終戦記念日。
8月15日の夕方、三島駅の南口のバスロータリーには、やぐらが組まれて、その上で、子供会のちびっ子や、町内会が、シャギリや太鼓を叩いていた。市街や県外から来た人々は、その光景を物珍しそうに見上げている。
シャギリは、ここだけではなく、三島大社から、広小路へと続く旧東海道の商店街でも見ることが出来る。この日の昼過ぎから、三島市街を、広小路商店街に向けて、各自治体が、山車を引いて練り歩き、夕方から、夜にかけて、お互いに違う祭囃子を競り合う様に鳴らて演奏をする。その、競り合い混ざり合ったシャギリの音が、祭りの雰囲気を盛り上げる。
サイコと2人で、みのりんと、コバをその南口で待った。
サイコはちゃんと約束通り浴衣を着て来た。
黒地に朝顔の柄の入ったデザインで、そのベースとなる黒が、彼女の肌の白さを際立たせていた。そのせいか、普段よりも大人っぽく見えて、バスから降り、先に来ていたサイコを見つけた時は、一瞬解らなかた。(今日はメガネを掛けていない)
「似合ってるじゃん」
率直な感想をそう俺が口にすると、彼女はただ、「うん」とそっけなく答えて、「そっちは普通だなぁ」と返して来た。
ジーパンにTシャツにconverseのスニーカー。彼女の指摘通り、俺の出立ちは、実に普通だった。
「おまけに猫背だな。仮にも、淑女の前なんだ。背筋ぐらいは伸ばしたらどうかね?」
皮肉のこもったサイコの言葉に、俺は「ヘイヘイ」と言葉を垂らして従った。
浴衣は新しく買ったやつだった。
「今度、三島のお祭りに友達と行くことになった。浴衣着て来いって。私の浴衣まだあったよね?」
「えっ、浴衣?小学校の時来てたやつ?」
「うん。身長もそんなに伸びていないし、あれで十分だよね」
私がそう言うと、母は目を丸くして、「ダメよあんな子供っぽいの。もう、大人なんだから。よし、今から買いに行こう」と言って、私を引っ張るようにして、ショッピングセンターまで、浴衣を買いに行った。
ショッピングセンターにて、母は、「あれでもない、これでもない」と着せ替え人形を楽しむ少女の様に、嬉しそうに、私の浴衣を選んでいた。私も、はじめはうんざりした気分だったが、楽しそうな彼女の笑顔を見ているうちに、嫌な気分では無くなっていた。
何着か試着して、この、黒字に朝顔の奴に決めた。
「彩ちゃんとお買い物するなんて何年ぶりだろう」
浴衣を帰りの車の中で彼女はそう口にした。
「そうだね。私、服とかこだわらないもんね」
「そうよ。彩ちゃん美人なんだから、もっとお洒落にならないと」
私は黙って頷いた。
私はお洒落と言う奴に無頓着だ。普段は、着古したジャージとか、トレーナーとかで過ごしている。あまり、外に出る事もないから、外に着て行けそうな服と言ったら、従姉から貰ったデニムのパンツを一本持っているぐらいだ。
お洒落に興味が無い人間は、自分に対して無頓着なのだと、とあるモデルがテレビで言っていてが、そうなのかも知れない。私は自分に対して無頓着な気がする。
「お母さんごめんね。私変な娘で」
「えっ」
私の唐突な言葉に、母は多分困った顔になった。(車を運転中で、常に前を向いているので、横顔でしか、私はその表情の変化を見ることが出来なかった。)
「彩ちゃんは、変じゃないよ」
「変だよ」
「どうして、そう思うの?」
母は、心配そうに、そう聞き返した。
私は、それにこう答える。
「私は、・・・感情がない気がする」
「感情が?」
「いつからか解らないけど、気付いたらそう思う様になってた。自分であれが欲しいとか、こうしたいとか、あんまり考えた事が無かったから。いや、無かったわけじゃないんだけど、そう言うのを叶える事に意味を見出せなくって、それが面白い事だって、思えないんだ」
私の、その告白に、彼女は黙って前だけを見つめていた。
日大の交差点で、信号が赤になって車を停車させると、彼女はゆっくりと、口を開いて言った。
「そうね。彩ちゃん、いい子だったもんね」
