⑧とある迷子の遭難旅行Ⅱ(アブダクション)
ルーンがクラフトと別れた同時刻。
数キロ離れた林の中で一台の馬車が隠されていた。クラフトが持っていたものと同程度の品質のものだ。人が五、六人乗れるであろう貨車が付いているが、その中には何も乗っていなかった。
御者台に座る、頭にバンダナを巻いた男は退屈そうに欠伸をした。手に持った手綱をたまに動かして勝手に動こうとする躾が足りていない馬を牽制していた。
男は盗賊を生業に生きている人間だった。今扱っている馬車も、男の所属している盗賊団が適当な行商人を殺し、奪ったものらしい。
らしい、というのは男がその場に居合わせていなかったためだ。
男は盗賊だ。だから脅し、物を奪ったことはある。だが、殺しをした事は一度も無かった。
かつて男は普通の一般人だった。
決して裕福ではなかったが、辺境の村で妻と娘と幸せに暮らしていた。
ところがある日を境に一変する。
領主が変わり、税が引き上げられたのだ。明らかにその領主の私腹を肥やすだけに取られる税が。
それを横暴だと、領主に楯突いた親友は殺された。
もう払えないと、許してくれと、そう泣きついた村人のほとんどは代わりに家族を奴隷として売られていった。
そして男の家族は、妻を殺され娘は領主に連れていかれた。
ただ、何も変わらない。他の村人達と同じ結末だ。
村人は慰めてくれた。かつて自分が他の人にしたように慰めてくれた。
そして男は、自分がしていた事がどれほど無意味なものだったのか気が付いた。
慰めなど、気休めにもならない。
それどころか、こんなにも耳障りなのだったのかと。
自分は、こんな事をあいつらにしていたのか、と。
男は嘆いた。声がかれるまで叫び続けた。
気が付けば領主の館を襲撃していた。
しかし殺すには至らず、指名手配されることになった。
そして男は盗賊に堕ちた。
欲深く醜い貴族を狙うという志を持った仲間達と共に、盗賊団を結成した。
必要以上に貴族以外は狙わない。
それが自分達の中にあった絶対のルールだった。
盗賊団が大きくなっていくにつれ、それはもう見る影も無くなってしまったが……。
男はそんな悪に染まった盗賊団の中でも、自分だけは違うと、そんな線引きをするように、人は殺さなかった。襲撃した村の女を犯すことも無かった。
だがもちろん、心の奥底では分かっている。
そんな線引きが何の意味も持っていない自己満足であると。
それでも人を殺さないのは、少しのプライドと、妻と娘に対しての償いだった。
(おっと……)
男はただでさえ隠れている身体をさらに低くした。
男の視線の先に映るのは王国の紋章を付けた馬車だ。おそらく騎士が乗っている。
指名手配されている自分が見つかれば、運が良ければ正式に処刑され、運が悪ければこの場で切り捨てられる。
どちらにしても見つかれば死ぬのだ。
もちろん簡単に負ける程自分が弱いとは思っていないが、騎士を何人も相手取れる程自信過剰でも無かった。
そして絶対に見つからないだろうという自信もあったが、馬車は何の用があるのか、男が潜んでいる林に向かって一直線に向かって来た。
(おいおいおいおい……っ)
男は焦る。
なんで?どうして?バレたか?あいつらが捕まって俺の事を吐いちまったのか?
疑念が疑念を招き、思考が混乱するが、深呼吸を一度して落ち着かせる。
馬車を諦め、音を立てずに木々を上り、息を潜めて身を隠す。
(……なんだ?)
