ユッコ
いつもは夕食を済ませたとたんに、煙草を吸いなおすユッコは、最近はそれをしなくなった。代わりに、俺の学校での話を楽しそうに聞く様になった。
「みのりんスッゴクいい娘じゃん。いつも、サイコちゃんの事気に掛けてるんだね」
みのりんはユッコのお気に入りだ。勿論、会った事は無いが、話に登場する度に、ユッコは嬉しそうな顔になる。
「でも、不思議だと思わない?不釣り合いだよ。サイコは変なやつだけど、どちらかと言えば優等生だし、それに比べると、みのりんは馬鹿と言うか、まあ、それが才能にまで昇華してるって言うか」
俺が、そう疑問をユッコに投げかけると、彼女は「それがちょうどいいんじゃない?ほっとするんだよ、サイコちゃん。たぶん」と、明るく返してきた。サイコやみのりんと出会ってから、俺の世界は少し変わった。前は、こんな風に母子で話す事も無かった気がする。
「サイコちゃんはまだ、自分を創り切れてないんだよ。だから、迷ってて、タダシの前で悪びれてるんじゃない?あんただって、中学の時、酷かったじゃない。類はとっもを呼ぶってやつだよ」
類は友を呼ぶ。
中学時代の事を思い出してみた。
みんながふざけていたから、自分もふざけた。みんなから、脱落したくなくて、みんなに合わせるために、自分を失って、そして、みんなと一緒に暴走して、結局独りになった。
「なんで、俺なんだろう?どうして、サイコは俺と、つるんでるんだろう」
俺みたいなやつなんて、たぶん、沢山いる。それに、サイコは意外とモテる。俺の知る限り、学校に来始めてから、もう、3人から声を掛けられて、実際にデートもしているが、3人とも、デートの次の日には、自分から「無かった事にしてくれ」と断っていた。サイコの醸し出す独特の空気が重たくて耐えられないと言うのが真相だった。ふられるサイコも、悲しむ訳でも無く、むしろ、うっとうしいハエが離れて行ったかの様な表情で、「いいよ、私は気にしないから。昨日はありがとう」と言って、薄ら笑いを浮かべるので、男たちは、皆、泣きそうな顔で、彼女から離れて行くのだった。
「そりゃ、あんたがサイコちゃんの事が好きさからだよ。自分の事を好きでいてくれる相手を嫌いな女子はいないよ」
みのりんみたいな事を言うと思った。
「俺は、そんなつもりは」
「でも、声掛けたんでしょ」
イタズラっぽい顔で、ユッコはそう言った。
「だから、同じ学校の制服だったから何と無く声を掛けただけだって」
俺は、そう言い訳をするが、ユッコはそれを聞き流す様に、「でも、今は、悩む所だよね」と勝手に物語を作って楽しんでいた。
「影があって、ミステリアスなサイコちゃんも魅力的だし、明るくて、天真爛漫なみのりんも可愛いし、いやー青春だな」
「もういいよ!」
何と無く腹が立って、ユッコの前から、席を立つと、俺は自分の部屋に向かった。
ユッコの言っている事は、まったくのデタラメでもない。サイコの雰囲気に引き付けられるのも事実だし、いつも明るいみのりんは話やすい。
「小林君の事さぁ、ちゃんと見てやんなね」
俺の背中に向かって、ユッコがそう言って、俺は「解ってる」と振り向かずに答えた。
「エライ」
ユッコのその一言が俺の背中を優しく包んだ。
部屋に入ると、違和感があった。
グシャグシャのベッドカバーと掛布団。脱ぎ散らかしたパジャマ。床に敷き詰められた漫画雑誌。全ては朝、家を出た時のままなのに、何かが違っていた。
机の上。
そこにノートが広げられている。
朝、何気なしに広げたあの、赤いマジックで大きく「死ね」と書かれていたノートだ。だが、その広げられていたページには何も書かれていない。手に取って他のページもめくって見たが、「死ね」の文字は、どこのも書かれていなかった。勿論、ページを破いた痕跡も無い。もしかしたら、別のノートと間違えているのかと思って、部屋中を探したが、やっぱり書かれていたはずのノートは、このノートだった。
「ユッコ、おい!」
俺は、ノートを持って部屋を飛び出すと、ユッコに問い詰めた。
「ユッコ、このノート知らないか?」
「何?そのノートがどうしたの?」
ユッコはきょとんとして、首を傾げた。
「ここに書いてあったら、でっかく死ねって」
「はぁ、何それ?」
「消えてるんだよ。綺麗さっぱり」
ユッコは顔を引きつられて、もう一度、「何それ」を繰り返した。
「気持ち悪い。何言ってるの?」
そうユッコに言われて、ふと、俺は冷静になった。言ってる事メチャクチャだ。そもそも、ユッコはノートの事を知らない。
「いや、いいんだ。俺の気のせいだから」
「大丈夫?」
俺は黙って頷くと、部屋に戻って、ベッドに潜り込んだ。