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psycho〜親愛なる君へ〜  作者: 山居中次
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祈り

  今日も、朝が来て、俺は、そのノートを開いた。


  古いノートに書かれた赤いマジックの大きな「死ね」の一言。


  中学時代、誰かに書かれたその言葉を俺は捨てられずに取ってある。


  その誰かは、多分、藤本理恵菜だ。


  手を切られた日、気まぐれで、ノートと教科書を持って帰って、部屋で、カバンからぶちまけた時に、勢いで開いた数学のノートに書かれていた。


  見つけた瞬間、それは圧倒的な殺意を俺に向かって放っていた。


  俺に向かってナイフを振り下ろした理恵菜の顔が、理由も無くそこから、フラッシュバックの様に立ち上がり、俺に襲い掛かって来た。


  文字や絵画、文章と、人間が何かを表現する時、強い念を込めれば込めるほど、それが相手に伝わると、中山教授は教えてくれた。


「その子の君への殺意がその時は本物だったから、その思念が君に伝わったんだ」


  だそうである。


  理恵菜が、書いたと言う証拠はもちろん無い。けれども、とにかく、俺は、この「死ね」の文字から、本当に、理由も無く彼女の殺意を感じ取ったのだ。


  自分に向けられた殺意。俺はそれから逃げられないと思った。立ち向かって、切り抜ける事も出来なかった。そして、俺は、みんなが俺をはぶくと同時に、自分からも、今までの仲間と縁を切った。俺は今までの俺を殺した。


  俺は1度、死んだ。


  死んだまま、今もまどろんでいる。


「お前を殺せない理由が解ったよ」


  朝、三島駅でバスを降りて、改札を抜けようとした所で、サイコに会った。俺も、サイコも、もう、夏服である。彼女は相変わらずの不敵な笑みを浮かべてそう言うと、「お前は、初めから死んでいる」と続けた。


「死んでいる?」


  確かにそうかも知れない。大石弥生を追い詰めた、俺はもういない。けれども、そうじゃ無い俺もまだ生まれていない。


「だけど不思議だ。死んでいるはずなのに、お前は、蠢いている」


  そう言うと、サイコは少し考える様な仕草と表情をしてから、何かを閃く様に言った。


「死は、終わりじゃ無い。生き物が死ねば、その屍は、蛆や、カビや、バクテリアによって、分解されて、土に還る。そして、その土の養分を吸い取って、植物が芽吹く。そして、その植物を動物が食べて、また、いつか死んで土に還る。お前は、今、腐ってドロドロと溶けて行く所なんだ」


「ドロドロと、溶ける?」


「そうさ、溶けているんだ。そして、そこから、多分、新しいお前が生まれる。だから、私はお前が好きだ。完全に生きているわけでもなく、死んでいるわけでも無い。だから、お前は、あの時、私の時間の中に入れたんだ」


「同じ能力を持っているからじゃ無いのか?」


  確か、サイコは、俺にも感覚時間に逃る能力があると始めて会った時に言っていた。


「私も死んでいるから、お前を引き込む事が出来たのだ。私は人間としては死んでいるから、サイコに、なった」


  生命として生きるのは簡単だ。黙っていても心臓は動く。けれども、人間として生きるのは難しい。だから、彩子はサイコになり、俺は、あの頃の俺を殺したまま、まどろんでいる。


  約7分の電車に乗り、沼津のホームに降り立った時に、向かいのホームの下を通る線路に、頭を轢かれた鳩の死骸を見つけた。その死骸を、カラスが平然とつついている。カラスは、鳩の肉を食べて、その命を繋いでいた。なるほど、死は終わりでは無い。


「キム、サーちゃん。おはよー」


  沼津に来る度に、まどろんでいる俺を起こす様に、みのりんの挨拶が毎朝の様に繰り返される。


  彼女は毎朝、俺とサイコを、駅の北口まで迎えに来る。


  私は朝が苦手だ。朝が来る度に、今日も生きなければと思う自分がいる。


  人間は毎日、生と死を繰り返している。眩しすぎる陽の光に焼かれて、その、焼かれた身体を風に擦られたて、頭がクラクラする程の音の中で、自分を失いかけて、そんな生きると言う苦痛を癒すために、人間は、夜、1度死ぬ。そうして、また生まれて、苦痛を受けて、死んでいく。勿論全ての人間が生きるのが苦痛だと思っている訳ではない。けれども、確かに人間は毎日生まれて死んでいく。


