僕達の罪2
私は、子供でいたかった。
私は、いつまでも遊んでいたかった。
「もう、お姉さんなんだから」
そんな台詞を聞くようになったのは、いつのころからだっただろうか?一人っ子だから、誰のお姉さんでもないのに、私は、ある時期から、そう言われるようになった。そんなに急ぐ事もない様に思えたが、世界の時間の進行に合わせて、その声は大きくやかましく、響く様になって行く。私は、またらなずに感覚時間を世界時間から、時々ずらして、生きる様になった。
時間がずれている間はまるで、映画か、テレビを見ている感覚だった。映画やテレビは、たった2時間で、物語を完結させる。見ている私達には2時間だが、物語の中の主人公達にとっては、その2時間が20年だったりする。だから、私達よりも早い時間流の中で生きている事になる。すなわち、もしも、この世界が仮想現実だったなら、その向こう側の時間はもっとゆったりとしているのかも知れない。そもそも、今見ている現実なんて、脳みそが情報処理して再構築した仮想現実みたいな物だ。ヒトそれぞれが、違うのは、それぞれが再構築した、違う世界を生きているからだろう。だから、私は、私の世界を生きる為に、私の時間で生きる事にした。
私には、ミオ、という親友がいた。
ミオは、いつも私の時間の中だけに現れる女の子だ。他の人間には見えない、私だけの友達だ。
世界時間の外で、私はいつもミオと遊んだ。世界が、ガヤガヤとせわしなく動いていくのを、私はのんびりと感覚時間のなかで眺めながら、ミオと楽しく過ごした。
「ミオ、今日は何して遊ぶ?」
「そうだね、しりとりがしたいな」
「えーまたしりとり?」
「うん、しりとり」
ミオは、いつも、しりとりをしたがる。だから、私は、ミオと、しりとりをする。どちらかともなく、言葉を言って、その言葉の最後の一文字から新たな言葉をつむぎだす。その繰り返しだが、続ければ続けるほどに、言葉は、増えていく。そして、その度に色々な言葉と出会っていく。それが面白くて、私たちは、いつまでも、しりとりをやっていられた。
不思議と、どちらかが負ける事も無かった。
それ以外にした事と言えば、物語を作る事。ミオがいつも何か言って、私が、それを文章に起こした。ミオの語る物語はどこか暗くて、それでも、なぜか、惹きつけられる魅力に満ちていた。
「昔々ある所に・・・・」
仔犬の様な可愛い眼がの少女は毎回お約束の始まりの文句を言いながら、私に物語を語った。
マダラナーダの物語。
エルナイトの森。
続、蜘蛛の糸。
今でも、タイトルが言える。
私は、今でも、ミオの作った物語を覚えている。中でも、マダラナーダの物語は、国語と、社会の先生に気に入られて、月一で発行される、校内文集に乗った。小学3年生の頃だった。
マダラナーダの物語とは、ミオいわく、インドから、ヨーロッパあたりの話しで、家族と共に、神様を信じていたマダラナーダという少女が心ない王様に、その思いを踏みにじられるも、同じ神様を信じるクリスという青年に救われるという話しだ。
そして、この話を書いたのを最後に、ミオは、私の時間の中に出て来なくなった。いや、私が殺したのだ。
「どうして、この話を思いついたの?」
小3の夏休み前に、担任の真鍋先生に聞かれた。真鍋先生は、若くてきれいな女の先生だったけど、私はあまり好きじゃなかった。
大学時代、児童心理学を専攻したとか言っていたけど、詳しい事はよくわからない。ただ、相手の心の中の事を決め付ける印象があった。そのほとんどが、当たっている気がするのだけれど、私はそれを受け入れたく無かった。
心の中なんて、自分でもよくわからないのに、それを決め付けられたら、自分が先生の見たままの人間でしかなくなってしまう。そんな気がした。
「彩子ちゃん、あなた、どちらかというと、いつも1人でいる事が多いよね。クラスにうち解けていない気がするんだけど、どう?」
