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『カイムの一日』

まだ文官五人が奴隷状態だったころのカイムのお話です。

 一二三が打ち出したノウハウ公開と教育機関の整理により、多くの人々が「フォカロル」に集まり始めた頃が、フォカロル職員にとって一番忙しい時期だった。

 文字の読み書きができる者を最低限の条件として、帳簿付けなどの経験がある人物を片っ端から雇入れてはいるものの、増える人口にパンクしかけている処理は一向に楽にならない状況が続いていた。

 そんな職員たちをまとめあげる文官奴隷の五人が暇であるはずもなく、それぞれが各分野の取りまとめに追われて毎日を慌ただしく過ごしていた。

 ミュカレは軍務長官に任命されたアリッサの補佐官となり、急激に人数を増やしている上に領内警備までを担う軍関連の処理責任者となった。

 ドゥエルガルは商工関連を一手に押し付けられ、一二三の指示に従って領内の流通に関して基準を儲け、規格を作り、物と金の流れを管理することになった。また、新たな技術に関しても彼が知財として管理することになる。

 最年少の少女パリュは戸籍管理を任されている。毎日長蛇の列と作っている移住及び長期滞在希望者のデータを取りまとめ、税金徴収や各種住民管理、公共サービスについても責任者として据えられている。

 ブロクラは、以前に勤めていた宿での帳簿付け技能があるから、と一二三に無理やり財政の担当に位置づけられた。ミュカレやドゥエルガルから上がってくる予算執行に関する依頼や相談を引き受け、パリュから定期的に報告があがる人口推移や就業情報を元に予算を作成し、予算の配布や予備費の管理などを行う。

 そして、カイムはそれら全ての部門について最終的な取りまとめを行い、各部門ごとの調整をする。また、職員たちの多くが勤務する領主館についても、彼に管理が一任されていた。


 そんな、最も責任が重く、最も多忙なカイムの朝は早い。



「あ、おはようございます! いつも早いですね!」

 室内修練場に、独身寮に住んでいる兵士たちの中でも熱心な者たちがゾロゾロと入っていくと、そこにはすでに一汗流しているカイムの姿があった。

「おはようございます」

 やや上気した様子の顔にいつもの無表情を貼り付けたまま、挨拶を返す。

 その手には鎖鎌が握られていた。

 今は夜明け前。早暁というにも少し早い時間だが、カイムはストレッチから始まる二時間ほどの稽古を終えていた。

 今は、最後の型稽古の時間だった。

 三メートルほど離れた位置には、人間と同じ大きさの丸太が建てられており、その顔あたりの高さには、布が巻かれている。

「おい、カイムさんのあれが始まるぜ」

「今度こそ見て盗んでやる」

 小さなざわめきが聞こえる修練場で、カイムはまるで何も聞こえていないかのようにじっと丸太を見ている。

 誰かが息を飲みかけた瞬間、直立からいきなり走り出したカイムの左手が動き、分銅が丸太の上部に打ち当てられ、小さな欠片が飛び散る。しかし、当たった直後にはすでにカイムの身体は丸太のすぐ横にある。

