③ボーイミーツクーマⅢ(すたこらend)
轟轟と燃え盛る森の中。
凶悪そうな黒熊、それに相対するのは一人の少年と一匹の小さな小さな白い魔獣。
10人いれば10人が少年の危険を予想し、助けに入るなり、あるいは戦闘に優れた者を呼んだりするだろう。
両者の間にあるのはは五メートルくらいか。
熊からしてみれば一瞬で詰められる距離。
圧倒的に少年に不利な状況。
しかし少年は落ち着いて目を閉じていた。
少年の周りは、どこか神聖な雰囲気が漂っており、荒れ狂う炎の森の中で、切り取ったように浮いていた。
対して熊も、すぐにその隙をついて攻撃するのではなく、止まっていた。
もちろん、無抵抗の相手に襲いかからないという騎士道精神を持ち合わせている訳では無い。
次の一撃で決めるために。
熊は火球を放つ口の中で『火』を溜めていた。
火球などとは比べ物にならない、本気の一撃で、ちょこまかと逃げる少年を必殺するために。
少年にとってその『タメ』は僥倖以外の何ものでもなかった。
少年も最後の反撃の準備をしているところだった。
魔獣との契約。
少年は紡ぐ。
魔力を乗せた、反響するような声で。
「ーー『承認せよ』」
熊の一撃が先に決まるか、それとも少年達の契約の方が早く終わるか。
一分一秒が勝敗を左右する。
ともあれ。
熊と少年の逃走劇は終盤を迎えようとしていた。
ーーーーー
「ーー『承認せよ』」
少年はその一言だけであることに気がつく。
あれなんか魔力が足りないぞ、と。
魔力が足りないのなら、ポーチに入っている試験管の中身を飲めばいいだけの問題だ。
しかし今になって契約の儀式を止めるというのは、一秒が惜しいこの状況下では最悪の手だと少年は理解していた。
このまま続けるしかない。
魔力の過度な喪失は生命を脅かすものなのだが、魔力を回復して熊に殺されるのなら、どうせ同じだ。
ならば、と少年は少しでも可能性が高い方へと賭けることにした。
「『我が名はルーン。この名に誓い、今ここに。我の全てを託す者を呼ぶ』」
閉じた目を片方だけ開き、契約する白い魔獣をちらりと見る。
『白』は自分のやるべき事が分かっているのか、真剣に見える表情で視線を少年に返していた。
「ーー『その名は……』」
少年は言葉に詰まった。
名前。
契約で付けた名前は、たとえ契約を解除したとしても、魂に刻み込まれるため、一生残る。
ここで『白』の気に入らない名前を付けてしまえば、それが確執となる可能性が非常に高い。
故に少年は焦る。
どうしようかと。
そして更に焦る。
早くしないと儀式が中断されてしまうと。
そこでーー。
「ふま」
『俺は思うお前を信じてるぜ?』的な意味を持っていそうな一言を、『白』は少年に託した。
そして少年は決意する。
悩むことなど何も無かったのだ。
少年と『白』の間にある絆は、変な名前を付けたところで無くなってしまうような脆いものではない。
今まで何度もケンカして、その数だけ仲直りしてきたのだ。
今更それが一つや二つ増えたところで、どうってことない。
少年は薄く笑った。
が、それとこれとは話が別だ。
どんな名前を付けてもいいからといって、名前がぽんと浮かび上がる訳ではない。
むしろ自由度が高いだけに迷ってしまう。
それはまるで、「今日の夕食何がいい?」と聞くと「なんでもいい」と答えられるのと同じだ。そしていざ作れば「ええ……」と微妙な顔をされる。どうしろというのだ。妹許すまじ。
昨晩の出来事が刹那的に浮かび上がるが、少年は儀式に邪魔だとすぐに消去する。
目の前の『白』に集中する。
ふと、先程のマフラーが思い出された。
程よい暖かさと柔らかさ。
あれ程の品質ものはこの国の首都でも売っていないのではないだろうかいや行ったことないけど、なんて思ってしまう程であった。
あとついでに鳴き声みたいだし、と。
