第6話 ―香草料理―
281017 改訂しました。
サーシャからエルフと思われる気を失った若い女性の移動を頼まれたものの、彼には女性を運んだ経験はもちろんない。
まして相手は完全脱力状態である。
意識があってしがみつくなりしてくれれば運ぶという点では楽だろう。
いや、それはそれで緊張するから無理などと考えながら、リオンは手っ取り早く運べる方法、いわゆるお姫様だっこをして店の奥へ運ぶことにした。
気を失っている彼女の頭が彼の右肩に乗るように右手を背中へ回し、左手は彼女の膝の裏を通して抱え上げる。
重さはまったく感じない。
本当に彼女が軽いからか、緊張からなのか見当もつかない。
何故なら息使いが感じられるほど近くに、トマトの汁だらけであってさえ美しい顔があるからだ。
目は閉じられているがまつ毛は長く、鼻筋はスラリと通り小さな桜色の唇が微かに開かれている。
左手に抱える脚は萌黄色のワンピースの裾が少しはだけてしまい、スラリと伸びた白い太ももが完全に露出して目のやり場に困ってしまう。
その上、右手には服の上からでもよく分かる、程よい大きさと形をした気持ちの良い感触がある。
ほんとにほんとにわざとじゃないんだーっ、たまたま抱え込んだ場所がここだったんだよーっ。
誰に対して言い訳をしているかは分からないが、彼は無意識の女性の胸を触っていることへの罪悪感と、もう暫くはこのままでとの男ならば誰しもが抱くであろう罰当たりな思いの間を葛藤しながら彼女を運び込む。
店の奥ではサーシャが机の上に布巾を敷いた簡易寝台をしつらえ、汚れを拭く布切れや傷の手当をする準備していた。
「リオンさん、ありがとうございました。私ではこの方を運べないし、マルロさんは手が離せないので助かりました」
気を失っている女性を丁寧に簡易寝台へ寝かせ、彼は慣れた手つきで脈を診る。
「当然のことをしただけだよ。この人、呼吸にも脈にも乱れはないから大丈夫とは思うけど」
「サンショウがたっぷり入っていたら普通の人でも一時的に舌が痺れますよね。あれが体中に作用した麻痺状態みたいなので、きっと特異体質でしょうね」
言いながらサーシャが意味ありげな視線を投げ掛けている。
はて? なんだろう?
彼は首を傾げて彼女に問い返した。
「―――リオンさん、運ぶのを手伝っていただいて恐縮ですが、この方の汚れを拭きたいのでお店の方へ戻ってくださいますか」
なるほど、汚れた服を脱がさないと拭くこともできない。
彼女のジト目に見送られた彼がそそくさと席へ戻ると、注文した料理をカウンター越しにマルロが置いているところであった。
「リオン、ありがとうな。ウサギ肉を増やしておいたから食ってくれ」
「そんなつもりはなかったのに、かえって気を遣わせてしまいましたね。すみません」
「なーに、こちらもお客さんに働いてもらって手ぶらと言う訳にはいかないわな」
名代兼店主であるグレンの商魂は、料理人マルロにもしっかり仕込まれているようだ。
いつもより量が多い焦げ目のしっかりついたウサギ肉を、トマトの酸味が効いた汁といっしょに頬張り口の中が幸せに満たされるのを感じる。
器から溢れそうな赤い汁を眺めながら、彼はエルフの女性のことを考えていた。
ここら辺りでは見かけたことのない、ものすごく綺麗な人だった。
あの金色の髪が肩へ掛かった時に漂ってきた香りや、手の平に感じたやわらかさを思い出しただけで胸がドキドキして息苦しく、顔も熱くなる。
ローテンベルグや王都イズミルに行けばエルフも珍しくないらしいが、田舎町のセダンでは滅多に見かけることはない。
今日は本当にいい目の保養をしたと思いながら食べる料理は、いつもより更においしく感じた。
マルロが多めに盛ってくれた料理を彼が綺麗に平らげて席を立とうとしたところ、サーシャが店の奥から姿を現した。
「リオンさん、さっきはありがとうございました。食事はお済みですか?」
「うん、今終わったよ。ごちそうさま。マルロさんに気を遣わせてしまって逆に申し訳なかったかな」
「そんなことないです、本当に助かりましたから。あの方は熟睡されていますので、今日はこのまま奥で休んでもらうことにします」
「そうだね、お店に迷惑でなければその方がいいかな、って関係ないのに何言ってるのって感じだね」
「いえ、リオンさんは立派に関係者ですよ。お客様兼食材調達人じゃないですか」
確かに香草クエストはよく引き受けている。
サーシャもなかなかうまいこと言うものだ。
「そっか、なら彼女のことは任せるね。もし何かあったら修道院へ運ぶから宿まで連絡して。すぐに駆けつけるから」
「はい、承りました」
「ところで勘違いしていたらゴメンだけど、その左手の革の腕輪っていつもの銀のやつとは違うよね?」
リオンは店の奥でサーシャが看護の準備をしている時に気づいたのだが、ジト目に追い出されて聞きそびれていたのである。
「分かりました!? そうなんです!」
「その装飾の琥珀ってこのクラス石だよね?」
上着のポケットから冒険者カードを取り出し宝石部分を指差す。
きっと石の形や色がそれらしくなければ気にも掛けなかった、いや、気付きもしなかっただろう。
「はい、そうなんです!」
サーシャも手首を見て、急に何かを思い出したかのように顔を輝かせて嬉しそうに答えた。
「お守り代わりに少し前から借りています」
冒険者を廃業した者が、カードのクラス石を装飾品にするのはよくあることだ。
この石は結構純度の高い宝石である。
またサーシャはかわいいし、みんなに愛されている。
借りているとは言っているが、本当は誰かからのプレゼントかもしれない。
勝手な憶測を彼は抱いたが、忙しそうな彼女から詳しく聞くのはためらわれたので、料理の代金を支払って店を後にした。
町の大通りを宿へと向かっていると、急に眠気が襲って来た。
今朝は早出で、町へ帰ってからも色々とあった。
何かと疲れたのでもう休むことにしよう。
リオンは急ぎ足で部屋へと戻り簡素な寝間着に着替えると、たちまち深い眠りへと落ちて行った。