『プリンセス・イメラリア』
一二三を呼び出す前のお話。
オーソングランデにおいて、王であるウィリバルケンの評判は悪くはない。ヴィシーやホーラントとの外交も安定しており、王妃はあまり表に出てくる事はないが、一般的には夫である王をしっかり支えているとの評価だった。
だが、王女であるイメラリアは、弟である王子の存在が霞んでしまうほど一般民衆の人気が高い。
平民たちが住む街に頻繁に顔を出し、声をかけ、慈善活動を熱心に行うことに起因する人気であり、噂による虚像以外に王族の姿を知ることのない民衆にとっては、知りもしない王や王妃などより、姿を目にしたことがあり、言葉を交わしたことがある王女は現実味を持って受け止められた“偉いお方”だった。
「また、街へ出られるのですか?」
宰相であるアドルが苦い顔をして話すのを、イメラリアは申し訳なさそうな顔で聞いていた。
「あまり平民たちと交流を深くされますと、その……」
「わかっております。貴族たちの中には、わたくしがそういったことをするのをよく思っていない方も多いのでしょう?」
「王女殿下に対して、全くもって、けしからんことではございますが……」
はっきりと内容を言うことはないが、イメラリアは貴族たちの視線からなんとなく察してはいる。アドルも明言はしないものの、そういう話があることを否定はしない。
ですが、とイメラリアははっきりと言葉にする。
「わたくしの役目は、お父様のように政治の舵取りをすることではありません。弟のように、それを引き継ぐわけではないのです。民衆のみなさんの環境を知り、気持ちを知り、世間と隔絶された貴族社会の中に多少でも外の情報を知らせる事です」
「その情報を得るために、第三騎士隊がいるのです。なにもイメラリア様自身で平民の街へ出る必要は……」
「それでは、いけません」
イメラリアは、毅然として首を横に振る。
「民と貴族の間に溝があってはいけません。民がいるからこそ国は成り立ちます。彼らを無視して国は立ち行きません。彼らの生きている姿を知る者が、王や貴族たちの近くに必要なのです」
もう幾度目かも覚えていない説得も失敗し、アドルは次に話す言葉を持っていない。
王族の淑女としての教育を受け、魔力も高く王城が研究対象として独占してる古代魔法にも造詣が深い王女。十歳になるまで、そういった物に囲まれ、城からも殆ど出たことが無かったイメラリアが、なぜこうも民衆への配慮を語るようになったのか。
アドルは、それがある女性騎士の存在が原因だという事を知っている。
「イメラリア様、準備が整いましてございます」
その原因だる騎士パジョーが鎧を鳴らして入室し、跪いた。
「ありがとう、パジョーさん。アドルさん、ご心配はわかりますが、わたくしは大丈夫です。この国の民衆は、皆さん良い方ばかりですから。……我侭な王女でごめんなさい」
「そ、そのようなことは……」
慌てるアドルに目礼をして、イメラリアは部屋を出て行く。
後に続くように立ち上がったパジョーと、アドルの視線が交錯する。
「では、ごきげんよう。宰相閣下」
「あまりイメラリア様を危険に晒すような真似は控えてもらいたいものだが」
「あら、これはイメラリア様ご自身のご意志による大切な交流ですよ。一家臣に過ぎない私には、何ら口を挟む権利はございませんわ」
フフッと笑みを残し、背筋を伸ばした鎧姿のパジョーは兜をつけて出て行く。
後に残されたアドルは、何も起きないことをひたすら祈るしかなかった。
☆
イメラリアが平民の街へ出るとき、あまり多くの護衛を連れて行く事は好まなかった。
多くの騎士を連れ歩くと平民たちが近づきにくい事を経験で知っており、それでは意味が無いと思っていたからだ。
殆どの場合、随行は第三騎士隊所属の女性騎士パジョーが指名される。
理由は非常に単純で、平民たちの生活という物を知らず、想像することすら無かったイメラリアに、民衆がどのように生きているかを最初に教えたのが彼女だったからだ。
「本日は、彼女たちが付いて行きます」
「よろしくお願いしますね」
