⑤自宅からの脱出Ⅱ(難易度:易〜strategy〜)
とりあえずルーンは二階の自分の部屋に向かった。
特に何も無い部屋だ。
ベッドと机と椅子だけが置いてあり、机の上にいくつかの物が散らばっていた。それ以外は何も無い。
寝ているマフをベッドの上に置いてから、ルーンは椅子に腰掛ける。そして帰り道に拾った石をポーチの中から机の上に出した。
形も大きさもそれぞれ違うが、一つ共通点がある。
それらはどれもが一部鋭く尖っていた。下手に触ると手が切れてしまいそうな物ばかりだ。
もちろんルーンはそういう石を見つけて集めていた。
理由は簡単、そういう石は陣魔法に向いているからだ。
片手で取り出し、そのまま手を傷つけて血を流すことで、スムーズに魔法を発動できるという訳だ。
ルーンは石をヤスリのようなもので削り、さらに石の鋭利さを増してゆく。
削り磨かれた石は、それ単体で凶器になり得る物だった。
拳くらいの大きさの石が2つ、それの半分にも満たない大きさの石が6つ。
ヤスリを置いて今度は動物の骨で造られたナイフを持つ。
手を伝いナイフに魔力が流れ込む。
切れ味が増し、切りつけた箇所に魔力がこもる。
大きい二つは比較的『陣』を刻みやすいが、小さい方は苦戦する。これでも慣れた方なのだが、出来るからといって難しく感じないかは別だ。
慎重かつ丁寧にやらなければ暴発したり、いざという時に思い通りの魔法が発動しなかったりするため、手を抜くことは許されないのだ。
全てを刻み終えた頃には、既に空はオレンジ色に染まっていた。
立ち上がって、固まった身体を伸ばす。
そう言えば昼ご飯食べてないな、と空腹を自覚したとき、腹が音を立てて主張する。
その音のせいか、マフは目を覚ました。
「ふまぁ〜ふ」
「今までずっと寝てたのかよ……フーもかな」
昼間の人が変わったような妹を思い出して、気が重くなる。
彼女から、『父親がルーンに契約してはいけないと言っていた』と聞いたが、そんなこと言われた覚えはない。……多分。
いまいち言い切れないのは、父親からの契術師に関することはほとんど聞き流していたからである。
言っていた可能性の方が高いかもしれない。
「あれ、ちょっと面倒だぞ……?」
記憶に無いのは確かだが、絶対に聞いてないとは言えない。
自分以外の家族全員が証言すれば、不利になるのはルーンだ。
「ふまぁ?」
どうしよう、と思考が同じところをぐるぐる回っているとマフが『大丈夫?』的な鳴き声を出した。
「ああ、うん。大丈夫大丈夫……さて、と」
マフを一撫でして、机の上の石を無造作にポーチの中へ流し入れる。
雑に入れているが、魔力のおかげである程度強固になった石は、石同士がぶつかり合い形が変わるなんてことは無いことをルーンは知っていた。
「とりあえず、味方を増やさないと」
ルーンは隣にある妹の部屋に行くことにした。
少しでも自分が有利になるようにしておかないと、物凄く嫌な予感しかしなかったから。
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一応、部屋のすぐ外に親がいることを考慮してマフを手袋に変身させる。
白い手袋にはやはり毛玉が付いていたが、袖の中に隠すことでクリアした。
やましい事がある訳では無いが、なんとなく音を立てるのはいけないと思い、忍び足で妹の部屋に入った。
フリアの部屋はルーンの部屋と同じく殺風景だった。ルーンの部屋にはない女子特有の匂いがした。
インテリアに違いがあるとすれば本が数冊置いてあることだろうか。
どうやらこの妹、文字が読めるらしい。ちなみにルーンは読めない。陣に刻むための古代語であればほぼ完璧に扱うことが出来るが。
フリアはベッドの上で頭まで布団を被っていた。
ほんの少し翡翠色の髪が見えていた。
ルーンは揺すってフリアを起こす。
「……フー、ちょっと起きろ」
「ふわぁー。……ふぅ。お兄ちゃんなんだよぉ。まだ夕方だよぉ」
布団をずらして顔だけ出したフリアは欠伸をする。
その目は1ミリも開いていなかった。
「まだ夕方というか、もう夕方だけど、ひとまず置いておく。僕が魔獣と契約したら、何か不味いことでもあるのか?」
「えぇー。そっからなのかよぉ。どうせパパが全部話すだろうからいいよぉ」
もう話は終わり、と言うように再び布団を顔まで上げた。
ルーンは、フリアが極度の面倒くさがりだという事を知っているので、これ以上の収穫はないと判断した。
でも、最後にこれだけは言っておかなければならなかった。ここに来た一番の理由。
