夏の始まり。
「焼きそば」
リクエストを聞くと、みのりんは開口一番にそう言って、サイコはそれに頷いた。
夏休みの初日、学校に召集された補習組みは、1年6組のほぼ全員だった。「何で夏休みに学校来なきゃならないんだよ」「マジでかったりー」「終わったら、南口で、女探そうぜ」と、みんな思い思いにぼやいていた。
「やっぱり浴衣がいいかな?さくら棒ってやたらでっかいって本当?」
みのりんに至っては、もう、すでに気持ちが夏祭りに飛んでいた。
「サーちゃんも浴衣着るでしょ」
「着ない」
あの、赤いフレームのメガネを掛けたサイコが無表情にそう答えた。
「なんで?お祭りだよ」
「お祭りだから着ない」
「だから、なんで?」
「人が多くなるから、せっかく着ても、もみくちゃにされて台無しになる。私は、ジーパンとTシャツでいい」
「えーつまんない。キムも見たいよね?サーちゃんの浴衣姿」
みのりんがいやらしくニヤけて俺を見て、話を振った。
「まあ、見てみたいかな」
本当はムチャクチャ見たい。
「じゃぁ、考えておく」
メガネ越しに俺を見て、サイコがそう言うと、みのりんが、「やっぱりキムが見たいって言えばサーちゃんはそうする」と小さな声で言った。
ガロに寄り道をした翌日から、サイコは学校でもメガネを掛けるようになった。その時から、俺のとサイコの関係は、周囲から、彼氏彼女の関係と、勝手に認識されるようになった。その先駆者はみのりんだった。サイコがメガネを掛けて学校に来ると。みのりんは「どうしたの?そのメガネ。すごいかわいい」とハイテンションで食いついて、サイコに絡みついた。
「気分転換で、メガネにしてみた。コンタクトより楽だし、昨日タダシにもその方がいいって言われたから」
サイコのその発言に、みのりんが「キャー」と黄色い悲鳴を上げた。
そこからが早かった。
みのりんはサイコから、あれやこれやとメガネについて聞きだすと、それを中谷にチクった。中谷は、サイコにメタメタに振られた後も、少しばかりの未練があったらしく、彼女の様子を、俺やみのりんに聞いて来る事があった。いつかのサイコの事がめんどくさいと言う話も、そんな気持ちの裏返しだった。
けれども彼はしつこい男ではなく、諦める時はきれいに身を引く男だった。
みゃくの無い相手にしつこく付きまとうのは、男としての彼の美学に反するらしい。
「そんなわけで、サーちゃんはキムの彼女だから、中谷君は、即刻諦めなさい」
みのりんから、そう忠告された中谷は二つ返事で了承すると、その日の内に、俺のところにやって来て、満面の笑みで、「やったな木村」と絡んできた。
「なっ、何が?」
俺ははじめ何のことか解らず、そう答えた。
「藤村のメガネだよ。あれ、お前が藤村に掛けろって言ったんだろ?」
「メガネ?」
中谷に言われて、サイコを確認すると、確かに、あの、赤いフレームのメガネを掛けていた。気が付いてはいたが、まさか、俺の言葉を意識して、そうしたなどとは、夢にも思わないし、サイコに直接聞くのも恥ずかしい。例え聞いたとしても、彼女の性格なら、適当に煙に巻くだろうと思った。(「なーに、気分転換で、一友人である、君の意見を取り入れてみただけさ」なんてね。)
「ああ、あれ、あいつ、目が悪いんだよ。多分コンタクトが切れたんじゃねーの?」
俺がそう言うと、中谷は「何でお前、そんな事知ってんだよ」と言って、さら二ヤケた。
「いや、同じ部活だし」
「同じ部活でも、そこまでのプライベートは普通解らないぜ」
「プライベート?」
「おうよ。藤村彩子にとって、メガネはプライベートだ。それを知っているって事は、お前は、彼女のプライベートを見たんだよな」
「いや、一緒に喫茶店に寄っただけだよ」
「それは高山から聞いたよ。それ、もう、デートじゃん」
「サイコはそんなつもりは無いと思うよ。あの時、自分でこれはデートじゃないって言ってたから」
「それは乙女の照れ隠しさ」
中谷はそう言って調子をとる。
「そこで、お前は、藤村のメガネ姿を見たんだろ」
「まあ、その通りだけど」
「そして、それを見て、可愛いって言ったんだ」
中谷の言う通り、メガネのサイコを可愛いとあの時思った。
「可愛いとは、言ってないよ。ただ、似合うって言ったんだ」
中谷が、指を鳴らして、「はい、いただきました」と叫んだ。
「似合うと可愛いは、女子にとっては、イコールだぜ。男に言われて、それを実行するって、もう決まりだ。藤村の心はお前のものだ。おめでとう。お前は、俺たちの英雄だ」
