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⑰兄を訪ねてⅤ(別れ道)

「あ、そう言えばルーンのお兄さんってどこにいるの?」


2人の着せ替え人形にされてぐったりしているルーンに、クラウンは思いだしたように聞いた。

ルーンは今ドレスを着ているが、マフはルーンの膝の上にいる。ルーンは心を癒すため無心でマフを撫でていた。


「どこってゼリアンだけど」

「それは知ってるよ。ゼリアンって言っても広いよ?隅から隅まで歩こうとしたら3日ほどかかるぐらいには。お兄さんは何をしている人なの?」

「うーん。分からない。夏休みとか、冬休みとかって言うのでたまに帰ってきてたんだけどさ」

「じゃあ、学園(アカデミー)養成所(スクール)かな?学園(アカデミー)の人なら大体覚えてるんだけど......なんて名前?」

「ヴリトラ」

「え?」

「ヴリトラ」

「な、なんていうか、すごい名前だね」


『ヴリトラ』というのは最古の龍の名前だ。

かつて神様がこの世界を創り、その次に創られたモノが『ヴリトラ』だ。

その役目は、世界を壊すこと。

『ヴリトラ』が、この世界は救いようがないと判断した時に、世界を壊すのだと、そう伝えられている。


『世界を壊す』ということから、一般には悪龍だとされており、幼い子供に「悪いことをするとヴリトラに食べられる。だから悪いことをしてはダメ」という教訓を伝えるのが広まっている。


一方で神龍であると崇められることも多く(元々はこちらが正しい)、とある宗教では龍の痣がある者を神格化して崇めているところもあるらしい。


まあとりあえず、良くも悪くも、一般的には子供につけるような名前ではない。


「ヴリトラなんて名前の人はいなかったと思うよ。一度見たら忘れなさそうな名前だしね。だとすると養成所(スクール)かな。行ってみる?ボクはちょっと、溜まってた仕事片付けたり、姉さんが学園(アカデミー)の書類を持ってきたりするから一緒にいけないけど」


ルーンとクラウンが話していると、さっきからずっとマフを撫でたそうに眺めていたティアラがなんでもなさそうに言う。


「アンタ達、何の話をしているわけ?ルーンはここで暮らすんだから、わざわざお兄さんを見つける必要はないでしょ」

「あ、そう言えばそうかも」


ルーンも納得しかけたが、そこに待ったがかけられる。


「ダメだよ」

「ダメじゃないわ。アタシが決めたもの。それとも何かしら?クラウンはルーンの意思を無視して同じ学園(アカデミー)にでも通わせようとしているの?」

「そういう問題じゃない。ルーンの問題じゃない。ボクが問題にしているのは、キミだよティアラ」

「アタシ......?」


思いもよらない返しに、ティアラは怪訝そうに眉をひそめた。


学園(アカデミー)に来なくなってから、もうすぐ一年経つ。高等部に上がる時に戻ってくるかと思って何も言わなかったけど、それもしない。城で何不自由ない生活をして、欠けていた友人というパーツが揃ってしまったら、キミはもう絶対に戻ってこなくなる。それがダメなことくらい、キミもわかってるだろ」


かつてティアラは、媚びられて、恐れられて、利用されて、騙されて。そうして他人が信用できなくなって、心を閉ざした。そうして不登校になったティアラを、誰もが仕方ないとして見守っていた。立ち上がるのをずっと待っていた。

だが、ティアラが立ち上がることは無かった。

城の中で完結した生活を送り、ティアラ自身それに満足していた。


それをマズイと思ったのが、国王やクラウンやギルストンなどの事情を知っている者達。ティアラがクラウンと共に学び、クラウンがどのような交友関係を持ち、どのような生活をしているのか知っていなければ、もしもの時、大変なことになる。