 通り過ぎるその瞬間、鎌の鋭い切っ先が首のあたりを一文字に削りとった。

 さらに丸太の後ろに回ったところで、通り過ぎる際にキャッチした分銅を後頭部に見立てた位置にぶち当てた。

 さらに走り、充分な距離を取ったところで、鎖を引き、分銅を再び握りなおす。

 肩で息をしているカイムは、じっと丸太を見ていた。

「すげぇな」

「くっそ、まだ良く見えねぇ。つぅか、なんであの人文官やってんだ?」

「そりゃおめぇ……なんでだろうな」

 口々に感想を述べる兵士たちに一礼したカイムは、修練場をあとにする。

「お先に失礼いたします。今日も怪我には気をつけて訓練に励んでください」

「はい、お疲れ様でした!」

 綺麗にまとめた鎖鎌を小脇に携えたカイムが出て行く。

「格好いいなぁ」

「じゃあ、俺たちも始めるか!」

 夜が明け始めると、修練場の主役はカイムから兵士たちへと変わった。



 汗を洗い流し、自室の小さな調理スペースで簡単な朝食を作ったカイムは、今日の予定を頭の中で整理しながらゆっくりと食事を済ませた。

 歯を磨き、最後に一杯の水を飲み、仕事のための服に着替えると、自室を出て執務室へと向かう。今日は文官同士の会議は無いので、午前中から執務を始めることになっている。

 自室に入り、昨日までの書類に不備がないかを確認すると、予定に従って各部署へ配布するための書類を作成する。

 全ての部署からの伝達や変更については全てこの執務室へと集まってくるが、この部屋にはカイムの部下となるような職員は一人も居ない。

組織図としては領主館で働く全ての職員がカイム直属扱いとなるが、いわゆる秘書のような職員をカイムは必要としなかった。

「私自身が領主様の秘書であり補佐であると自負しております。その仕事を任せる人物が居るならば、私は必要ありません」

 他の文官たちとの会議で秘書官をつけない理由を問われた際に、カイムはこのように返した。これで仕事が滞っているのであれば問題だが、誰ひとり彼の仕事に文句をつけようもない状態であったので、それ以上は何も言われない。

 各部署への書類を一時間ほどで作成し終えたカイムは、情報が最も激しく変動する部署へと足を運ぶ。

 この領主館の一階で受付され、全ての部署を動かす基本情報を作成している戸籍担当部署だ。

 その担当責任者であり、一二三に買われた文官奴隷の中でも最年少であるパリュの執務室を訪ねる。

「どうぞ」

 ノックに対して返答があるまで微動だにしなかったカイムは、パリュの声を聞くと音も立てずにドアを開いた。

「あ、カイムさん。おはようございます」

 カイムの顔を見て、パリュは立ち上がって挨拶をする。

 パリュの執務室は広く、常時五名の補佐が懸命に情報を整理している。今も女性を中心とした職員たちが忙しく書き込みや修正を行っていた。

「おはようございます。こちらの書類をお願いします」

「はい。わかりました」

 素直に書類を受け取ったパリュは、さっと書類に目を通す。

「やっぱり、軍にも領運営の施設にも人が足りないんですね」

 書類は、軍などの各部署からの採用や配置を希望する人数をまとめたものだった。

 多くの人員が流入しているフォカロルでは、流れてきた人達の中で仕事をしていない人には老若男女関係なく仕事の斡旋を行っている。宿や賃貸住宅の斡旋も、そういった仕事への希望や適正をみて割り振られることになっており、それらは各部署の希望する配置人数を参考にカイムが採用枠や賃金などの条件を設定している。

 その人員を集めるのも、戸籍管理をするパリュの重要な仕事だった。

「では、よろしくお願いします」

 自分の半分ほどの年齢しかないパリュが相手でも、カイムは特に態度を変えることは無い。自分の同僚である以上は、同等であると見なしている。

「あ、カイムさん。ちょっといいですか」

「なんでしょうか」

 パリュから呼び止められ、カイムは無表情を崩さずに再びパリュへと振り向いた。

「あの、一つだけできればお願い……というより、提案したいことがあるんですけれど……」

 遠慮がちなパリュを、カイムは促すことも急かすこともせず、ただじっと見つめて言葉を待った。

 その視線がパリュにはプレッシャーなのだが、付き合いも長くなってきたせいか、大分慣れてはきていた。

「最近、ドワーフのプルフラスさんが一人乗りの台車を作ったそうですが、それを各施設の情報伝達に使えないでしょうか? それも、定期便という形で」

「定期便、ですか」

 一度頷き、またまっすぐ視線を合わせる。最近になって文官たちは知ったのだが、これは言葉の先を促すカイムの癖らしい。

「そうです。特に私の部署は他の方の部署からの要望が届くことも、就業を希望する方の情報を送ることも多々あります。ですから、何人かがルートを決めて各部署をぐるぐる回って書類を配達してくれたら、もっと情報が早く行き届くんじゃないかな、と」

