第54話 -馬屋の悪態-
「セダンで初めてお友達になってくれたのが、リオンだったから。あの時は、初めての場所ですごく心細かったのよ。大人達の中に一人でいたところに、リオンが優しく声を掛けてくれたの」
あたかも深窓のご令嬢が、突然外の世界へ放り出されたかのような言い振りに、リオンは思いきり首を傾げる。
彼の記憶では、サーシャはグレンの名代就任で、セダンへ五年前にやって来た。
彼が彼女と知り合ったのは、グレン達が屋敷の下見に来た時に、大人達に混じって掃除を手伝っていた時だった。
今も変わらないが、彼女は人見知りすることもなく彼に話し掛けて来た。
彼も、年下の者には優しくするようレギオンに教えられていたので、一人だけいた女の子の話相手をしてやり、二人はすぐに仲良くなった。
「リオンさんは昔から優しい方なのですね」
「・・・・・・いえ、そうでもないです」
訂正すると後が面倒なので、サーシャの美しい思い出に協力する。
「サーシャ様、ここを曲がると厨房へ行けます」
マリサが、屋敷本館と別館の区切りとなる廊下の角に立ち、声を掛ける。
「じゃあ、私達はお昼ご飯の材料を調達するから、リオンは先に宿直室へ行っておいて。マリサ、彼に鍵をお願い」
「はい。リオンさん、これを」
マリサから鍵を受け取り、リオンは一人宿直室へと向かった。
夏の盛りが近い昼時だったので、少し歩いただけで汗だくになりながら、宿直室がある建物の前にやって来た。
小屋と言った方がふさわしい小さな建物で、隣にある馬屋の方が遥かに大きい。
鍵を開けて宿直室へ入ろうとした時、馬屋の方から悪態をついている男の大きな声が聞こえて来た。
「―――まったく、こんなどうしようもない馬の世話、何で俺がやらないといけないんだっ。くそっ、腹が立つ」
ピシッと鞭打つ音が聞こえ、聞き覚えのある馬の嘶きが聞こえた。
「―――俺はローテンベルグ家の馬の世話がお役目であって、余所者の馬なんて見たくないんだよ。ほら、さっさと食えよ。飼葉を貰えるだけありがたいと思えっ」
様子が気になったので、覗いてみると―――やはり流星号だった。
さっきの悪態は、側にいる少し腰が曲がった男のようである。
「こんにちは」
「誰だい、あんた?」
男はリオンを怪しむように、顔を上下させて値踏みするように見る。
「先日からお屋敷でお世話になっている者です。その馬の持ち主の知り合いです」
「ああ、セダンの・・・・・・」
流星号が、リオンを見て馬屋の仕切りの中で嬉しそうに興奮して動き回る。
「こら、静かにしろっ」
男が、手に持った鞭で再び流星号を叩こうとした。
「止めてください」
すぐに男と流星号の間に割って入り、激しくしなった鞭を右腕で受け、激痛が走った。
リオンは、錘を着けていないことをすっかり忘れており、無意識に防御では頼っていたことを知った。
「余所者は邪魔をするな。ここは俺が管理する馬屋だ」
「それでも叩くほどのことではないでしょう」
「うるさい。これは俺のやり方だ。口出しするな」
「リオン、さっきから何を揉めているの?」
宿直室の扉が開けっ放しなのにリオンが居なかったので、声の聞こえた方へ来たサーシャが、馬屋を覗きながら声を掛けた。
「ごめん、サーシャ。流星の声が聞こえてここに来たのだけれど、どうしてもこの人が流星を鞭打つって聞かないから、話をしていたところだよ」
「鞭打つ!? どういうこと!?」
「この馬が仕切りの中で暴れて騒がしいので、他の馬に悪影響が出ています。そこで教育をしていたところに、この若いのが入って来たのです」
馬丁は、勿論、流星号の持ち主であるサーシャのことを知っており、リオンに対する態度とはまったく違った。
「流星号が暴れて? どこが?」
流星号はリオンに撫でられて、気持ち良さそうに目を細め尻尾を振り、大人しくしている。
「いやっ、さっきまではあんなに―――」
馬丁は、目を白黒させてしどろもどろに説明をしたが、最後は聞こえなくなっていた。
彼女は、流星号の側に来て声高に告げる。
「これは、サーシャ・ダイク、つまり私の馬です。そして彼は、御者のリオンです。流星号が他の馬に迷惑を掛けていたのであれば謝ります。しかし、いわれのない鞭は到底承服できません。説明をしなさい!」
流星号の体に鞭の痕をいくつか発見し、彼女は怒り心頭に発していた。
その剣幕に、馬丁もさすがに青ざめた。
「サーシャ様、いけません」
その様子をまずいと感じたマリサが、慌ててサーシャを止めに入る。
ただでさえ、余所者と使用人達に疎んじられているのに、このままでは更に溝を深くしてしまう。
「マリサ、どうして!?」
「お気持ちは分かりますが、彼の言い分も冷静になって聞いて下さい。頭ごなしでは、彼も委縮して言いたいことも言えず、サーシャ様もご判断を誤ることになり兼ねません」
「そうだね、マリサさんの言う通りだ。サーシャ、少し落ち着こうよ」
すっかり大人しくなった流星号やリオンを見て、彼女は自分だけ怒っていることが馬鹿らしくなってきた。
「本当に何で私だけが怒っているの? 元はと言えば、リオン! 流星号! あなたたちのせいでしょ!」
リオンは、弱り果てて怒られ仲間の馬を見た。
もちろんそんな気持ちは分かって貰えないと思っていたのだが―――。
「きゃっ、何をするの!」
流星号が、サーシャの顔を嬉しそうにペロペロと舐め始めたのだ。
「流星も、冷静になれって言ってるんだよ」
「―――分かったわ」
サーシャは、一つ息をついてから馬丁に向き直り、今度は冷静に話し掛けた。
「先程は、少し感情的になってしまったようです。改めて聞きますが、何故、流星号の背中に鞭の痕があるのですか?」
いつも拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
先週末辺りから、性懲りもなくイラストを描いており、本編の方の更新が遅れがちになっておりました。
何とかラフ位までは描けましたので、色塗りが終わればタイミングを見て掲載致します。何卒、ご容赦をお願いします(笑)
本日もよろしくお願いいたします。