馬車が騎士達に見つかり、何やら騎士達の慌てた声が聞こえるが、男は見つかっていないようだ。
耳を澄まして騎士達の話を聞く限り、騎士達が護衛していた人物が何者かに連れ去られたらしい。
それを聞いて男は、自分の仲間達がその犯人だと確信する。
(バカがバカがバカがバカがぁ!手を出していい連中とダメな連中の見分けもつかないのかあいつらはっ!……いや)
それも仕方ないか、と思う部分はある。
今回は条件が良すぎた。
新しく入ってきた者の使う魔法が便利過ぎたのだ。
絶対に失敗しないと分かっているのなら、出来るだけ良さそうな獲物を狙うという気持ちは分かる。
それでも、だ。
(予定通りに初めのヤツを狙っておけば俺がこんな状況になることも無かったってのに……)
元々は単独で行動している商人に狙いをつけていたはずなのだが、それよりも身代金を踏んだくれそうな人間を誘拐したらしい。
と、男は気が付く。
騎士達は御者台に温もりが残っていたことから、まだこの辺りに潜んでいると仮定し捜索している。
人手を分散し、五人の騎士がバラバラに散らばっていた。
上から見ている男には全員の居場所が手に取るように分かるが、騎士同士では木々が邪魔をしてよく分からないだろう。
(このまま何も知らないあいつらがノコノコ帰ってこられても困るな……。うし、やるか)
気配を消してバレないように騎士に近付き、鎧の隙間から針を刺す。騎士は糸が切れた人形のように倒れる。
睡眠毒を塗った針だ。
10分程度しか効果のないものだが、即刻性は抜群だ。
(……一人目)
同じ要領で二人三人と片付けてゆく。
人数が少なくなったことで声の掛け合いが無くなり、不審に思った残りの騎士がこちらに集まってきた。
(ちっ……ーーーーー)
人間には聞こえない音を口から発生させる。
男の得意魔法である風魔法の応用だ。実は自身が発生させている音もこれでほとんど無音にしていた。
音を聞いた男の馬と、騎士達の馬が適当な方向へと突然歩き出す。
馬を追いかけた騎士に針を刺して眠らせる。
(あと一人)
どこだ、と見渡そうとした瞬間、嫌な感じがした男は立っていた場所から飛び退いた。
一瞬後に、男のいた場所を剣が通った。
発生した風が男の頬を撫でた。
「くそっ」
「逃がさない!」
横薙ぎにされた剣を後退して避け、木に登り、音で馬を誘導させる。
そのまま林を抜けるために外へと向かう。
「逃がさないと、言っただろ!」
森を震わすような大声に、男は振り向いた。
振り向いてしまった。
騎士は兜を脱ぎ捨てていた。
兜の下に守られていたのは整った顔立ちの青年。注目するべき場所はその髪だろう。
少しクセのあるその髪は一点の汚れもない程に白かった。
そしてその瞳の片方は、血のように紅く染まり、妖しい光を放っていた。
「『魔眼』かっ!」
白髪の人間はどの属性にも適正がなく魔法が使えない。その代わりに魔法ではない力が与えられている。その力は『特異能力』と呼ばれる。
その一つが『魔眼』。
効果は様々だが、『魔眼』で視て、『魔眼』を相手が見ることで発動するものが多い。
男は慌てて目を逸らしたが、もう遅い。
視界が歪み、何重にもブレて見てる。
そのせいで伝う木の枝の目測を見誤り、地面に叩きつけられた。
すぐに立ち上がろうとしたが、騎士に押さえつけられた。
「答えてもらうぞ!何が目的だ!何故我々を攻撃した!あいつらの仲間か!」
男は押さえられている状態で、この騎士が言っている『あいつら』が馬車に乗り込んでいるのを見ていた。見覚えのない金髪の人間が増えていたため、それが騎士の探している人物だと推測した。
騎士の背後での出来事のため、騎士からはみえないはずだ。
彼らが全員乗り込んだのを見た。
見捨てられたなどと思うことはない。
「知ら……ない。用を、足して、帰ってきたら……お前らが、俺の馬車で、なにか、してたん、だろうが!」
合間合間に馬へ音を送る。
騎士が気づく事は無い。聞こえないのだから。
だが男の仲間達は、男が馬を操れることを知っていたのだ。
騎士は男の言う事を信じたのか、慌てた様子で男を離した。そして申し訳なさそうに言う。
「そ、そうだったのか。それは済まないことをした。では、尋ねるが、金色の髪を持った人物に心当たりは無いだろうか?我々はその人物を探しているのだ」
「あ、ああ。それなら……」
男はもう一度、音を送る。
「お前の後ろにいるよ」
直後。
鈍い音がして、騎士達の馬車が騎士を猛スピードで撥ねた。
人がボールのように飛んでいき、木にぶつかって止まった。