「いい子だった?」
「うん。いい子だった。小さい頃から、かんしゃくは起こさないし、わがままは言わないし、そう言えば、おもちゃ売り場とかでも、おもちゃを見てるだけで、だだをこねて「買って」なんて言わなかったもんね。でも、それが少し心配だった。小さい子って何かしら、そう言うわがまま言うのが普通だから」
いい子であっても心配。
母は、保育士の資格を持っていて、色々な子供を見た事があり、児童心理学も少しかじっていたから、私が他の子どもと少し違うことに感付いていたそうだ。
「サイレントベイビー。泣いたり、騒いだりしない育てやすい子供。けれど、それは、時に知能、もしくは精神的に問題があり、感情を表に出せない子供の場合がある」
「彩ちゃんなんで知ってるの?」
母は驚いて私を見た。
「お母さんの書斎から、児童心理学の本抜き取って読んだ事あったから」
「あんた、そんな事してたの?」
「自分の中に芽生えた違和感を知りたくて、色んな資料読み漁ってるから」
「彩ちゃん偉いね」
母は、嬉しそうに、誇らしげにそう言うと、「彩ちゃんはやっぱり基本いい子だから、みんなあなたを可愛がってくれるんだと思うよ」と言ってこう続けた。
「小学校の時の真鍋先生覚えてる?未だにお手紙くれるのよ。彩ちゃんの事覚えててくれて」
私は頷く。
「知ってたよ、真鍋先生から手紙が来てるのは。だけど、今の私には返事は書けない」
「どうして?いい先生だったじゃない」
母がそう聞いた。
「いい先生だったよ。だけど、私は先生が望む子にはなれなかった。先生が好きな子は、素直で、明るくて、みんなから好かれる子だから。私はそれになれなかった」
私の告白に母は、しばし黙った。
信号が青になる。
車を発進させると同時に母がまた喋った。
「先生もそう言ってたわよ、あの時」
「あの時?」
「彩ちゃん真鍋先生に会うまで、どちらかと言えば引っ込み事案だったけど、先生に会ってから、ちょっと明るくなったじゃない。だけど、真鍋先生はそれが心配だって言ってたのよ」
「それが心配?」
「彩ちゃんが先生の言いつけを守るために、無理してるんじゃないかって。だから、いつか、反動で、心が疲れちゃうんじゃないかって」
解っていたんだ。
真鍋先生は解っていたんだ。
その事実に私は驚いた。
「だけど、何もしてくれなかった」
「仕方ないわよ。そう言うのって、結論を急ぐと取り返しのつかない事になるし、それに先生も1年で移動しちゃったから。でもね、何度か、彩ちゃんに会いたいって言ってくれたのよ」
私は頷く。
「知ってる。手紙は読んだことあったから」
だけど、会おうとは思わなかった。
初めは、みおを殺すきっかけを作った彼女を恨んでいたからかも知れないが、最近は何と無く違う感情が私の中で芽生えている気がした。
「私は先生の好きな子供になれなかった。がっかりさせたくないんだ。塾で、吉野を突き飛ばした事とか、高校受験を辞退して引きこもろうとした事とか、何でか先生に知られたくないんだ」
母が言った。
「好きな先生は特別だもんね」
そうかも知れない。始めは人の心の中を盗み見る様な印象から、苦手だったが、私の”存在”に気付き、私の中の”みおの存在”に気付いてくれた彼女に私は母以外の存在に初めて母性を感じた。
「あの子、なんだっけ、この間遊びに来てくれた。高山みのりちゃん?」
「高山実」
「そうそう、みのるちゃんだっけ。珍しいよね。女の子でみのるって。あの子いい子だよね」
みのりんは、一度、家に遊びに来た事があった。その時の、みのりんの屈託のない笑顔と明るいキャラクターが、母に好印象を与えたらしい。
とある日曜日の昼前、いきなり、みのりんから電話が掛かってきた。
「もしもしサーちゃん?今近くに来たと”思うんだけど”・・・空いてる?」
第一声がそれだった。
”思うんだけど”が少し引っ掛かる。
「まあ、暇だけど。今どの辺」
私は、当たり前の質問をそう切り出すと、思いもよらない迷答が返ってきた。