城で働く侍女たちが三名、城の門の前で待っていた。
手押しの台車にたくさんのパンと大鍋に入ったスープを乗せて、イメラリアと共に平民たちへ炊き出しをしようというのが、今回の目的だ。
街中の移動であれば馬車も使わず、自分の足で歩くことにイメラリアはこだわる。それが、同じ目線で同じものを見るというイメラリアの目的に沿うからだ。
「いつもの街中を通って、多少見栄えの良くない場所へ入ります。窮屈かと思われますが、私のそばを離れられませんよう」
「わかっています。ですが、あまり仰々しくならないようにお願いいたします」
「承知いたしました。……では、行きましょう」
イメラリアを先頭に、パジョー、侍女が続く。
「王女様、こんにちは!」
「はい、こんにちは」
道行く子供たちが、元気よく挨拶をしてくるのに、笑顔で返す。
他にも街の人々が声をかけ、商店の主や女房などが、差し入れとして自分たちが扱っている果物などを渡してくるのを、笑顔で受け取っていた。
「ありがとう。後で味わっていただきますね」
街を抜けるあいだ、ずっと続くやりとりを、パジョーは威圧を感じさせないように視線をさりげなく向けていた。
(この街あたりまでは、まだ良いのよね)
また別の誰かから野菜を受け取っているイメラリアを見ながら、パジョーは心の中で気を引き締めていた。
迂遠な言い回しをしたが、要するに貧民街が今回の目的地だった。当然、たちの良くない輩がいる可能性も高い。
パジョーの本心としては止めたかったが、イメラリアが強く望んだことであり、平民との交流が狭い世界で生きていた少女に良い影響があるだろうと思って、民衆の生活について話をしたパジョーとしては、今更「平民といっても貧民街の連中は別です」とは言い辛い。
「イメラリア様。ここからは私が前を歩きます」
「わかりました。お願いしますね」
賑わう街を抜け、20分程歩いて侍女たちに疲れが見え始めた頃には、古ぼけたり破損が目立つ建物が増え、街全体の雰囲気が暗く感じる一角へ辿りつく。
通りにいる人数は先ほどと然程変わらないのだが、きちんと看板を出した商店は無く、汚い布を広げてガラクタのような商品を雑然と並べていたり、売るものもなく物乞いとしてボロを纏って虚ろな目をして座っているだけの者が多い。
このあたりにいるのは、仕事はできずとも家族が働いて何とかギリギリ食べていけている者や、辛うじて生きていける程度の稼ぎはできる者たちで、明日にはスラムへ消えていくか裏道で死体になっていても不思議ではない連中だ。
そこに身なりの良い少女と騎士が、仕立ての良い服を着た侍女がやって来たものだから、嫌でも視線を集める。
イメラリアにとって、それは好都合だった。
「みなさん、こんにちは」
鈴の鳴るような可愛らしい声が通りに響く。
だが、誰もが遠巻きに様子を見るばかりで、返事などはない。
「わたくしはオーソングランデ王国王女、イメラリアです。皆様の窮状を耳にいたしまして、僅かではございますが、食料をお持ちいたしました。パンとスープをお配りしますので、どうかこちらへおいでくださいませ」
侍女たちがスープ鍋の蓋を開け、パンの入った籠の布を取ると、よく煮込まれた野菜と肉が入ったスープの匂いと、小麦の味が強いパンの香りが漂い、吸い寄せられるように人々が集まってくる。
「それ、本当にくれるのか?」
「金なんか無いぞ」
傍らの騎士の姿を気にしながら、怖々と話しかけてくる住民たちに、イメラリアは笑顔でもちろんお金はいりません、と答えた。
「さあ、一列にならんで受け取ってください。食べ終わったら、器はこちらに置いてくださいね」
侍女の一人に列の整理を任せたイメラリアは、手ずからスープをよそって最初の一人に手渡した。
「本当ならもっと暖かい方が良いのでしょうけれど、冷めても美味しいですからね」
「あ、ありがとう」
まだ温かみのあるスープが入った木の器と匙を受け取り、片手にパンを持った男は、こそこそと隠れるように道の端へと座り込み、スープを器からまっすぐに啜った。
