第42話 -名代と護衛の若者 その3-
「今働いている? そこを辞めても大丈夫なのですか?」
「はい、そのことも含めて色々とお話することになりますので、できるだけ早くお店へ来て頂きたいのですが」
彼に否応はなく、彼女の申し出を受けて店の場所を聞き、早々に仕事へと戻った。
ローテンベルグをわざわざ遠く離れて来ているので、時間を無駄にすることなく、魚の卸をやっている者達に会ったり、物価の調査などを入念に行い、日が暮れる前に彼女が働くマルナーダの漁火亭へとやって来た。
店は港近くにあり、長年潮風を受けてきたのが良く分かる年季の入った木造の小さな建物で、お世辞にも綺麗とは言い難かった。
軋んだ音をさせながら扉を開けると、店内は薄暗く煙草の匂いが染みついており、予想どおりあまり健康そうな雰囲気ではなかった。
カウンターには、先程とは打って変わって少し濃い化粧をしたカミラと、もう一人銀色の髪をした年の頃六十過ぎの居眠りをしている女性がいた。
「いらっしゃい―――ませ、グレン様でしたか。ありがとうございます。早目に来て下さって」
「ええ、そう言われましたので。なにせ商人ですから」
グレンは、少し笑いながら返す。
「我儘ばかりですみません。遅くなると酔っ払いの客が多くなり、話どころではなくなりますので」
「そう―――でしょうね」
彼は、店の雰囲気そのままだと思った。
「ところで料理はしていないのですか? てっきりそういう店だと思っていました」
「ローテンベルグから戻って来たのはいいのですが、誰も相手にしてくれず、こちらのキャサリン姐さんにやっと拾って貰えたのです」
カウンターに座って居眠りをしている女性を優しく見て、カミラは話を続けた。
「この方のお店ですか?」
「はい、私が生まれる前からありました」
「ご親戚ですか? 髪の色が良く似ていますが」
「私の母の妹で叔母にあたります」
「叔母さん? おいくつですか?」
「五十代のはずです」
「・・・・・・そうですか」
グレンは先程の少し失礼な感想を、カミラに知られないよう心で詫びた。
「あなたのご両親はここに?」
「残念ながら二人とも、もう他界しております」
「それは立ち入ったことを、すみませんでした」
「かなり前のことですから、お気になさらずに」
「では、先程言っていた色々なお話についてお聞きしましょうか」
「その前に、私から一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
表情を改めたカミラに、グレンは無言で頷いた。
「ウィーゼルの息子ザインはご存知ですよね? 彼が今、何をしているかもご存知ですか?」
「ええ、彼は冒険者をしています。偶に会いに来てくれます」
「彼の母親のことは、知っておられますか?」
「・・・・・・いいえ」
噂では港町の娼婦だと聞いたことがあるが、この店でいい加減なことを言うのは憚られた。
彼が一瞬口籠ったことで、彼女は凡そを察し、
「ザインも知らないことですが、キャサリン姐さん・・・・・・すみません、今はお客がいないので、キャサリン叔母さんと呼ばせて貰います。彼女がザインの母親です」
特段驚くことではなかった。
彼の父が金髪だったので、母親が銀髪なのは想像がついていた。
そして、キャサリンもカミラもザインも見事な銀色の髪だったからだ。
「何故、あなたが知っていて、ザインは知らないのですか?」
「私は母から聞いていました。叔母さんは、ザインに自分の母親が娼婦であることを知られたくなかったのと、荷造りなどの肉体労働が必要になるウィーゼルの商会の女将にはなりたくなかったので、話し合いの上、彼にザインを任せたのです」
「女将になりたくなかった?」
「ええ、性格的にも向いてないからって」
「カミラ、あなたもそう思いますか?」
「はい。今でこそ少しは落ち着いていますが、昔はその日暮らしな生活を楽しんでいたのを見ていましたから」
笑いながらカミラが答えた。
「では、このまま一生ザインには会わないのですか?」
「グレン様、そこは違います」
「どういうことですか?」
「ウィーゼルが特に止めなかったので、叔母さんとザインは何度も会っています。ザインにとっては、港で自分に親切にしてくれるおばさんくらいの存在でしょうけど」
ウィーゼルは、ここでも海の男らしく開放的であったようだ。
もう少し彼と知り合える時間があれば、結構面白い男だったのかもしれない。
「どうやら色々な話とは、彼女やザインに関係することですね?」
グレンは、カウンターで気持ちよさそうに眠るキャサリンを見ながら確認した。
「はい。最近はザインがこちらへ来ることが滅多になくなり、彼女が寂しがっています。また、ここ一、二年、寒くなると少し咳が長引くようになり、長年の不養生で芳しくない状態と思われます」
道理で老けて見えた訳だ。
それにどうも瞼がピクピクとしている。
グレンはキャサリンの様子を横目で窺いながら、話を続けた。
「それで私にどうしろと?」
「ローテンベルグへ彼女を連れて行きたいのです。許可して頂けます?」
「それは構いませんが、彼女は納得しているのですか? また性格に合わないと言い出したりするのでは?」
「ザインに会えるならと了承しています」
「そこまで言うなら親子の名乗りを上げないのですか? 私から言うのもおかしな話ですが、彼は、彼女が気にしているようなことは、何も思うところはなく全てを受け入れると思いますよ」
ザインの人柄を、わざとキャサリンに聞こえるようにカミラへ伝える。
「それは叔母さんと話をしないと何とも―――」
「では、寝ている振りをしている叔母さんにそう言っておいて下さい。カミラ、あなたが恩を感じて、キャサリンさんの面倒を見ようとするのは大変結構なことです。しかし、子供がいるなら、まずは彼がそうすべきと思いますよ」
それだけ言うと、後は彼女達の問題と考えたグレンは店を出て宿へと戻った。
マルナーダ港での仕事を終え、ローテンベルグに戻ってから二週間後、カミラとキャサリンがグレンの元へとやって来た。
グレンは予定通り、カミラには料理人として店を任せることにした。
また、大変都合の良いことに、水商売をしていたキャサリンは接客には打ってつけであった。
しかし彼女はあまり丈夫ではなく、当初予定していた大きめの建物は、商いの事務所兼荷物置き場とし、大通りに近くに昔からある小さな事務所を、店へ改装することにした。
店名も彼女らに任せたところ、いかにも夜の食事に魚介を扱っていそうな良い名前『水際の月見亭』と付けてくれた。
着々と開店の準備を進めていると、クエストからザインが戻り、新しく移ったグレンの事務所へ恒例の報告にやって来た。
グレンは詳細を語らず、隣の店に旧知の人がいるから、必ず訪れるようにとだけ告げた。
その翌日、ザインは冒険者を辞めて、老母を連れてグレンを訪れ、彼の元で働くことを願いにやって来た。
勿論グレンは快諾した。
その後、開店した水際の月見亭は、愉快な接客と美味い海鮮料理の店として一躍有名になった。
牡蠣料理については、ワルターの会食の件以来、かなり否定的に捉えられるようになっていたところ、一気にその評価を覆す料理を出す店が出来たことは、噂としてローテンベルグ伯ワルターの妻ラケルの耳にも入り、お忍びで何度も訪れさせ、そのことが店の評判に拍車を掛けた。
そして、グレンの道が一気に開けた。
いつも拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
グレンの昔語りパートはひとまず終わりました。
ただ、もう暫くはグレンの周囲の話が続きそうです。
本日もよろしくお願いいたします。