そう言って、中谷は、握手を求めてきた。
「英雄?」
「英雄さ。だって、あの藤村を、あの気難しい藤村彩子をお前はモノにしたんだから、お前は英雄だ」
こうして、俺は、中谷をはじめとする、サイコに振られた連中の英雄になった。
そして、中谷は、俺とサイコの事を皆んなにチクった。
補習は、漢字と英単語の書き取りと、フルマラソンだった。書き取りは、1学期に習ったであろう漢字と英単語をひたすら書き写すだけの単純作業だったが、それでも1時間近く続けると、さすがにきつかった。そして、その後がフルマラソンである。書き取りの単純作業を終えた者から、体操着に着替えて、グラウンドを15周ひたすら走る。ある意味ここからが本番だった。とにかく全力で走らなければならなかった。少しでもダラダラとペースが落ちるものならば、「こらっ、そこ!ダラダラ走るな!」と、ムチの様にしなる体育の石田の声が飛んでくる。それも、男子女子関係ないものだから、「私もう嫌だ」と泣き出す娘も出てきた。
炎天下。15周も走り終えた頃にはみんな汗だくだった。この中で、誰一人として、熱中症にならなかったのが奇跡である。
「あっちー。マジ死にそう」
みんな同じ台詞を口にして、教室に戻ると、若林先生が「みんなよく頑張ったね。お疲れさん」と、言って1人一本ずつ、清涼飲料を手渡してくれた。もちろん全員がぶ飲み。
水分が身体に補給されるのが解る頃、やり切ったと言う達成感が湧いてきた。
全ての日程は、午前中で終わった。
「えーもう始まってしまっていますが、これから夏休みです。皆さん気の緩みの無いように、怪我や病気に気を付けて、元気に過ごしてください。新学期にまた、皆さんと無事に会える事を祈っています。では、解散」
先生の補習解散宣言に歓喜の声を皆があげると、半日遅れで、夏休みが始まった。
「つ・か・れ・た」
電池の切れかかったロボットの様に途切れ途切れな発音で、みのりんが机に枝垂れかかってそう口にした。サイコも、同じように机に突っ伏している。俺も、一度座ると、動けなくなっていた。3人とも、帰る分の体力がまだ、回復していない。いや、よく見ると、俺たち以外にも数名、そんな状態の奴が教室に残っていた。中谷もぐったりとしている。
体力の回復した生徒から、1人、また、1人と、帰っていき、残ったのは俺たち風研部の3人と、中谷だけになった。
「よう、風研部の3人はこの後どうするよ」
ふと、中谷がそう聞いてきた。
「うーん。このまま帰るかな?特にやる事ないし。キムと、サーちゃんはどうする?この後、みんなでどっか行く?」
みのりんが、そう俺たちに話を振った。
「このまま解散」
サイコが気だるそうにそう答えて、俺もそれに頷いた。
「だってさ。中谷君は?」
「俺はデートさ。昨日、終業式の後、沼津の仲店で、ゴマキ似の可愛い娘と知り合ったんだ」
中谷は、そう言って、自慢げな顔(今でいうドヤ顔)を作った。
「えっ、すごいじゃん」
思わず、俺も食いついた。
ゴマキといえば、この当時のトップアイドルの1人である。だから、その、ゴマキに似ていると言う事は、相当可愛いと言う事である。
「プリクラあるけど、見るか?」
中谷がそう言って、携帯に貼ったプリクラを俺たちに見せびらかす。
「うん、見る見る!」
みのりんが、急に元気になって、プリクラを覗き込んだ。
中谷と、その彼女が小さなフレームの中で、仲良く、くっ付いて映っている。それぞれの顔の横に、「ゆうた」「さやか」と名前がプリントされていた。
「さやかちゃんって言うの?」
「おう、アンドウサヤカって言うんだ。西校に通ってる」
「えっ」
アンドウサヤカと言う名前を聞いた瞬間、みのりんの表情が固まった。そして、俺も多分同じ表情になっていた。
サイコも眼を見開いて、険しい表情をしている。
「なんだ?知り合いか?」
中谷が、俺たち3人の反応を見渡して、そう聞いた。
「いや、ううん。本当にゴマキに似てるなって思って」
みのりんがそう、誤魔化す様にに言うと、中谷は、「そうだらぁ。こんな可愛い娘と知り合えるなんて、俺、めっちゃついてるよ」と調子よく言った。
「俺、もう行くわ。1時に待ち合わせなんだ」
そう言って、中谷はそそくさと教室を出ていく。その背中に、みのりんが、「行ってらっしゃい」と意味もなく声をかけた。
中谷が帰った直後、みのりんは、不安そうな顔で俺たちを振る返ると、「どうしよう」と言った。




