⑲兄を訪ねてⅦ(第一合流地点)
「るー、ん?」
掠れた声で、彼の名前を呼んだ。
どうしてここにいるのか。ティアラの所にいたんじゃないのか。ああ、でも来てくれたことは嬉しい。なんだか安心する。
そう言おうとした。
でも、言葉が出なかった。
そんな余裕はどこにもなくて。
クラウンの心の中は一つの感情が全てを覆っていた。
ーー見られたっ!
それは焦り。
国民が望む『奇跡の子』は、弱音なんて吐かない。
凛々しくて、優しくて、賢くて。
常に、次の王になるにふさわしい立ち振る舞いをしなければならない。
一人で弱音を吐いて、泣きそうで、今にも倒れそうだなんて、そんな女々しい姿を誰かに見られることなんて、あってはいけない。
それは、王子には似合わない。似合うはずがない。
国民が望み、期待している王は、完全でなければならないのだから。完璧でなければならないのだから。
少しの不安も与えることは許されない。
ただでさえ、今代の王は男児に長く恵まれなかったということで国民の多くを不安にさせていたのだ。その不安を払拭させる役目を担うのは、次期王であるクラウンなのだ。
弱さなんて誰にも見せたことは無い。
国王にも、ティアラにも、ギルストンにも、その他の事情を知る者達にも。
強く見せるように振舞っていたし、これからもそうあるつもりだ。
なのに、それを見られた。
彼は、訳の分からないことを言いながら。
クラウンは確かに、誰かに助けを求めた。
誰にも聞かせるつもりのない独り言のようなものだから、何も期待していないし、そもそも何を期待すればいいのかすら分からない。
でも、ルーンはなんて言った?
『それが僕に、出来ることなら』、だって?
ーー出来ることなんて、あるはずがないだろ!
頭が熱くなる。感情が爆発しそうになる。
口には出さない。そんなこと口には出せない。
なぜか彼には、そんな醜い自分を見せたくないのだ。
そう思っていても、心は勝手に動く。
心に突き動かされるように、口が勝手に動く。
クラウンの頭の中が白くなって、黒く染まっていく。
心の奥の感情同士が喧嘩する。溜まった鬱憤を晴らすように、目の前の彼に暴言を吐く。
醜い八つ当たりだ。
分かってる。本当は言いたくない。でも、口を閉じることが出来ない。それはやっぱり、自分の本音だから。自分の中にあるものだから。いい機会だとばかりに、十五年間溜まりに溜まった負の感情を撒き散らす。
彼は何を思っているだろう。
泣きながら、顔をぐちゃぐちゃにしている自分をどう思っているだろう。
謂れのない酷い暴言を、何の関係も無い彼にぶつけている自分をどう思っているだろう。
少なくとも、好意的に思われていることは絶対にない。
これを機に、顔を合わせることも話すこともなくなるだろう。
それは嫌なことだけど。
もう戻れないと知って。
クラウンはルーンに喚き散らす。
ーーキミに出来ることなんて何も無い!
ーーそんなに簡単なことなら、こんな風にはならない!
ーー期待させるな!希望を持たすな!
ーー優しくするな!手を差しのべるな!
ーー何も知らないくせに!
ーー女装しているくせに!
ーーバカにしているの!?
何を言ったかは覚えていない。
ルーンに八つ当たりした後、次は誰かへの不満を叫んだのは覚えている。
ティアラへの恨みを叫んだ。国王への怒りを叫んだ。ギルストンへの、事情を知る者達への不満を叫んだ。
......。
何分くらい叫んでいただろうか。
時間はあっという間に過ぎていった気がしていた。
一時間以上かもしれないし、五分も経っていないかもしれない。
ルーンはずっと黙って聞いていた。
クラウンが選んだドレスを着ていて、でもマフがいないから黒髪のままで。男なのか女なのかちょっと迷うような、そんな格好で。
黙ってクラウンの心の叫びを聞いていた。
ルーンは、小さな声で言った。
クラウンにも聞こえるか聞こえないかくらいの、独り言のような呟きで言った。
「確かに、さ。僕には何も出来ないし、何も知らないよ」
でも、とそう続ける。
クラウンの濡れた瞳を見据えて、目を逸らすことも許さない、そんな強い視線で、ルーンは言った。
「でも、こうして、話を聞くことくらいはできる。クラウンが、ずっと誰にも言えなかったことを聞くことくらいはできるんだ。僕は何も知らないからクラウンが何に苦しんで、何に悩んで、何を抱え込んでいるのかなんて知らない。聞いてもきっと分からないと思う。けどさ。クラウンの苦しみとか、悩みとかを聞くことはできるんだ。一人で何もかも抱え込んでいるから、こんなにも壊れそうになるまでボロボロになってるんだよ」
クラウンの頭が再び沸騰する。
「っ!知ったような口を利かないでよ!何が聞くことくらいだよ!話して聞いて!何が変わるっていうんだよ!何も変わるはずないじゃないか!変わらないんだよ何も!それどころか全てが台無しになる!自分を殺してまで通してきた全てが台無しになるんだ!どうしてそんなに簡単に言うんだ!できるはずないだろ!それができるんだったら最初からやってるよ!」
「やってない!」
クラウンの叫びと同じくらいの声量で、ルーンは叫んだ。
クラウンは思わず口をつぐむ。