今回クラウンが王子としての仕事で学園(アカデミー)から離れて、すぐに学園(アカデミー)に戻らないのは、報告の他にティアラの説得があったからだ。

もっとも、クラウンも今するとは考えてはいなかったが。


クラウンの言葉を聞いて、ティアラの顔からすぅっと表情が消えた。

そして抑揚のない声で言った。


「言いたいことは、それだけ?」

「それだけ?って、キミはっ......」

「言い終わったのなら、出てってもらえるかしら?ここはアタシの部屋よ」


クラウンを見ていない冷めた瞳で、クラウンを見つめていた。

同じ顔の2人が顔を合わせていると、まるで鏡のようだった。

クラウンは感情のない自分の顔を見ているような気がして、思わず目を逸らす。

その時点で、クラウンの説得は失敗したことを表していた。


「っ......ルーン、行くよ。キミをキミのお兄さんに早く会わせないといけない理由が出来た」

「え、あ、うん。マフ、髪になって」


マフを頭に乗せたルーンだったが、マフが変身する前に、ティアラがマフを取り去った。


「ルーンはここに残りなさい。出ていくのはクラウンだけよ」

「ティアラ!」

「いいの?アタシが言ってしまっても。いいのよアタシは。アタシは被害者だもの、ねぇ?クラウン」

「キミはぁっ!」


クラウンありったけの怒気を声に乗せて、ティアラに掴みかかる。

ティアラは一瞬苦い顔をしたが、余裕の笑みを崩さない。


ティアラの目には、クラウンの金の瞳が映っていた。

そこに含まれているのは、怒りと恨みと、ほんの少しの罪悪感。ティアラには、クラウンが何を言いたいのかわかる。たとえクラウンがそれを口に出さずとも。なぜなら、その言葉は自分がクラウンにぶつけたい言葉と全く同じなはずだから。


ティアラは被害者で、クラウンは加害者だ。

そして同時に、ティアラが加害者で、クラウンが被害者でもある。


双子だから、なんて言葉では表せない。

もうそれが、運命だから。

定められてしまった、運命だから。


けれどその運命に納得できずに、受け入れられずに、クラウンもティアラも、自分は被害者で、相手は加害者なのだと言いつづける。

たとえ、心の奥底では真逆のことを思っていたとしても、その想いに蓋をして、絶対に認めない。


だからクラウンは、言いたいことを飲み込んだ。

下を向いて、ティアラを掴んでいる手の力をゆっくりと抜いた。


そしてティアラが、クラウンのあげた顔を見た時、今にも泣きそうで、今にも倒れそうな、悲しい顔がそこにあった。

ティアラはそんな自分と同じ顔を見て、鏡のように自分もこんな顔をしているのだと思った。


クラウンは大きく息を吐いて、ふらふらと扉へ向かう。


ドアノブを握って、ティアラ達を振り向くことなく、言った。


「ティアラ、余計なことを言えば、ボクは絶対にキミを許さない」

「......」


ティアラは何も答えない。

クラウンも返事を期待していないのか、そのまま扉を開けて出て行った。


ルーンはクラウンの様子がおかしかったので、追いかけようと立ち上がる。


「ルーン、ダメよ......」

「でも、」

「お願い......行かないで。1人に、しないで」


ルーンの着ているドレスをつまむ指先は、震えていた。

ティアラの胸に抱かれているマフは、心配そうに鳴いた。


ルーンもそんなティアラを放って置く事も出来ずに、動けなくなった。


ーーーーー


「追ってきてくれるかも、なんて。ちょっとは期待したんだけどな」


クラウンは護衛である騎士を一人もつけずに広い廊下を歩いていた。


そろそろ、学園(アカデミー)で生徒会長をしている姉が、同じく生徒会役員であるクラウンに、書類やら資料やらを持ってくる時間だ。


「それまでに、この酷い顔をどうにかしないと」


たとえ会うのが家族だとしても、礼儀を欠かしてはならない。

王子たるもの常に身の回りには気を遣わなければならない。そう、子供の頃から育てられてきたのだから。


顔を洗って、鏡を見た。

そこに映っているのはクラウンであるが、クラウンではなかった。


凛々しく、そして優しげで、非の打ち所のない、中性的な顔立ちの美少年の顔がそこにはあった。

ティアラの顔とは、似ても似つかない顔が、そこにはあった。


「魔法は、機能してる。匂いも、香水で誤魔化した。大丈夫、バレるはずがない。十五年もバレなかったんだ。今さら疑う人なんていやしない。大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫......」


自己暗示のように自分に言い聞かせる。鏡の中の美少年が同じように口を動かしていた。

ふと、先ほどのティアラの顔を思い出す。


「でも、もしティアラが誰かに言って、台無しにしてしまったら?ギルストンが、お父様が、つい口を滑らせてしまったら?ルーンが誰かに言って、そこから疑念が生まれてしまったら?ボクは、どうなるの?王子でなくなったボクはどうなるの?ボクがボクとして持ってるものなんて何も無い。持ってるのは王子だ。じゃあボクは、何なの?だれか、おしえて......。だれか、たすけて......」


その、か弱い少女のような声は、誰にも届く事は無かった。




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