⑦とある迷子の遭難旅行(エスケープ)
ルーンが森を抜けた時、既に空は明るくなりかけていた。
マフと合わさって常人離れした脚力で走り抜けたルーンは、酷く息を切らせながらも、その顔には喜色しか見られなかった。
森を抜けた時にぐにゃりと視界が歪んだ。
それは結界をくぐったことで起きたものだが、ルーンは特に気にしなかった。
「さて、と。これからどうするか……」
汗を袖で拭って、そのまま袖を捲る。
いつものようにポーチに手を伸ばし、なにか水分を摂ろうとしたが、補充し忘れていたため、見当たらなかった。
舌打ちをし、頭の上にいるマフを腕に抱える。
熱がこもって鬱陶しかったためだ。
「……とりあえずもう少し森から離れよう」
「ふまぁ……」
マフの心配するような声に、大丈夫だと返し、よろよろとあてもなく歩き出す。
契術師も契魔獣も、本来以上の力を使うことが出来るため、一見強力に見えるが、最初の頃は身体が適応していないために休みを挟まなければすぐにばててしまうのだ。
数時間走り続けたルーンの体は疲弊していたが、無理をして少しでも森を離れた。
少し進んだところに川があったので、ルーンはそこで休むことに決めた。
水を飲み、汗を流してしばらく横になる。
いつの間にか寝てしまっていた。
「はっ!」
起きた時、太陽は真上にあり、昼頃だと推測する。
家族に見つかっていなくて良かったと安堵した。
疲れが取れさっきよりはマシになった頭でこれからの事を考える。
「やっぱり、まずはお兄さんかな……」
頼りになるものが何も無いため、数年前から外で暮らしている兄を探そうと、とりあえずの方針を決めた。
川に沿って歩き出そうとすると、軽快な足音を響かせて一台の馬車が遠くに見えた。
初めて見る馬をルーンはぼんやり眺めていたが、だんだんと近付いてくるにつれ、一つ問題があることに気がついた。
(あれ、そう言えば外の事なにも知らない)
15年間森の家の中で育ったルーンは、それ以外のことを何も知らない。
たまに帰ってくる兄から、自分達の他にも人間はいるということくらいは聞いていたが、それくらいしか知らないほどに、何も知らなかった。
向かってきている馬車すらも馬車とは認識していない。
なんとなく敵性 魔獣のように敵意は無いようなので落ち着いて見ているだけだ。
もし少しでも敵意を感じていたら、陣を刻んだ石を投げつけていただろう。
だからルーンは一直線にこちらへ向かってくる馬車を、川で休憩したいのかなぁくらいにしか思っていなかった。
馬が大きな鳴き声をあげてルーンの前で急停止する。ルーンは少し驚き肩を震わせた。
そして馬車の御者をしている鎧を着込んだ男が焦ったようにルーンに話しかけてきた。
顔も兜で隠れているため年齢はよく分からないが、声は若そうだった。
「突然すまないがそこの少年!この辺りで怪しい者達を見かけなかったか?それか、金髪の人物を見なかっただろうか?もしかすると馬車に乗っている可能性もある」
「いや見てないけど……。あ、そう言えばゼリアンって街知らない?お兄さんが言うにはオート?って言うとこらしいんだけど」
「は?ゼリアン?王都ゼリアンのことか?知らないわけないだろう。そもそも我々が探している人物が……」
御者の男の声を遮るように馬車の中から声が放たれた。
「何を止まっている!余計なことをしている暇は無いだろ!あの方の身に何かあれば解雇では済まないぞ!」
「ッ!すまない少年!我々は少し忙しい身でな!本来ならばゼリアンまで送ることも出来たがいつ帰れる身かも知れない!向こうの方角に歩いていけば小さな村がある。そこから王都行きの馬車に乗るといい」
「あ、時間かかってもいいから乗せてほし……」
「では縁があったらまた会おう!」
御者が馬にムチを打つと、ひひーんと馬が鳴き、馬車はあっという間に消えていった。
ぽつんと残されたルーンは鎧の御者が指さした方向を見る。
「向こうかぁ」
その方向は馬車が行った方向とは真逆であり、そしてルーンが歩いてきた方向でもあった。
ルーンは家族に見つかるかもしれないという可能性を考えて、一つの結論を出す。
「あの馬車に出会ったら、乗せてもらおう」
ルーンは馬車が走っていった方向に歩き出した。
ーーーーー
歩いていると、馬車に出会った。
見るからに先ほどのものとは違っていたが、馬という動物で判断しているルーンには同じものに見えた。
実際には馬の種類すら同じものでは無かったが。
初めの馬車と比べれば、幾らか貧相なもの……いや、この世界での平均的なものだった。最初の馬車が高級過ぎだのだ。
今ルーンが見ている馬車はただの行商人で、中にはたくさんの積荷があった。