確かに、私は当時、1人でいる事が多かった。けれど、誰かにいじめられているとか、誰かをいじめているとか、そんな事は無かった。ただ、私は、私の時間と世界を生きて来ただけだったが、先生には、それが不可思議に映ったらしかった。
「私は1人で大丈夫です」
そう、私は先生に言ってみた。
「大丈夫って?」
「だから、1人でも楽しいし」
「1人でも?」
先生は納得していない。
「彩子ちゃん人ってね、誰かと一緒にいる事が一番幸せなんだと先生思うんだ。だから、もしも、あなたが、クラスで孤立してるんだったら、先生力になりたいんだ」
私は先生の言葉に納得がいかない。
私と先生の間で何かが、噛み合っていない。
「マダラナーダの物語。あれ、凄いよね。先生感動しちゃった。とても小学生が書いたなんて思えない」
真鍋先生がマダラナーダの物語を褒めてくれた。
「ありがとうございます」
私はとりあえず、お礼を言った。
「彩子ちゃん、ミオって誰?」
突然、先生の口から、ミオの名前が出た事に私は動揺した。ミオは私にしか見えないはずなのに、先生がミオの事を知るはずは無いのに。
「彩子ちゃん、自分では気付いていないかもだけど、一人でいる時、いつも何か独り言言ってるよね。その時、いつも誰かとお話してるよね」
見られていた。
私は何か気分が悪くなった。ミオの事は、誰にも知られたくたかった。
「マダラナーダの物語を書いてる時も、彩子ちゃんそうだった。ミオは、彩子ちゃんだけの友達だよね?」
マダラナーダの物語は、家にいる時と、学校の休み時間にミオと一緒に書いた。だから、真鍋先生に見られたとしたら、休み時間だ。
真鍋先生は私に微笑みながら言った。
「私にもいたんだ。見えない友達」
「先生にも?」
「うん、私も小さい頃にね」
同調。真鍋先生は私と同調して見せた。趣味や、思想など、とにかく相手と同じ立場に立つ事で、心を開かせる先生の手だ。私はその策略にはまり、少しばかり心を開いた。
「彩子ちゃんみたいに、私も子供の頃、人見知りがあってね、友達を作るのがあんまり上手くなかったから、よく見えない友達を作って一人で遊んでた。その子は、いつも私の味方で、絶対に酷い事を言わないし、絶対に裏切らない。だから私はその子に夢中になった。彩子ちゃんもそうでしょ?」
私は頷く。確かに、ミオとは喧嘩をした事が無い。
「でも、ミオはしりとりと、お話しかしないよ。たまに他の事をしたいって私が言っても嫌がるんだ」
真鍋先生は、一瞬目を丸くして「そう」と言った。何か、意外そうな反応だった。
先生の見えない友達は、先生の思い通りになったかもしれないが、ミオにはミオの意思があると私は思っていた。
「しりとりをしたいのは、ミオじゃなくて、彩子ちゃんなんじゃない?」
「私が、ですか?」
「本当は、他の事もしたいんだけど、とくに思い付かないから、いつもしりとりなんだよ。それを言う役をミオにさせてるだけなんじゃない?」
なぜだろう。先生に言われるとそんな気がした。
「彩子ちゃん、多分このまま行くとね、彩子ちゃんは、しりとり以外にも、ミオのせいにして行くと思うよ。都合の悪い事を彼女のせいにして、自分を守る様になる。そうしたら、ミオが可哀想じゃない?」
真顔で、真鍋先生がそういうので、私は不安になって叫んだ。
「そんな事しません。私はミオにそんな事しない」
「いや、する。するようになって行く」
真鍋先生の視線は真っ直ぐだ。真っ直ぐに、私を見てそう言っている。
「見えない友達は、自分の分身なんだよ。だから心の裏側の投影になりうる」
「心の裏側?」
「私は小さい頃に見えない友達とお別れしたから、そうはならなかったけれど、中にはお別れ出来ない人もいるんだ。私も心理学の本で読んだだけだから何とも言えないけれど、あっ、心理学っと解る?」
私は首を横に振った。心理学という言葉はこの時に知った。