それでも、頭から血を流し、震える足で立とうとする姿は、流石は国を守る騎士と言ったところか。
男は遅れてやってきた自分達の馬車に飛び乗り、林を抜ける。
「おい、お前は人は殺さねえんじゃ無かったのか。死んでもおかしくなかったぞ今のは」
ニヤニヤしながら貨車の中から顔を出した男は、かつて自分と同じような境遇に会い、貴族を恨み、共に盗賊団を作ったリーダーだった。
今は人も殺すし女も犯す。変わってしまったのだ。
男は、リーダーにつまらなそうに返す。
「自分の命と引換に出来るほど大したプライドでもないからな。それに、騎士ならあの程度では死なないくらい分かっていた」
所詮その程度のものでしかないのだと、男は自嘲する。
リーダーは何がおかしいのかケラケラ笑った。
男はその態度に物申そうとしたが、どう転んでも勝てる話題ではないので流した。
少しの仕返しとして、馬車ごと揺らしてやった。
「おいおい!丁寧に走らせろよ!せっかくの人質に傷がついちまうからな!」
「それについては一つ言わせてもらうぞ。どうして予定通りに動かなかった。俺がどんな目にあったのか一から説明してやろうか」
「ギャハハハ!それはすまねえな!だが何とかなっただろ?」
「全くの偶然だ。もしお前らが遅れていたら一人で逃げてたぞ」
「終わったことはいいじゃねえか!それよりも今回のヤツはヤベェぞ。聞いて驚け……」
「聞くまでもなく分かるに決まっているだろ。騎士達が、それも王国の紋章を鎧にも付けている騎士達が出張ってくるなど、ある程度予想は立つ」
貨車の中から続きを促すような気配がして、男は無性に苛立つ。
リーダーはこんなにも頭の回らない奴だっただろうか。あんな人物を誘拐しても、持て余すだけだろうに。
男は半ば確信を持って言う。
「王族、だろ」
「正解だ。それもただの王族じゃねえぞ。正真正銘の第一王子だ」
「『奇跡の子』か」
それならどのように扱っても、利にしかならない気がする。
「ヤベェよなぁ。ただの盗賊である俺らが、王国の存亡を握ってるんだぜ。あの腐った貴族共を生み出すこの腐った国のなァ」
「お前……」
リーダーはやはり変わっていないのかもしれない、と男は思った。
心の底に燻る貴族への恨みは、この十数年間ずっと消えることなく存在していたに違いない。
自分と同じように……。
どんなに盗賊団全体が悪に傾き、見境なく略奪するようになったとしても、頭であるこの男の芯は何一つ変わってはいなかったのだと、男は自分を恥じた。
と、その時。
「……おい、ガキがいるんだが」
「あ?無視しろよ。轢き殺しても構わねえ。いや、お前には無理か」
「それがな、どうもこの馬車に向かって手を振ったいるんだ」
「はぁ?騎士の残りか?」
「いや、村娘……というには違和感があるな。とりあえず見てから判断してくれ」
男は頭をずらしてリーダーにも見えるようにする。
そこには黒髪と白髪が混在する、神秘的な少女がいた。
「悪くねぇな。連れて帰って、飽きたら売ればいいか。それでも金になるだろうしな」
「じゃあ止まるぞ。特異能力を使う可能性があるから、怪しまれないように王子様の拘束はバレないようにしておいた方がいいかもな」
「そうだな。手錠に上から布でも掛けときゃいいか」
顔を引っ込めたリーダーが貨車の中で王子様に余計なことを言えば殺すと脅しているのが聞こえた。
男は少女の前で馬車を止めた。
「これで王都ゼリアンまで乗せてってもらえる?」
少女は警戒という言葉を知らないような態度で言った。
警戒心がなさ過ぎて逆に男が裏があるんじゃないのかと警戒したほどだ。
「あ、ああ……って金貨かよ……なんだこいつ……」
男の警戒心はさらに跳ね上がった。
載せない方がいいんじゃね?とか思う。
男は自分で言うのもアレだが、とても怪しい。指名手配されているため、顔を隠すためにバンダナを深く巻いており、服装は動物の毛皮で作った蛮族のような盗賊スタイルだ。
正直、自分が店番の時に客としてきたら衛兵を呼ぶレベルだと思っている。
なのに物怖じどころか、何も考えていないような顔をして対面されたので、男はとてもおかしいと感じたのだ。
このまま通り過ぎようと馬にムチを打とうとする前にリーダーが出てきて言った。
「おう嬢ちゃん。乗りな。イイトコに連れてってやるよ」
「……。あ。うぇー。イイトコじゃなくてゼリアンだよぉ。これあげたら連れてってくれるって聞いたんだよぉ。でも乗せてくれるのはありがとうだよぉ」
(怪しすぎるだろ!)
男はそう言いたいのを堪えて、少女が貨車に乗るのを見ていた。