馬を休めるために止まっていた布の服を着た御者にルーンは話しかける。
茶髪の髪をぼさぼさにしつつも、清潔さがあると思わせるような男だった。あと目付きが悪い。実は過去に目付きのせいで大きな商談に失敗してしまったというものがあるが、それは今は全く関係ない。
「僕をゼリアンまで連れてってよ」
「はいー?」
商人としての性か、素晴らしい笑顔で一瞬応じたが、ルーンの姿と言葉を見るや吐き捨てるように言った。
「けっ、帰れ」
「え。酷い」
「なら聞くが、テメー金持ってんのか。あ?」
「かね?あー、聞いたことある気がする」
「帰り死ね」
「酷い」
ルーンは外の厳しさを知ったような気がした。
最初に出会ったあの鎧はとても優しい人ではなかったのだろうかと思い、あれどうしてあの人いないの?馬車なのに、なんて考えていた。
「なぁにが悲しくてテメーみてえな野郎を無賃で運ばにゃなんねえんだよ。美人のオネーサンなら考えねえことも無かったぜ」
「女の子だったら乗せてくれてたの?」
「そういう問題じゃねえ、いやそういう問題だけどな。まずお前は問題外だろ」
「マフ、長い髪」
「ふまぁ!」
頭の上のマフをぽんと叩くと、ウィッグのように白い後ろ髪がルーンの髪と重なった。
中性的で色白なルーンは、髪が長くなったことで目を引く美少女へと変化した。黒の前髪、白の後ろ髪という相反する2色が混在することで、ある種の神秘さを醸し出しているよなうな感じがした。
ちなみにマフの尻尾の毛玉は髪の中へと隠れていた。
「これでどう?」
「お、おう、びっくりしたわ」
「乗せてくれる?」
「断る」
「えぇー」
と言って、もしかしたら喋り方が女の子っぽくないのかと思い、身近な女子、すなわちフリアの真似をする。
「うぇー。どうしてだよぉ。おかしいよぉ。女の子だったらいいって言ったよぉ」
「テメー野郎じゃねえか」
「くっ」
「まあ初めからその格好だったら騙されてたかもな」
「そう言えばお兄さんも、外じゃ美人は得をするとか言ってた……っ」
「テメーの兄貴とは気が合いそうだよ。……ところでこっからは商売の話をしよう」
「しょうばい」
「ああ商売だ」
男はぺろりと乾燥した唇を舐めて潤す。
ルーンはよく分からず首を傾げた。
「最初はただのぬいぐるみを乗せたイカレ野郎だと思ってたが契術師だな」
「見ての通りね」
左手の甲の紋様を前に出して言った。
男は頷いて言う。
「その魔獣をどこで契約したか、という情報を売ってくれ。ゼリアンまで連れてくことは進路の都合上無理だが、相応の金を出そう。そうだな……」
男が金額を提示する前に、ルーンが口を挟んだ。
「僕の家の近くの森だけど?」
「交渉しろよ!商売の基本!いやまあ詳しく言ってねえから……」
「向こうに森があるじゃん?それ」
「交渉ぅぅぅぅ!って何つった?まさか『龍の森』とか言ってねえだろうな」
「うん。言ってない」
「あ、ああ。だよな」
「向こうの森って言った。結構近いとこ」
「『龍の森』じゃねえか!」
「?」
「きょとんじゃねえんだよ!可愛くねえんだよちくしょう可愛いじゃねえかバカヤロぉぉぉぉぉ!」
ひとしきり叫んだ後、男は布の袋から一枚金貨を取り出してルーンに向かって指で弾いた。
「俺の名前はクラフトだ。クラフト・アルファ」
「へえ」
「お前は!?名乗り返すとこだろ普通はよぉ!」
「え?ルーンだけど?契魔獣はマフ」
「じゃあルーン、なんかお前をここに置いてくのは限りなくダメな気がするが、これ以上時間を潰すとこっちが取引に失敗しちまうからな。俺はもう行く」
御者台に乗り込むと、高いところからクラフトは続ける。
「その金は口止め料と……まあちょっとした投資だ。絶対にお前の魔獣が『龍の森』に生息していることや、本当かどうかは怪しいが、お前が『龍の森』から出てきたなんてことは言うな。誰にもだ。言わねえ方がテメーのためにもなるだろうよ」
「はあ」
「んだよその気の抜けた返事は。とにかくその金使ってどっかの馬車に乗せてもらえ。こっから王都に行こうが国境越えようが釣りが来るからよ。俺も少ししてから王都に行くと思うが、出来ればそっちから商人ギルドに立ち寄って俺の名前を出してくれれば助かる。じゃ、無事に王都に着けよ。また会おうぜ」
そうして鎧の御者と同じく、クラフトはあっという間に消えていった。
半分以上話がよく分からなかったルーンは手の中の金貨を眺めて呟いた。
「また会おう、って言うのが外の挨拶なのかな?あとコレ、何?」
まあ女の子の格好でこの金貨を渡せば王都ゼリアンに行けるのだろうことはなんとなく分かったので、ルーンはまたゆっくりと歩き始めた。