「人の心を研究する学問の事を言うのよ。その、心理学の本に書いてあったんだけど、アメリカにある男の子がいてね、その子もやっぱり友達を作るのが下手だったの。それで、その男の子は、見えない友達を作るの様になったの。始めは、普通に仲良く遊ぶだけだったんだけど、その子はだんだん、見えない友達に自分の都合の悪い事を押し付けるようになったの、例えば、物をなくした時は、その見えない友達が隠したって思うようになって、まわりにもそんな風に言ってみたりして。その子はそのまま中学生になった。そんなある日、その子は、気に入らない同級生をナイフで刺してしまったの。その時彼は、見えない友達がやったと言ったの。彼自身そう思い込んでいたの。現実と空想の境目が、見えない友達の存在で、曖昧になったいたんだと思う。彩子ちゃんには難しい話しだったかな?」
私はまた、首を横に振った。
何となくだが、話の内容、言いたい事は理解できた。要するに、大人になるために感覚時間に逃げるのを止めなければならないという事である。
「私はミオを捨てなければいけないんですか?」
「そうじゃないよ。ミオは、彼女は元々彩子ちゃんの一部だったから、消える事はないよ。彩子ちゃんがミオに代わる友達を見つければ、ミオは自然と彩子ちゃんの中に還っていく」
「ミオに代わる友達なんて」
私がそういうと、真鍋先生は、優しく言った。
「もっと、自分からクラスのみんなと話してごらん。みんな、彩子ちゃんの事好きだと思うよ。彩子ちゃんが嫌いにならないかぎり、彩子ちゃんを嫌いな人なんて、決して生まれないよ」
別に、私はクラスの誰かが嫌いなわけではなかった。ただ、まわりに合わせると自分が自分でなくなる気がしてならなかったのだ。まわりに合わせるという事は、感覚時間で生きられないという事なのだ。
感覚時間で生きるというのは、どうやら、普通ではないらしい。真鍋先生は私を“普通”にしたいのだ。私が“普通”でないと、先生が不安なんだ。だから、多分私が先生の“普通”の範囲にならないかぎり、先生は私を“普通”にしたがるだろう。
「ねえ、彩子ちゃん。一緒にがんばってみない?」
先生は私を想ってくれている。でも、私は先生が思う様にかわいそうじゃない。
「ね、彩子ちゃん」
でも、先生は一生懸命だった。一生懸命私を“普通”にしたいらしい。
私は頷いて、先生の“普通”になる事にした。
私はミオを殺した。
感覚時間に逃げるのを止めて、私は“普通”を演じた。
友達と話しを合わせて、先生や、親達に“普通”なのをアピールするために、勉強もがんばった。やってみると、そんなに嫌ではなかった。みんな私にやさしいし、勉強で成績が上がると、先生も親も褒めてくれた。
外の世界は、私が怖がるほど、せわしない物ではなかった。
みんなが求める私でいる事は何の支障もなく平和だった。真鍋先生が言うとおり、ミオがいなくても、大丈夫だった。
真鍋先生との付き合いは、1年ほどだったが、私はその生活をしばらく続けていた。
でも、状況は変わるものだ。
小学校が終わって、中学校に上がったとたんに、世界の時間がまた、いや、今までよりも、異常なほど早く回り始めた。みんなが、大人になろうと急ぎ始めたのだ。3年後の受験に控えて、勉強を始める者、とりあえず、大人に反抗して、髪を染めたり、ピアスを開けたり、自己表現に走る者、方法は違っても、みんな、目的は同じだった。
私も、“普通”を貫くために、その時間の流れに乗ろうとしたのだが、それをしようとしたら、全身がキリキリと痛かった。
大人になるというのは、子供をやめる事。
その、やめ方が解らなかった。
子供の私というのが、どこにも見当たらなかったからだ。それを、思い浮かべると、ミオの顔が浮かんだ。
ミオは、私の子供の部分を持って、死んで行ったと、この時気が付いた。すると、今の私の姿も、曖昧な陽炎のように思えて来た。
私は、知らずに、大人になっていた。勉強が出来て、それなりに友達もいて、何の問題も起こさない大人しい私は、空っぽの張りぼてだった。
みんなに合わせて造った自分は、偽者だった。
私は何者だ?私は自分が解らない。
私は誰かの造った、私を私として認識しているにすぎなかった。
私は、自分の姿を心で描けなくなっていた。
私は何者だ?