 パリュの提案が終わると、きっちり十秒間、カイムは瞼を閉じて考えた。

 唸ることも首をかしげることもしない。

「良い考えかと思います。体力のある人員を若干名配置しましょう。次の会議には案を作成しておきます」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 カイムの承認が通れば、それは即ち提案の採用を意味する。領主の一二三はあれこれと指示はしても、やりたいと希望があった事に対しては全て「好きにしろ」で終わるからだ。カイムという存在は、フォカロルにおける最後にして最大のチェック機関でもある。

 余程嬉しかったのだろうパリュの満面の笑みで見送られたカイムは、部屋を出た時点ですでに頭の中で提案書類の内容を作っていた。

「これで、もう少し仕事の速度があがりますね」

 たまたま通りかかって、その言葉を耳にした職員は、さらに仕事が増えるのでは、と戦慄した。



 領主館内の職員向けの食堂にて、毎日同じメニューの昼食を済ませたカイムは、街へ出て各施設を廻りながら状況を確認し、場合によっては注意や変更を言い渡しながら、郊外に位置する軍の施設を訪れた。

「失礼します」

「あら、カイムじゃない。こんにちは」

 予定通りの時間に顔を見せたカイムに、ミュカレは軽く手を上げて応えた。

 野外の訓練場のそばに建てられた、武器や戦時に使用する道具を保管する倉庫も兼ねた大きな建物の中に、アリッサとミュカレが共同で利用する執務室がある。

 長官という立場とその補佐であるという理由から同室が良いのだという、ミュカレの熱の篭った訴えによりそうなっているのだが、それが建前でしかないことをほとんどの職員が知っていた。

 今はアリッサが訓練に出かけて留守にしているようだ。

「あなた、働き過ぎじゃないの? 少しは休んだ方がいいわよ」

「きちんと毎日睡眠時間を確保していますから、問題ありません。問題があるのは、こちらの方々です」

 カイムが取り出した書類を受け取り、目を通したミュカレは深い溜息を吐いた。

「はあ~~~……。まあ、軍人なんてこの手の輩が多少は混じっていても不思議じゃないんだけれどね。実際にこうやってきっちり報告されたら、流石に凹むわね」

 書類には、軍に在籍する者が街の店などで暴力事件を起こしたという報告が書かれていた。軍人には支給された武器などの装備があるので、街中で見てもすぐに判る。

「二人が怪我を負い、店にも損害が出ています。犯人はまだ捕まっていません」

「捕まえておくわよ。こんなの放っておいたら、長官の評判にも関わるわ」

「店の修理費は軍の予算から出しておきますから、処理・・が済んだ時点で書面にて報告をください」

 事務的に連絡のみをする。

 カイムは基本的に領地の運営が滞りなく進み、尚且つ領主の望む方向へと成長することが重要であり、その邪魔となるものは素早く排除することが肝要で、手段は問わないと考えている。

 なので、軍の不始末は軍で処理しろ、というわけだ。

「私が言うのも変だけど、兵士が街の事件や事故の処理に駆り出されるのは拙いんじゃないかしら?」

 カイムの視線がじっと自分を見ているのを確認して、ミュカレは続けた。

「今回の件も調査するけれど、多分事件を隠蔽した馬鹿が何人かいるはずよ。“問題無かった”と巡回の兵士が報告しちゃえば終わりだから。兵士が兵士を監視することも必要だけれど、そういう腐敗はこれから先増えるんじゃないかしら」

 割合が小さくても、人口が増えれば絶対数は増える。ミュカレは治安を乱す“ごく一部”の数が増える事を危惧していた。

「良いのでないでしょうか」

「は?」

「不埒な輩が増えれば、それだけ兵士たちの戦闘経験が増えます。街中での事件は重要な緊急出動の訓練にもなりますし、領主様の意向で犯罪者に手加減をする必要は無いとされています。人の命を奪うなど、訓練では不可能ですから」

 無表情を保ったまま、犯罪者を訓練の的にすると言い放つカイムに、ミュカレは絶句した。

「警備専門の部隊を作るというのは良いかもしれませんが、責任者以外の人員は交代制にすべきでしょうね。領主様が言われたことがあります」

「一応、聞いておこうかしら」

「“人を殺せる事と人を殺した事は似ているようで大きな差異がある”そうです」

「……念のために聞くけれど、カイムにはそういう経験が?」

「残念ながら、まだありません」

 まだ、ということはいつかそういった機会が訪れるかもしれないという事を考えているのだろう。いや、この男の頭の中では、何が起きても対処できるように無限の可能性が予測されていても不思議ではない、とミュカレは目を細めた。

