⑬兄を訪ねて(行き道)
カタンコトン、と。
揺れる感覚で意識が覚醒し、ルーンは目が覚めた。
目が覚めたが目の前は真っ暗だ。瞼の上になにかが置いてあるらしい。
それは柔らかくて温かくてふわふわで、とても心地いい。しかし鼻先をなにかが掠めているので、ルーンはくしゃみを我慢するのに難儀した。
あれ、と。
頭の後ろに意識を集中してみれば、そちらにも柔らかく心地いい感触が返ってくる。
なにかに遮られているのか少し分かり辛いが、なにか一枚隔てたその下には、確かに高級マクラのようななにかが存在した。
意識が覚醒したばかりだというのに、ルーンはまた微睡んだ。この心地いいものにはさまれたままもう一度眠ってしまいたい。
しかしそれを許さないのが無慈悲なる揺れ。
一瞬起こった大きな揺れに身体が飛び跳ねた。
「あっ!」
誰かの焦ったような声。
腕を掴まれたが、すり抜けてしまった。
ルーンは自分で床に着地する。
すぐに頭の上になにかが乗ってきた。
確かめてみると、それは彼の契魔獣であるマフだった。
どうやら顔の上に乗っていたのはマフだったらしい。
「ここは...おっと」
立ったままでは揺れがひどく、なにかを掴もうと辺りを見渡して手すりをつかむ。
「ああルーン。目が覚めたんだ...よかった...」
そう言って大きく息をついて安堵したのはクラウン。
長い金髪を編んで後ろで一纏めにしていて、顔も女性寄りだが、正真正銘この国、ディスカフラ王国の第一王子だ。
「クラウン?ここどこ...で、その人は誰?」
その空間にはクラウンとルーンの他に1人の男がいた。
屈強そうな身体を金属製の鎧で包み、兜は外してある。外された兜と一緒に剣が置いてあった。
三十代後半であろうその男性は、なんとも野性味溢れる顔つきでにやりと笑った。
凶悪そうな表情に、ルーンは思わず身構えた。
「まあそう警戒すんなよ坊主。俺には坊主に対して感謝の気持ちしか抱いてねえからよ」
「...優しい人達に似てる」
「ぶふっ」
吹き出したのは二人の様子を眺めていたクラウン。
自分の護衛である騎士が盗賊達と同じ扱いをされたことがおかしかったのだ。
単純に良く言われたのだと思っている彼は、高笑いしながらルーンに好意的な反応を示す。
「おおっ!いいじゃねえか坊主!俺を優しい人なんて言ってくれたのは坊主が初めてだ!気に入ったぜ。流石は王子に膝枕されてたことはあるな」
「ひざまくら?」
「ギルストン!そ、それはいいからっ」
クラウンは顔を赤くしてその話題を止める。
こほん、と咳払いして二人を互いに紹介する。
「ルーン、彼はギルストン。ボクが子供のころからずっと近衛騎士をしてくれているんだ」
「このえきし」
「えっと、守ってくれる人、かな」
「王子的には俺よりも坊主の方がよかったりすんのか?」
にやにやしながらからかうように言うギルストンをクラウンは睨んだ。そして真面目な口調で念を押すように言う。
「ギルストン。彼は、知らない」
それは、優しそうな雰囲気のあるクラウンが一変して、人を寄せ付けない冷たさを感じさせる声色だった。
ギルストンはバツが悪そうに頬を掻き、斜め上を見ながらぼやくように言った。
「...あー。はいはい。いやぁびっくりだ。王子に男色趣味があったなんて!これじゃ世継ぎが産まれねえ!大変だ!すぐに報告しねえと!」
「だからと言ってそういうのもいいからっ!」
さらに顔を赤くしてギルストンを睨む。
だが、その表情は先程のように怖くはなかった。
「おうじ」
聞きなれない単語をルーンは呟いた。
確か、ずっと昔に親が話していた物語にそんな単語があった気がする。
首を傾げるルーンを見て、ギルストンは眉をひそめた。
「おいおいこの坊主なんにも知らねえの?」
「多分ね。だって盗賊達を優しい人達って言うくらいだから」
「おおっと。じゃあさっきは盗賊みたいって言われれたのかよ...騎士としてちょっとショックだぜ...」
ひそひそとクラウンとギルストンは話した。
ギルストンはルーンと向かい合い、いくつか質問をぶつけた。
「坊主はどこから来たんだ?」
「えっと...あ、ダメだ。言っちゃいけないって言われてるから」
「誰に?」
「クラフト」
「誰だよ...ってそれは言うんだな」
いまいちルーンの人柄が掴めないギルストンは乱暴に後ろ髪をかいた。