「フー、頼むから、僕が何か言われたら僕の味方をしてくれ。最低でも向こう側にはつかないでほしい」
「……」
寝ているのか無視しているのか、微妙に判断出来ないが、最後に一言。
「もし、僕の方に付いてくれるのなら、これからはフーの家事当番を全て僕がやろう」
「おぉー。フーはいつでもお兄ちゃんの味方だよぉ。愛してるよぉ。フーに任せるんだよぉ」
「僕もお前のその扱いやすさは大好きだよ」
話が済んだことでフリアの部屋から出ていこうとしたルーンだが、そこで部屋の外から声が聞こえてくる。
「ルーンご飯だから降りてきなさい。あ、フーちゃんも起こしてきてね」
ルーンは息を吐いた。
「フー」
「んあぁー」
「じゃあ頼んだよ」
こうして彼らは晩御飯には向かない面立ちで階段を降りていった。
ーーーーー
夕食。
それは普通、家族全員で食事と会話を楽しむためのものだ。
今日あった出来事などを、少しの誇張を混ぜたりしながら、どんなにつまらない話でも家族が話しているというだけで優しい気持ちになれるような、そんなほのぼのとした憩いの時間。
ルーン達の食卓ではいつもと同じ光景があった。
四角いテーブルに全員がついて、母親が作った料理を各々が食べる。
アルコールが入った父親は上機嫌に話しているが、その話は過去何度も聞いたものだ。
しかしルーンとフリアはとりあえず頷いた。まるで初めて聞く英雄譚のようにしつこいくらいに先を促した。
父親も調子が良くなって、ついつい舌が回る。
舌を潤すために酒を煽り、酒が無くなったと見るやルーンはすかさずお酌をする。
普段は見ることのない息子の姿勢に父親は嬉しくなってどんどん飲み干す。
母親は「今日なにかの記念日だったかしら……?」なんて呟いていたが、二人が孝行しているだけであって特に害はないので「飲みすぎないように」と注意するだけだった。
食事が終わったあとも、二人は父親に酒を飲ませる。
酒の入っていた小ダルがいくつも転がっており、それでもまだ父親の意識は意外とはっきりしていたので、フリアはとうとう倉庫に置いてあった大タルの酒を魔法で浮かせて持ってきた。
ちなみにルーンとフリアは酒の価値など全く知らないが、今日父親に飲ませた酒を全て売り払えば半年は働く必要が無いくらいの金額が貰えるほどだった。
もっとも、彼らの父親は森の敵性 魔獣を狩ることであり、直接誰かから給金が貰えるものではないが。
父親の仕事をルーンは知っていたが「今日僕熊に襲われたんですけど」なんて言わない。仕事にケチをつけて不満にさせてしまえば、今までの『酒で酔わせて気分が高い時にカミングアウト作戦』が台無しになってしまうからだ。
作戦の立案者はフリア。
彼女自身はほぼ動くことなく話を聞くだけで労力を使わない、父親は子供と絡めて嬉しい、ルーンは絶好の機会を得るという誰も損をしない作戦だ。
自分の楽への近道を考えさせれば彼女の右に出るものはいない。
ところが。
二人は徐々に気が付き始める。
この父親、酔いつぶれるような気配が全くない、と。
いや、ルーン的には最低限、話を聞いてもらわなければならないので酔いつぶれてしまうのは困るのだが、ちょっとくらい理性が飛んでいてもらわないともっと困る。
そんなはずない。父親だって人間なのだから、許容量はあるはずだ、とそんな希望のこもった思いで酒を飲ませていた。
そして大タルを全て飲み干し、なお意識がはっきりしている父親を見て、二人は作戦の失敗を悟った。
この時二人の心情は、もはやバラバラになっていた。
ルーンは諦めきれずに作戦を続行しようとするのに対し、味方であったはずのフリアは、これ以上やっても無駄だと判断し、直接父親に兄のことを告白することを決めた。
しかし、直接言うと言っても、問題が問題なだけに言い淀む。
何が問題なのかわからないルーン。
問題が発生した事を知らない父親。
両者とは違い、事情を全て知っている立場にいるフリアはどう切り出すべきか考えていた。
しかしすぐに事態は急変する。
マフの変身にも制限時間があるのか、何の前触れもなく手袋が白い魔獣に戻ったのだ。
ちょうど父親に酒を注いでいたルーンの左手の甲の紋様と、マフの尻尾の毛玉に浮いている紋様が父親の目に入る。
フリアは時間が止まっているのではないかと錯覚した。
笑顔のまま固まっている兄と、いきなり突きつけられた光景に一瞬で酔いが吹き飛び真顔になっている父親。
兄が注いでいる酒だけがとぽとぽと音を立てていた。
「ふ、ふま?」
自分が渦中の存在だと理解しているのかしていないのか、マフは可愛らしく首を傾げた。
それを皮切りに、ルーンの本日二回目の逃走劇は幕を開くのだった。