  今日も、朝日が眩しすぎる。風がうっとうしくて、全ての音が、うるさすぎる。


  感覚を外す。


  私の時間に逃げる。


  それで、今日も1日やり過ごそうとする。


  サイコが感覚時間に逃げるのが解る様になっていた。彼女が、感覚を外す時その気配が消える。その場にいるはずなのに、その姿が霞む。


  あっ、サイコが逃げる。


  今日も、彼女が、感覚時間に逃げるのを、俺は確認した。毎朝、その変化を見届けるが、だからと言って、何もしない。好きにしてやろうと思う。生きるのが辛いのなら、それを辞めない程度に、ここから逃げてもいい。それが、サイコの生きる為の防衛策なんだからと、俺は思う。


「サーちゃんダメ、半死にしちゃ」


  みのりんが、突然、そう言うと、サイコの両肩を正面から掴んで、サイコの身体を、ガックンガックンと揺らし始めた。彼女はサイコが感覚時間に逃げるのを、半死はんじにと呼ぶ。いつもと言う訳ではないが、みのりんが個人的に、サイコにこっち側の世界にいて欲しい時に、無理やりそうやって、引き戻す事がある。


  この荒業は、みのりんにしか出来ない。


  その内、ヘルニアとまで行かなくとも、サイコは、首を痛めるのでは、と、見ていて少し心配になる。


「ほら、帰りにプリン買ってあげるから。だから、行くな。戻れ〜」


  首が、吹っ飛ぶのではないかと思う勢いで、身体を揺さぶられたサイコが、ブツンと、電源が入った様に、身体を一瞬痙攣させて、眼を見開いて、こっちに戻って来た。みのりんが、それを確認して、手を離すと、勢いあまって、サイコがよろけた。


「サーちゃん戻った?大丈夫?立ち眩み?ちゃんと夜寝れてる?」


「いや、お前が、今、揺さぶったからだろう」


  と、思わず俺は、みのりんに突っ込んでいた。


「フルーツゼリーがいい」


  いつもの無機質な声で、サイコがそう言った。勢いよく揺さぶられたせいで、髪の毛が乱れている。


「じゃあ、フルーツゼリーにしよう。よかった、戻って来てくれて。半死にしてる時のサーちゃんって、なんか、話しかけづらいんだもん」


  確かに、向こうに行っている時のサイコは近寄りがたい雰囲気を、普段以上に放つ。


「今日は何の用?私を呼び戻したって事は、私に何か用事があるんでしょ?」


  感覚時間に逃げるのを阻止すると言う、みのりんの、予想外の行動に始めは戸惑っていたサイコも、最近は慣れて来て、そう、切り返す様になった。


  冷たい、冷めた美しい眼で、サイコが、みのりんにそう言うと、みのりんは、笑って、「あるよ」っと言った。


「サーちゃんと遊ぶ。これ、大事な用事でしょ」


 みのりんの言葉に、サイコが微かに微笑む。


「他には?」


「今回の風研部の課題、サーちゃんどんな結論を出したかなって思って」


  サイコは結局、あの後、風研部に入った。


  その理由は、「高山実たかやまみのる、彼女に興味を持った」である。意外だった。頭の中で、人を殺している様な奴が、他人に何かしらの興味を持ち、共感を得ようとしているのだ。