いくら王子を助けた人物だと言っても、騎士として怪しい人間を放ってはおけないのだ。
質問を続ける。
「王子から聞いたんだが、ゼリアンに行きたいんだってな。それはどうしてだ?」
「多分、お兄さんがいるはずだから。お兄さん以外に頼れる人がいないし」
「親はどうした」
「逃げて来たんだ。墓がどうとか言ってマフを殺そうとしたから」
「墓ぁ?」
こいつただの家出少年じゃね?とか思いだすギルストン。
ちょっとどんな質問をすればいいのか思いつかず、適当に、ルーンの頭に乗っている魔獣について聞いてみた。
「マフってのはその魔獣か?」
「うん」
「どうして殺されるなんて事になったんだ。そいつが何かしたのか?」
「いや、なんか僕がマフと契約したら、ほかに契約出来なくなるから、契約を切るために殺そうとしたんだよ」
「はーん。魔獣を代々受け継いでく家系なのか?」
「いや」
「違うのかよ...なんだそれ。その魔獣はどこにいたんだ。俺もたまに敵性 魔獣を狩ることがあるが、そんな魔獣見たことねえぞ」
「言えない」
「は?」
「クラフトが言っちゃダメだって」
首を振ってそう言うルーン。
ギルストンはクラフトに付いて聞く。
「クラフトってのは誰だ」
「知らない」
「はあ?」
「なんかこう、丸い形の金属くれた人。目つきが悪かった」
「なんかどうでもいい情報ばかり入ってきてる気がする」
ギルストンはなんだかルーンに質問することが馬鹿らしくなってきていた。
ルーンは嘘はついていないようだが、返答がいまいち的を得ない。
それでいて知りたいことはクラフトという者が言わせないようにしているため、ほとんど何もわからない。
「多分、金属っていうのは金貨のことだよ。盗賊に馬車賃として渡してたから」
「見ず知らずの人間に金貨渡すヤツとかぜひお知り合いになりてえんだけど。ってことは、坊主は金も知らないってことか...。どんだけ閉鎖的な暮らしを...」
そこまで言って、ギルストンは思い出した。
この国には『墓守』と呼ばれる一族が住んでいるという伝説がある事を。
『墓守』は『盟約者』でもあり、龍と契約する一族であると伝えられている。
実際見たことはないし、見たという者を見たこともない。
おとぎ話に出てくるような一族だからだ。
『龍の森』と呼ばれる、強固な結界に囲まれた森に住む伝説の一族。
この少年と『墓守』の話は、おかしい点はないのではないだろうか。
しかしギルストンは、いやねえな、と首を振る。
そう言えば、と。
もう一つの言い伝えを思い出したからだ。
その一族は、森を囲む結界の外に出ることが出来ない。
正確には、世界的危機が起きるような場合にしか外に出ることが出来ない、そう言う言い伝えがあるからだ。
そうして世界を救う一族なのだ。
ギルストンは目の前の少年を見る。
質問がこないと知って、自分の主と話している少年を見る。
目の前の少年は、とてもそうには見えない。
世界を救うような力があるようには見えない。
そして次に、自分の主を見た。
生まれた時からどう生きるかを決められて、過酷な運命に従わざるを得なかった、不幸な王子の顔を見る。
幸せそうに笑っていた。
年相応に笑っていた。
公的な場以外では久しく見ることのなかった笑顔がそこにはあった。
心から笑っているのを見るのは、これが初めてだったかもしれない。
少年に世界を救えるような力があるようには見えない。
だが、ずっと笑顔を見せなかった者を笑顔にする力はあるのだ。
自分達のような騎士では成し得なかったことを成し遂げる力はあるのだ。
もうこれ以上の詮索は必要ないだろうとギルストンは思う。
この少年自体には、全くと言っていいほど害はないだろう。
少年以外には気になることはあるが、もしそれが害となった時に主を守るのが騎士の仕事だ。
主が幸せであるのなら、その幸せを守るのが騎士の仕事なのだから。
「おい坊主!もうすぐゼリアンに着くぜ!」
「え?5日くらいかかるって聞いたんだけど」
「ルーンは5日も寝たきりだったんだよ。ボクがどれだけ心配したか...」
「甲斐甲斐しく膝枕とかしちゃってな!」
「だからそういうのはいいからっ!」
クラウンは顔を赤くしてそう叫んだ。
けれどその顔に負の感情は全く混じっていなかった。