「うん。道路」
「・・・・・・・」
どう返していいか解らず、黙っていると、みのりんは、続けた。
「いやー、学級名簿の住所見て三島まで来たんだけどさー。土地勘が無いから、迷っちゃって」
「道路ってどんな?」
「うーんとぉ、体育館の横道入って、公園の前にいる」
「公園?」
「漢字で、うえいわさきこうえんって開いてある」
「上岩崎公園」
「うん、それ、上岩崎公園」
「待ってて、今から、迎えに行くから」
「うん、待ってる」
上岩崎公園に、みのりんを迎えに行くと、みのりんは、携帯を片手に、うろうろしていた。
私が声を掛けると、彼女は甲高い声を上げて、「サーちゃーん。やっと会えたー」と叫びながら抱き着いて来た。
「サーちゃん大好き」
彼女は私に抱き着くと、耳元でそう言った。
その時の事を思い出し、笑みが零れた。
「あの子も、真鍋先生の教え子だって言ってたけど、同じ学校だった?」
母がそんな素朴な質問をした。
「違うよ。真鍋先生の移動先にいたんだって」
「ふーんそうなんだ。なんだか不思議な縁だね」
「そう?」
「うん。何と無くだけど、あの子、真鍋先生に似てるって、ママ思ったから」
「そうかな?」
母の言葉にそう答えるけど、確かに私は、みのりんに対しても、あの先生に抱いたのと同じ、母性の様なものを感じる事があった。
「何と無く雰囲気が似てない?人を悪く言わなそうな感じとか」
母は笑いながらそう言った。
「ママは、あの子を見て安心した」
「安心した?」
「うん。あなたは生まれつき不器用で、不安定で、どっか、つかみどころのない性格だけど、あなたを好きでいてくれる人が必ず現れるんだなって。ああ、彩子の人生ってそうなんだなって」
そう言って母は、本当に嬉しそうにほほ笑んだ。
「ありがとう」
不意にその言葉が私に口から零れ落ちた。
「何?」
母が反応する。
「いや、私を取り巻く全てに、ありがとうって言いたくなった」
私がそう言うと、母も、「ありがとう」と言った。
「彩子。私の娘でありがとう」
母のそんな母性のつまった言葉に私はただ頷いた。
みのりんが、満面の笑顔でコバと一緒に駅舎から出てくる。
「キムー、サーちゃん。待ったー?」
でっかい声でそう叫び、手を振りながら、ズンズンとこっちに向かってくる。
その後ろから、コバがハニカミながらやって来る。
みのりんの浴衣はピンクの下地に椿の柄が入った可愛らしいデザインで、何と無く彼女の性格が出ている気がした。一方コバも紺色の甚平を着ていて、夏祭りスタイルで決めていた。結局普段着は俺一人と言う事になった。
「サーちゃん凄い綺麗。大人っぽい」
みのりんは、相変わらず、嬉しそうに、そうサイコに絡むと、「それに比べてキムは普通だね。コバだって、今日甚平で来たのに」と、あの可愛らしい困った顔で俺を指さして言った。
コバが申し訳なさそうに、俺を見る。
「私も今、それを指摘した所だよ。この木村正という男はこう言うイベント事には無精なようだ」
と、サイコがイタズラっぽく俺を皮肉った。
「悪かったね。俺は、形から入るタイプじゃないんでね」
俺もそう悪態をついた。
「な、なんか、ご、ごめん。ぼ、僕も普段着にすれば、よかった。そ、そうすれば、木村君が、こ、孤立せずにすんだ」
コバが、俺に気を使い、そう言ってくれる。
「いや、別にコバは悪くないよ」
気を使うコバに、俺がそう返すと、すかさずサイコが、「そうさ、悪いのは空気を読まないこの男だから気にするな」と、俺を指さした。
「サイコ、いい加減にしろ」
「ふふん♪」
嫌な女だとつくづく思った。それでも、この娘を少しばかり意識している自分もどうかしてる気がした。
「まあまあ、喧嘩しないで」
みのりんがニヤニヤしながら、俺たちをなだめる。
「喧嘩じゃないさ。ちょっとばかり、タダシをからかっただけさ」
サイコが、小馬鹿にした感じでそう言った。本当に嫌な女である。
そんなやり取りを一通りして、俺たちは祭りに繰り出した。