少年は名前を決めた。
後はもう、契約を交わすだけだ。すぐ終わる。
奇しくもそれは、熊の『タメ』が終わった時間と全く同じものだった。
ーーーーー
熊の最大の一撃が少年達を襲う。
威力はもちろんのこと、その速度すら人間が目で追える領域ではなかった。
熊の一撃は木々を薙ぎ倒すと同時に、その木々を燃やし尽くした。
火球と呼ぶのも生温い。
膨大な熱量を持った灼熱の球『縮小太陽』は五十メートルほど先で爆発し、凄まじい熱風をあたり一面に撒き散らした。
その有り得ないほどの熱風のおかげか、森に広がっていた炎のほとんどは鎮火されていた。
砂煙の舞うその場所に立っている影は一つしかなかった。
熊は思う。
自分の放った一撃による熱風を浴びて逆に冷めた頭で思う。
自分は何のために獲物を追いかけていたのかと。
食べるためではなかったのかと。
だというのに、灰すらも残っていない。
少年達のいた場所を見つめながら、虚しさだけが支配する空間で、やるせない気持ちを持て余す。
「グゥ……」
その哀愁を誘う音が、熊の口から出たものなのか、空腹故の音なのか、もはやそれを知るものは熊を除いて誰一人いないのだった。
ーーいや、いた。
熊の背中にくっつくように、すぐ後ろに。
頭に白い魔獣を乗せた黒髪の少年が。
契術師と契魔獣の姿がそこにはあった。
少年は拳を握りしめる。
怪我をして使えない利き手ではなく、反対の左手を握りしめる。
その手の甲にはとある紋様が浮かんでいた。
頭の上の白い魔獣の尻尾の先の毛玉にも同じ紋様がある。
契術師と契魔獣の証、『契証』。
その紋様を通して契術師の魔力と力は契魔獣へ、契魔獣の魔力と力は契術師へ。
そして混ざりあった力は単なる足し算では計算できない。掛け算だ。さらに数値に表すことが出来ない絆の力はさらなる相乗効果をもたらす可能性もある。
「ーーやるぞ、マフ」
少年は……いやルーンは相棒の名を呼ぶ。
「ふまっ!」
相棒、マフは元気よく答える。
「……散々、追いかけ回してくれたな。もう痛いし疲れたし眠りたい。……何が言いたいのかというと、とりあえず……」
「グカァ!?」
「僕は、お前を許さない」
その声に熊は慌てて振り返るが、もう遅い。
ルーンは既に拳を握りしめている。
その手の甲の紋様が光り輝く。
ルーンとマフの力が合わさり、それぞれの力が掛け算される。
「はあああああぁぁぁぁぁァァ!」
ルーンの拳が熊の黒く硬い体毛に突き刺さる。
ルーンは拳を突き出したまま動かず、熊も硬直していた。
やがてルーンはゆっくりと拳を引き、ふっと息を漏らす。
そして。
熊は。
「グ、ガ?」
首を傾げた。
「撤退!」
ルーンは目にも止まらぬ速さで駆け出した。
それこそ契約の恩恵。
野生魔獣の食物連鎖カースト堂々のワーストワンであるマフの逃げ足と、幼い頃から森の中に入り浸って遊んでいたことで鍛えられたルーンの脚力。
その足の速さで、熊の本気の一撃が放たれると同時に熊の背後に潜むことは出来た。
しかし、獲物を狩る力のないマフと、この敵性魔獣が闊歩する弱肉強食の世界で陣魔法という自衛手段を選んだために剣など握ったこともないルーンの力が合わさったところでたかがしれる。
ルーンは街などに出たことがないため、学術を学ぶ機会がなく知らなかったが、この世には一つの法則がある。
1という数字に、それ1以下の数字を掛けても1以下にしかならないということ。
かくして。
なんとも締まらない終わり方で、熊と少年の逃走劇は幕を閉じた。
誰1人として得をせず、労力を使うだけ使って徒労に終わるという損しかない結末。
だが強いていえば。
1匹の小さな小さな白い魔獣にとっては、たまにしか会えなかった大好きな少年と常に一緒にいられるという結末はハッピーエンドだったのかもしれない。
一人勝ち、もとい一匹勝ちだった。