「クラウンはできるのにやってない!初めから一人で抱え込むって決めていて!誰かに相談するなんて考えたこと一度もないはずだ!相談する相手はすぐ近くにいたはずなのに!」
「いなかったよ!そんな相手は一人もいなかった!ルーンが!ルーンがもっと早くにボクに会ってくれていれば!ボクはこんな風になることはなかったかもしれないのに!」
クラウンはもう自分が何を言っているのか分からない。
有り得ない仮定を叫んで、またルーンに八つ当たりをする。
「クラウンに必要だったのは、僕じゃないよ」
その何もかも見通しているような言い方に、クラウンはまた叫ぼうとーー
「クラウン!」
クラウンの名前が叫ばれた。
クラウンはルーンを見る。
しかし、彼が呼んだわけではなかった。
2人がいる部屋の入口、クラウンとそっくりな顔立ちをしているティアラが、息を切らせてそこにいた。
「クラウン!」
もう一度。
瞳いっぱいに涙を溜めて。
一生を懸けても見つけることが出来ない宝物を見つけたような表情で、名前を叫んだ。
ティアラは驚くクラウンに駆け寄って、思い切り抱きつく。
二人とも床に倒れ込んだ。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
ティアラの口から紡がれる言葉は懺悔。
勝手にクラウンは強いと思い込んで、自分とは違うと線を引いて、近くにいれば自分の弱さが浮き彫りになると遠ざけて。
王子しか見ていなくて、クラウンを見ていなかったことへの懺悔。
一方クラウンは戸惑う。
自分は一体何を謝られているのか分からない。
謝るのは自分だ。
きっとティアラは、先ほどの醜い叫びを聞いていたのだろう。
ならば、ティアラへの不満も聞いていたはずだ。
酷いことを言った、と思う。
詳しくは覚えていないけど、許してもらえないくらいに酷くて醜い言葉を叫んでいたはずだ。
それなのに。
「ごめんなさいクラウン!許してもらないかもしれない、でも、ごめんなさい!アンタのことをずっと強いって思ってて、悩みなんて何も無いと思ってたの!そんなクラウンと比べて、自分はなんて弱いんだろって嫌になって、逃げて逃げて逃げて!クラウンの方が苦しいのは、少し考えれば分かることだったのに!」
自分を根本から偽って、常に偽って、自分を完全に殺して、自分をなくすのと。
自分を『もしも』のために偽ることを想定して、普段は偽る必要はなくて、自分を完全に殺す必要はなくて、自分をなくすことも『もしも』の時。
どちらが辛いのかなんて、一目瞭然だ。
ティアラには、たとえ独りでいたとしても、自分でいることはできた。
けれどクラウンにはできないのだ。
クラウンは生まれた時から王子にされてしまって、身体に染み付いた王子はいつの間にか自分として侵食していて、クラウンには自分でいることが、本当に自分でいるかすら分からないのだ。
ティアラは逃げることが許されて、それに甘えることができた。
クラウンには逃げることすら許されていなかったのに。
ティアラは自分を弱いと思う。
そしてクラウンを強いと思っていた。
でも、違った。
クラウンは確かに自分よりは強いかもしれない。
けれど、自分と同じくらい弱くもあるのだ。
双子だから、なんてそんな言葉では片付けたくないけれど。
双子だから、当たり前なのだ。
双子は似るものだから。
弱さも強さも、きっと同じくらいなはずだ。
ティアラはクラウンへの想いを吐露した。
ティアラは泣いていた。
クラウンも泣いていた。
同じだったのだ。
二人とも辛くて、苦しくて、一人で抱え込んで。
互いに互いのことを恨んで羨んで。
すれ違って勘違いして。
でもようやく一つになれたのだ。
想いが一つになって、重なって。
これからは、互いに支えあっていくこともできるだろう。
クラウンは胸の奥につっかえていたものが、全部綺麗さっぱりなくなった気がしていた。
羽が生えたように身体が軽い気がしていた。
「......まあ、気のせいかな。ティアラが乗っていて重いし」
「今なんて言ったの?」
「ティアラが重いなぁって」
「お、重くないわよっ」
「......双子だなぁ」
慌ててティアラがクラウンの上から退いて、クラウンは苦笑いしながら立ち上がる。
そして目の前のルーンを見ながら言った。
その表情は先ほどとは180度違っていた。とても穏やかに微笑んでいた。
「ありがとうルーン」
「僕は何もしてないけどね」
「そんなことないよ。うん。絶対にそんなことない」
「うーん。そう?なら、どういたしまして、かな。でもやっぱり、クラウンに必要なのは僕じゃなかったでしょ?クラウンはもっと早くに、自分は1人じゃないって知るべきだったんだ」
「あはっ」
「?」
「いや、ごめんね。その通りだって思ってね。もっと早く、ティアラとちゃんと話し合うべきだった。一人で抱え込むよりも二人で共有した方が楽なのは当たり前なのにね」
クラウンは自分の涙や鼻水だらけの服を見て、うわぁぐしゃぐしゃだ、と呟いた。
ティアラも同じようなことを言っていた。
「……まあでも、ルーンが必要か必要じゃないかっていうのは、別の問題だけどね」
「何か言った?」
「ううん。何でもないよ」
クラウンはいたずらっぽく微笑んだ。