「サイコ、お前はやっぱり人間だよ」


  サイコが風研部の入部を決めた時、俺は彼女にそう言っていた。


「いや、私は怪物だ。残忍な殺し屋だって、1人の少女を守る気まぐれを起こす事もある。私の気持ちもそんな怪物の気まぐれだ」


「その例えが人間臭いよ」


  サイコは、小さく微笑むと、その時は、もう、何も言い返さなかった。あの時、サイコの見せた微笑みは、いつもの歪んだ笑みとは別物の可愛らしい笑みだった。


「オシラ様の意味?」


  みのりんの質問にサイコが、いつもの無機質な声で答える。


「そうそう、オシラ様。ウチ、どうも、ピンと来なくて、どうして馬と人間が恋をしたのかとか、何で、主人は、その馬を殺してしまったのかとか、ウチには、やっぱり難しい」


  みのりんは、こうやって、サイコにいつも意見を求める。あの、マンガを題材に書く事になっていた、文化祭で発表する15枚のレポートも、一応共同制作と言う名目で、サイコが小一時間で一気に書き上げた。みのりんが書いたのは、主人公がカッコイイの一言である。その、一言にサイコが、主人公の生き様やら、キャラクター、苦悩などのキーワードを上手く付け加えて、話をまとめた。


  ちなみに、題材となったマンガは、手塚治虫の「ブラックジャック」である。


  オシラ様とは、東北地方に伝わる御伽噺である、ある、名家の娘が、自分の家で飼っている馬に恋をしてしまい、それを知った名家の主人が、その馬を殺してしまい、それを知った娘が後追い自殺をしてしまう。そして、娘の死を悔やんだ主人は、馬と娘の霊を供養する為のほこらを建てると言った話しである。


  サイコが、みのりんの課題を書き上げると、教授は「やっぱり君は凄い」と言って満足すると、この、オシラ様の話を次の議題として、持って来た。風研部の議題のネタは、顧問とか部員とか関係無しに、各々が持ち寄ったネタを、選別して決める。今回は教授以外に、誰もネタを持って来なかったから、これに決った。