「うまい……」
その様子を見て、にっこりと笑ったイメラリアは、どんどんと増える列を作った人々へとスープを手渡していく。
「どうぞ。こぼさないように気をつけてくださいね」
スープが半分にまで減った頃に、事件は起きた。
「ちょっと待ってください! 順番を守って……」
「うるさい! 俺は腹が減ってるんだ!」
列の後ろから侍女の困った声と、掠れた声をした男の叫びが聞こてくる。
パジョーが視線を向けると、どうやら列に割り込みをしようとした男を止めようとして、侍女が怒鳴られているようだ。
「……仕方がない」
イメラリアの姿を確認し、他の侍女も問題なさそうだと判断し、イメラリアの隣から離れたパジョーが、侍女につばを飛ばして叫ぶ男の腕を掴んだ。
「やめなさい。大の男のくせに、恥ずかしいわよ」
「なんだぁ? 女のくせに騎士みてぇな格好しやがって」
顔を近づけてくる男にパジョーは一歩も引かず、掴んでいた手首を捻りあげた。
「いてぇ!」
「騎士みたい、じゃなくて本当の騎士なのよ。これでもロトマゴ隊長のキッツイ訓練をこなして騎士になったの。貴方みたいな宿無しのゴロツキに馬鹿にされるいわれはないのよ」
さらに手に力を入れて、パジョーは膝をついた男を見下ろす。
「大人しく帰りなさい。そうすれば牢屋に放り込むのは……」
その時、パジョーの背後から何かが倒れる音とイメラリアの悲鳴が聞こえた。
「きゃあっ!」
「イメラリア様っ!?」
続いて侍女が声を上げた時には、パジョーは掴んでいた男を放り捨てて走りだしていた。
「何をするか!」
叫ぶパジョーの視界には、スープ鍋を倒してイメラリアの手首を掴んだ中年男の姿が捉えられ、一瞬で頭の中が怒りで染まる。
「お姫様だかなんだか知らねぇが、俺たちの苦労も知らずに、こんな……馬鹿にしやがって!」
台車ごとパンを蹴り散らした男は、憤怒の表情で迫るパジョーに殴り飛ばされた。
「ぐあっ!」
「申し訳ありません、私が目を離したせいで……」
驚きで腰が抜けたのか、力無く座るイメラリアをパジョーが抱きかかえた。
そのあいだに、殴られた男はふらついたまま周りに向かって声を上げている。よく見ると右腕は手首から先が無く、歩き方も少しおかしい。
「こんな上から目線で施しなんざされても、俺たちは嬉しかねぇんだよ!」
だが、そんな男に同調するものは誰もいない。
逆に食べ物を無駄にした男に対して、誰もが不満をぶつけるように睨みつけていた。
「お前ら、どうした! こんなふうに馬鹿にされて……」
「そんなつまらんことより、俺は一杯のスープやパンの方が大切だ」
「そ、そんな……」
思っていた反応と違う辛辣な視線にさらされた男は、先ほど侍女に絡んでいた男は仲間だろう、とその姿を探したが、とっくに逃げ去ってしまっていた。
「く、くそっ!」
悪態をつきながら逃げていく男を追うこともせず、パジョーはイメラリアの様子だけを気にしていた。
「だ、大丈夫ですよ、パジョーさん。ちょっとだけ、びっくりしただけです」
何とか立ち上がったイメラリアは、スープが無くなってしまった事をわび、パンを配ってから、また来る事をその場の人々に笑顔で約束した。
その言葉に、民衆の何人かから感謝の台詞が聞こえてきて、イメラリアは嬉しそうに笑う。
「では、帰りましょう、パジョーさん」
「了解しました」
「それにしても、あの方はなぜあれほど怒っていたのでしょうか」
「それは……」
パジョーは、先ほどの暴漢の姿を思い出し、ある程度は不満の正体に察しがついていた。それはこの国の暗部でもあり、イメラリアの耳に入れたいことでは無かった。
難しい顔をしていることに気づいたのだろう。イメラリアはクスッと笑ってみせた。
「パジョーさん。どうかわたくしのためにそんなに悩む事はおやめください。わたくしももうすぐ十四歳です。王国にもあまり表沙汰にしたくないものがあることは知っています」
まもなく二十歳になるパジョーからすれば、それでもまだ幼いのだが、イメラリアはハッキリと、全て教えて欲しいと言った。
