⑮兄を訪ねてⅢ(一休み)
ルーンは白髪の騎士と広く華美な廊下を歩いていた。
白い髪の騎士の名はスピノアと言う。
先ほど変な形をした壺が飾られていたので持ち上げようとしたらすごい形相で咎められたため、ルーンはスピノアにいい感情を抱けずにいた。
対してスピノアはルーンに謝罪と感謝を伝えたかった。
感謝の方は言うまでもなくクラウンをルーンが助けた事だ。
謝罪とは壺のことを咎めたことではい。アレを下手に扱って壊したりでもしていれば、ルーンの首が飛んでいたほどに高価なものだ。むしろ感謝して欲しい。
謝罪は、川でルーンを置いていったことだ。
ルーンは気が付いていないが、スピノアは御者をしており、忙しいことを理由にルーンを馬車に乗せなかった。
もちろん、それは騎士の仕事ではないし、スピノアが罪の意識を持つ必要は全く無い。だが、騎士という役職に誇りを持っている彼は、目の前で困っている人に手を差し伸べることが出来なかった事を、騎士として、いけない事だと思ってしまった。
ゆえに彼は、謝罪と感謝を伝えるタイミングを図っていた。
そして、お風呂場まで、もうそう遠くないため、今しかないと思い、ルーンに話しかける。
「しょ、少年」
「なに?」
「君を馬車に乗せなかったことを、今ここで謝らせて欲しい。済まなかった」
「は?」
いきなり頭を下げられたルーンは戸惑った。
え、なにこれ何のこと?と、考えた結果、めんどくさいから適当に流そうという思考に行き着いた。
「あ、ああうんうん。いいよ許すよ。僕も悪かったしね。うん。お互い水に流そうよ」
「そ、そうかっ。そう言ってくれると助かる」
ほっとするスピノアをルーンはニコニコしながら見ていた。内心何もわからず、なんだコイツと思っていたが、笑顔は決して崩さなかった。
「そして、最大の感謝を。君がいなければ我が主であるクラウン様の命が危なかったと聞いている」
「……?いや、僕何もしてないよ?知らない間に終わってたし」
「フフッ、謙遜することはないだろう。となると、あの時に君を『視て』いれば、クラウン様の居場所をもっと早く突き止めることが出来ていたのかもしれないな」
「みる」
「ああ。私の『特異能力』は魔眼でな。視ることで未来を見通すことが出来る。それを相手に見させることもな」
片目を押さえてスピノアは言った。
「僕も未来が見れるの?」
「ああ。だが未来とは無限に存在するものだ。慣れていないものが視ると視界が歪み、立っていることすら覚束なくなる。まあ、それを逆手に取って使うことも出来るのだがな」
「簡単に言うと?」
「とても酔う」
「……遠慮しとくよ」
馬車の中での気持ち悪さを思い出して、ルーンは口元を押さえた。
胃の中のサンドイッチが出てきそうだ。
それからスピノアはルーンに風呂場の使い方を簡単に説明した。
「よし。ここが風呂場だ。着替えはこちらで持っていくから、ゆっくりと疲れを取るといいだろう」
「ん。ありがとう」
「魔力を中にある水晶に流せば、あとは勝手にお湯が出てくる、と言ったが魔力が足りない場合は呼んでくれ。まあ、契術師には余計な心配だと思うが」
「多分……大丈夫、かな」
「それにしても、王族の使う浴槽に入ることが許されるとは、羨ましい限りだ」
ルーンはスピノアと分かれて脱衣場へと入る。
絶対こんなに広くなくていいだろうと言いたくなるくらい広い空間があり、服を置くための棚がずらりと並んでいる。
そのうちの一つに脱いだ服を入れて、あらかじめ渡されていた布を持って、ルーンは曇って向こう側が見えないガラスの扉を開けた。
この時、ルーンが風呂のことを知っていれば気付いたかもしれない。
ガラスが曇っているということは、誰かが風呂場を使用したということなのだと。
ーーーーー
「ふ〜んふふ〜♪」
ティアラ・ディスカフラは鼻歌を歌いながら浴槽に浸かっていた。
編んでいた髪は解かれており、乳白色の水の上に浮く金色の髪は、絶え間なく流れる流星群を連想させた。
「ふまぁ〜」
薬草などを数種類混ぜ合わせて作った洗浄薬で綺麗に洗われたマフも気持ちよさそうに浮いていた。
ティアラは風呂が大好きだ。
暖かいのがいい。気持ちいいのがいい。魔力が回復するのがいい。
何より一人になれるのがいい。
ここは王族以外入ってくることはない。
姉達は、嫁いだり、仕事をしたり、学園に行ったり、養成所に行ったりして城には滅多に帰ってこない。
クラウンも、今回はたまたま王子としての仕事で帰ってきているが、普段は学園に通っている。
父も母も、夜以外はここを使うことはほとんどない。
だから、ここはティアラだけの場所だ。
ここには誰も入ってこない。
王女である自分を怖がって遠巻きに見る者も、王女である自分を利用しようと近づいてくる者も、何も知らないくせに自分が優遇されていると嫉妬する姉達も、そもそもこんな自分にする原因を作ったクラウンも、自分を自分として見てくれない父も母も。