「とにかく、馬鹿どもは私が責任を以て処罰するわ。アリッサ長官にも連絡をしておくから」

 書類は預かっておく、とミュカレは自分のデスクに書類を置いた。

「アリッサ長官、ショックを受けなければいいけれど」

「心配いりません」

 どうしてわかるのよ、とミュカレが睨みつけても、カイムは少しも動じない。

「アリッサ様は一二三様を間近で見て、その薫陶を受けておられます。やるべきことを迷う方ではありませんよ」

「なんだか、貴方に言われたら納得しちゃうわ」



 巡回を終え、カイムが自らの執務室へ戻った時には陽が暮れ始めていた。

「失礼します」

 カイムの帰着を待っていたかのように訪れたのは、文官奴隷の同僚であるブロクラだった。

 彼女は特にカイムと働く機会が多く、現在でも金銭関係を任されている事もあり、毎日のように顔を合わせている。

「今日は久しぶりに平和な日でしたよ。緊急で予備費を使うこともなかったし、徴税の準備も問題なさそう」

「そうですか」

 本日の報告書を受け取ったカイムは、本当に読んでいるのかと思える速度で書類の上に視線を走らせ、サインを入れた。

 その書類をブロクラへ返す。彼女はまるで判を押したかのように毎日キッチリ同じ形になっているカイムのサインを確認した。

「ありがとう」

「ブロクラさん、一つ依頼があります。これは急ぎではありませんので、ゆっくり準備をお願いしたいと思います」

「どんな仕事なの?」

「戦争の準備を」

 微笑んでいたブロクラの顔が強ばる。

「そんな、領主様の指示もないのに……」

「指示があってからでは遅いのです。領主様が求めた時には、すでに事態は動いているのですから、その時点で準備ができているのが望ましいのですよ」

 戦争になれば、食料などの物資を始め、それらを運ぶための車両や人員、馬なども必要になる。小規模であれば問題ないが、規模が増えれば増えるほど、必要な時間も量も際限なく増える。

「人員は問題ありません。長期保存が可能な食料と携行品を充分に準備してください。保管場所が足りなければ増設しましょう」

「……なぜ、今から準備をするのか聞いても?」

 じっと目を閉じたカイムは、話しながらサインを書いていた手を止めた。

「領主様は破壊者です」

 ごくり、とブロクラは息を飲んだ。

「ですが、破壊者であるための足場を作る事ができる、稀有な人物でもあります。そして、戦いを利用して、破壊の中から新たな価値を作る事ができる英雄でもあります」

 ですから、とカイムは立ち上がり、木戸を開けて夕暮れの街並みを見る。

「領主様はいつか、この世界を破壊しつくして、そしてそれを礎にこの世界を前進させるでしょう……貴方は、世界の生まれ変わりを見たいとは思いませんか? 停滞し、能力も何もない血統だけが拠り所の貴族が蔓延るこの国が壊れて、新たな価値観を得ていく様を」

 ブロクラは、答えない。

 カイムも、それを求めていないようだ。

「私は、それを誰よりも良い場所で、特等席で見たいのです。そのために、戦場にも行ける準備をしています」

 木戸を閉めたカイムは、ロウソクでは暗くなった室内を歩き、壁にあるランプに火を入れた。

 僅かに、火が揺れた。

「世界を破壊する。その準備は、念入りにしておきましょう。まだ見ぬ世界のために」

 ブロクラは恐ろしくなった。だが、すでに逃げ出せる時期は過ぎているのだとも知っていた。

 もはや選ぶしかない状況なのだろう。なるべく火の粉をかぶらないように、目立たず生きていくのか、目の前の男のように、一二三と同じ夢を抱くのか。

「では、おねがいしますね」

 薄暗い室内では良く見えなかったが、ブロクラはカイムが少しだけ笑ったような気がした。

お読みいただきましてありがとうございます。

想定以上に長くなってしまいました。

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