「……おそらくは、獣人族たちのいる荒野に戦いに出た元兵士でしょう。国の領土拡大のために、定期的に荒野へ兵士たちが赴く……いえ、出征させられるのです。獣人族は武器を持った兵士をものともせず、鋭い爪で切り裂いてくると言います。おそらく、さっきの男も怪我を負って街へ送り返されたのでしょう」
「そんなことが……」
「獣人族は強力で、荒野では負け通しです。傷病兵は増え、授産施設でも受け入れは限界かと」
この国にも一応存在する授産施設だが、定期的に発生する帰還兵は多く、とてもそれだけの人数をまかなえるような仕事は無い。多少なり戦果を上げていれば優遇されるが、そうでもなければ僅かな給金を握らされて追い出されるだけだ。
それから数日、イメラリアはパジョーと顔を合わせる度に獣人族たちとの戦いについての話や、負傷兵たちの扱いについて熱心に話を聞いた。
仕方の無いことだが、その説明は多分にオーソングランデにとって都合の良いものであり、獣人族の凶暴さばかりが目立ち、本来は彼らの生活エリアである荒野に人間の都合で侵攻しているという点については語られなかった。
イメラリアはその話を聞く中で、獣人族など亜人に対して国民を守るにはどうすればいいのかという事に思考のスペースが取られていった。
☆
「これは……」
偶然の発見だった。
イメラリアが才能を生かした古代魔法の研究をしているのは、城内の誰もが知るところであり、父王も特にそれを止める事はしなかった。
その研究の最中にイメラリアが見つけたのは、石版に刻まれた“召喚魔法”についての知識だ。
刻まれた記録によると、その魔法は異世界より強力な“勇者”を呼び出し、比肩すべき何物も存在しない圧倒的な力により、人々へ平和と繁栄をもたらした、とされている。
「平和を……」
さらに解読を進めた結果、部屋一つをまるまる使うような大きな設備が必要となったが、イメラリアは父王へとその魔法を存在を伝えた。
「異世界の勇者とは……まるでどこかの御伽噺のようだな」
「ですが、残されている魔法陣の内容は確かに誰かを引き寄せるように作られているようです。それが記録にあるような勇者様でしたら、きっと獣人族からの被害もなくなりますわ」
「勇者、か……」
王は考えた。
もしそれが本当に有能な勇者であれば、厚遇して他国との戦いにも使えるだろう。娘の話が本当ならば、その者の事など、この世界の誰も知らない。役立たずであれば、密かに処分するのは容易いだろう。
「良かろう。異世界より勇者を呼び寄せ、我が国に協力を頼もうではないか。さすれば、この国で犠牲になる者も減るであろう」
「ありがとうございます、お父様」
父親の考えなど知らないまま、少女は召喚の準備にのめり込んだ。
そして、運命の日。
厳かな雰囲気の中、イメラリアは目の前にある魔法陣に向かって懸命に魔力を調整していた。魔力の量も必要だが、その扱いにも細心の注意を必要とする。
周囲には騎士たちが待機し、呼び出されて右も左もわからないだろう勇者のために、必要があれば手を貸す用意をしている。
「……魔法を発動します」
イメラリアがつぶやくと、室内は緊張に包まれた。
多くの魔力が魔法陣に定着していき、そこに描かれ幾何学模様に意味と力を与える。
その中央、ゆっくりと見えるようになるというより、“ゆっくりと存在が確定していく”という、言い表すのが難しい形で、一人の青年の姿が浮かび上がり、危ういまでに薄い存在感が、色味を帯びて人の雰囲気を現わにしていく。
「黒髪……」
イメラリアが呟いた瞬間、呼び出された男は目を見開いた。
「勇者さま……」
「動くな」
青年の腰にあった細い棒から、さらに細長い金属が目にも止まらぬ速さで引き抜かれ、見るからに鋭利な切っ先が、イメラリアの細い首に突きつけられた。
「お前が、俺を呼び出したのか?」
冷たく光る視線が、イメラリアを見据えた。
こうして、世界は危険物を抱えこんだ。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。