第9話 -流星号-
281019 改訂しました。
「リオンさん、この度は本当に色々お世話になりました。ありがとうございました」
「急にどうしたの、クリシュナさん?」
「そろそろお別れですので、最後にお礼をもう一度言いたくて」
「困った時はお互い様じゃないですか。それにこんなに綺麗な女と知り合いになれたのは、ものすごく役得でしたから」
「な、な、なっ、何をおっしゃっているの、リオンさん!?」
彼女はびっくりして握っていた手提げ袋を落としそうになり、思わずお手玉みたいに撥ね上げてしまい、中の物が盛大にばら撒かれた。
「あっ!?」
それを見たリオンも驚いたが、すぐに拾い始める。
「クリシュナさんて美人で何でもそつなくこなしそうな見た目と違って、意外とおっちょこちょいですよね」
「普段のわたくしは違いますっ。もお、リオンさんのせいですからね!」
彼女は赤くした顔で少し嬉しそうに怒りながら落とした物を拾った。
リオンは責められた訳が分からず、解けない疑問を抱きながらもせっせと拾い続けた。
「はい、これで終了!」
最後に道に残された銀貨を取って、彼はクリシュナの白いきれいな手へと渡した。
「本当にお恥ずかしいですわ。ありがとうございました」
「お陰様で最後まで楽しかったです。またどこか会えるといいですね。それまでお元気で!」
「リオンさんも!」
彼女が一度だけ振り返って手を振り、依頼主のところへ向かって歩き出したのを見送ってから彼も宿へと歩き始めた。
大通りを進み冒険者ギルドの前まで来たところ、名代屋敷がある左手の方から馬の激しい嘶きが聞こえ、何人もの男達が縄や棒や布袋を手にして走ったり、時には逃げ回っている光景を彼は目にした。
「気をつけろっ! 名代様の馬が逃げ出したぞ!!」
「そっちへ二頭向かったぞ!! 道を開けろっ!」
「こちらへは一頭だ! 速いぞ!!」
「広場にも逃げ込んだぞっ!!」
町に入り込んだ魔物であれば何も考えずに倒せば済むが、グレンの馬には領主ローテンベルグ伯から預かりの駿馬も含まれており迂闊に傷をつけられない。
そのためゆっくりと包囲をして馬の頭に布を被せ、落ち着かせてから捕獲する方法が警備隊や冒険者、住人により力を合わせてあちこちで行われていたのだ。
彼も捕獲作業に参加するため路地へ馬を追い込んでいる集団に加わろうとしたところ、広場の手前に先程別れたばかりの美しいエルフの姿を見つけ急いで駆け寄った。
「クリシュナさん、大丈夫だった!?」
「はい、何とか無事でした。リオンさんも大丈夫ですか?」
「僕の方は何ともなかったけど、一体、何が起こったんだろう?」
「よく分からないのですが、荷造りを手伝い始めたら急に何頭かの馬が駆け込んできて一瞬で大騒ぎになって、わたくしたちは広場の外へ避難しました」
彼女の依頼主以外にも広場には商人の宿営があり、まだ混乱が収まらず荷物もそこかしこで散乱している。
「この様子だと出発はもう少し後になりそうですね」
「ええ―――準備した物も今の騒ぎでどうなっているか分かりませんですし」
「すみませんが、僕は馬を捕まえに行きます」
「どうぞお気を付けて・・・・・・」
クリシュナは、依頼主の商人を探すために慌ただしい広場へと姿を消した。
一方リオンは混乱する大通りを駆け抜け、袋小路へ馬を追い込んでいる一団へと追いついた。
その瞬間、一番前で馬の頭に布を被せようとしていた小柄な男が、棹立ちになった馬の前脚に顔を蹴られ鼻血を出して転がるように後ろへ逃げて来た。
更にもう一人、見るからに力自慢そうな男が果敢にも馬首に抱きついて抑え込もうと試みたが、馬は素早く男の手をかわした。
勢いをつけて飛び掛かったものの、見事に空振りをして態勢を崩した男は壁際の樽に頭から突っ込んで盛大に壊し、そのまま動かなくなった。
二人の男を撃退した暴れ馬にリオンは見覚えがあった。
・・・・・・流星号だったのか。
サーシャの外出時に馬車を曳いている黒鹿毛の駿馬だ。
彼女の護衛クエストをした時には、飼葉をやったり、鬣を梳いたり、時には乗馬の練習をさせてもらっている。
眉間に三角の白い模様があったので流星号と名付けたと彼女から聞いたが、賢く臆病で優しい性格の牝馬だ。
それが今はあんなにも口の周りに泡をつけて興奮している。
縄や棒を手にして殺気立った男達に囲まれ恐れているからだろう。
人間でもこんな状況に追い込まれたら決して穏やかではいられない。
それにケガをしているのか、後の右脚の反応が遅く挙動が不自然だ。
そこまで確認すると彼は一団の前へと出た。
「あっ、おい、お前、迂闊に近づくな!」
「もう少し疲れさせれば一気に捕まえることができる。そこの奴、焦るんじゃない!」
彼は制止する声を無視して、革を張った左腕の錘の隠しから干したカモミールの葉を取り出し、ゆっくりと流星号に近寄った。
掌を広げカモミール以外何もないことを見せて馬の鼻の前へと持って行く。
「流星、落ち着け。僕だ、リオンだ、分かるか? お前の大好きなサーシャの香りだ。思い出せ」
干したカモミールは良い香りがするので、サーシャが好んで匂い袋に入れて持ち歩いている。
クエストの最中も彼女の周りはその香りで満ちていた。
また一般的に精神鎮静効果があることから彼も常備している薬草の一つである。
カモミールの香りが辺りに漂い始めると、狭い路地で落ち着きなく前後左右に動いていた流星号の脚と、激しく振られていた尻尾が少し緩慢になり始めた。
荒かった呼吸も次第に穏やかになると同時にむき出しにしていた歯も見えなくなり、ほぼ落ち着いたように思われた。
彼は右手でカモミールを流星号に食べさせ、左手で大人しくなった馬の手綱を取った。
「悪かったね、怖がらせて」
そして首を優しく撫でながら一団にいた警備隊の一人へ手綱を渡し、すぐにもと来た道をとって返す。
このような時に情報が最も早く集まるであるろう場所へと向かったのだ。