⑱兄を訪ねてⅥ(茨の道)
「ねえルーン、アタシ達ね、もう何度もケンカしてるのよ。同じようなことでね」
ティアラは膝の上にのせたマフを優しく撫でながらぽつりと言った。
ルーンは無言で、それを聞いていた。
「どっちが悪いとか、言えないのよ。でも、どっちも悪くないとか、両方悪いとか、そんなことは絶対に言えないし、言っちゃダメだと思ってる。アタシも、クラウンも。互いに相手が悪いって思ってないと、やってられないの」
「......」
「詳しくは言えないわ。言ってしまったら、これまでが台無しになるし、アタシが悪者になるから。でも、聞いてほしい。誰かに聞いてほしいの。ずっと誰にも言わないで自分の胸の中にしまっておけるほど、アタシは強くない。クラウンみたいに、強くはないの。弱いから逃げ出して、逃げたまま。このままじゃダメって分かってる。だから......」
ティアラは一度、口を閉じる。
意を決したようにルーンの目を見据えて、言った。
「だから、聞いてほしいの。アタシが変わるために。誰かに話したことなんてないから、うまく伝えられるかわからない。でも、今話さなかったらもう二度と話さないかもしれない。もう二度と変わることが出来ないかもしれない。だから......ねえルーン、聞いてくれる?」
「......」
ルーンに難しいことは何もわからないけれど。
ルーンは無言で頷いた。
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ティアラ・ディスカフラは双子の妹として生まれた。
『奇跡の子』であるクラウン・ディスカフラの妹として生まれた。
ほとんどの者はクラウンを『奇跡の子』と呼ぶが、事情を知る者は違う。ティアラとクラウンを合わせて『奇跡の子』と。あるいはティアラだけを『奇跡の子』と呼んでいる。
ティアラは母胎の中で、この世に生まれ出る前から、とある魔法を使っていた。
それは有り得ないことだ。
たとえば『火属性・炎魔法』が得意属性の胎児がいた場合、母胎にいる状態で魔法を使ってしまえば、母親は内側から燃えることになる。そもそも、魔法の使い方を学んでいない人間が魔法を使えるなんて言うのも有り得ないことなのだ。
だが、ティアラは魔法を使っていた。
それは、誰にもバレることなく、誰もが不思議に思うことなく、ひっそりと、ささやかに、けれど大きな影響力を持って使われていた。
しかも、それだけにとどまらない。
ティアラの魔法は前例が無く、確認されていないものだった。
そのため、魔法なのか特異能力なのかも分からず、とりあえず魔法に分類された。
ティアラは、その二つの『偶然』を『奇跡』へと昇華させた。
ティアラの魔法には未だ名前が付けられていないが、名前をつけるとしたら『光属性・願望魔法』。
その効果は『他人が望むものを、現実として認識させる』というもの。
例を上げれば、空腹の者に魔法を使うと路傍の石をパンだと思って口にする。身長が高くなりたいと思っていれば、視点が上がった景色が見れる。
たとえば、男児を望んだ者が見れば、赤子は男児として認識される。
理屈は分からない。
精神まで浸食して作用するこの魔法を、ティアラは自分の意思で発動させたことは無い。
しかし、ティアラは常にクラウンへと魔法を掛けるように強いられている。
国民が望む、凛々しい風格の王子に見せるように。
国王達が望む、次代の王だと認識させるように。
そして、ティアラにはもう一つ重大な役割がある。
クラウンの代替品。
もしもクラウンが死亡するようなことがあれば、死んだのはティアラだとされ、ティアラはクラウンとなる。
自分で自分に魔法を掛け、誰もが望むクラウンだと認識されるようになる。
そのために、ティアラは学園にてクラウンと共に過ごしていなければならない。
交友関係を知っておくために、クラウンの性格を完全に把握するために。
成り代わった時に、完璧になりすますことができるように。
そのために、『ティアラ』は目立たない方がいい。
学園ではほとんど喋ることはなく、学園から去る時ですら、一週間後には誰も気に留めるものはいなかった。一国の王女が来なくなったというのにも関わらず、だ。
それにはクラウンや学園に通う姉が情報操作したのも関わっているが、今はあまり関係がない。
ティアラは外では自分を殺し、中では自分を見せる人間もいない。
中で接する事情を知る者達は、自分を自分として見ることがないからだ。
