳打ちをして、去って行った。
私はその日の夕方、すんなりと、退院した。
それからも、私は、相変わらず、妄想の中でヒトを殺し続けた。
どうしてもやめられなかった。そうしないと、心のバランスが取れなかったからだ。けれども、もう、死のうとは思わなくなっていた。
そして、ついに、私は、現実の世界で、ヒトを傷つけた。階段から、突き落としたのだ。相手は、中学2年の夏から通い始めた、予備校の講師だった。そいつは、私の事を、自慢の生徒だと、やたらと褒めたが、ある女の子には、
「お前みたいにやる気のない奴なんか辞めちまえ」みたいな事をいつも言っていた。彼女も、私も、同じ内容の授業を受けているから、私の成績が良かったのも、彼女の成績が悪かったのも、個人の差であって、決してやる気の有り無しではなく、ましてや、この男の力ではない事に私は気付いていた。
悪く言われる彼女が死に物狂いで、勉強をしていたのも、気配で、感じていた。
こいつは、私たちの事を、自身のステイタスを左右する存在としてしか見ていない。それが、私には解った。予備校の講師なんて、そんなものかも知れないが、私はこいつが、とにかく嫌いだった。
馬鹿の話を理解してやっているのは、こっちの方だ大抵の奴は、こいつの事を理解なんかしていない。吉野は、その事にまったく気が付いていなかった。
力の無い人間を切り捨てる事しか出来ないこの男を私は無能だと思った。
いらない。
死刑。
結論が出た瞬間、もう、妄想では、収まらなくなっていた。私は何のためらいも無く、男を階段から突き落としていた。
恐れも、後悔も、快感さえも無かった。私の心には、何も無かった。
やっぱり私は怪物だった。
私は、怪物てして生きて行く事にした。
サイコパスという言葉をテレビで偶然知った。生まれ持っての殺人者。感情の欠落した心の無い人間。そんな意味だっただろうか?正確な所は解らなかったけれど、私にぴったりな気がした。
私は、藤村彩子をやめた。
私は、サイコになった。