誰も入ってくることはない。
自分だけの空間。
「ふまぁ〜」
「ぷっ。そっか。今日はアンタもいたのよね」
軽く吹き出して、マフを胸元に寄せる。
水を吸い込んで重くなりそうな見た目のくせに、その重さは変わらない。水を弾いているわけでもないのに。
「そろそろ、あがろっかな」
マフを抱いたまま立ち上がる。
ほのかに赤く染まった白く張りのある肌が露わになる。
水滴が肌を伝い、浴槽のお湯に音を立てて落ちた。
その音につられてティアラが下を見ると、胸元のマフのしたに隠された起伏の乏しい、女性らしさに欠けた胸が見える。
「はぁ...」
思わずため息がもれた。
いや別に大きければいいってものでもないし、学園でも自分と同じくらいの子いたし...中等部の頃だけど。家系のせいじゃないわよね。お母様も小さくないし、お姉様達の中には大きい人はいても小さい人はいなかったし...まあでもアタシが最年少だから一番小さくても何の問題もないわけだけど、そもそもまだ成長期だし、あれ、身長は止まったけど胸は別よね。ていうか、全ての物は量より質でしょ。一騎当千って言葉があるんだし、アタシのはそれよ。一騎当千の胸なのよ。質が通常の胸が1000個集まってやっとアタシの胸という高みにたどり着けるのよ。
なんて意味の分からない思考が延々とぐるぐる回っているうちに、数分が経過した。
「...アンタ、柔らかいわね」
「ふ、ふま?」
「ちょっとだけ...」
「ふまぁ!?」
ティアラは何を思ってか、持っていたマフを自分の胸に押し付けた。
それほどまでに追い詰められていたのかもしれない。
「っん...いやなんか...もういい。これ続けちゃダメな感じがするわ」
「ふま...」
マフの体毛にくすぐったさを感じて、マフを離す。
マフは浴槽に飛び込んだ。
「寒っ、もうちょっと浸かってよ...」
と、そこでティアラは声を失った。
誰かが入ってきたのだ。
湯気のせいで誰かは分からないが、いるのは確かだ。
叫んだ方がいいのだろうか。叫べばすぐに騎士の誰かは来るだろう。
だが、もし入ってきたのが家族であるのなら叫び損だ。
入ってきた騎士に裸を見られる。
嫁入り前というよりも前に、まだ十五歳の少女だ。
多感なお年頃であり、たとえ家族であっても裸を見られたくはない。他人である騎士など論外だ。
ゆっくりと音を立てずにお湯に浸かる。
すると、マフがお湯から出て浴室を駆けていった。
「え、マフ?どうしてここに...ってうわっ何!」
少し前に聞いたばかりの声が聞こえて、ティアラはひとまず安堵する。
いや安心するのは早すぎるわと、首を振る。何も安心できない。
ルーンは男だっただろうか、それとも女だっただろうか。
どちらにも見えて、ティアラはどうすればいいのか迷った。
しかし、本人に聞くなんて失礼な真似は、王女として絶対に出来ない。
「そこにいるのは、ルーンなのね」
「あれ、クラウン?じゃないね。ティアラだっけ?どうしてここに?」
「それはこっちのセリフよ。ここは王族以外立ち入り禁止のはずなんだけど?」
「クラウンが行ってこいって」
「あのバカっ」
確かに、王族が許可すれば入浴できる。
もっとも、許された前列は、他国の代表者などしかいないのだが。
ルーンが魔力を使ってシャワーを浴びる音が聞こえた。
今のうちにあがろうかと思ったが、それは失礼に当たらないだろうか。一人以外で入浴したことがないため勝手が分からないティアラはそうしているうちに、あがる機会を逃した。
湯気の向こうからルーンが歩いてくる気配を感じる。
ティアラはこの目で見極めようと意気込んだ。
え。でも見るの?男だったら?アタシどうなるの?いや、無理じゃない?でも、これ以上はのぼせそう...。
そう考えて、ティアラは顔を上げる。
見極めるのだ。男か、女か。
たとえ大切な何かを失うことになったとしても。
しかし。
ルーンは首から下をタオルで隠していた。
ティアラが見極めることは出来なかった。
そしてそこからティアラは推理する。
そのタオルの使い方は、女性がするものだと。
そして極めつけとなったのが、ルーンの髪。
「あれ。ルーン、あの時は寝ていてわからなかったけど、黒と白の髪なのね」
神秘的な少女姿のルーンを見て、ティアラは確信した。
ルーンは女の子だと。
そもそも、ルーンくらいの年頃の男子が見た目麗しいティアラの裸が側にあると知って、平静である方がおかしいのだ。
特に何も慌てたりしていないのは、きっと女の子だからだ、と。
それはルーンの身近にいた年の近い異性が妹であるフリアと妹の様なリィルゥしかおらず、裸を見ることも裸を見られることも慣れていたことに起因する。
結局、ティアラに間違いだと指摘するものは、誰もいなかった。