ティアラは自分で自分が誰なのか分からない。
いつ自分がクラウンになるのか分からないから。死んだ自分はどうなってしまうのか。自分として生きている自分は必要なのか。どこかで上書きされるかもしれないのなら、この時間は何のためにあるのか。失うためにあるんじゃないのか。自分には何も無い。何かを得る必要が感じられない。どうせクラウンになるのだから。自分が得たものに意味は無い。
クラウンが死亡することを想定されて、それを前提として育てられてきたティアラは、自分で自分がわからない。
自分を自分として見てくれる人が誰もいない。
孤独。常に独り。
いや、自分がここにいるとも言うことが出来ないから、何も無い。
無。
ティアラはクラウンを恨む。憎む。そして少し、哀れむ。
それはクラウンも同じだろう。ティアラを恨んで、憎んで、ほんの少しだけ哀れむ。
アンタさえいなければ、と。
キミさえいなければ、と。
こんなことになることはなかったのに。
絶対にそんなこと、口には出せない。出さない。
一度口にしてしまえば、取り返しがつかなくなる。
今までが、台無しになってしまう。
だから自分の想いを押し殺す。
ひび割れそうな心の奥に隠しておく。
そんな、いつ壊れてしまうかも分からない時。
現れたのは、ルーンという一人の少年。
本当に嬉しかった。
自分を自分として見てくれる者と出会えたことが、本当に嬉しかったのだ。
自分が望んでいたものがやっと手に入った気がした。
でも。
それすらも。
クラウンが得てきたものだった。
クラウンは強いのに。自分が持っていないものを全て持っているのに。
どうして、どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして......。
どうして、自分は弱いのだろう。どうして自分には何も無いのだろう。
もしも、自分とクラウンの役割が違っていたなら、クラウンは自分のように迷うことはなかったのだろう。
けれど自分がクラウンになれば、やはり自分を見失うと思う。
その答えは簡単だ。
クラウンは強くて、自分は弱いから。
いつものように、そう結論付ける。
それなら仕方がないと、そう思えるから。
弱い自分が、弱い自分を守るための、唯一の方法。
それを、ルーンに話した。
要所要所が飛んで、ちぐはぐで、上手く伝わらなかっただろう。
重要な所は話していないから、何も分からないかもしれない。
それでも、ルーンは黙って聞いてくれていた。
それだけでもティアラは嬉しく思う。
自分の話を自分として聞いてくれる者など、他にいないから。
ずっと一緒にいて欲しい。
ずっと自分を自分として見ていて欲しい。
王女としてではなく、クラウンの代替品としてではなく、一人の人間として、自分を見て欲しい。
でも、目の前の女装をしている少年は、ティアラの望んだ言葉を紡いではくれなかった。
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ルーンに難しい話は分からない。
話は大切なことが隠されていて、大雑把にしか話されないから、話の大筋すらみえてこない。
分かったことといえば、クラウンとティアラの話だったということだ。
そして、2人が苦しんでいるということだ。
ティアラは自分を弱いと言った。
ティアラはクラウンを強いと言った。
本当に、そうだろうか。
なら、契術師の恩恵として手に入った聴力で聞こえる、弱々しくてか細い、今にも泣きそうな少女のような声は何なのだろうか。
これが強い人間だというのだろうか。
それはきっと、違うと思う。
ルーンは立ち上がる。
人知れず一人で壊れそうなクラウンの元へ行くために。
ティアラは引き止める。
行かないで、と。
クラウンを選ばないで、と。
泣きそうな顔で、縋るような瞳で。
ティアラもまた、今にも壊れそうだった。
ルーンがクラウンの所へ行けば、もう取り返しがつかなくなるかもしれない。
それでもルーンは言った。
「クラウンは、ティアラが思っているほど強くないよ。ティアラと同じくらい、もしかしたらもっと弱いかもしれないくらいに」
ルーンを掴むティアラの手から力が抜けた。
ルーンは扉を開けて外に出る。
未だに聞こえる消え入りそうな声を頼りに廊下を駆ける。
「だれか、たすけて......」
「それが僕に、出来ることなら」
誰にも届くはずのなかった声は、黒髪の契術師の耳に、ちゃんと届いた。