「出たよ、結論」


「えっ、本当」


  サイコの返答に、みのりんの笑顔が咲いた。


「ねえ、どんな結論?教えて、教えて」


  みのりんが、サイコに絡みつく。


「長くなるから、後で教える」


「えー、今教えてよー」


  みのりんが、ふてくされて、体を揺する。


「楽しみは後でって事さ」


  ふてくされる、みのりんに向かって、俺が、サイコの代わりにそう言うと、「そう言うキムはどうなのよ?」と話を俺に振って来た。


「いや、俺も、正直さっぱり」


「なにそれー」


  みのりんは笑顔で俺を非難した。


  解らないのは自分だけではないと言う、安心した笑顔だ。


  俺たちは、サイコに議題をまかせっきりなのをお互いに笑い合った。


「サーちゃんは、風研部のエースだ」


  高山実風研部部長は、無責任にそう言うと、楽しい学校に向かって歩き始めた。俺とサイコ、その後ろをトロトロと付いて行った。


「おはよう木村君、藤村さん。今日も、来てくれたんだね」


  学校に着くと、下駄箱の前で、若林先生が、あの、屈託の無い笑顔でそう、俺たちに声を掛けてくれた。


「始めは辞めるとか言ってたけど、けっこう学校楽しくなって来たんじゃない?」


「ええ、まあ」


  正直な、ええ、まあ。である。学校が、楽しくてたまらないみのりんに引っ張られて、俺もサイコも、いつしか、ここに吸い寄せられるようになっていた。


「2人とも、風研部に入ったんだって?藤村さんなんか、ずいぶんと活躍してるそうじゃない。中山先生も喜んでたよ」


「そうなんですよー。サーちゃんは、うちのエースなんです」


  みのりんが調子良くそう言う。


「彼女が部長として、しっかりしてるから、私も、部活を楽しめています」


  サイコが、大人の顔になって、みのりんを褒める発言を若林先生に向かってした。


「そうかい。君は、いい友達にめぐりあったね」


  先生は嬉しそうに、サイコに向ってそう言った。


「本当にそう思います」


  サイコの言葉に、みのりんが、サイコの横で、照れている。


「あっ、そうだ。君たち、3人とも夏休み前の補習は、受けてよね。そうしないと、1学期の単位取れないから」


  半分忘れていたが、俺たちは、単位が足りなかった。このまま、俺は辞めてもよかったが、不意に出来た友達の存在で、気持ちは、このまま、ここに留まる方に心は向いていた。


「当ったり前じゃないですかー。人生はいつもリベンジですよ。ねっ、キム、サーちゃん」


  留まる決定。


  みのりんがムカつく位のハイテンションで、勝手にそう決めた。


  サイコが、ニヤリとする。彼女はみのりんの言動や仕草を見て、時々ニヤ付く。多分、みのりんの事が可笑しくて仕方なく、好きになり始めているんだ。


「でも、藤村さんは惜しかったよ。期末試験全教科、合格点内だもの、後は、出席日数が足りてればね」


  若林先生が本当に残念そうにそう言うと、みのりんが「えっ、そうなの?サーちゃん凄いじゃん」とはしゃぎだす。そんな、みのりんとは対象的に、サイコは大人の顔のまま、「本当にそれについては、ご迷惑お掛けします」と、先生に向かって言った。


  サイコは、かつて、学習塾の特待生だった。だから、頭はいいのだ。


「けど、高山さんは、いつも来てるのに、残念だったね」


  先生が、意地悪にみのりんをそうなじる。


「せんせー。それは、言わないでよー」


  みのりんが、甘える様な声で、そう、ダダをこねた。


「でも、今の所、高山さんは皆勤賞だよ」


「ウチ、それだけが、とりえですから」


  若林先生が、優しく頷く。


  サイコは、全教科合格点内。みのりんは皆勤賞。けれども、俺はそのどちらでもない。全教科、10点台だし、出席日数も足りなかった。2人の事が少し、うらやましく思う自分がいた。その、俺の気持ちを察するかの様に、若林先生は、言ってくれた。


「木村君。君は、スタートが遅れただけだから、これから、まだ、チャンスはあるよ」


「あっ、はい」


  俺は、そう言うと、先生に対して、静かにお辞儀をしていた。


「じゃあ、僕、職員室に出席簿取りに行って来るから、君たち、先に、教室行ってて」


「はーい。行こう、キム、サーちゃん」


  みのりんが、明るくそう返事をして、俺とサイコを、教室へ先導すると、突然、若林先生が、サイコに声を掛けた。


  少し、真剣な顔である。


「藤村さん」


  サイコが振り返る。


「あまり、無理はしなくていいから」


「無理?」


  サイコが、先生に向かって、そう聞き返した。


「いや、僕の気のせいなら、いいんだ。ごめんね、変な事言って」


  そう言うと、若林先生は、職員室に出席簿を取りに行った。その背中に向かって、サイコは、俺がさっきやったのと同じように静かにお辞儀をした。俺とみのりんは、黙って、それを見守っていた。


  鈴木祐介と、その腰巾着は、月の替わる頃に、退学届けを出して、学校をバックレた。だから、小林卓也をいじめる奴はもういない。そもそも、彼への嫌がらせ自体が、心ないからかいだったから、鈴木たちに、コバ(小林卓也を、俺はいつしか、コバと呼んでいた)に対する悪意を持った執着はなく、気が付くと、あいつらは、コバの前から消える様にいなくなっていた。


「よかったじゃん。あいつらいなくなって」


  コバは、黙って小さく頷いた。


  休み時間の度に、俺は、コバを訪ねて、隣のクラスに顔を出す様になっていた。


  コバはいつも遠慮がちに、それでも、好感を持った笑顔で、俺の事を迎える。けれども、その笑顔から、コバがこのクラスで、今も孤立しているのが何と無く解ってしまう。


  何とかしてやりたいと、その度に思っていた。鈴木たちがいなくなった分、やりやすくなったと思ったが、問題は、そう簡単でもない様だ。


  いつか、学校帰りに、理恵菜に会った時に、「なあ、藤本。大石が、俺たちに虐められてる時、お前はどんな風に接してた?」と聞いた事があった。それに対して、理恵菜は、「なんで、そんな事聞くの?」とこの前と同じ様に、そっけなく聞き返した。


