④自宅からの脱出(難易度:未知数〜unknown〜)
ルーンは熊から逃げ切ることに成功したあと、適当に森を歩いた。
折れていたり焦げていたり少し燃えていたりする森の中を進みに進み、ようやく見慣れた道を見つけることが出来た。
見慣れたとはいっても、それは幼少期から森に通っていたルーンだからこそ分かる違いであり、普通の人には数ある獣道の違いなど分からないだろうが。
見慣れた道だからこそ、家までまだ距離があることを理解したルーンは、どんだけ逃げていたんだと苦笑いする。
ノドを潤すことと魔力回復を兼ねて、試験管の中の緑色の液体を飲み干した。
甘みと酸っぱさが混ざりあった爽やかな味わいが口の中に広がった。
それを頭の上のマフが物欲しそうに眺めていたことにはなんとなく気付いていたルーンだったが、契魔獣であるマフには魔力供給が必要無いことと、自身で一歩も歩いていないマフに飲ませる水分は無いと判断し無視した。
「ふまぁ……」
ため息のように鳴いたマフ。
視界の端には、紋様が浮いている毛玉が揺れていた。
(契約しちゃったんだよなぁ)
ルーンは魔力を回復したからこそ感じられる、己の魔力の少なさを自覚する。
契術師の才能の一つに魔力量がある。
単純計算で、一人で二人分の魔力を補わなければならない契術師は人並み以上の魔力が必要になるのだ。
契魔獣の種類によって費やされる魔力量はもちろん左右されるが、マフのような小さく力のない魔獣でも、少なくともルーンの魔力の半分に近い量を費やしていた。
両親……というか主に契術師である父親に、「お前はどんな魔獣でも契約出来る」と言われた事があっただけに、自分の魔力は多いと思っていたが、親の贔屓目だったらしい。
マフでもこんなに費やされてしまうのなら、龍種と契約を結んでいる父親はどれだけ莫大な魔力を持っているというのだろうか。
自分の十数倍では足りないのかもしれないと、やはり進められた通り契術師にならなくて正解だったとルーンは思う。
あの父親の定規で計られた方はたまったものではない。
「いや、結局契術師になってはいるのか」
「ふま?」
「ん、何でもない」
帰るくらいにはちょうど昼ご飯が食べられる頃かな、なんて思いつつ、ゆったりとした歩きで家を目指した。
ーーーーー
ルーンの住んでいる家は森の中に存在する。
村があるわけでもなく、他の住民といえば隣にある一家だけなので、集団で暮らしているとすら言いづらい。
自然に囲まれすぎた環境だ。
家は木造建築の二階建てで、結構広い。
実は隣の家も全く同じ間取りなのだ。
これは大工などが建てたわけではなく、ルーンの父親と隣の主人が共に建築したことに由来する。おそらく設計を変えるのが面倒だったのだろうとルーンは思っているが、真相は分からない。そこまで興味もない。
ルーンの家は現在4人、隣には3人が暮らしている。
たまにルーンの兄が帰ってきたり、あるいは隣の家の祖父達がひょっこりと顔を出して人数が変わることがあるが、大した問題でもないだろう。
ルーンが普段はしない運動をしてお腹を減らして帰ってくると、家の前で二人の少女が遊んでいるのが見えた。
まだ少し遠いので向こうからは気づかれてはいないが、比較的拓けた場所であるためルーンからは良く見えた。
1人はルーンの一つ違いの妹であるフリアだ。
肩まで伸ばしたエメラルドのような明るい緑……翡翠色の髪に、母親が特殊コーティングして枯れなくなった花の髪飾りが付けられている。
開けば映えるであろう大きな瞳は眠そうにほぼ閉じられており、今にも立ったまま寝てしまいそうだ。僅かに見える瞳は髪と同じように宝石のようだった。
ちなみにルーンと兄妹なのにも関わらず、ルーンと髪色や目の色が違うのは、魔力の属性が違うことを意味する。
大まかに分類して魔力の種類は、火、水、木、光、闇、無の六種類に分けられており、ルーンの黒髪は『無属性』に適していることを、フリアの翡翠色は『木属性』に適していることを示しているのだ。
『木属性・風魔法』を主として使うフリアは肉眼では見えないボールのような風の塊を創り出し、もう1人の少女へと投げる。
明らかに手が届かないコースに、だ。
笑いながら楽しそうに、風の塊を目指してとんでもない速度で走り出し、実際に受け止める少女の名はリィルゥ。今年で十二歳になるはずだとルーンは記憶している。
飲み込まれてしまいそうな程に深い蒼色の髪を、地面につくギリギリの所まで伸ばしている。激しく動いて砂ぼこりが舞っているにも関わらず、その髪には不思議と砂の一粒すら付いていない。
太陽の光が反射して蒼をさらに際立たせている。それは真夏の海を連想させた。
その髪から存在を主張するように飛びてているのは2本の白い角。『Y』のように二又に別れているそれは、なぜ自分達には付いていないのかとルーンやフリアは本気で悩んだことがあったが、親に聞いたところ『そのうち分かる』らしいので、それから気に留めることもなくなっていった。
そんな二人が並ぶと、実の兄妹であるルーンとフリアが並ぶよりも姉妹同士に見える。
「えぇー。リルちゃんリルちゃん。お姉ちゃんちょっと疲れちゃったよぉ。お昼寝しようよぉ」
