①ボーイミーツクーマ(すたこらさっさっさー)
「くまくまクマくまくまクマ熊ぁぁぁぁぁ!!」
奇声を上げながら道を外れた森の中を走る少年。
この少年の黒髪を、体長二十センチ程の白く丸っぽい魔獣が振り落とされまいと必死に掴んでいた。
「ふまぁ!ふまぁ!」
「なんて!?聞こえない!ていうか通じない!」
「グガァ!グギャガガガァァァァ!」
「うあああああ!『オマエコロス』的なこと言ってるって絶対!」
全力疾走する少年の背後には、黒い体毛に覆われた体長三メートルを越す巨大な熊がいた。
身体から湯気を放ち、口には凶悪そうな牙と、さらに炎が漏れていた。
「ガアァァァァ!」
「とぅわっ!」
飛んできた火球を茂みにダイビングすることで間一髪で避け、すぐさま立ち上がり逃走劇を再開する。
「ああああああ!何でこんなことになったんだよ!」
「ふまぁ!」
「グギャアァァァァァ!」
少年(と1匹)の悲痛な叫びは無慈悲にも熊の咆哮によってかき消された。
何が悪かったのか、それを確かめるために少年はほんの数分前のことを思い出す。
ーーーーー
その日はいつもと変わらない朝だった。
快晴で、窓から入ってきた朝を知らせる日射しで目が覚める。
既に起きていた両親から妹を起こしてこいと言われて、どうせ起きないとかなんとか、そんなたわいもない話をした気がする。
まあでも起こして、ご飯を食べて、いつものように森の中に入っていった。
少しの食料を持って。
たまに後を着いてくる妹とか、隣に住んでいるアイツとか、誰も着いてきていないことを何度も確認して、誰にもバレないようにいつもの場所に向かった。
人が普通に通るような道を逸れて、森の動物とかも通らないような道ともいえない道を通って、やっと拓けた場所に出たのは見慣れた丘の上だった。
太陽の光を遮るものは何も無い。
そこには、ただ広々とした風景だけが存在していた。
「おーい」
やまびこを楽しもうとした訳ではない。
気安く隣にいる人物に話しかけるような感じで、別段大きくもない声で言った。
「ふまぁ」
ガサゴソと茂みが不自然に揺れた。
ぴょんとまず初めに見えたのは白い毛玉。
一見浮いているようにも見えるが、目を凝らせば細い尻尾で繋がっていることが分かる。
毛玉を左右に振りながら、『白』は茂みを抜け出そうとする。
少年はその光景を苦笑いしながら見守る。
キュポンとでも音のしそうな感じで、つっかえた茂みから姿を現したのは一匹の魔獣。
全体は白く、丸っぽい。つぶらな瞳を眠そうに、短い手で擦っていた。
ふわふわとした体毛は風に煽られていた。
「ふま」
「お前、太ったんじゃないの?」
「ふまぁ!?ふまっ!ふまぁ!」
「『太ってないやい!』的なこと言ってるのはなんとなく分かる」
「ふまぁぁぁぁ〜」
『白』は『バカにしやがってぇ』的な声を出すと身体をくねらせる。
尻尾についた毛玉を短い手足で掴むと一言。
「ふまぁ!」
そこにいたのは一匹の白い魔獣ではなく、1本の細いヒモだった。
『擬態能力』
いや、この場合は『変身能力』の方が近いかもしれない。
身体を自由自在に変えることが出来る力だ。
食物連鎖の下位に属するからこそ得た生存するための危機回避能力。
もっとも、惜しいことにヒモの先には細いしっぽと白い毛玉が付いており、完全にヒモにはなっていなかった。
少年は毛玉を掴むと膝の上に乗せ、ポーチに入れていたパンを取り出す。
「食う?太るから食わない?」
「ふまぁ!」
「ごめん通じないわ」
「ふまぁぁぁぁ〜」
「冗談冗談」
ヒモから元の姿に戻った『白』は、少年が一口サイズにちぎったパンのかけらを一つずつ食べていく。
食べ終わると物足りなさそうに「ふまぁぁぁぁ〜」とため息にも似た声を出した。
「獲物を狩れよ野生動物。この場合は野生魔獣かな?」
「ふま〜」
食べてすぐに動きたくないというのはどの生き物も同じらしい。
会話 (?)をするのも面倒だと、少年の膝の上で眠る体勢に入る。
一匹だけ眠ろうとしているのは少年としても面白くない。
だから少年は『白』に聞こえるようにぼそりと一言。
「……だから太るんだよ」
「ふまぁ!ふまぁ!?ふまぁぁぁぁ〜?」
『はぁ?はあああああ〜?そんなことないし。てかさっきの超絶細身見ただろ!』的なニュアンスを含んだ声を出す。
「ふまっ!」
「なに、着いてこい?」
『白』は少年の膝の上から飛び降り、てくてくと歩き出す。が、それでは遅いので少年は『白』を持ち上げた。
腕に抱えられた『白』はもぞもぞと腕の中から抜け出し、腕を伝い肩へ、そして頭の上を陣取った。
少年は髪の毛ちくちくするんじゃないの?なんて思いつつ何も口にしない。
「ふまぁ!」と『白』が指す方向に向かって歩いていく。
生まれて十五年、森の中に入ることは何度もあった少年にも踏み入ったことのない場所をどんどん進む。
心なしかじめじめしており、既に太陽の光は届いていない。ひゅう〜という風音が気味悪い。
絶対毒がある様な模様をした植物があったり、『白』どころか少年すらも丸呑みしてしまいそうなヘビを隠れてやり過ごしたりした。
人間の白骨死体のようなものがあった気がしたが、少年は全力で気のせいにした。
もはや、帰っていい?なんて口に出すことは出来ない。
少しでも音を発すれば、森中の魔獣達が襲いかかって来るような、そんな恐ろしさがあるからだ。
頭の上の『白』も小刻みに震えていた。
少年は巨木にもたれ掛かり、ポーチの中を確認する。
『陣』を刻んである石が十数個と魔力を回復させる緑色の液体が試験管として一本。
後はパンくずが散らばっていた。
「ふ、ま」
いやお前声出しちゃダメでしょ、と頭の上の『白』を見ようと視線を上にする。
いや、その途中で視線は固定された。
目の前の凶悪的な巨大熊によって。
人間、ちょっと理解が追いつかない時、以外と慌てないものだと少年は思った。
絶対に気のせいだが、熊が笑いかけてくれている錯覚もした。
『お嬢さん落し物してません?』なんて幻聴が聞こえそうだった。お嬢さんじゃねえよ。
頭の上で『白』が死んだ振りをしているのが分かる。
バカ、そういう時こそ変身しろよ。いや何に変身した方がいいとかは分からないけど、なんてどうでもいい思考だけがぐるぐる回る。
あ、これ死ぬ。死んだ。
「いや死にたくないぃぃぃぃ!」
「ふまぁぁぁぁ!」
「グギャアァァァァァ!」
そして冒頭に戻る。