「いや、何と無くなんだけどさ、藤本、大石と仲よかったし。あっ、俺も今、友達の事で色々あってさ」


  今の俺がしようと思っている事は、かつて、理恵菜が弥生にしていた事とよく似ている。彼女は、あの時、常に弥生の親友として、側にいて弥生を支えていた。俺も、コバの親友になるべく、彼の側にいる。


  理恵菜は、それを察したのか、俺の方をじっと数秒間見つめてからこう言った。


「やめておいた方がいいよ」


「やめる?どうして?」


  俺が聞き返すと、理恵菜はこう続けた。


「救えなかった時に、自分も傷つくから」


  この時、俺は自分の過ちの重大さに改めて気が付いた。俺は、弥生だけでなく、理恵菜も傷つけていたのだ。いや、もっと他の大勢の人を傷つけていたのかもしれない。例えば、弥生の両親は、娘が自殺未遂を起こした時どんな想いだったのだろうか。


「後悔、してるのか?大石の事。俺がこんな事言うのは可笑しいけど」


  また、あの、軽蔑の目で罵られるかと思ったが、理恵菜は冷静に俺を見て言った。


「あたし1人で救おうとしたのがいけなかった。ヤヨを救えるのは、あたしだけって傲慢があった気がする」


「傲慢?」


「みんなを信用してなかった。本当はヤヨがみんなと、上手くやれる手助けだけでよかったのかも知れない」


「1人で悩むなって事か?」


「まあ、そんなところ」


  理恵菜はそう言うと、「じゃあ」と言って、いつかの様にそそくさと、俺の前から立ち去ろうとした。


「藤本。ありがとうな」


  立ち去る彼女の背中にそう声を掛けたが、理恵菜は振り返る事なく、家路へと急ぐ人々の群れに紛れて行った。


  理恵菜の語った経験を、そのまま引用するならば、俺1人でコバを何とかするのは難しい。けれども、俺はコバを見捨てたくはなかった。サイコや、みのりんを巻き込んでみようか。ふと、そう思ったが、コバの人見知りを考えると、かえってストレスを与えてしまう気がした。(特に、独特の雰囲気で威圧感を纏っているサイコとの接触は、慣れないと、コバでなくても気が重い)


  相手の気持ちを考えるのは凄く難しいと思った。


  俺は作戦に出た。


「コバ、オシラ様って知ってる?」


  オシラ様の話をコバにした。風研部の話題を持ち出す事で、コバをサイコとみのりんに引き合わせた時に、障害なく打ち解けられる下地を作ろうと、思い立った。


「し、し、知らない。何、そ、そ、それ」


「ああ、風研部の今度の議題なんだけどさ。俺、何にも考えて無くて、サイコは、藤村彩子はもう結論を出したとか言ってるけど、俺はまだなんだ」


「どんな話?」


  コバが、話に食いついた。俺はすかさず、オシラ様のストーリーを、コバに話した。


「ガリバー旅行記のラストに似てる」


「ガリバーって巨人のガリバー?」


「ガリバーは巨人じゃないよ」


  そう言って、コバがクスクスと笑いだしだ。あまり、どもらなくなっている。俺に対してリラックスしている証拠だ。

「えっ、でも、小人に地面にはりつけにされて・・・・あっ」


  そこまで言って、気がついた。ガリバーは小人に磔にされたのだ。だから、ガリバーが、巨人なのではなくて。


「そう、ガ、ガ、ガリバーは小人の国に漂着したんだ。だから、ガリバーは巨人じゃない」


  そうだ、ガリバーは巨人じゃない。コバは意外と物知りだった。だから、けっこうに面白い。始めは、俺がコバを救うつもりだったが、俺自身がコバとの会話を楽しんでいる事にこの時気が付いた。


「た、多分、絵本の挿絵のイメージで、木村君は、ガリバーを巨人だと思い込んだんだ」


  確かにそうである。特に、子供の時なんかは、絵本なんて、絵の部分だけで、ストーリーを追って、文章なんかは読まないものだから、本来のストーリーとかけ離れた解釈をしている場合がある。