「しない!そもそもフリアが『はいぼくじょうけん』?を言ったのだ!リィルゥが負けるまでやめないぞ!」
「うえぇー。ちょっとリルちゃん強すぎだよぉ。なんで取れるんだよぉ。落とせよぉ」
「わっはっはー!さあ次だ次!」
目に見えない風の塊を腕の中で抱き潰して霧散させたリィルゥが高らかに胸を張ってそう言い、ぐったりとしたフリアがまた新しく風の塊を創り出した。
ちなみに二人は『フリアの投げた風の塊をリィルゥが落としたらこの遊びは終わり』という条件下で遊んでいた。
「うぅー。お兄ちゃんどこに行っちゃったんだよぉ。なんで今日に限って森に行くんだよぉ。フーはもう五度寝くらいしたいよぉ」
「ルーンならリィルゥが飽きるまであそんでくれるぞ!」
「うえぇー。リルちゃんもおかしいけどお兄ちゃんも大概だよぉ。早く帰ってきてよ、ちくしょぉ。あ……」
フリアはあまりにもやる気が無さ過ぎ、手に力が入らず、創った風の塊を自らの足元に落としてしまった。
あぁー。これで終われるかもぉ、なんて年上としてどうなんだという思考に入ったのもつかの間、リィルゥがその幼い身体に見合わない速さで突っ込んできた。
フリアの頭に警鐘が鳴り響く。
雄叫びをあげながら、フリアの事など微塵も考慮していない殺人的な頭突きを目の前に、彼女は思う。
あぁー。こ れ 死 ん だ ぁ 。
「うおおおおおああああああっ!!」
「えぇー。あれぇ。リルちゃん?今の無しだよぉ。あ、ちょっとお姉ちゃん死んじゃ……うぁあああぁ死んだぁ……」
フリアは目を瞑った。元々半分以上閉じられているため見た目はあまり変わらなかったが。
ーー来世は年がら年中昼寝していられるようなペットになりたい、そう願いながら。
……?
「あれぇー?」
死の危険を感じてなお、覇気のない叫び声 (?)しか出せなかったフリアは、いつまで経っても来ない衝撃に、心の中で首を傾げた。
恐る恐る目を開くと、リィルゥの角を掴んでいる兄と、じたばたしつつも嬉しそうなリィルゥがいた。
宥めようとする兄とはしゃぐリィルゥを見ながら、生きていることを再確認した。
「うぁー。はいリルちゃんの負けだよぉ。フーはもう寝るから、お兄ちゃん後はよろしくだよぉ」
「あれ。お前ちょっと太った?」
ルーンは命懸けの追いかけっこをして身体的にも精神的にも疲れていたため、リィルゥの相手をする気力は無かった。
だから既に背を向け家に入ろうとしている妹に、相手が怒るような言葉を投げかけた。
「あぁー。うんそうだよぉ。太ったよぉ。だから痩せるためにご飯は食べなくていいねやったぁ」
マフや幼いリィルゥですらキレる一言を、ここらで唯一年頃の少女であるフリアは気にも留めずひらひらと手を振って家の中へと消えていった。
多少ベクトルは違えど、思春期女子の手綱は握りづらいのはどこでも同じだった。
と、妹に見捨てられたことで、仕方ないもうちょっと頑張ろうかなぁ、なんて思考に入ったルーンがリィルゥの角を握りしめてハンマー投げのようにクルクルと回していると、閉じられたばかりのドアが思い切り開かれた。
「あえあぁー!?お、お兄ちゃんそれって……」
「お前そんな声出せたんだ」
普段は閉じられている目を思い切り開き、普段の数十倍くらいの大きな声でフリアは言った。
ふるふると震える指の先は、ルーンの頭の上で居眠りをしているマフに向いていた。
「ああ、こいつは……」
「あぁー!あー!あー!言わなくていいよぉ!言っちゃダメだよぉ!」
「え。なに。どうしたの」
「うあぁー!とりあえずそれ止めようよぉ!緊急家族会議ものだよぉ!リルちゃんはさよならでお兄ちゃんは家の中へだよぉ!お兄ちゃんのバカぁ!」
「お前が何を言いたいのかが、お兄ちゃんちょっと全然分かんない」
ルーンの言葉を無視し、フリアは彼からリィルゥの角を奪い取る。そしてリィルゥの角を持ち頭を固定したまま彼女を家に帰らせた。
その間、抵抗されるのを防ぐため、風でリィルゥの身体を浮かせていた。
生まれて初めて見た気がするアグレッシブな妹を見てぽかんとしている兄の手を引き、フリアは自分達の家に強引に引き入れる。
はあはあ、と息を切らせながらも、フリアはやるべき事をやる。
握っている兄の手を見て、紋様が浮かんでいることを確認すると天を仰いで叫ぶ。
「うわぁー!『契証』だよぉ!素敵な勘違いの線が瞬時に絶たれたよぉ!」
「だからさっきから何なんだよ」
「はあぁー!?何なんだよって何なんだよぉ!お兄ちゃんのせいだよぉ!パパとかにお兄ちゃんは魔獣と契約しちゃいけないって聞いてたはずだよぉ!」
「え?聞いたことない」
「えぇー?そんなことないはずだよぉ」
「いやいやホント」
「……」
うぁー、とフリアはもう一度天を仰いだ。
数秒何かを考えていたが、自分の力ではどうにもならないと判断する。
「ふわぁー。……フーはもう寝るよぉ。パパ以外にそのこと言っちゃダメだよぉ。おやすみぃお兄ちゃん」
「おやすみ……え、いいの?あんなに大事っぽかったのに、ちょ、ま、えぇー」
一人玄関に残されたルーンはどうしたものかとしばらくその場に立ち尽くしていた。