私は、もう一度、感覚時間に逃げてみた。ミオにもう一度会えるか試してみたが、ミオはやっぱり出てこなくなっていた。
その代わりに、私の手にはナイフが握られていた。
そのナイフは、ミオが、他の人間に見えなかったのと同じ様に、私にしか見えなかった。
私は、そのナイフで、沢山のヒトを刺してみた。家族や同級生、学校の先生や、その他の目に映る人間を次々と。もちろんそれは、私の頭の中での出来事だから、誰も傷付かないし、誰も死なない。ただ、私の中で、沢山の屍が、赤い血に染まって、転がって行くだけだった。
私を知る人間が、みんないなくなったら、私の存在も消える。どうせ、かりそめの自分ならば、消えてしまえばいい。そうすれば、私は、本当の私になれる。そんな気がした。
妄想の中で、私はヒトを殺す度に、私は現実の世界で、そのヒトとの関わりを絶って行った。
ヒトを殺してみたかった。そう、ヨウスイが歌ったのは、なんと言う曲だったか?多分、何かを壊す事で人間は、生まれ変わりの幻想を持つのかも知れない。この時の私も多分そうだった。
「藤村さん最近無愛想だよね」
ある日、私はクラスメイトの娘にそう言われて、つい、口を滑らせてこう言ってしまった。
「みんな、殺しちゃったから」
「え?今なんて言ったの?」
彼女はそういって、怪訝な顔で、私を見た。
「何でもない。気にしないで」
私は、一度そう言っておきながら、彼女の方をじっと見て、こう言った。
「今、あんたも殺したところだよ」
彼女は怯えた目で、「藤村さん、変だよ。怖いよ」
と言って、私に二度と話かけなくなった。私は、また一人、ヒトを殺した。
「藤村さん、変だよ。怖いよ」
彼女が、死の間際に放った言葉で、私は自分が何者であるか理解した。
私は、変で怖い存在するなのだ。
私は、怪物だ。
私は、人間ではなかった。
だから、そもそも、自分が解らなくて当然だった。人間という概念で、考えるから、私は私が解らないのだ。
私は怪物だった。
さて、怪物は、どうすればいいのか?
怪物は、人間としては生きられない。
死のう。
私はそう決意して、中学2年の春の夜、自分の部屋の窓を開けて、身を乗り出した。一戸建ての二階にある自分の部屋に、窓を開けたとたん、春の夜風がすっと入って来た。
心地よい、最期の夜にはうってつけの風だった。
この夜に吸い込まれるように、死んで行こう。そう、思って身体を窓から投げようとした時、その夜の闇が、グッとせまって来て私を包み込んだ。
闇の中は、とてつもなく深い恐怖で満ちていた。何もない本当の闇。これが死の世界。それを感じたとたん、私は絶叫した。
「うあああああああああ」
「こっち!」
私が悲鳴を上げた時、誰かがそう言って、後ろから私の腕を掴んで、窓の内側に引っ張った。
気がつくと、私は自分の部屋の床に仰向けに倒れていた。
天井と、そこからつり下がった、丸い蛍光灯が見えた。
息が出来ない。
過呼吸だ。
酸素が必要以上に、体内に侵入してくる。
頭が痛い。手足が痺れて、意識が薄らいできた。
「彩ちゃん⁉︎どうしたの?」
私の悲鳴を聞いてお母さんが飛んできた。私の顔を覗き込むなり、アタフタし始めた。
「彩ちゃん?彩ちゃん?お父さん!彩ちゃんが、彩ちゃんが大変!救急車よんでーーー!」
「彩子!どうした⁉︎」
お父さんも飛んで来て、お母さんと一緒にアタフタしていた。
「お父さん、救急車。早く!」
「いや、俺が車出す。その方が早い」
「もう、何でもいいから早く!」
お母さんがヒステリーを起こす。
「彩子、しっかりしろ!」
お父さんは、私を抱き上げた。
「お父さん。わわわ私、ししし死にたくない」
詰まった息の中で、やっと出た言葉だった。
死のうと思ったのに。
自分が怪物だとわかったのに。
人間としては生きられないのに。
死にたくない。そう言った直後、私は気を失った。