「あれ、でも、ガリバーに馬の話なんか出てきたっけ」


  俺の記憶の中、絵だけで追ったストーリーには、少なくともガリバーと馬のエピソードは出て来なかった。


「た、た、多分、き、き、木村君の知ってるガリバーは、“ガリバーと小人の国”じゃ、じゃないかな」


  ガリバーと小人の国。確かにそうだ。俺の中のガリバーは、それだった。


「話が違うの?ガリバー旅行記とガリバーと小人の国は」


「は、話が違うわけじゃないんだ。ガ、ガリバーと小人の国は、ガリバー旅行記の一部なんだ」


「じゃあ、ガリバー旅行記って、もっと長いの?」


「ガリバーは色々な国に旅をするんだ。小人の国の後は、巨人の国。その後が天空に浮かぶ島ラピュータ」


「えっ、ラピュタも?」


  コバが頷いて言う。


「ラピュタの元ネタは、スイフトのガリバー旅行記なんだ」


「へー」


  コバが、続ける。


「そして、最後が、馬が人間を支配している世界。そこで、ガリバーは、優雅に暮らす馬たちに憧れを抱き、逆に、欲と見栄に溺れて、動物以下の醜い姿になった人間に嫌悪感を覚えたまま、帰国。そして、人間不信に陥ったガリバーは、1匹の馬を飼い、その馬と、一生を添い遂げて終わるんだ。僕も、ちゃ、ちゃんと読んだ事はないけど、そんな話なんだ」


  コバが得意そうな顔になり、それに比例する様に、俺も、コバの知識に引き込まれていた。


「コバと話してると面白いな。コバ程の知識があれば、人気者になれそうだけどな」


「そ、そうでもないよ。なれた人以外だと、ぼ、僕、上手くし、し、喋れないから」


「そう言うの、やっぱり言われるのか?」


  コバは小さく頷いた。


「人によって態度が違うとか、よく言われるんだ。ぼ、ぼ、僕はそんな、つ、つ、つもりは無いのに」


  ただ、上手く喋れないだけならば、その方が楽だと、コバは、続けた。それだけならば、シンショー(身体障害者をよく、そう言う)とバカにされるだけですむ。けれども、場面によって、人並みに会話が出来るとなれば、それが、誤解を生んで、いわれの無い差別の対象にされてしまう。


  ほんの少しの誤解で、人間の生活は変わってしまう。俺はこの時、そう感じた。


  人は人に認められる事で、人として生きられる。いつか、サイコについて話し合った時、中山教授が言ったその言葉を思い出した。これは今のコバにも当てはまる。コバには理解者が必要なのだ。


「コバ、何かあったら、俺に遠慮なく言えよ。俺はコバの味方だから」


  俺がそう言うと、コバは、また遠慮がちに微笑んで、「ありがとう」と言ってくれた。


「あっ、コバ、、ガリバーの話さ、もらっていいかな?風研部のネタとして」


「いいよ。僕も、このネタ自信あるから」


  コバが、得意気な顔に戻ってそう言った。


「なあ、コバ、よかったら放課後、風研部見に来ないか?」


  俺がそう言うと、コバは少し嬉しそうな顔で、「考えとく」と言った。


  チャイムが鳴り、休み時間が終わる。


  コバとの時間になごり惜しさを感じながら、俺は自分のクラスに戻った。


  そして、異変に気が付いた。


  俺の席に、1人の少女が座っている。少女は髪を肩まで伸ばしたヘアスタイルで、白いワンピースを着ていた。その姿は、学校と言う空間においては、実に不釣り合いである。その少女 は、ゆっくりと、こっちを向いた。


  大石弥生。


  弥生は、じっと無表情で、俺を見つめると、何かをこっちに向かって語り掛けるが、口は動いているはずなのに、声がいつまでたっても俺の耳に届かない。でも、弥生は確かに何かを俺に訴えていた。


「お前も、辞めろと言うのか?お前を追い込んだ俺には、その資格が無いって、言いたいのか?」


  俺が彼女にそう問いかけると、弥生は口を動かすのを止めて、うっすらと笑みを浮かべて、消えて行った。

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